私が君に愛されることはない
「私が君”を”~」の亜種として書いてみたら、どうしてこうなった。
「……なんて?」
薄暗い初夜の寝室に、ラヴィニアの間の抜けた声が溶けていく。
ハメられて、ありもしない罪に対する温情という形で婚約破棄と共に下された、王命(正確にはその自称名代)による政略結婚。碌に交流もないまま、曰く常に血みどろで野獣のようであるとか、曰く何人もの女を抱きつぶしただとかの噂ばかりを知る今日結婚したばかりの夫を流石に震えて待っていた緊張は、どこかに行ってしまった。
「私が君に愛されることはない」
声が良い、とラヴィニアは思った。
眉目秀麗という言葉が似あう、短く揃えた黒髪の偉丈夫。八頭身で手足が長く、逆三角形の上半身を包むバスローブの隙間からは、がっちりとした厚い胸板が隠しきれずちらりと覗いている。
生娘の自分は、本来ならその色気に当てられてもおかしくはなかっただろう。
――その男が、バスローブの前の紐をギチギチに結び、あまつさえいかにも外しにくそうなベルトを何重にも巻いたズボンを履いたままなどという、訳の分からない格好でなければ。
「聞き間違いかと思いましたが……そこは、私が君”を”愛することはない、という場面では……?」
「そんな失礼なことを言う男がいるのか……?」
「いえ、流行りの小説や歌劇では、よくあるセリフと言いますか……」
「そうなのか。だが仮にも神の前で宣誓したことをその夜に覆すなんて、男としてどうなのだ」
心外だ、という顔をする夫となった男――セルジュだが、初夜にそぐわないことを言っているという点において、夫も物語の典型的な不誠実男も、そう大差ない気もする。
ラヴィニアの眉の下がった顔をどう捉えたのか、セルジュはハッ、とした顔で慌てて、
「いや、勿論君に噓の宣誓をさせたのは私であり、君を非難している訳ではない」
「嘘の宣誓……ですか?」
「結婚式での宣誓のことだ。すまない、慣例として踏襲されているものを省略する理由を、私はでっち上げられなかった」
「まぁ、政略結婚で結ばれた夫婦が、式の時点で真実愛の宣誓をしていることなんて、そうはないと思いますが……」
「だが、君は私を愛することはないだろう」
「それですよ。どうしてそう思われたのか、伺っても?」
ラヴィニアがそっと問うと、セルジュは自嘲するように口の端を歪めた。
「私は、戦争ばかりしてきたならず者だ。平民として生きてきたのに、後継ぎがいないからと急に貴族の血筋だと祭り上げられた半端者。社交界では良い笑いものだろう」
ラヴィニアは、その言葉を否定できなかった。だからセルジュが選ばれたのだろうから。
貴族とも言えないような出自の者に、高貴な女が嫁がされるということは、さぞ屈辱であろう、と。あの妹と王太子が考えそうなことだ。
ラヴィニアとしては、王都のあの馬鹿どもの尻拭いに追われる日々から脱せられたのであれば、夫の身分などどうというほどのものでもなかった。働けど報われぬ虚しさと疲れ。ただ一方で、幼い頃から沁みついてきた、王家に連なる者、嫁ぐ者として義務を果たさなければという思いだけが、宙に浮いて漂っていた。
「それに比べて君だ!」
突然の切り替えに、ラヴィニアの哀愁は霧散した。
「君は現王家に連なる由緒正しき公爵家のご令嬢で、世が世なら姫と呼ばれていてもおかしくない尊い御方。それに胡坐をかかず、王太子妃を打診されるほどの深い教養と、王家の仕事を肩代わり出来るほどの高い見識と職務遂行能力は、幼い頃よりどれほどの研鑽をなされたのか計り知れない。何よりもその可憐さは、天上よりの使者かと見まがうばかり。加えて私費より王都中の孤児院への援助、スラム街の流れ者に職業を斡旋したりと、慈悲深さまで持ち合わせているなど……もはや女神がお戯れに現世に降臨したとしか思えない」
何かに酔ったように怒涛の勢いで捲し立てられ、ラヴィニアの顔は真っ赤になった。
「なぜ、王家の仕事を肩代わりしていることを……」
「そんなもの、王家に何を問い合わせても君の名前で回答が返ってくるし、王も王妃も外交と称して長期旅行中、王子は放蕩三昧なのに王宮の仕事が回っているのは誰のおかげかなんて、考えればわかることだ」
「……対外的には、妹がやっていることになっているはずです」
「はっ! 妹だと? あの欲に塗れた女に騙されてやっているのは、あの王子に取り入ろうとするような愚か者ばかりだ。得意になって君が打ち立てた政策を自分で考えたように話していたが、ちょっと突っ込んだ話をすればしどろもどろ。結局君に説明させているのだから、世話がない……あ、いや、すまない。仮にも君の家族のことを……」
「いえ、概ね間違ってませんから、そこは別に」
セルジュは、ベッドに腰掛ける私の前に跪いて、手を掬って両手で包み込んだ。
「安心してほしい。君がやってきたことを分かっている、心ある貴族たちはちゃんといる。今に王都の君の居場所は取り戻される……そうなれば、私とのこの結婚などなかったことになり、君は真に愛する者を伴侶にできる。私のような者ではなく、君に相応しい、美しく、完璧な男が。だから、君が無理に私を愛することはないのだ」
それは、あまりにも誠実に、ラヴィニアに響いた。
この男の言葉の中には、私がいる。王都で、誰かが私に向かって話すとき、そこに私がいたことが、果たしてあっただろうか?
