松葉川古伝
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山の中腹付近に開かれた道は、谷に落ちまいと山肌に縋るように心許なく曲がりくねる。盛夏は過ぎたとは言え、まだまだ残暑は厳しく体全体から汗が湿地帯の泉のように滲みだして来るのが判る。滲みだした汗は、瞬く間に玉のように成長し肌の表面を滑りだす。そしてそれは額と言わず背中と言わず、至る所で虫が這ってるような感覚を呼び起こし、その虫は暫らく這った末、古びた法衣の中に身を潜める。歩くにつれ法衣は段々と重さを増してくる。蝉時雨が耳の奥までをつんざき、体を芯から麻痺させるように響く。しかしミンミンゼミとアブラゼミのジリジリと全てを焼き尽くすような声に混じって、時々聞こえるツクツクボウシの声が盛夏から晩夏へのわずかな移ろいを感じさせ、暑さで溶けそうになっている体に一瞬そよ風を送り込む。今日は朝からどうしようもなく暑く、谷川の水を求めながらの木陰での休憩に多くの時間を費やしたせいか、まだやっと五里ぐらいしか歩いてないが、既に足の先は草履で擦れて痛く、ふくらはぎからももにかけては木のように重い。暑くて疲れたうえに腹も減ってきた。
今朝窪川のお寺を出立するとき子坊主さんが作ってくれた大きな握り飯三個ももう跡形もなく、歩く力となって霧散していた。 今までの急峻な渓谷に比べ、割合辺りの開けた平坦な場所に出たところで一人の農夫に出会った。農夫は40過ぎぐらいのいかつい顔の男で痩せぎすだがいかにも力のありそうながっしりとした体つきをしていた。 「ごめんください。旅の者にござりますが、ここら辺に寺か辻堂はござりますまいか」
男は、ワラの束を三つほど重ねて背負っていたが別に重そうな様子もなく、「ここら辺はお寺どころか人家もほとんどねえところだ。一番近けえお寺でも、そうさなあ、三里はあるなあ」と平然と言った。
「では、一番近い人家はどこにありますか」
「人家はと、ここから一番近けえのは、そうさなあ、盛馬の家かなあ。盛馬の家ならあそこだ。あの山の上に小さな家が見えるだろ、ほら」
農夫は、渓谷のもう少し上流の、谷を隔てた向こう側の山の中腹より大分上の方に小さく見える一軒の藁葺き家の方を指差した。
「あの家に盛馬という若い百姓夫婦が住んでおる。あそこなら一夜の宿ぐれえ貸してくれるじゃろう」
旅僧が寺か辻堂を探すということは、今夜の宿に困っているのだろうということぐらい既に判っているらしい。男は太いまゆを器用に上下に動かしながら、いかつい顔に似合わず親切に教えてくれた。今夜はあの家に厄介になろうか。
世間一般にそうゆうものと認識され認められている旅の修業僧とはいえ、見ず知らずの家に上がり込み、一宿一飯の恩義に預かろうというのだから、ずうずうしいことこの上なかろう。
そもそも旅の修業僧とは何者なんだろう。 旅をして自分の足で大地を歩き、花鳥風月に触れ、自然の息吹を感じる。そして更に自然の偉大さを知り、人間のいとなみを含む大自然の欲するところに従う賢明さを学ぶ。暑中あるいは寒中、遠路辛い思いをして歩くことにより心身を鍛え、生きることの苦しみの中に信ずるままに生きることの『楽』を見つける。つまり信じることにより悟りの境地を得るのである。悟りの境地とはなんであろうか。森羅万象に心を驚かさず、無の境地を得、そして仏のような慈悲の心を持って万物に接す。御託を並べたが、なにも難しいことではない筈。『悟り』という言葉が余りに大暁過ぎてその言葉の重さに圧倒されるわけで、全ては普通に考えればいいのだろう。よく自分は、長い永い気の遠くなるようにながい、いやもしかして永遠なのかも知れない自然のいとなみの中の、ほんの僅かな一瞬に等しい自分の人生を今この瞬間過ごしているのか、と自分の頭で認識し考える。そして暫らく時を置いて次の瞬間、まだその続きの時間が継続し、引き続き生命を維持し生きているのか、と再び考える。