捨てたのは貴方ですよね?〜ぽんこつ王子は捨てた悪役令嬢とやり直したい〜
突然婚約者にいらないと言われた公爵令嬢と、(恋愛)ぽんこつ王子がよりを戻すまで
「お前はもういらない!」
脈絡なく、声高らかに宣言されたそれに私はぴしりと凍りついた。気が遠くなりそうになりながらも、自分を落ち着かせようとゆっくりと息を吐く。ふと食べ終わったばかりの料理の皿が目に入る。食事中でなくてよかった。でなければフォークを取り落としてしまったかもしれない。
ここは高位貴族の子息子女が通う王立ルミナス魔法学園。多くの生徒たちが集うお昼休みの食堂。先ほどまで賑やかだったはずのこの場所は今は静まり返っている。
そのど真ん中で私の婚約者たるこのルミナス国の王子、レオン・ド・ゴールはついに言ってやったとばかりに鼻を膨らませにやりと笑った。
「ごめんなさいクリスティアーヌ様……」
仁王立ちするレオンの隣に、いつの間にか駆け寄ってきていたマリリーズ男爵令嬢が立っていた。何に対する謝罪なのか。その声は震えている。さくらんぼのように赤い瞳に涙の膜が張ったかと思うと、ぽろりと雫が溢れた。
それでいてレオンには見えないよう私にだけ見えるようにピンクの髪の陰で口元を醜く歪ませる。
「…………」
見事な表情管理だと感心しながら、しげしげと彼女の顔を眺めると、彼女は気圧されたように一瞬顔を引き攣らせたが、すぐに気を取り直して眉を八の字にする。
気持ちとしては彼女の見事な演技を称賛したいところではあったが、そもそも何故ここにいるのか。
ああ、さっきからレオンの〝いらない〟が頭の中に延々と流れて上手く頭が回らない。
私は足に力を込め立ち上がると、先ほどから意識を向けないようにしていたレオンに、正面から向き直る。
「いらない、とはどういうことでしょうか」
「そのままの意味だ! お前は愛想がなさすぎる!」
「愛想……」
「そのような仏頂面ばかり、もう見飽きたんだ!」
飽きた。
耳に入ってきた言葉を心の中でそのまま繰り返す。眉を顰めたレオンの顔を見る。そして自分の頬に手を添えてみる。私の表情筋はこんなときでも静かなもので口元は静かに引き結ばれている。
それを見たマリリーズ男爵令嬢がまた口を開いた。
「氷晶姫なんて呼ばれて、褒めそやされているおつもりだったのかもしれませんが……みんな本当は貴女のことを怖がってました……。だからレオンもあたしを愛してしまった!」
彼女の高い声が食堂に響き渡ると同時に、成り行きを見守っていた生徒達の間にさざめきが広がっていく。
──マリリーズ様って確か希少属性魔法持ちの元平民って……。
──ええ、その魔力を見込まれてローズクォーツ男爵家に養子として引き取られたって。
──ああ、だから殿下と同じ生徒会に……。
──でもまさか殿下を……本当に……?
「あ、愛⁉︎」
なぜかレオンまでもが動揺し、素っ頓狂な声を上げた。慌ててマリリーズ男爵令嬢から距離を取ろうとしている。だが、それを逃がさないとばかりに彼女はレオンの腕を掴んだ。
「ええ、そうですよ、ね?」
彼女は圧をかけるようにゆっくりと言葉を発した。レオンがちらりと私に視線を向ける。
「あ……ああ、そう、だ」
ぴしり、と。何かがひび割れる音がした。
「……………………そう」
公爵令嬢としてはあるまじき行いだとわかっていながら、私は、俯かずにはいられなかった。微動だにしない私の顔をレオンが訝しげに覗き込む。
「ティア? …………っ!」
驚きに目を見開いたレオンを見る。アクアマリンのような瞳の中に涙に濡れた私の顔が映った。
「心は、ままなりませんね」
半ば自分自身に言い聞かせるように呟いた。淑女とはいつでもどんな時でも誇り高く微笑みを浮かべるもの。流れる涙をそのままに、私は背筋を伸ばし、微笑を浮かべた。
呆然と立ち尽くすレオンと口元の笑みを隠しきれないマリリーズ令嬢を見つめる。
右足を後ろに引き、膝を軽く曲げ、スカートを少し広げるようにつまむ。幼い頃から王妃教育を受け、身体に染みついたカーテシーは、いつもと寸分違わず形になった。
誰かの喉が小さく鳴った。
「婚約破棄、謹んで承ります」
◇