「あなたは……あなたはどうなるのです?」
「あぁ……君はなんと慈悲深いのか。だが、私のことなど気にすることはない。いずれどこかの戦場に駆り出され、野垂れ死ぬだけだろう。この家も、どうせ誰かが継ぐ」
ラヴィニアの価値を保証したその口で、自分のことはまるで価値がないかのように語るとは。
ラヴィニアはなんだか腹立たしくなってきた。
「では、あなたも結局私を捨てるのですね」
「断じて違う!」
心外だというように立ち上がったセルジュに、ラヴィニアは目を細めた。
「何が違うというの」
「私がしているのは、君には、もっと相応しい場所があるという話で……」
セルジュは目を泳がせた。だがそれは、嘘を誤魔化すというのではなく、逸れそうになる意識をなんとか留めようという足掻きに見えた。ラヴィニアは立ち上がった夫の視界と、自分のバスローブの胸元の心もとなさになんとなく思い至った。
――ふぅん。
「大体、あなたは私をそんな簡単に手放せるのですか?」
「……何を」
恐る恐るという風に、セルジュが目の端でラヴィニアの顔を見る。
「だって、あなたは私を愛しているでしょう」
ひゅっ、と息を呑む音が聞こえた。
「……馬鹿な。いや、確かに私はあなたを愛、否、崇拝している。あなたは覚えていないだろうが、私は……」
「あなたが傭兵だったころ、戦場帰りのあなたを看病したことがある……」
それはするりと口から出て、ラヴィニアの記憶を呼び覚ました。そうだ、あの時。隣国との国境の緊張が珍しく小競り合いに発展して。血の応酬があったのに、よくあることだの戦争にはならなかったのだからだのと言って中央の誰も労おうとしないのを見かねて、物資をもって慰労に向かった先。想定が甘く、慰労どころか負傷者の対応に当たることになりてんてこ舞いになる中で、妙な熱を発する目があった。
あの時感じて、王都に帰る道中もしばらく残っていた熱が、今まさにここにあるのだと、ラヴィニアは気づいた。
「お、覚えて……そうだ。あの時から、私はあなたを女神として崇拝しているのだ。だからあなたが幸せになるために身を尽くすことが、信徒としての私の最上の喜びなのだ」
セルジュの目が再び逃げていく。
「女神、女神ねぇ……」
ラヴィニアは素早く魔力を高めて身体強化をしてセルジュを押し倒すと、えいやと自分のバスローブを脱ぎ去った。最高の”商品”となるべく幼い頃から磨き上げられている自分は、実り豊かで瑞々しく……はしたない言い方をすれば、そそる身体をしているはずだ。
「な、何をしているのだ、君は!」
慌てて顔をそむけた夫の顎を左手で掴み、自分に向けさせる。もう片方の手で、ガチガチに結ばれたローブの結び目を、指先から繊細にコントロールした風の魔力で切り裂き、ついでにベルトだらけのズボンも、”大事なところ”は傷つけないように注意しながら、同じように素早く解体する。
「こんな恰好をして。”手を出しません”アピールのつもりか知らないけれど、最初から間違ってるのよ。我慢しようとか考えてたみたいだけど、その時点で語るに落ちてる」
最後の一枚は、案の定”山”になっていた。想像……もとい、想定よりも高い標高にラヴィニアは一瞬たじろぎそうになるも、淑女スキルで顔には出さず、見下ろす。
「あなたは私を女神だなんて思っちゃいないわ。それともあなたは、女神に欲情する不遜な異端者なのかしら? 教会に突き出した方がいい?」
ぐりぐり、と。顔を真っ赤にして歯を食いしばっている夫がなんだか可愛くて、ラヴィニアは虐めるのが楽しくなってきてしまった。
「言いなさい。本当のことを。いいの? 誰とも知れぬ他の男が私を抱いても。目の前にあるあなたにとっての望外の幸運を手に入れなくて、一生後悔しながら生きていくの?」
