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折られた左腕の調子を確かめるために何度か動かしてみる。見事に復調してくれたようで、軽快に動いた。頭の傷も見事に塞がってくれたようで、医者も真賀の中でもダントツで回復が早いと笑っていた。
退院してもいいのかと聞くと、いつでもどうぞと言われたのでさっさと手続きをして、病院から出ることにした。出雲が文句を言っていたが、それだけだった。積極的にここに繋ぎ止めよう、という気はないようで俺の身支度を手伝ってくれた。
「兄様から伝言があるわ」
「流水から?」
「神域によるようにと。・・・・・・私は別に無理して行く必要はないと思うけれど」
「無理・・・・・・は、してないつもりだが。あいつが神域に来い、か・・・・・・」
本来ならば行く必要はない。あそこは守人でも滅多に近づかない場所だ。当主ですら、重要な祭事がなければ近寄れない。中に入るには守人の許可が必要だ。俺は一方的に役目を捨てて出て行ったから、俺の代わりがいるはずだ。その許可は取ってあるのだろうか。
少し考えてから、俺は神域によることを決めた。レンタカーを借りて、田舎の町を丁寧に避けて神域に向かって車を走らせる。出雲は助手席で静かにしていた。とはいえ、どれだけついてこられても、神域の中まで出雲を連れてはいけない。これから先も「真賀」であり続けるならば、真賀の決めたことに逆らってはいけないだろうから。
車で入れるところまで入り、出雲を残して神域に向かって山に足を踏み入れる。
木々の移ろいは激しい。以前来た時は印象ががらりと変わっていた。山は生き物だ。年毎、いや日毎その姿を刻々と変えて行く。人は気付き難いが、少しずつでも景色は変わって行く。人の成長となんら変わりはない。
・・・・・・ここは先代当主と先の守人である・・・・・・・伯母、を流水と俺が殺した場所でもある。いや、流水と、ではなく、俺が、と言うべきか。伯母を殺したのは俺だが、当主は流水が追い詰めて、俺が止めを刺した。
そうして、俺は伯母の跡目としてここで十七から生活していた。凡そ二年、ここにいた。
代わりの守人がいるかと思ったが、どこにもそんな気配はない。ただひとつ、ある人の気配はよく親しんだものだった。
「流水、俺をこんなところに呼び出した理由は何だ」
「こんなところとは失礼な。俺たちの思い出の場所じゃないか」
「思い出?・・・・・・当主の座がそんなに欲しかったのか、お前は」
流水が当主になるのは決まっていたことだ。成人すれば、その時に譲ると言う約束手形もあった。無理してここで当主を殺す意味は正直なかったのだ。
「ああ。欲しかったね。一分でも一秒でも早く、あいつを殺して手に入れたかった。お前はよく働いてくれた」
「・・・・・・・ここの守人はどうした。俺の代わりは」
「お前に代わりなんていない。誰もお前の代わりを務めることはできない。俺ですら。お前だけが『純血』の正真正銘の「真賀」だ。ここの守人になる資格を持つのはお前だけだ」
知っているだろう?
そう、流水は問いかけてくる。
無論、その答えは知っている、だ。何せ、ここで流水と先代から答えを聞いた。そして、その『正しい』答えを知っているのはもはや俺と流水しかいない。
そして、それは知られてはいけないことでもある。その事実は毒だった。その毒は先代当主と先代守人を蝕み、あっという間に殺した。いずれ俺も殺してくれると思っているが、いつまで経っても俺を殺してくれないのだ。ただただ俺を苦しめるだけで。
黙り込む俺に向かって流水は笑みを浮かべた。
「ここにいるのは苦しいか、アズマ」
「・・・・・・別にここにいたところで何も感じない」
「なら戻って来い。ここがお前の居場所だ。何もずっとここにいろと言ってるわけじゃないんだ。何が不満なんだ?」
「不満なんてないさ。この場所には」
ただここで一生を終えることは怖気を覚える。いつまでもいつまでも死を望みながら苦しんでいるなんて。ただ、それだけだ。何もかも棄てるのには、それだけの理由で充分だった。だが、今、結局それは果たせないことではないかと薄々思っている。
「・・・・・・まぁいいさ。どうせ、ここ以外にお前の帰る場所はない」
「・・・・・・言ってろ」
「どこでのたれ死のうとも、必ずお前をここに埋めてやる。安心しろ」
「それで安心できると思うのか?」
「さぁ。俺には解からないが・・・・・・・伯母はここで眠っている。爺もだ。親父もそう。家族が一緒だ。それで安寧を得られるのなら安いものじゃないか? なあ、俺の刃」
「・・・・・・・・」
こんな会話をするために呼び出したのかと思うと呆れ果てる。
俺はにやにやと笑う流水に背中を見せた。
「向こうに帰ったら仕事をしてもらう。宮森の仕事だ」
「・・・・・・宮守?」
「護衛だよ。またしばらく学業から離れることになるな。残念」
「・・・・・・・クソ野郎」
吐き棄てるように言って、振り返ることもしなかった。振り返れば流水が意地の悪い笑みを浮かべているのが解かるからだ。俺は、流水のその顔が心の底から嫌いだった。