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第二十三話 科学者の系譜


夕食の片付けが終わった頃、直人は意を決した。

お母さんがソファに座ってテレビを見ている。長女はもう家を出ている。兄は自分の部屋にいる。今しかない。

直人はテーブルに資料を並べた。華僑の環境汚染のデータ、パワードスーツの安全性の数値、ロベルトが送ってきた星図。準備に三日かけた。

「母さん」直人は座った。「話がある」

お母さんがテレビを消した。直人を見た。

「また、宇宙に行きたいんだ。博士と一緒に」

手が少し震えていた。

お母さんは直人を見た。それからテーブルの上の資料を見た。難しい数式、グラフ、星図。

でもお母さんは資料には手を伸ばさなかった。

立ち上がり、棚の方へ歩いていった。しばらくごそごそと探してから、一冊のアルバムを持って戻ってきた。

「見せたいものがあるの」

お母さんがアルバムを開いた。古い写真が並んでいる。モノクロだ。紙の端が少し黄ばんでいる。

その一枚に、直人の目が止まった。

黒板の前に、二人の男が並んでいる。一人は白髪のボサボサ頭で、口髭を生やした老人。もう一人は若い日本人の男性で、黒板に数式を書きながら何かを説明している。

「この老人……」直人は呟いた。「アインシュタイン博士?」

「そう」お母さんは静かに言った。「そしてこっちがあんたの曽祖父さん」

直人は写真を見つめた。黒板に書かれた数式、二人の真剣な顔、白墨の粉が舞っているような空気。

「曽祖父さんはね」お母さんは続けた。「九州の大学で物理を究めた人だったの。アインシュタイン博士の元で相対性理論の萌芽に触れて、日本にその火を持ち帰った」

「知らなかった」

「あんたのお祖父ちゃんもそうよ」お母さんはアルバムをめくった。「本当は大学に残れたのに、次の世代に物理の楽しさを教えるって言って、地元の高校で一生を捧げた」

直人は黙って聞いていた。

お母さんはアルバムを閉じた。それから直人を見た。

「血は争えないわね」

お母さんが笑った。直人が今まで見たことのない、少し寂しくて、でも温かい笑い方だった。

「母さん……」

「あの日ね」お母さんは言った。「博士のことを警察に電話した日。怖かったのよ、直人」

「危ないから?」

「それだけじゃない」お母さんは少し目を伏せた。「いつかこうなるって、わかってたから。この子はきっと、真理を見つけたら地の果てまで追いかけずにはいられない。神崎家の男はみんなそうだったから」

直人は胸が痛くなった。

「神崎家の男はね、一度真理を見つけたら、地の果てまで追いかけずにはいられないのよ」お母さんは続けた。「曽祖父さんも、お祖父ちゃんも、みんなそうだった。あんたもそうなるって、小さい頃から薄々わかってた」

「だから止めようとしたの?」

「止めたかった」お母さんは正直に言った。「でも止められないのも、わかってた」

しばらく沈黙が続いた。

お母さんがアルバムをテーブルに置いた。直人の資料の隣に、曽祖父の写真が並んだ。黒板の前でアインシュタインと議論する若い男と、華僑のデータが書かれた紙。

「いいわ、直人」お母さんは言った。「その血には勝てないみたいね」

直人は顔を上げた。

「本当に?」

「本当に」お母さんは立ち上がり、直人の背中をパシッと叩いた。「その代わり、曽祖父さんに顔向けできないような、半端な数式は書くんじゃないわよ!」

直人は笑いそうになった。でも目が熱くなった。どちらが先に来るかわからなくて、直人はしばらく俯いた。

「……うん」

「返事は?」

「わかった」直人は顔を上げた。「絶対、半端な数式は書かない」

お母さんは満足そうにうなずいた。それからソファに戻り、またテレビをつけた。何事もなかったように。

直人はしばらくその横顔を見ていた。

テレビの音が部屋に響いていた。いつもの夜だ。でも何かが変わった気がした。

直人は自分の部屋に戻った。机の上に曽祖父の写真のことを書き留めた。それからザイロンに短いメッセージを送った。

「母さんの許可、出た」

しばらくして返信が来た。

「……そうか」

それだけだった。でも直人には、その二文字の重さがわかった。

窓から夜空が見えた。星が出ている。どこかにアクティナスがある。どこかに華僑がある。

直人はしばらく星を見ていた。

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