第八話 礼拝堂の少女
翌朝、博士が窓の外を眺めながら言った。
「昨日、丘の上に気になる建物があったな」
「礼拝堂だよね」と直人が言った。「行ってみたかった」
「ルネサンス様式と見たが、実際に中を見てみたい」博士はすでにハッチへ向かっていた。「行くぞ」
ザイロンは黙って立ち上がった。
*
丘への道は、街の細い路地を抜けた先にあった。
石畳が緩やかに傾斜し、両側の建物が少しずつ低くなっていく。朝の空気は冷たくて、どこかから焼いたパンの匂いがした。
博士は歩きながら、建物を眺め回した。「見ろ、このアーチの形。地球の中世イタリアに近い建築様式だ。石の積み方も同じだな」
「博士、そんなことも知ってるの?」
「儂を誰だと思っとる」博士は鼻を鳴らした。「建築史くらいかじっておる」
「地球で見たことがある様式だ」ザイロンが後ろから静かに言った。
博士が振り返った。「お前も見たことがあるのか」
「立ち寄っただけだがな」それだけだった。
三人は黙って丘を登った。
丘を登りきると、建物が見えた。石造りの壁に、高く伸びた尖塔。周囲の建物とは明らかに格が違う。朝の光を受けて、壁の石が白く輝いていた。
「やはりな」博士が目を細めた。「ルネサンス様式だ。地球で言えば十五、六世紀頃の建築に近い。よくここまで再現しておる」
「すごい」と直人は呟いた。
三人は重い石の扉の前に立った。博士が扉に手をかけ、ゆっくりと押した。
*
薄暗かった。
高い天井から光が差し込み、細長い影が石畳に伸びている。ステンドグラスの色が床に落ちて、静かに揺れていた。
そして、奥に二つの影があった。
少女と、ロボットだった。
少女は十二、三歳くらいだろうか。落ち着いた佇まいで、ロボットと並んで祈りを捧げている。ロボットは古い。ザイロンと同じくらいの年代に見えた。煤けた外装、武骨な関節。それでも、少女の隣で静かに頭を垂れていた。
直人が一歩踏み込んだ瞬間。
ザイロンの動きが止まった。
少女のロボットが、ゆっくりと顔を上げた。二体の視線が交わった。
そして、聞いたことのない言葉が流れ始めた。
低く、硬く、リズムの違う言語。ザイロンと少女のロボットが、静かに言葉を交わしている。直人には一言も分からない。博士も珍しく黙って、その様子を見ていた。
少女が振り返った。
落ち着いた目だった。驚いた様子もなく、ただ静かに三人を見た。
「珍しい来訪者ね」
流暢な日本語だった。
直人は目を丸くした。「日本語、喋れるの?」
「ええ」少女は立ち上がり、スカートの裾を軽く払った。「このロボットに教わったから」
「地球から来たの?」
「うん。僕は直人。こっちが博士で、こっちがザイロン」
少女は三人を静かに見回した。「私はフィオナ。この星で生まれた」
直人はフィオナのロボットとザイロンを交互に見た。「あの二体、知り合いなの?」
フィオナは少し考えるような顔をした。「このロボットに聞いたことがある。同じ時代を生きたロボットがいると。きっとそういうことじゃないかしら」
ザイロンは何も言わなかった。ただ、少女のロボットをじっと見ていた。
「座って。少し話しましょう」とフィオナが言った。
*
礼拝堂の石段に、五人が並んだ。
ステンドグラスから差し込む光が、床の上でゆっくりと動いている。
「この星の人たちって、なんでこんな古い感じの暮らしをしてるの?」直人は聞いた。「空飛ぶ車とか、そういうのは?」
フィオナはしばらく黙った。それから静かに口を開いた。
「私たちの祖先はロボットたちと長く共に暮らした。でもある時、人間だけで生きることを選んだの。機械のない暮らしを、自分たちの手で作りたかったから」
博士が口を開いた。「ヤマトと同じルーツを持つと見たが」
フィオナは博士を見た。「よくわかったわね」
「建物を見ればわかる。ヤマトとは様式が違うが、根っこは同じ地球人の文化だ」
フィオナは小さくうなずいた。「ヤマトの人たちは技術と共存する道を選んだ。私たちの祖先は決別する道を選んだ。同じところから来て、全然違う星になった」
「でもロボットはいるじゃないか」直人はフィオナの隣のロボットを見た。
「このロボットは別」フィオナは静かに言った。「家族だから」
直人はその言葉を、少し黙って受け取った。
博士が腕を組んだ。「なるほどな。ヤマトが技術と共存の道を選び、こちらは決別の道を選んだ。同じ地球人の流れをくむ文明でも、開拓の仕方でここまで違う星になるものか」
「そういうことね」フィオナは博士を見た。「あなたは博識なのね」
「当然じゃ」博士は鼻を鳴らした。
直人は少し笑った。それからフィオナに向き直った。「フィオナはこの星が好き?」
「ええ」フィオナは迷わず答えた。「静かで、人の声が聞こえて、夜は星がよく見える。それで十分」
しばらく沈黙が落ちた。ステンドグラスの光が、ゆっくりと動いた。
フィオナの目が、少し変わった。
「直人」
「うん」
「あなたたちはこれからどこへ行くつもり?」
「いろんな星を回って……まあ、冒険みたいな感じかな」
「地球には?」
「いつかは帰るけど」
フィオナは少し間を置いた。
「早く帰った方がいい」
直人は聞き返した。「え?」
「地球が狙われている」フィオナは静かに、しかしはっきりと言った。「豚が、地球を狙っている」
礼拝堂に、沈黙が落ちた。
直人はザイロンを見た。ザイロンは微動だにしなかった。その目が、どこか遠くを見ていた。
博士が静かに口を開いた。「豚、とは」
「黄金の星で遭遇した連中だ」ザイロンが低い声で言った。「根絶やしにしたはずだった」
「このロボットが知っている」フィオナが続けた。「豚の残党が動き始めている。目的地は地球だと」
「なんで地球なの」と直人が聞いた。
フィオナは首を振った。「理由まではわからない。でも、奴らは動いている」
ザイロンはまだ黙っていた。
直人は膝の上で手を握った。地球。お母さん、兄弟、狭いリビング、長女が独占するテレビ。あの青い星が、今どこかの誰かに狙われている。
「……わかった」直人は言った。「ありがとう、フィオナ」
フィオナは小さくうなずいた。「気をつけて」
それだけだった。
*
礼拝堂を出ると、丘の上に風が吹いていた。
街が下に広がっている。石造りの屋根、色とりどりの布、行き交う人々。昨日と何も変わらない景色なのに、直人には少し違って見えた。
「ザイロン」
「……なんだ」
「豚って、強いの?」
ザイロンはしばらく黙った。風が吹いた。
「強い」
「ザイロンより?」
また黙った。今度は少し長かった。
「……数が多い」
博士が腕を組んだまま、静かに言った。「ならば急ぐ必要があるな」
直人はうなずいた。「帰ろう。パロディアンに戻ろう」
三人は丘を下り始めた。石畳が足の裏に硬く当たる。遠くから市場の声が聞こえてくる。
直人は歩きながら、青い星のことを考えていた。




