10
星川昴の片足を引き摺る痛々しい姿を見て、小此木さんを俺を見ずに言った。
「あれを、アズマくんがやったんだな」
「そうですね」
「・・・・・・悪いことをした。彼にもアズマくんにも」
「・・・・・・」
「私は、君のことを、『真賀』という家を母様に聞いた時、君なら何とかしてくれると思ってしまった。結果はこれだ。家が嫌だと言った君を、その家を理由に巻き込んだ。すまない。私は、嫌な女だ」
「そんなことは、どうでもいいことです。たぶん、小此木さんのお母さんはもっと酷いと思いますよ」
「・・・・・・どういう意味だ」
「話が聞ければ解かります」
・・・・・・俺が矛を収めた時、小此木さんの母親はこう言った。「いい拾い物が出来た」と。それはつまり、ここまでが全部、彼女のシナリオだった可能性の指摘だ。
俺たちは今、本館、中央の邸宅に向かっている。そこで話があると小此木さんの母親・宮森の当主は言ったのだ。そこで今回のことを話してくれるはずだ。そうでなければ少し乱暴に話を聞くしかないが、そうならなことを祈ろう。
本館に着き、豪奢な応接室に入るとそこには制服姿の少女が佇んでいた。少女は足を引き摺る星川昴を見て、目を剥いた。
「あわ、どうしたのさ、昴! 頑丈が取り得の君がこんな様晒したら、ただの豚と変わらないじゃないか!」
「・・・・・・うっせ。しょうがねぇだろうが、あいつバケモンだ、親父とまともにやり合いやがった。俺が勝てるわけねえ・・・・・・つーか、生きてるだけでありがてぇ」
「ふぅん。ま、いいけどさ。・・・・・・あわ、姉ちゃんじゃない! 相変わらずちっちゃいねぇ」
「稲穂、お前、だいぶ成長して・・・・・くっ! 姉の威厳が消えてしまうじゃないか!」
口ぶりからして姉妹なのだろう。見た目的には既に逆転しているように見える。こういうこともあるのかと横目で見る。まぁ人間成長には個人差というものがあるし、しょうがない。
「で、お兄さんが『真賀』の人。へぇ、見た目普通だね。あ、そうだ、出雲ちゃん関係の人かな? 知ってる? 出雲ちゃん。お人形さんみたいな可愛い娘なんだけど」
ぐいぐいと顔を寄せてくる稲穂と呼ばれている少女に気後れしながら、親戚だ、と答えを返す。あー、やっぱり、と嬉しそうに稲穂は顔を綻ばせた。朗らかな少女だ。
「私ね、真賀の人が来るって言うからお母さんに呼び出されてね。昴貸してくれって。あ、昴って私の護衛もやってくれてるんだ。腕試しとかなんとか言ってたけど・・・・・・結果としては、ま、私の損で終わりそうだね。昴負かすなんて結構凄いよ、お兄さん。でも・・・・・・このままだと姉ちゃん、泣いちゃうかもね。そんな気がするよ」
んじゃ私はデブの手当てに行って来るよ~、と小此木さんに声をかけて、稲穂は星川昴のケツを蹴っ飛ばして隣の部屋に消えていった。その後姿を、どこか羨ましそうに小此木さんは見ていた。俺の視線に気付いた小此木さんは取り繕い誤魔化すように笑った。
「稲穂はあんまり厳しくされていなくてな。跡継ぎじゃないからだいぶ自由にやらせてもらってる。それが私には少し羨ましくてな・・・・・・ま、勝手な言い分だ」
「・・・・・・・そんなことないですよ」
俺だって人のことは言えない。兄や妹を羨ましく思う時がある。しかし、会わなければそんなことすら思えない。
少し気まずくなった部屋に小此木さんの母親が現れた。
「お待たせしました。どうぞ、お座りになってください」
勧められるままソファーに腰掛ける。使用人が現れてティーセットを並べていく。彼らが消えた後、小此木さんの母親は口を開いた。
