1 女勇者誕生
私がこの旅に出たのには、れっきとした理由がある・・・はずだ。今では分からなくなってしまっているけれど。
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「お前、この俺の命令が聞けないと言うのか?」
不穏な空気が前方の路肩から漂ってくる。私は、それを極力気にしないようにして歩く。周りには、他に人が居ない。だからこそ、こっちにとばっちりが来るのを避ける必要がある。
見てはいけない。それだけを考え、その横を通り過ぎようと足を速める。許しを乞う哀れな声が聞こえてくる気がする。が、私には聞こえないし、見えない。
気のせい、気のせい・・・。
「死んで神にでも訴えるんだな」
「!?」
物騒な言葉に驚いて、足を止めてしまった。
・・・ああ、私って馬鹿だ。さっさと通り過ぎていれば・・、いや別の道を選べば良かった。後悔の念が浮かぶ私の頭が、彼によって鷲掴みにされる。
彼の肩越しに、哀れな男が一目散に逃げる様子が見えた。どうやら標的は完全に、私に移ってしまったようだ。
「ちょうど良い所で遭った。お前、確か馬を2頭飼っていたな」
「か、飼ってないよ。懐いてくれてるだけ」
「どっちでもいい。そいつらを寄こせ。文字通り、馬車馬としてこき使ってやる」
「こき使っちゃダメー!!」
鷲掴みされた頭を必死で振る。目の前に立つ彼は、やると言ったら本気でやる人だ。しかも確実に容赦しない。
幼い頃から、その被害を受け続けてきた。その経験がそう言っている。
「・・・分かった。じゃあ、お前をこき使ってやる。馬車を調達してこい。2秒で」
「ムリ!」
2秒って・・・人間の領域を遥かに超えてるよ!
「そうか、無理か」
「う、うん・・」
「なら、死ね」
「何で!?」
「役立たずが生きていても、酸素が無駄に消費されるだけだ」
辛辣な口調が彼らしい。・・・でも、もうちょっとソフトに言ってほしいよ。例え本当に役立たずであっても。
「お前が呼吸することで、酸素が減って二酸化炭素が増える。それによりこの惑星は、温暖化に悩まされるようになるんだ」
「惑星規模の環境問題に発展したー!!」
そこでようやく頭から手が離される。許してくれたのか、それとも飽きただけなのか。彼、レクトルの考えは、未だによく分からない。
レクトル。
陽光に輝く金の髪。光の加減で、空の色から深海の色へと変わる瞳。整った顔立ち、洗練された立ち居振る舞い。そして何より、人を従える力のあるオーラ。
構成する全てが完璧に整っている、天使のような美貌の青年。それがレクトルという男だった。
但し、中身はその容貌とは違い、闇より黒い色をしているが。
「ていうか、何でそんなに馬車が必要なの?」
「そんなことは決まっている。・・・よし、お前に名誉な役を与えてやろう」
「・・・はい?」
「さあ、早く馬車の用意をしろ!今すぐだ!!」
「えっ?ええっ??」
訳も分からず、とりあえず走ってみた。でも馬車なんてそう都合よく工面できるものではない。仕方ないので、私に懐いている2頭の馬、ハイムとフィリアに台車をつけてレクトルの所へ連れて行った。
「・・・お前、真面目にやれよ」
怒られた。
ハイムとフィリア。
名前は忘れてしまったが、有名な戯曲作家の作品に出てくる主人公とその恋人の名前だ。響きが良くて、だから覚えていたのだけれど、レクトルは微妙な顔をした。
人を小馬鹿にしたような表情ばかり見せる彼にしては、珍しい。
「それで?悲劇の主人公たちが引いているこれは、何だ?」
「荷車」
「・・・これこそ悲劇だな」
むう・・・。悲劇とは言いすぎではないだろうか。確かに呆れた発想ではあるけども。
でも、馬車なんて私は持っていない。ハイムとフィリアも、元は何処かで人を乗せていたようで、人慣れしているけれど、それだけだ。今は野生の馬なのだ。
私の家は裕福ではない。食べるのに困らないだけで、馬車なんて高級なものを所持しているわけがない。そんなことは百も承知だろう。
だから私は考えた。わざと馬鹿なことをして、呆れさせ、興味を無くさせるのだ。そこでこの、「ハイム&フィリア With 荷馬車」を持ってきたのである。
狙い通り、呆れさせることには成功した。あとは、「もういい」の一言を引き出すだけだ。
「・・・もういい」
やった!これで私は自由だ!
「付いて来い」
「・・・あれ?」
私の腕を掴んでいるのは、何故ですか?
問う間もなく、引きずられるように連れて行かれた。そして私は、用意されていた馬車に乗り込み、生まれ育った村の外へと連れ出されていた。
何でやねん!ていうか、ちゃんと馬車持ってるじゃん!