私が立ち去るまで、食堂は水を打ったように静かだった。私の靴音だけがやけに大きく響く中、私は努めてゆっくりと歩いた。廊下に出て数歩行ったところで、私は大きく息を吐いた。知らず息が詰まっていたのだと分かった。
午後にも授業はあるけれど、今日はもう出る気にはなれない。瞬きによってまた一雫涙が溢れる。と、そこに。ばたばたとした足音と聞き慣れた声が聞こえてきた。
「お嬢様〜〜〜〜!!!!」
沈んでいる心がほんの少し浮上する。
「エミリー」
猪の如き勢いで駆け寄ってきたのは、私付きのメイドのエミリーだった。
エミリーは私の顔を見た途端、ぽかんと口を開けたかと思ったら今度は威嚇する猫のように毛を逆立てた。
「あ……わ、わたしの……わたしのかわいいクリスティアーヌお嬢様を泣かせたふてえ野郎は一体どこの王子ですか⁉︎」
「落ち着いて、不特定多数を指しているようで限りなく一個人を示しているわ」
荒々しい語調とは裏腹に、優しい手つきでエミリーは私の頬にハンカチを押し当てた。
「だって、お嬢様の心をこんなに乱すのは……いつもあの男ですもの」
エミリーは悔しそうに口を尖らせる。涙を拭ったハンカチをしまうと、にっこりと笑った。
「今日はもうサボタージュしちゃいましょう!」
「え?」
「わたしとしたことが今日は白粉を持ってくるのを忘れてしまいました! これではお嬢様のお化粧直しができません……ああ、何たる失態、何たる不始末! このままではお嬢様のきめ細やかな柔肌を衆人環視のもとに晒してしまう……!」
「エミリー、顔はいつも晒してるものだし、白粉なんてパーティの時ぐらいしか付けな……」
「いいから今日は帰るのです! 馬車も呼んでありますから、ね! クリスティアーヌお嬢様」
「ちょ、ちょっと」
幼少期からの付き合いであるエミリーは私に全く遠慮しない。背中をぐいぐいとロビー方面へと押される。
主人は私のはずなのだけれど。メイドって主人の背中を押しながら歩いて良かったかしら。
思わずふっと息を漏らした私にエミリーが笑いかける。私は呆れながらも、今はその強引な気遣いがありがたかった。
◇
屋敷に着いて扉を開けた途端、「ああっ、クリスティアーヌ!」という声と共に、誰かが私を抱きしめた。勢いに押され、私はその場でたたらを踏む。
「ただいま帰りました。お母様、どうしたのです」
「どうしたのです、ではありません! 今まで授業を欠席したことなどない貴女が、今日はサボタージュするなんて言うから……何かあったのかと学園に確認してみれば! ああ、もう、レオン・ド・ゴール!」
苛立ちを抑えきれないというようにお母様は彼の名前を叫んだ。もう知られてしまったとは。王家との婚約は我がアイオライト家にとって、政治的にも重要な繋がりであった。それを勝手に破棄してしまった罪悪感が私の胸にちくりと爪を立てる。
私が口を開こうとした時、お母様の肩越しに不穏な気配を感じた。いや、感じたというか目に見えてそこにあった。
「なぜお父様まで……?」
そこにはお父様がいた。剣気とも言う青いオーラが、文字通りお父様の周りに漂っている。
「私が連絡したら、飛んで帰ってきたのよ」
そう言って私を抱きしめる腕を緩めたお母様が、お父様に振り返る。お父様はコクリと頷いた。
「今日は仕事でしょう?」
「そんなの、娘の一大事の前には些事も些事よ。ねえ?」
お父様はまた鷹揚に頷いた。今日は王宮で書類仕事だったはずだが、何故か完全武装で鎧を着込んでいる。がちゃがちゃと鎧がぶつかる音をさせながら、お父様は重々しく口を開いた。
「レオン殿下……抹殺……」
……聞き間違いかしら。
私はゆっくり目を閉じて、もう一度お父様を見る。
「絶……許……」
さっきのはやはり聞き間違いだったのね、と思いかけたところで、お父様はおもむろに口を開く。
「駆逐……すべし…」
気のせいではない。気のせいではないわ。
「素晴らしいです! ぜひそうしましょう! 今すぐ騎士達を呼びましょう!」
エミリー、乗らないで頂戴。お父様もそこで頷かないで。私は混乱する頭で、助けを求めるようにお母様を見つめる。お母様は任せろと言わんばかりにウインクをする。
「だめよ、2人とも。やるならバレないようにこっそりと殺らなきゃ、ね?」
「そういうことではないわ」
◇
まさか本気ではないと思うけれど、念のため、そんなことはしなくていいと釘を刺してから私は自室に戻った。