しかしこの感覚や認識を持ち続けている生命も、近い将来、皆無に限りなく近い価値あるいは痕跡しか残さず、自然界より永遠にしかも確実に消滅するのだ。しからば人生の価値とか意義とかいうものはどうでもいいことではあるまいか。ただ人間としてこの世に生を受けたことを素直に受け入れる気持ちさえあれば、己としてせめても救われるような気がする。どちらにしろ、『悟り』という言葉はわれわれ僧侶にとって重くのしかかり、ある意味での境地を自分なりにも開いてなければ常に後ろめたい気持ちに苛まれるものである。自分にしても修業不足のせいか皆目自信がない。まあその内容がどうであれ、世の人々は修業僧という地位と漠然としたその認識に対して施しを成すのであろうから、施しを受ける側にとってはその落差に苦しみ、ここでも後ろめたい感情からは逃れられないのである。
体中がベタベタして、衣が体にまとわり付きだした。あの向こうに見える人家に行く前に、眼下の渓流に下りて汗を流したい。対岸に渡るにはもっと上流に見える吊橋を渡らなければならないようだ。欲望に駆られ渓流に下りて衣を脱ぎ捨て、それを一まとめにして頭の上に縛り付けると、褌一丁になって川に飛び込んだ。ふやけた体が引き締まるような快感である。上から青ずんで見えたところは可成の深さだった。蛙のように足をいっぱい伸ばし手を思いっきり広げて泳いだ。15歳で出家して以来泳ぐのは20年ぶりである。暫らく水に浸かっているとさすがに体が冷えてきた。泳いで対岸近くに行くと小さな入り江のようになった岸があり、水の少し澱んだところがあった。その澱みの隅っこに何か白っぽい物が浮いていて、それは小刻に震えているように見える。そっと入り江の中に入ってみた。そこは膝ぐらいの深さで、川の勢いよく流れているところよりこころもち水が生ぬるいような気がする。白っぽく見えた物は、4寸程の魚の死骸の腹の部分だった。そしてその死骸の回りにはそれよりは少し小ぶりの魚が2匹いて、その死骸を口先で突っついている。死骸はただ静かに浮いている。手ぬぐいで体を擦ってみた。気のせいか皮膚がヌルヌルするような気がする。垢がなかなか取れないのか。今度は砂を付けて体中擦ってみた。それでもヌルヌルが取れない。やはり旅の汗と脂が体にこびりついたのかもしれない。諦めて絞った手ぬぐいで体を拭いて衣を纏った。川原で少しぼんやりとしていると川の上流の方から褌姿の童達がどこからともなく現れ、見慣れぬ僧を警戒してか遠巻きにするようにして見ている。
「どっから来た?」
童達は何も言わずに相変わらず僧の方を見ている。
「ここら辺のわらしか?」
「んだ」
「どこだ?」
「あっち」
体は三人の中でも一番小さいが、色黒で強そうな子が上流の方を指差す。
「この道ずっと行ったらどこ行く?」
「わかんねえ、どっか恐いとこ」
童の一人が魚の死骸とそれをつっつく二匹の魚を見付けた。そして身を屈め、抜き足差し足でそっと近付くと持っていた黒っぽい網でサッと掬った。死骸と二匹の生きた魚は一緒になって網の中に収まったが、童はその中から死骸だけを汚いものを掴むようにして取り出し、素早く川の中に投げ込んだ。死骸は再び白い腹を見せ、今度は流れの中をプカプカと下の方に流れて行った。そして童は網の中でピクピクと跳ねている二匹の魚を腰から釣り下げたビクの中に素早く収めた。今まで有った生と死の対象は、たちまちにして死に合流することとなるのだろう。
山間の夕暮れは、山の頂きが後光を背負ったように美しく暮れていく。
「旅のものでござりますが、今夜の宿をとるため寺か辻堂を探しておりまする」
応対に出てきたのは幸いにも人の善さそうな若者であった。寺も辻堂もこの辺にないことは先程農夫に聞いて知っていた。 「これは旅のお坊さま、生憎ここら辺にはお寺も辻堂もごさりませぬ。お困りでしょう。こんなむさ苦しいところでよければ」
話はトントン拍子に進み、勿体ないことに先ずは夕食前の一番風呂を勧められた。
