第二十六話 巨人の肩の上
パロディアン号がワープの衝撃から立ち直り、窓の外にアクティナスの青い輝きがうっすらと見え始めた頃だった。
船内には、エンジンの低い唸りと、ザイロンが端末を叩く規則的な音だけが響いていた。美代は不慣れな宇宙航行に緊張しながらも、窓の外に広がる銀河のパノラマに目を奪われている。
直人は、ふと思い出したように口を開いた。
「ねえ、博士」
「なんじゃ、騒々しい。今、アクティナスへの入港軌道を計算しとるんじゃ」
操縦席の博士は振り返りもせずに答えた。直人は構わずに続けた。
「……神崎直政って、知ってる?」
その瞬間、博士の背中がびくりと跳ねた。
博士は椅子を勢いよく回転させ、信じられないものを見るような目で直人を凝視した。
「ふん、お前、何を言うかと思えば! 儂に織田信長や坂本龍馬を知っておるかと聞くようなものじゃ。知っておるに決まっておろうが!」
博士は鼻息を荒くして身を乗り出した。
「日本の、いや世界の偉大な物理学者じゃ。アインシュタインと共に相対性理論の深淵を覗き、日本に真理の火を持ち帰った伝説の男……。儂だって、彼の論文を読み耽り、学んだ身なんじゃぞ!」
「あたしだって知ってるわよ」美代も窓から顔を離して、当然のように言った。「物理を志す人で、その名を知らない人なんていないわ。教科書の一ページ目に出てくるような偉人じゃない」
コンソールの前で腕を組んでいたザイロンが、赤いセンサーを一度だけ発光させた。
「俺も、地球の科学史データは一通りインプットしてある。近代日本の物理学の父として、まず真っ先に名前が挙がる男だ。……直人、それが一体どうしたっていうんだ? 唐突に」
直人は少し照れくさそうに、後頭部を掻いた。
「いや……この前、母さんと話したんだ。そしたら、その人が僕の曽祖父さんだって言われて」
船内が、水を打ったように静まり返った。
「…………えっ?」
美代が最初に声を上げた。彼女は直人の名字と、教科書で見た記憶の中の白黒写真を交互に思い浮かべるように目を泳がせた。
「神崎……直政……神崎直人……。ちょっと待って、直人くん! まさか、本当なの!?」
「うん。僕のひいおじいちゃんらしいよ。おじいちゃんも高校で物理を教えてたって」
「な、なんじゃと……っ!」
博士が椅子から転げ落ちそうになった。その顔は驚愕を通り越し、これまでの疑問がすべて氷解したような、複雑な表情に変わった。
「道理で……道理で、儂が塀の中にいた二年の間に、あんな高度な発明品を次々と作りおったわけじゃ。いくらザイロンが教師役だったとはいえ、普通はあり得ん。出所してきた儂を追い抜く勢いで成長しおって、化け物かと思っておったが……!」
博士は震える手で自分の頭を抱えた。
「血の中に『真理の地図』が刻まれておったというのか。あの神崎直政の直系ならば、ザイロンから物理や数学を学び、世界の理を瞬時に解き明かすのも、必然だったというわけか……」
「驚いたな」ザイロンが珍しく感心したような声を漏らした。
「俺は博士がいない間、お前に膨大な物理定数や数学的帰納法、多次元幾何学まで叩き込んできた。俺にとっては単なるデータの転送だったが、お前はそれをただの知識ではなく、血肉に変えていたわけか。『巨人の肩の上に立つ』という言葉があるが、お前は俺という『教育用データベース』を使いながら、生まれ持った才能で遥か先を見ていたんだな」
美代は、まだ信じられないといった様子で直人の顔をまじまじと見つめている。
「すごい……。ねえ直人くん、それ、もっと早く言ってよ。私、歴史上の人物と一緒にお弁当食べてた気分なんだけど」
「僕だって知らなかったんだから仕方ないだろ」
直人は笑いながら、窓の外を見た。
偉大な曽祖父。そして、不在の博士に代わって「先生」として数学や物理の基礎から応用までを叩き込んでくれたザイロン。
「でも、なんだか勇気が出たよ。僕の中にその人の血が流れてるなら、華僑の問題だって、きっと解決できる気がするんだ」
博士はまだ「神崎直政の曾孫……」とブツブツ呟いていたが、やがてフンと鼻を鳴らした。
「……ま、血筋がどうあれ、今の名目上の上司は儂じゃ。神崎直政に負けぬよう、しっかり精進せい。わかったな!」
「はい、博士」
直人が力強くうなずいた時、パロディアン号のメインモニターに巨大な影が映し出された。
青く輝く水の惑星。かつて共に豚と戦ったロベルト達が待つ場所。
「アクティナスが見えたぞ」
ザイロンの声と共に、船は港へと進路を取った。直人の新しい旅は、自らのルーツを知ることで、より確かなものへと変わり始めていた。