そんなツッコミを頭の中でした時には、村は遥か彼方に消えていた。
「ちょ、レクトル?どういうこと・・、というか、私を何処に連れて行く気?」
「黙れ。お前は今日から俺の従者だ。光栄に思え」
意味不明です・・・。
「じゅうしゃ?それって何?美味しいの?」って言ってやりたい。
従者の意味くらい知っているけどね。知っているけど頷けない。意味を知ってても、理由が分からない。
「ど、どういうこと?」
「煩い。すぐに分かる」
本当だろうか。気分で行動する奴だから、信用できない。思わせ振りなことを言って、実は何でもない。ということも、多々あったし・・・。
なんて、発言の妥当性を考えている間に、馬車は目的地へと着いたようだ。
再び腕を掴まれて、引きずり降ろされる。目の前には、永世中立を唱っている聖教会の本拠が堂々と建っていた。
これは一体どういうことだろうか?今日だけで、もう数回は繰り返した問いを、懲りずに思い浮かべる。が、答えは当然出ない。
私たちが乗ってきた馬車は、いつの間にか消えていた。戻ると言う選択肢を奪われた私は、引っ張られるがままに教会の中に入っていく。
教会の・・・多分礼拝堂と思われる空間へと足を踏み入れる。
そこには、私たちと同年代の少年少女が集まっていた。しかも全員、緊張した面持ちで居る。
ひそひそ話ですら響きそうな静寂に気圧されてしまう。しかし流石と言うべきか、レクトルはそんな空気露とも気にせず、中へと突き進んでいく。
相変わらず私の腕を掴んだまま。
歩くと言う行動すら目立つ中、レクトルの堂々っぷりはある意味凄かった。天使のような容姿も手伝って、場の全ての人々の脳裏に刻み込まれたことだろう。
・・・だからと言って、私のことは霞みに消えている、ということはないのだが。何人かは、後ろの私を見ていたから。しかし、彼らの視線から掴まれた腕は見えない。
巧妙に隠されていることが分かったのは、後日の話である。
とにかくレクトルは、礼拝堂に備え付けられたベンチの一つに座った。いつもなら、これでもかってくらいに偉そうな座り方をするのに、今は居たって普通の姿勢である。
周りに良い印象を植え付けようとしているのだろう。そして、未だに解放されない私も座るしかなくなり、レクトルの隣に腰を下ろした。
視線が突き刺さる。無言の圧力が四方八方から押し寄せている。居心地の悪さが半端ない。今すぐ立ち去りたいが、それも叶わない。
ただ黙って、視線を落とし続けること暫し。
ようやく私にとっての救いがやってきた。
司祭様、そして、遠くでしか見たことのない教主様が現れたのだ。
まさに天の助け。
と思ったが、レクトルの邪悪・・・いや、麗しの笑みを見て考えが変わった。レクトルの望んでいた展開が、今であるようだ。
と言うことは、きっと彼らは天の助けではない。
悪魔の手先だ。
絶対そうだ。私にとって最悪の言動をするであろうことは明白だ。
逃げたい。今切実に、逃げたい。が、無理だった。
私の弱腰を察したのか、レクトルは握る手に力を入れてきたのだ。痛いんだけど、下手なリアクションを取れば後が恐ろしくなる。
もぞもぞと体を揺らして、なんとか耐える。
「皆さん、よく集まってくれました。昨今の魔物・魔族被害を知って尚、勇気ある決断をして頂き感謝致します」
教主様の前口上を、真剣な面持ちで聞く。私は、あまり真剣には聞いていなかったけど。・・・レクトルも欠伸を噛み殺している。
お前の仲間だろ。私の中の勝手な位置付けではあるが。
失礼な考えをしている間にも、教主様の有難い・・・多分、有難いお話は続いている。
どういう流れなのか、彼の人は何故か、人類の始まりに付いて滔々と語っている。これはレクトルでなくても欠伸が出てしまうだろう。
もう既に「家に帰ったら何しよう」とか考え始めている脳みそを叱咤激励し、話に耳を傾ける。
・・・一秒で止めた。話は宇宙と近代科学の関係とか、訳の分からない領域へと突入していたのだ。
手持無沙汰になった私は、さり気なく周りを窺ってみた。
隣のレクトルは、顔こそ教主様の方を向いているが、その視線は明後日の方向を見ていた。こいつも完全に聞いていないようだ。仲間がいて安心だ。
まあ、この礼拝堂に居るほとんどの人が同類だろうが。
と、更に周囲の仲間たちの様子を見る。
「・・・・・」
嘘だ。何やら熱弁を振るう教主様に、熱い視線を送っている。
まさか・・・と思って、思わずレクトルをもう一度見る。彼は、視界に入る前髪が邪魔なのか、しきりに弄っている。
周りを見る。教主様の話にうんうん、頷き返す者がちらほら。残りは微動だにせず、真剣な面持ちで聞いている。
