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居候と猫の飼い主  作者: 小高まあな
第三幕 There's more ways than one to kill a cat.
13/14

5−5

 公園の入り口にある花壇に、マオは腰掛けていた。足をぶらぶらと揺らしている見慣れた姿。それをみると、隆二は軽く息を吐いた。強張っていた気持ちも、一緒に少し逃がす。

『隆二』

 それで気づいたのか。マオが振り返ると、微笑んだ。

『お話、終わったの?』

 いつもと同じように、なんでもないように尋ねてくる。

「……ああ」

『そう、じゃあ帰りましょう』

 そうしてマオは片手を伸ばしてきた。立ち上がらせて、とでも言うように。

 何も考えずにその手を握ろうとして、

「っ」

 赤い。血で。自分の手が赤く染まっている、血で汚れている、そんな気がした。そんな風に見えた。

 京介から血が流れたりしていないのに。

 その手でマオの白い手に触ることが怖くて、慌ててひきかけた手を、

『隆二』

 マオの方から掴んで来た。

 咄嗟に振り払おうとするのを、思ったよりも力強い手が許さない。

『同じだよ』

 かわりにぐっと手を引っ張られた。思わぬ事態に体勢を崩す。片膝をつく。反対側の手をマオが座る花壇についてバランスをとる。

 緑の瞳が、近い場所から隆二を見つめた。

『あたしも同罪だよ。あたし、京介さんが何をするつもりなのか知ってた。知ってて、隆二には言わなかったし、京介さんをとめなかった。あたしも同罪だよ』

「だけど」

 手をくだしたのは、自分だ。マオじゃない。

『ずっと言ってるじゃない。同じ穴の狢でしょう?』

 と、いつもと同じように笑う。なんでもないことのように。

 それを見ていたら、耐えられなくなった。泣く、と思った。

 ぐぃっとその腕をひっぱり、頭を腕の中に抱え込む。抱きしめる。

「なんでだよっ……」

 吐き出した声が震えていた。

 背中にそっとマオの腕が回される。

「なんだよ、あいつ。なんなんだよ」

 思いが明確に言語化されない。なんで、どうして、それだけが口をついてでる。

 なんでこんなことになったんだ。どうしてこんなことになったんだ。なんで俺はあんなことをしたんだ。どうして京介はこんなことを選択したんだ。なんで他の選択肢を選べなかったんだ。

 どうして俺を、あいつは、置いていったんだ。

「ずっと。ずっと一緒だと思ってたんだ。滅多に会ったりしないけど、会わないようにしてたけど。それでも、ずっと一緒に居られると思っていたんだっ」

 なんで、あいつにまで置いて行かれなきゃいけないんだ。

「寂しいとか、疲れたとか、抱え込む前に言えよ、バカっ」

 言われて自分に何が出来たかはわからない。言いたくなかった京介の気持ちだってわかる。だけれども、もっと他の選択肢があったはずじゃないか。

「消えたら後悔だって出来ないのにっ」

 声が完全に上擦った。ああもう、泣いていることがマオにばれただろう。

 とんとんっと、優しく背中を叩かれた。宥めるように。

『京介さんね』

 そのままマオが喋りだす。いつもよりも柔らかい声色。

『よかったって、あたしに言ってたの。もう一度心から人を愛せて。まだ、人を愛せると知ることが出来て。それから』

 そこでマオは一瞬躊躇うような間をおいて、

『気にかかっていたこと、間違っていなかったってわかって。あの時、隆二をとめなかったことは、間違っていなかったってわかったからよかった、って』

「……あのとき?」

『茜さんのこと』

 マオの口からでた、茜の名前に思わず体が強張った。それに気づいたのか、マオの手がさっきよりも強く、一度、隆二の背中を叩いた。しっかりしてよね、とでも言いたげに。

『ずっと気にしてたんだって。隆二が茜さんと一緒に居るのをみたとき、もっとちゃんと諦めろってとめるべきじゃなかったのかって』

「ああ……」

 気にかけてくれていたことは知っている。

『真剣にとめられなかったのはね、隆二があまりにも優しく笑ったからなんだって。京介さんはもう、ずっと、そんな風に笑ったことなかったのに、隆二が優しく笑うから、期待したんだって。隆二と茜さんには奇跡が起きて、今後も人間として暮らしていけるんじゃないか、って』