先程川で泳いだからともいえず、ましてや川の水で体を洗っても洗ってもヌルヌルが取れないなどとは明かせる由もなく、黙って遠慮なく戴くこととした。しかし一番湯では気が引けるから最後に戴きますと言ったが、主人は若いに似合わず、偉いお坊さんの後湯を戴くと体が健やかになると聞いているから差し支えなければ先に入って欲しいなどと言う。しかも先程の農夫が言っていたとおり、自分にははたち過ぎの妻がいるが未だに子ができずに困っていると言う。そしてその不妊症にも高僧の後湯が効くというからぜひにと嘆願された。若妻の顔はと見ればなかなかの器量良しときてるからたまらない。女身を断っている修業僧にとって、これ程の試練はないのかも知れぬ。ただの愚僧を高僧とまで持ち上げられ、しかも子作りのために自分の入った後湯が欲しいと言われたら、どのようにして風呂に入ればいいのだろう。湯槽の中で体を擦ってみたらどうだろうか。いやいやそんなことをして湯に垢でも浮いたら面目が立たぬ。その他に己の体の滋養分を湯の中に放出するには・・・・、と考えているうちにあられもない考えが頭をよぎり、年甲斐もなく赤面してしまった。こうなればこれしかあるまいとばかりに、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。我は修業僧なるぞ、我は修業僧なるぞ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、我は高僧なるぞ、我は高僧なるぞ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と呟くように百辺唱えた。
その時「お湯加減はいかがですか」と釜の炊き口のところから若妻の艶やかな声がした。少し熱かったが「いやー、結構なお湯です」とゆで蛸のような顔しながら精一杯明るく応えた。
ゆうげ迄の間一時の間があった。僧は庭に出て下方に広がる渓谷の景色を眺めていた。その時坊主頭にポツリという刺激があった。空を見上げると先程まで晴れ渡っていた空がいつのまにか分厚い雲に覆われて黒々と垂れ込めている。そして雨粒は瞬く間に大地を潤した。山は巨大な獣が渇きを癒すように、わずかに蠢きながらそれを飲み干す。そのとき、煙のように真っ白な靄が大きな柱のようになって右から左にゆっくりと移動し、やがて山肌に沿って空に向かって駆け昇った。その姿はまさに龍が天に昇る姿そのものだった。僧は軒下からその雄大な自然の営みを感慨深かげに眺めていた。
夕食は火のない囲炉裏を囲んで、草粥をご馳走になった。若夫婦は二人暮らしで、両親はつい最近二人共小便の詰まる病気で他界した、自分達もそうなりはせぬかと心配だ、という。まあそれよりもなによりも早くふたりの間の子供がほしいとも言った。子供の作り方は、自分には経験のないことだから皆目見当もつかぬことだが、利尿作用のある煎じ薬なら幸い檀家のある村医者からたまたまその作り方を聞いたことがあった。「それなら今宵宿をお借りし、おもてなしを受けたお礼に小便の詰まらぬ煎じ薬の作り方をお教えいたしましょう」ともったいを付けておいて、村医者に聞いたとおりの作り方を教えてやった。夫婦はありがたいお経でも聞くように、ひとつひとつ口の中で反復しながら紙に覚書をした。若夫婦は以前に旅の修行僧など泊めたことがないのか、愚僧を前に終始かしこまった様子である。
「ところでお坊様、大変稚愚でぶしつけな質問でお恥ずかしゅうございますが、私供どのようなことに留意すると申しますか、どのような気持で生き長らえたらよろしいでございましょうか。そのことを偉いお坊様に一度お聞きしてみたいと兼兼思って参りました」
「稚愚なんてとんでもございませぬ。そのことは私供も常に考えますが遂には考えの及ばぬ、人の人としての永遠の課題にございます」
「ああ、それをお聞きし安心いたしました。で貴僧は、どのように」
「はい。及ばぬ事とは言え常々考えていることを申しあげましょう。人間楽に生きることが一番よろしいかと」
「楽に」盛馬は狐に摘まれたような顔をしている。