レクトルのように、聞いているフリをしている者すらいないようだ。
恐ろしい。非常にホラーな光景である。
「・・・・そのような理由から、君たちに集まって頂いたわけです。では、早速儀式を始めましょう」
おっと、戦々恐々している間に肝心な話まで聞き流してしまったらしい。内心慌てる私を余所に、教主様は儀式とやらを始めるため、背後の神々の像を振り仰いだ。
それに合わせて、礼拝堂に集まった彼らも一斉に立ち上がり、改めて跪いた。
因みに私は、レクトルが腕を掴んだまま同じ動きをしたので、傍目から見ればちゃんと動いたように見えただろう。実際は、びっくりしっぱなしだったけど。
跪き、頭を垂れた私たちに教主様の祈りの言葉が降り注ぐ。眠くなった頭にこれはきつい。本気で目が閉じそうになる。
『貴方に決めたわ』
眠気と闘う頭の中で、女の人の声が響いた。それはとっても心地よくて、清らかな気持ちになるような声だった。
今の声は・・・と半ば呆然としていた私に、教主様の目が止まる。
「おお、主よ。導きに感謝致します・・!」
感極まった声に、皆の顔が上がる。教主様は、未だ神に向かって感謝の意を述べていた。私をガン見したままで。
そして、教主様の視線を辿った皆が私に行き着くのも、時間の問題だった。
「レ、レクトル・・?」
「・・・何だ」
「これは一体、何に?」
「ちっ、この愚図が。見れば分かるだろう」
本当に不機嫌な時にだけ出る低い声音が、それ以上の質問をさせてくれなかった。
今まで静寂を保っていた周囲の人々が、急にどよめき始める。
何かが始まった。
それは私にも分かったが、それが何か、具体的なことが不透明だ。戸惑う私の手を、レクトルが離した。それが合図だったかのように、教主様が壇上から降りてくる。
私に向かって真っ直ぐ進んでくる。
嫌な予感・・・いや、予感なんてレベルじゃないぐらい嫌な気分になってきた。
逃げたい。今まで以上に強くそう思ったが、周りから大注目を浴びている今、逃げるなんて選択はできなさそうだった。
「女神様より、神託が下されました」
私の前に立った教主様が、皆に伝えるように声を張った。
再び静かになった礼拝堂で、教主様は私を見つめる。そして、ゆっくりと膝を折った。
「我々を御救い下さい、勇者様」
頭を垂れた教主様の言葉を、私はスルーしようとした。しかし出来なかった。何故なら、その場に居る全員が同じように頭を下げていたからだ。
呆気にとられて、隣を見る。レクトルだけはいつも通りにこちらを見ていた。そう、いつも通り・・・私をどういたぶってやろうかと考えている目で。
そんな目で私を見る男から、意識を逸らすわけにはいかない。震える体を叱咤して、見つめ返す。
「・・・教主様」
そんな私の努力を嘲笑うからのように、レクトルはあっさり私から視線を外した。笑顔の仮面を被った彼は、万人を魅了する。
教主様でさえ、例外ではなかった。
「な、何ですか?」
「勇者様はこれより、長く苦しい旅に出られます。本日はもう休まれた方が宜しいかと」
長く、苦しい旅とは何ぞや。て言うか勇者様って・・・一体誰のことを言っているのやら。
無駄な抵抗と知りつつも、私の心は現実を拒否する。まあ、レクトルにはそんな抵抗効かないんだけどね。
「そうですね。勇者様は、魔王を倒すのですから、今のうちに英気を養って頂かなければなりませんね」
いや、魔王って何?君たちは何の話をしているのさ。
私の混乱は誰の目にも映っていないようだ。さっと立ち上がった教主様が口を開く。
「勇者様は此処に選ばれました!彼の方は魔王を倒すため、命を賭して戦います!我々は、彼の方に力を貸しましょう!」
そして、私に向かって
「勇者様、今日はこの教会でお休みください。装備など旅に必要な品はこちらで揃えておきますので」
そう言って、近くに居た神官に命じて案内させた。何故か共に案内されたレクトルに視線を飛ばすが、彼は私を見なかった。口元に嗜虐的な笑みを浮かべているだけだ。
嫌な感じだ。かつてないほどの。
そんなこんなで部屋に案内され、とっても豪華で、使うのが勿体無い家具に囲まれた私。身を横たえるのも気が引けるほどのベッドで一夜を明かす。
翌日、何も分からぬまま用意された朝食を食べる。
そして・・・勇者専用の武器・防具を身に付け、御供にレクトルと若い神官を連れた私は、魔王を退治する旅に出ていた。
・・・勇者?魔王?そんなのどうでも良いから、私を家に帰してほしい。
私の願いが叶えられるのは、ずっと後の話である。
読んで頂きありがとうございます。不定期更新ではありますが、なるべく定期的に更新していきたいと思います。よろしくお願いします。