第三十三話 閃き
研究所の廊下で、美代が直人の前に立ちふさがった。
「直人くん」
「ん?」
「今日、暇?」
直人は少し考えた。「暇ではないけど」
「じゃあ暇ね」
「どういう理屈?」
「映画、付き合って」
「映画?」
「宇宙の映画やってるの。絶対好きでしょ」
直人は少し迷った。机の上にはやりかけの計算がある。時間圧縮装置の改良も途中だ。
「二時間だけ」美代が言った。「研究所は逃げないけど、映画は今日まで」
直人はため息をついた。
「わかった」
「よし決まり」
美代は満足そうに笑った。
「じゃあ急ご。もうすぐ始まる」
映画館を出ると、夕方の空がオレンジ色に染まっていた。
美代は目を少し赤くしていた。直人は気づいていたが、何も言わなかった。
「泣いてた?」
「泣いてない」
「目が赤い」
「夕日が眩しかっただけ」美代は前を向いたまま言った。「直人くんは泣かなかったの?」
「うーん」直人は少し考えた。「感動はしたけど」
「男の子ってそういうとこあるわよね」美代はため息をついた。「あのラストシーン、普通泣くでしょ」
「そうかな」
「そうよ」
二人は並んで歩いた。夕方の商店街は人が多い。家族連れ、カップル、学生のグループ。
「ファミレス寄ってく?」直人が言った。
「うん」美代はうなずいた。「お腹空いた」
*
ファミレスに入り、窓際の席に座った。
美代はメニューを開いた。直人も開いたが、すぐに閉じた。
「いつもそれ」美代は言った。「ちゃんと見てる?」
「だいたい同じものを頼むから」
「それじゃ来た意味ないじゃない」
「美代と話しに来てるんだよ」
美代は少し黙った。それからメニューで顔を隠した。「……うまいこと言わないでよ」
注文を済ませると、美代が映画の話を始めた。
「あのシーン、覚えてる?主人公が宇宙に旅立つ前に彼女に言った言葉」
「どれ?」
「どんなに遠くにいても、同じ星を見ている。だから離れていても繋がっているって」
「ああ」直人はうなずいた。「あのシーン」
「ロマンチックじゃない?」美代はグラスを持ちながら言った。「距離は関係ない、同じものを見ているという事実だけで繋がれる、って」
「距離は関係ない」直人は繰り返した。
「そう。どんなに離れていても、同じ星を見ていれば」
「同じ基準点があれば」直人は呟いた。
「え?」
「距離は関係ない、同じ基準点があれば繋がれる」直人はテーブルの上に指で何かを書き始めた。「そうか、ワープの座標系を固定の基準点で繋いだら」
美代はグラスを置いた。「直人くん」
「宇宙空間に固定された基準点をいくつか設置して、そこを経由してワープすれば距離の問題が」
「直人くん」
「片道50年の距離も、中継点を使えば」
「直人くん!」
直人が顔を上げた。
美代が真顔で見ていた。
「今、デート中なんですけど」
「あ」
「映画の話をしてたんですけど」
「ごめん」
「感動的なシーンの話をしてたんですけど」
「本当にごめん」直人は頭を下げた。「でも聞いて、すごく大事なことを思いついた」
美代はため息をついた。長い、深いため息だった。
「どうせ止めても無駄なんでしょ」
「研究所に行っていい?」
「今すぐ?」
「うん」
美代はしばらく直人を見ていた。それからまたため息をついた。「ご飯食べてからにしなさい」
「ありがとう」
「本当に呆れる」美代は窓の外を見た。でもその口元が、少し緩んでいた。
*
料理が来た。
直人は食べながら、頭の中で計算を続けていた。美代はそれを横目で見ながら、黙って食べていた。
しばらくして美代が言った。「ねえ」
「うん」
「その基準点のアイデア、うまくいきそうなの?」
直人は顔を上げた。「わからない。でも今までと違う方向だから、試してみる価値はある」
「そっか」美代はフォークを置いた。「じゃあ一つ条件」
「何?」
「成功したら、またここに来ること。ちゃんと映画の話を最後まで聞くこと」
直人は少し笑った。「約束する」
美代はうなずいた。「よし、じゃあ行っていいよ」
「え、もう?」
「早く行きなさい。閃いた時は早い方がいいんでしょ」美代はグラスを持ち上げた。「私はここでゆっくりしてるから」
直人は立ち上がり、財布を取り出した。
「お金は私が払うから」美代は言った。「その代わり次のデートはちゃんとしてよ」
「絶対する」直人は言った。「ありがとう、美代」
美代は窓の外を向いた。夕焼けが窓ガラスに映っている。
「行ってらっしゃい」美代は静かに言った。
直人は走り出した。
*
研究所に飛び込むと、ザイロンが廊下にいた。
「どうした、息を切らして」
「ザイロン」直人は言った。「中継ワープポイントの話、聞いてくれ」
ザイロンは少し黙った。直人の顔を見た。
「入れ」ザイロンは副所長室の扉を開けた。「話を聞こう」
直人は部屋に入りながら、頭の中で言葉を整理した。
映画の中のセリフが、まだ頭に残っていた。
どんなに遠くにいても、同じ星を見ている。
距離は関係ない。基準点があれば繋がれる。
「ザイロン」直人は言った。「宇宙空間に固定された中継ポイントをいくつか設置して、そこを経由してワープを繰り返す。一回のワープで届かない距離も、中継を重ねれば届くかもしれない」
ザイロンはしばらく黙っていた。
「それは」ザイロンは静かに言った。「前にも考えたことがある」
「じゃあダメか」直人は少し肩を落とした。
「いや」ザイロンは続けた。「問題は中継ポイントの設置にかかる時間だった。だが」ザイロンは直人を見た。「お前の時間圧縮技術と組み合わせたらどうだ」
直人は目を丸くした。
「中継ポイントを設置する無人探査機に、時間圧縮装置を積む。探査機の中では短時間でも、外では長い時間が経過している。つまり探査機は短時間で遠くまで届く」
直人はザイロンを見た。ザイロンは珍しく、目が輝いていた。
「それだ」直人は言った。
「ああ」ザイロンはうなずいた。「お前のアイデアと俺のデータを組み合わせれば、可能性がある」
直人はメモを取り始めた。手が震えていた。興奮しているのか、疲れているのかわからない。
窓の外に、夜の空が広がっていた。星が出ている。
どこかに華僑がある。どこかに、30億人が暮らせる星がある。
まだ遠い。でも、少し近づいた気がした。




