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ぁ、が、ァアアアアアアアアアアアアアア!!!!
腹の底から搾り出すように、啼く。
まさしく鬼の咆哮だな、と求道者は呟いた。ゆらゆらと体を揺らす幽鬼のようなその姿、真っ赤に染まった顔面に浮かぶ嗤い、その全てを掛け合わせてそう形容したのだろう。
後ろに体を仰け反らせた後、駆け出した。最初に対峙した時よりも速く、血の軌跡を後ろに引き連れて。
鳴瀬恵贈はそれを迎え撃たんと、一歩踏み出した。
直後、目の前に迫ってきていた体は急にぶれて、その姿を消した。
潰された左目の方にずれたのだと鳴瀬恵贈はすぐに気付いた。距離間合い速度全てを勘案して、腕を突き出すと、掌に人の感触があった。それがどこなのか、数多の人間を投げ捨ててきた鳴瀬恵贈にはすぐに解かった。胸倉、もしくはそれに付随する場所だ、と。
それを引き寄せ、自身も正面体になるために体を回転させる。回転は力だ。地面に投げ打つ時、これがあるとないとではその威力が天と地になる。だから、か。その違和感に鳴瀬恵贈はすぐに気付いた。軽い。それも異様に。
ひたり、と押し開かれた両手が体に密着する。浮かんでいた足が地面を踏みしめる。その瞬間、鳴瀬恵贈の体に何かが『通った』
それが何か解からなかった。だが、それのダメージは間違いなく鳴瀬恵贈の中身を侵した。ごふ、と口から血が溢れ出る。その血を浴びながら、鬼はピクリとも動かない。まるで自らもダメージを追ったような姿だった。その顔を殴りつけ、鳴瀬恵贈は距離を取る。
鬼は殴られて僅かに体を揺らした後、すぐさま地面を蹴り上げた。
だらりと垂らしていた両手を掲げ、左掌を打つ。それを鳴瀬恵贈は絡め取り、鬼の前進するちからをそのまま利用して、鬼の左腕を圧し折った。だが、鬼は咆哮を上げながら、そのまま間合いを詰めてきた。左腕がグロテスクなシルエットを形作る。ならば、と鳴瀬恵贈は一歩を踏み出す。このまま地面に叩きつけてやると。
それに合わせるように鬼は押し開いた右掌を突き出した。それはまっすぐ、鳴瀬恵贈の下腹部、臍の辺りを穿った。親指が内臓を抉らんと突き進んでいく。だが、それは途中で止まった。鳴瀬恵贈の抉り取られ、まだ親指に突き刺さっている眼球がそれを押しとどめたのだ。
血反吐を吐きながら、鬼が鳴瀬恵贈の耳元で咆哮する。びりびりと鼓膜を揺するそれに、鳴瀬恵贈は堪らず動いていた。
鬼の体が宙に浮いていた。
腹に穿たれた指の影響で、地面に叩きつけることが出来なかったのだ。
鬼はそのまま、遠く遠くへ投げ出されていく。空中では姿勢の制御も方向転換も出来ない。ただ、与えられた力が尽きるまで飛ぶだけだ。その方向は柵の先。暗闇に沈む川の方だ。見下ろせば、底の見えない闇だけがあって、鬼の還る場所とはこれほど相応しいものはないだろう。
二メートル、いや五メートルほど落下して、着水する鈍い音が響き渡った。
それを聞きながら、鳴瀬恵贈は息を吐き出した。
直後、目の前を小柄な影が通り過ぎていく。影は、ばか、ばか、ばか!とうわ言を呟くように言いながら躊躇いなく川に飛び込んでいた。
それを横目に鳴瀬恵贈は踵を返す。
その口元には溢れ出る狂喜が滲み出ていた。必ずあれは生き残るだろうという確信と、次の戦いに心が高鳴り、抑えきれなかったのだ。この猛りはとりあえず宿にいるもので晴らそう、そう、鳴瀬恵贈は呟いていた。
はぁはぁと荒い息遣いを耳元で感じて、俺は覚醒した。意識がぶつ切りの状態ではあったが、横にいるのがユキオだということは解かった。見ていたのか、とぼんやりと思った。
ユキオは手早く俺に応急処置を施していて、俺の意識が戻ったことに気付くと、怒りを滲ませた表情を俺に向けた。
「ばか! あれは私の獲物だ! 勝手に盗って、なんでこんなことになってるんだ! 中途半端なことしないで!」
「・・・・・・・ああ」
「立て。歩く!」
とりあえず、道に出なければとユキオは俺をせっつく。
ユキオは頻りに俺を罵倒しながら、絶え間なく話しかけてきた。俺の意識が朦朧としていて、また意識を失えば、それこそもう手遅れになるのではないか、という恐怖を覚えているようだった。・・・・・・俺もきっと同じことをする。
真賀でも川内でも、大事な友達ぐらいは大切にするのだ。それは血によって簡単に洗い流されてしまうものでもあるが、俺たちもまた、そういうものを持ち合わせている。俺にとって、ユキオは「そう」だ。大事で、大切な者だ。ユキオもそう思っているのだろうか、とふと思う。
「ユキオ・・・・・・」
「何?」
「なんでここに?」
それは今更な質問だった。
ユキオは小さく呻いてから、あまりに帰りが遅いので探しに出たのだ、と小さな声で言った。見つけた時には俺が落ちるところだったという。そもそも、そこに辿り着けたのは俺の声が聞こえたから、だという。確かに理性がぶち切れて獣みたいになっていたような気もするが。
みっともないところを見られた、という気恥ずかしさが浮かび上がってきたが、俺はそれを飲み込んだ。
街灯が、俺たちの行く道を照らしていた。