 俺はお前が羨ましいよ。京介の声が蘇る。

『そんなことを期待してしまって、とめる手が鈍ってしまったと後悔していたんだって、ずっと。そのあと会った隆二が、あまりにも悲しそうな顔をしていたから。俺がちゃんととめてればって思ったって。だけど、とめなかったことも、間違ってなかったって気づけたって。別れの時に傷つくことを差し引いても、人を愛することは幸せなことだと、思い出せたからって』

 写真にうつっていた、強張った笑顔をした京介。だけれども、どこか幸せそうに見えた。

『それからね、茜さんが待っていたこと。それも救いになったって。隆二と茜さんとの間の絆が切れていなかったこと、ある種の奇跡のようだと思ったって。気にかかっていること、間違っていなかったと気づけてよかったって』

 よかったんだって、とマオはもう一度続けた。

「そうか……。あいつが、納得しているのなら、いいんだが」

 だけど京介。できればそれは、お前自身の口から聞きたかった。こんな風に、完全にお前がいなくなって、他人から聞きたい言葉ではなかった。

「そうか……」

 喉元に涙の塊が押し寄せてきて、堪える代わりにぐっとマオの頭を抱え込んだ。マオは何も言わずに、されるがままになっていてくれた。

「幸せだったら、いいんだ」

 吐き出した言葉は、殆ど負け惜しみのようなものだった。だけれども、唯一見つけた救いに縋り付きたかったのだ。

『うん』

 マオの手がそっと背中をさすってくれる。

『隆二』

 優しい声で名前を呼ばれる。

『あたしは、絶対に貴方を一人になんてしない。置いて行ったりしない。絶対に』

 優しい声で、それでも力強くマオが言った。

『京介さんとも、約束したから』

「……ああ」

 腕の力を少し緩めて、マオの耳元に顔を近づける。大きな声じゃ恥ずかしくて言えないから。小さな声でも届くように。

「頼むよ。……絶対にいなくならないでくれ」

 例え俺が逃げようとしても、追いかけてきて欲しい。我が侭だと、わかっているけれども。

『……うん』

 急に耳元で囁かれた声に、言葉に、戸惑ったような間を置いて、マオは頷いた。

『隆二にはあたしがいるから大丈夫だよ』

 いつもの底抜けの明るさに、少しの優しさを加えてマオが言った。そのままぎゅっと隆二の背中に回した腕に力をこめる。

「……ありがとう」

 耳元で礼を言ったあと、そのままマオの肩に額をのせた。

「……ごめん、もうちょっとだけ」

 掠れた声で告げたお願いに、マオは返事をしなかった。代わりに片手で隆二の頭を撫でる。

 相変わらずゴム手袋を何枚も重ねたような、遠い感触しかしない。それでも、今日はその手がとてもあたたかく感じられた。そう思った瞬間、また泣きそうになる。

 ぐっと唇を噛んで、耐えた。

 どれぐらいそうして居ただろうか。

『隆二』

 マオが小さく名前を呼ぶ。

「ああ」

 それをきっかけに隆二も顔をあげた。マオの方を向く前に、ぐっと腕で目元を拭った。

「……悪かったな。色々、付き合わせて」

 そういうとマオは小さく首を横にふった。

 マオから離れて立ち上がる。

 マオは花壇に座ったまま、先ほどと同じように片手を伸ばしてきた。

『帰りましょう? 帰ってソファーに座って、二人でテレビでも見ましょう』

 そう言って、いつもと同じ顔で笑う。

「ああ」

 隆二は軽く頷くと、今度は迷うこと無くその手をつかんだ。

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