いつもなら授業を受けている時間に家にいるのは不思議だ。メイド達に部屋着に着替えさせてもらい、ソファに腰を下ろす。座った途端、どっと疲れを感じた。
「お前はもういらない……」
レオンに聞かされた言葉が口をついて出た。
ついさっきのことなのに、まるで夢の中の出来事のようで、現実味がない。
怒りはない。お父様にお母様、エミリーが代わりにあれだけ怒ってくれたからか、不思議と怒りは湧いてこなかった。
ただ……
「悲しい……」
◇
『どうして泣いてる?』
『だってわたしの髪の毛、変な色なの。暖炉の灰みたい。お姫様みたいなピンク色がいいのに……』
『そうなのか? おれの家の灰はそんなにきれいな色をしてないぞ?』
『え?』
『それにおれのお姫様はピンク色の髪じゃない』
『レオンの、お姫様?』
『うん! おれのお姫様は……』
◇
「クリスティアーヌお嬢様〜」
体が揺さぶられる感覚に、目が覚める。
「湯浴みの時間ですよ」
微睡んでいた意識が、エミリーの声で一気に覚醒する。
「…………え? 私、寝てた?」
「ええ、それはもうぐっすりと」
外はもう日が暮れている。お昼にソファに座って、そのまま今の今まで寝てしまっていたらしい。
「エミリー、夕食の時間は過ぎて、いるわよね」
「過ぎてますね〜」
わかっていた事だけれど、その答えに私は思わず顔を伏せた。
「大丈夫ですよ、奥様も旦那様も寝かせてあげなさいって仰っていました」
夜食は準備させたので、お腹が空いていたらどうぞ、とエミリーが笑う。
「ありがとう、エミリー」
「いえいえ。大体お嬢様は授業だ生徒会だ王妃教育だと、働き過ぎなんですよ。なんだったらこのまま風呂キャンしちゃいます?」
エミリーは時々不思議な言葉を使うけれど、文脈から恐らくお風呂に入らないことを風呂キャンと言っているのだと思う。響きがなんだから面白くて、ふふと声を漏らすと、エミリーは嬉しそうに口角を上げた。
「いいえ、入るわ。夜食も後でいただくわね」
「はい! じゃあ準備しますね!」
◇
エミリーは私の湯浴みを手伝いながらも不満が止まらない。
「しっかしあのレから始まってンで終わる3文字の名前の男、お嬢様と結婚できることがどれだけの幸運かわからないなんて、本当不運な男ですね〜」
「その名伏せに意味があるのかは怪しいけれど、慰めてくれてありがとうエミリー」
「意味はありますとも! もし一介のメイドが王家の悪口なんて言った日にゃあ、この頭が体とおさらば、なんてことにもなりかねないですからね〜」
エミリーがおどけながら、私の髪についた泡を洗い流す。温かいお湯が流れる感覚が気持ちよくて目を細める。
「……あの男、クリスティアーヌお嬢様に花をよく贈ってきましたよね」
「……ええ」
「毎回毎回ピンク色の花束でしたよね」
「ええ」
「普通、婚約者に贈る色って言ったら自分、もしくは相手の髪か瞳の色っていうのが相場ですから、不思議だったんです。仮にも王子がそんなこと知らない訳もないですよね」
「…………それは……」
◇
翌日は学園を休むことにした。気まずい、という気持ちと、エミリーがたまには休んじゃいましょうよ、と煩かったせいもある。
思えば何もない日というのは久しぶりだ。とてつもなく贅沢な事をしている気分になる。そして、何をしてもいい、というのは案外困ることだと知った。
気になっていたけど読めていなかった流行りの恋愛小説に手を伸ばしかけるも、レオンの事を思い出してしまい、隣に並んでいた騎士物語を手に取ることにした。
昨日、あんな夢を見たせいか、懐かしい気持ちに浸りたくなったのかもしれない。レオンのことを思い出さないようにと思って選んだ本で、結局思い出してしまっている自分に苦笑する。でも私達は本当に幼い頃からの婚約者だったのだ。私の思い出には常に彼がいた。
小さい頃の私は騎士物語に出てくるお姫様に憧れていた。その挿絵のお姫様はピンク色のふわふわの髪をしていて、銀色で真っ直ぐな私の髪とは正反対。せめて身の回りのものだけでも、と私はピンクの物ばかり身につけていた。
ある日、どうにか憧れの姿に近づけないかと野イチゴをすり潰して髪に塗ったことがあった。一心不乱に野イチゴを集めて回っていたら、藪の中から蛇が出てきた。護衛騎士が追い払ってくれて大事にはならなかったけど、お母様には叱られた。