潤んだ瞳の奥にある隠しきれない劣情に、ぞくぞくする。
「あなたが私に相応しくないとすれば、それは覚悟よ。あなた自身の手で、私を一生幸せにする気概はないの? それとも、私のためになんでもできると言ったのは嘘?」
身体を押し付けるように被さり、耳元で囁く。
ぷつん、という音が聞こえた気がした。
――煽りすぎたと、後悔した。
野獣のようだという噂は本当だった(それ自体は戦場での様子を揶揄するものであったはずだが)。何人もの女が、というのは嘘であったが、そうであってもおかしくないほどであった。というより、私一人では身が持たないのでお願いだから側室をもって欲しい。などとラヴィニアが言ったら、何日も寝室から出られなくなったので、二度と言わないが。
その後、セルジュはかつて辺境に身を隠した王家に連なる血筋であったことが分かったり、それを口実に周辺の貴族をまとめ上げて王家を排除して、本当に王都にラヴィニアの居場所を取り戻してしまったり。
側室を持たないなら自分が頑張るしか、と謎の義務感に駆られてなんだかんだラヴィニアも張り切ってしまい、何人か子も設けたが、褥はずっと一緒である。
「私に愛されることはないなんて、馬鹿ね。こんなに愛されたら、愛さずにはいられないでしょうよ」
初夜のことを時折からかいながら――ただし夫が暴発しない程度に――、ラヴィニアたちは幸せに暮らしている。
怒られるやつでしょうか?
よろしければ☆やご感想などいただければ幸いです。
〇軽い設定
ラヴィニア:公爵令嬢。政略結婚だった本妻の娘が、後妻とその娘に、というやつ。公爵の意向により王家に出荷する”商品”としてではあるがお金をかけて育てられたため外見も教養も(戦闘力も)一級品。元来強気なタイプで、王都を追い出される際も特に凹んだりはしなかった。母の死後の家庭環境から他人に愛を期待しないようになり、責任感だけで生きるようになって久しかったが、セルジュの隠しきれない情熱に何かが刺激され、煽った結果、分からされた。
セルジュ:傭兵として戦場に駆り出され負傷したところ慰労に来たラヴィニアと出会い、高貴な身で懸命に看病してくれる様子に恋焦がれてからというもの、貴族になったり、恋した女が嫁に来たり、王家を追い落とすことになったりと、波乱万丈な人生を送っている。当時同じようにラヴィニアに惚れた傭兵は他にもいたであろうが、運命が選んだのは彼であった。最初は手を出しちゃいかんと頑張っていたが、ラヴィニアに煽られた結果爆発した。吹っ切れてからはラヴィニアを幸せにしようと頑張った。
王太子:王の不在時に勝手に名代を名乗って堅物の婚約者を追放しちゃう例のやつ。この親にしてな父王には多分許されたが、周りの貴族に現王家そのものが許されなかった。
妹:美少女ではある。姉のように努力しなくても許されていたし愛されていたので、姉に王太子妃なんてもったいない、部下に命令しとけば自分でもやれるでしょ、と軽い気持ちで王太子にアプローチ。見事落としているあたりは、流石というべきか実は姉妹で似ていると言っていいものか。セルジュの配慮で処刑まではされない(ラヴィニアは特に求めてない)が、推して知るべし。
裏話というか詰め切らなかったこと:ラヴィニアが王都から追い出された時点で、セルジュは王都で王家に不満を持つ有力貴族と既に繋がりがあり、反乱とまではいかずともラヴィニアが王都に戻るのは難しくはないだろうと予想された。セルジュの王家の隠された血筋云々は、数代前に辺境に隠れ住んだ黒髪の姫がいたため、そういうストーリーも考えられるよね、民衆受けも良いだろうし、とあくまで反乱側の貴族が反乱の正当性を得るためにこじつけたもので真偽は不明。




