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捨てたと思っていたものが棄てられていなかった。棄てる、ではなく、破壊するべきだったのだろう。粉微塵にすれば、思い返すことも蘇ることもなかったのに。
いつものように梓に腕を取られて、部室に連行された。最近、小此木さんに顔を合わせ辛くて・・・・・・と、いうことではなく、最近出雲と一緒に少しばかり運動を始めたせいで部室に顔を出していなかったから、梓の堪忍袋の緒が切れたのだろう。片腕に梓の重みを感じながら、出雲に今日はなし、とメールを送っておく。
先約は出雲なのだから、これだけで許されるとも思っていないので、帰りにご機嫌取りに何か買っていこうと思う。
「最近、アズマってば付き合い悪いぞ! 連休明けからちょっと避けてない?」
「悪い。避けてるつもりはないんだ。ちょっとやることがあって。・・・・・・小此木さんはどんな感じかな?」
「悠美ちゃん? フツーだよ。いつも通り。・・・・・・あ、でも最近、ちょっと臨時収入があったって言ってたね。飲みに連れて行ってもらったよ」
ああ、実家から腹いせに盗って来たものを盛大に売り払ったのだろう。無茶難癖に監禁の類をやられたのだから、それぐらいの見返りはあってもいいだろう。どうせ、宮森にしてみればはした金だ。向こうもとやかくは言わないはずだ。
「どうしたの? 何かあった?」
「いや、俺は別に何も」
「ふぅん」
疑わしい、と梓は小さく呟いていたが、あれは個人の事情だ。俺はたまたま顔を突っ込んでしまったが、本来ならばそれもあってはいけないことだ。しかし、そうであるならば、せめてそのことを口にしないのが義理だろう。
それと、梓が問題ない普通だと言うのならば、そうなのだろう。俺なんかはそういう機微は全然解からないから、梓の言うことをそのまま受け止めれば、なんとなく解かったことぐらいにはなると思っている。
部室に着くと、小此木さんが窓際の席でぱらぱらと薄い冊子に目を通していた。俺たちの気配に気づいたのか、ふ、と唐突に顔を上げた。鳶色の瞳が俺の姿を捉えて、瞳孔が一瞬だけ縮んだ。
「やぁ、アズマくん。久しぶり。最近来なかったな。・・・・・・何してたんだ?」
「少し、体を締めなおしてました。ちょっと怠けすぎたかな、と」
「・・・・・・そうか」
変な雰囲気でも出していたのか、梓が困惑したようにきょろきょろと俺と小此木さんを交互に見ていた。なんでもない、と梓に声をかけて、定位置にされているドア近くの一番目立たない席に腰を落ち着かせる。梓は小此木さんの近くに腰を下ろして、からかうように何かしら小此木さんに詰め寄っていた。
「真賀くんだぁ。何か久しぶりだね」
正面に座っていた佐伯美弥が周囲の男との話を打ち切って、俺に悪戯好きの子猫のような瞳を向けた。一期下の後輩はするりと自分を中心にして出来上がっていた輪から抜け出して、俺の横に腰を降ろした。化粧っ気の薄い顔。それでも充分生える顔立ちをしていて、佐伯美弥はすぐにこのサークルのアイドルに躍り出たコスプレ好きの少女。
以前、石本さんと言い争っていたのは、コス衣装について激しく激論を交わしていただけだったということが連休最後の日の飲みで判明した。
「真賀くんさぁ、次のイベント来れる?」
「次のイベント?・・・・・・・なんだっけ」
「うん。オンリーイベント。鎮守府観艦祭ってのがあるんだよ」
「あ~、あれ。軍艦の擬人化のやつ」
「あ~、そういう認識か。ん。でも、それであってるよ。先輩たちが同人出すんだって。梓も悠美ちゃんも行くって言ってるから。その話の時、真賀くんいなかったし、ラインしても反応してくれないし。今ですら未読って・・・・・・」
「あ、それは悪い」
最近、面倒なことから離れていたせいだ。メールだのなんだのも一瞥して終わり。ラインは来たことを認識した以外は触れてすらいない。
「で、どうするの?」
「・・・・・・ん。行く」
そっかよかったぁ、と美弥は頬を綻ばせた。そのまま、ぐい、と顔を近付けてくる。
「で、ここからが本題なんだけど」
「・・・・・なんだよ」
「真賀くん、コスプレしよ」
「・・・・・・、・・・・・・は?」
「まぁ、基本女の子のコスしかないんだけど。いいじゃん、女装。やってみよ。真賀くん細身だしなんとかなるよ! 体のバランスも悪くないし!」
「何で俺さ」
「先輩も同期も大体やったし! あとは真賀くんでコンプリート! だから!」
「いやです」
イベント毎に先輩たち男集がコスっていたのはそういう理由だったか。あの、阿鼻叫喚を具現化したような状態には死んでもなりたくない。それに、特に思い入れのないコスプレは楽しいかと言われれば、そんなことは決してないだろう。あと、俺に変身願望はまったくない。
「梓も悠美ちゃんもやるから大丈夫! 安心して、コスろう!」
「いやです。絶対にいやです」
「とりあえず採寸だけでも。とりあえずだから!」
「ノー。のーせんきゅー」
「よし。じゃあしょうがないね」
「ああ・・・・・・解かってくれたか」
「先輩方、剥いちゃってください!」
おお、とノリ良く先輩たちが立ち上がる。その瞳には絶対に逃がさない、という鉄の意志があった。お前だけが逃れられると思うなよ、と雄弁に語りながらにじり寄ってくる。そんな中、がた、と椅子を倒して小此木さんが立ち上がっていた。
ゆらゆらと不安に揺れる瞳が写しているのは、あの日の俺の姿だろう。
それに俺は苦笑を浮かべる。・・・・・・先輩たちに手を上げるようなことはない。断言してもいい。そうこうしている内に上着を剥かれる。
「・・・・・・うわぁ、すご」
「もういいから、さっさと採寸してくれ」
ため息混じりに、俺の体を凝視する美弥に言った。
「すごい鍛えてるね。あれ・・・・・・これ、何の傷?」
「子供のころの。遊んでたらついた」
左わき腹から背中まで続く裂傷のあとを触りながら、美弥はやんちゃだったんだぁ、と呟いた。他にも腕に何かが刺さったような痕やら、わき腹のと同じような裂傷やらを見て、ひとつひとつに感嘆しながら美弥は採寸を終えた。
コスプレ衣装が完成するのは二週間後ぐらいかな、と言って、美弥は満足げにメモ帳を閉じた。