「今回はお疲れ様でした。無理な呼び立てをしてしまいましたね。車代はあとで払いますので」
「あれを呼び立て、ですか」
「あら、だってあなたは悠美の呼び立てに答えたじゃない。本当は、こんなことをするつもりはなったのだけど、聞いたらあなたのところに真賀の子がいて、身の回りを世話しているというから。少しだけ焦ってしまったの」
「だから、小此木さんを餌にして呼び出した、と」
「そうね、ついでに真賀がどんなものか見極めるつもりで。まぁあなたは来ないかもしれなかったし、賭けだったけれどね。お人好しね、あなた」
「解かったか」
「怖いものだとは。・・・・・・で、少し交渉がしたいの。どうかしら」
「交渉?」
「ええ。悠美の束の間の自由を賭けて」
「・・・・・・何が望みで?」
「真賀とのパイプが欲しいの。真賀はあまり表に出てこないから」
「・・・・・・」
携帯電話を取り出して、当主を呼び出す。一言挨拶をして、宮森が会いたがっている旨を伝えた。返事は好いものだった。会話を聞いていた小此木さんの母親の顔の笑みが深くなった。
「これが真賀の当主の直通の番号だ。あれが仕事をするかどうかはあなた次第だが」
「ありがとう」
電話番号を書き殴ったメモ用紙を受け取って、小此木さんの母親はそれを懐にしまった。
「これで小此木さんは」
「大学卒業までは、好きにしていいわ。それと、もうひとつ。これを受けてくれたら、もっと譲歩してもいい」
「・・・・・・アズマくん、待て」
「話を聞かせてくれ」
「あなた、うちの子にならない?」
「?」
俺と小此木さんの顔に一気にクエスチョンマークが浮かんだ。この人はいったい何を言っているのかさっぱりと理解出来なかった。
簡単なことよ、と前置きを置いて、宮森の当主はお茶を僅かに唇を湿らせる程度に口に含んだ。
「婿入りしない? 悠美の婿が嫌だというのなら、稲穂でもいいわ」
「待て、母様、いったい何を――!」
「これはあとで真賀の方にも申し出るつもりだけれど。強い血、強い家との繋がりが欲しいの。強固であれば、強固であるほどいい。だって、血さえ繋がっていれば、絶対に裏切らない駒が増えるのだから」
宮森の当主の顔に深い笑みが浮かぶ。何かが上手くいった時の満ち足りたようなものではなく、もっと汚いエゴの垣間見える人間そのものの笑み。際限ない欲の発露。小此木さんは少しだけ呻いて、それから顔をそらすように俯いた。
俺は、小此木さんの肩に手を置いて、外に出るように促すために少しだけ強く押した。よろよろと小此木さんは立ち上がって、ドアの方に向かう。
「それは、真賀との話し合いが終わってからで。とりあえず、戻る。構わないな?」
「ええ。別にすぐに答えを出せとは言わないわ。ただ、色好い返事を期待しています。悠美と仲良くしてあげてね。その子は父親に似て少しばかり弱いから」
「・・・・・・」
踵を返して小此木さんを追う俺の背中に、宮森の当主は最後に一言、言葉を投げつけてきた。それを無視して、ドアを閉めた。
帰りの車は静かなものだった。小此木さんは疲れたのか助手席でうつらうつらと舟を漕いでいたからだ。起こすのは忍びないし、こちらから言えることもあまりなかったというのもあるが、最後に投げつけられた言葉が棘のように胸に刺さっていて。俺は黙り込むことでしか己を律せなかった。
・・・・・・・戦わせてあげる。お願いを聞いてくれたのなら。
嫌になる。『真賀』である俺は、中途半端に止められたことに憤りを覚えていて、決着を望んでいる。それが嫌で、逃げ出してきたのに。