それは私が危険な目に合わないように心配してのことだったけど、幼い私にはそんな気持ちは通じず、当時私が勝手に秘密基地としていた庭の外れの柵の穴から出た小さな花畑。そこで私は泣いていた。
レオンにだけは教えていた場所だった。
『どうして泣いてる?』
『だってわたしの髪の毛、変な色なの。暖炉の灰みたい。騎士物語に出てくるお姫様みたいな、ピンク色がいいのに……』
『そうなのか? おれの家の灰はそんなにきれいな色をしてないぞ?』
『え?』
『それにおれのお姫様はピンク色の髪じゃない』
『レオンの、お姫様?』
『うん! おれのお姫様は……月の光みたいな髪に、スミレ色の瞳をした、かわいいティア!』
◇
懐かしい気持ちに浸りながら本を読んでいると、俄かに窓の外に騒がしさを感じた。しばらくはそのまま読み進めていたが……
「レオン・ド・ゴール!」
と、お母様の声が響いてくればさすがに様子を確かめずにはいられなかった。本を閉じ、ほんの少しカーテンを開けて騒ぎの元を伺う。
果たして、そこには本当に彼がいた。
お母様や衛兵たちに門の前で止められている。声は聞こえない。やめておいた方がいいと思うのに、私は窓を開く手を止められなかった。
「ティア! 聞こえてたらあの場所に来てくれ! 話したいことがあるんだ! ティアが来るまで待っている!」
「!」
私はすぐに窓を閉めた。昨日の今日で何を話すのか。どうせ婚約破棄のことだろう。でも違ったら……?
本の続きは頭に入ってこなかった。
◇
空の帷は落ちて、今夜は満月が煌々と夜闇を照らしている。もういるわけない。そう思うのに、外を見ることをやめられない。
何か言いたげなエミリーは何回か口を開けては閉じ、ついに諦めたように私に声をかけた。
「春とはいえ夜は肌寒いですから、行くならショールをかけてくださいね」
「え、エミリー、違うの、そういうのじゃなくて」
「そういうのでもどういうのでもOKですから。奥様達には私が上手く言っておきますよ。……行きたいんでしょう?」
呆れたように笑うエミリーと目が合う。
「……ありがとう」
◇
満月のおかげで迷うことなく私はあの、秘密基地にしていた花畑に辿り着いた。
月の光を受け、きらきらと光る金髪が見える。レオンがいきなり振り返り、私はびくりと体を震わせた。
「不安だったんだ」
レオンの言葉はそこで一度途切れ、大きく息を吸うと、私を真正面から見つめた。
「ティアは学問でも魔法でも俺よりずっと優秀で……置いてかれないようにって頑張ってたら会う時間もなかなか取れなくなった。勉強は好きじゃないし、剣術は楽しいけど、体力作りの基礎訓練は嫌いだ。少しでも会えたら、ティアの笑顔が見たくて。なのに、王妃教育が始まってからは仮面を貼り付けたような笑顔しか見れなくなって。寂しかったんだ」
レオンの顔がくしゃりと歪む。
「マリリーズは言った。俺がティアを捨てる素振りを見せたら、きっとその仮面は剥がれ落ちて、俺に縋るだろうって。そのためにマリリーズが協力すると。そんなの酷い嘘だってわかってたのに、俺は……」
レオンはまた一呼吸おいてから、深く頭を下げた。
「すまなかった。謝ってもティアを傷つけた事実は変わらない。なのに、俺は……お前の横を、誰にも渡したくない」
レオンの声は震えていた。
「……………」
「……………」
「レオン」
「……ああ」
「頭を上げてください」
レオンがゆっくりと体を起こす。
「ピンクの花をくれていたでしょう」
レオンは虚をつかれたように目を丸くした。それでも何か言わなければと思ったのか、しばらく逡巡してから呟いた。
「ティアは、ピンクが好きだから」
やっぱりかと、私は予想通りの答えにくすくすと笑いを漏らす。レオンはきょとんとしている。
「レオンがこの髪を月の色と言ってくれたでしょう? あの時から、ピンク色は私にとってお姫様の色でなくなったのです」
「……今は違う色が好きなのか?」
「ええ」
私が好きなのは
「太陽の光を写した金色です」
なろうフェスを見つけたのがあまりにもぎりぎりで、1日で書きました。駆け足の展開で申し訳ないです。