「はい。楽にでございます。人間の歴史は天涯の歴史に比べればほんの一瞬にございます。その中の一人の一生などほんの一瞬にも満たないもの。そんな極短いときを生きるのに、なにが正しい生き方、何が罪深き生き方などと何人が判断できましょう。ならばどう生きるか。人間は己が納得いくことが一番楽だと思います。例えそれがイバラの道であっても。我々僧侶をとってみますと、死に等しい苦行に耐え修行致しましても、本人がそれを望みその道を選んでいるということは、その者にとってそれが心に叶う楽な道に思われるからに他なりません。取り敢えず生きることしか選択の余地がなく、いわば追い詰められた生きとし生けるものにとって、己が楽になろうとするしか道はないのではないでしょうか。『無為自然 』という言葉をお聞きになったことがござりましょうか。古代中国からよく言われている言葉にございますが、分かるようでどうしても今一つ理解出来ない言葉のように思います。あるいは『自然体』という言葉もございます。これまた自然体に生きるには、どうすればいいのか、私には明確な道が見付かりません。私なりに悩み苦しんだ挙げ句、己が楽に生きること、これ即ち自然体ではないだろうかと思うようになりました。苦しいことから逃げることのみが、楽に生きることではないことはさきほど申し上げた通りでございます。」
囲炉裏では蚊遣り火が炊かれ、微妙な空気の動きに因っては煙に蒸せたりもするが、部屋中に乾き切った杉の葉の燻された芳ばしい薫りが漂う。外はすっかり夕立もあがって、ひぐらしが淋しそうな音を奏でている。ちょっと失礼します、と言って若妻が席を立ち、暫らくして裏山に作ってあるというはぶ草の煎じ茶を入れてくれた。これも小便が出やすくなるということを聞いて朝夕に飲んでいると言う。ハブ茶は薬草を炒ったような香ばしさの中に独特な匂いがあるが、飲みつけたものには普通の煎茶より親しみやすいのかも知れない。僧は長話のうちに三杯もご馳走になった。ハブ茶を飲みながらの囲炉裏端の四方山話は、風呂の湯のことにまで及び、貴僧の後湯を有り難く頂戴したが、入った後肌がツルツルするように思えると若妻が言った。僧は女の艶やかな肌に目を走らせた。そしてその視線を女の顔にやった途端、女と目が合った。僧は一瞬狼狽したように下を向いてしまった。何か言わねばと慌てて次の言葉を捜したが思い当たらず、思わず「下の川の水のようでしたか」と言ってしまった。
「そう、そう言えば下の川の水はよくそのように思うことがありますよねえ、おまえさん」
若妻は無邪気そうに言って若者の顔を覗き込んだ。
「んだ、下の川の水は昔からそうだ。おらが子供の頃からそうだ」
「あの川の上流には万病に効く霊泉が湧いている筈です。捜してみなさい」
僧は成り行き上、口から出任せにそう言った。
僧は囲炉裏端を辞し、自分に与えられた寝間から簾越しに夏の夜空に浮かぶ月を見つけ、そっと縁先に出てみる。月は昼間の太陽とは対照的に孤高で冷ややかな光を深々と注ぐ。
ふと視線を庭先に遣ると盛馬さんが月を見上げているではないか。どうやらこちらには気付いてはいないようだ。月明かりに照らされた山肌はあくまでも静かだ。夕方見た巨大な獣ような息遣いも静かな眠りに就いているようだ。そしてその傍らで深みりと月を眺める若者は一体何を思うのだろうか。僧はその場を離れ難く、暫くその胸ときめく一瞬に酔いしれていたかった。とその直後、若者は何もなかったようにすたすたと家の中に入って行った。小便でもしていたのかなあ、今宵はハブ茶をいっぱい飲んだからなあ、と僧はなんだか愉快な気分になりながら寝床に就いた。
この僧が若夫婦に伝えた利尿作用のある煎じ薬は、なかなかよく効くと地元でも評判になり、高僧が一夜の宿のお礼として残し当家に代々伝わる秘薬として後の世までも伝わったという。 またその百姓家の下を流れる谷川の更にそこから一里程上流に、高僧が予言したというこんこんと湧き出る霊泉があり、これが後に出湯の里『松葉川温泉』として人々に親しまれたと言い伝えられている。