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第十一話 研究所


空が青かった。

二年ぶりに外を歩く空気は、なんだか軽かった。博士は正門を出ながら、ゆっくりと深呼吸した。

まず大学に行こう。

それだけ決めて、博士は歩き始めた。

帝都工業大学の正門をくぐると、守衛が立ち上がった。

「失礼ですが」

「榊だ。名誉教授の榊じゃ」

守衛の顔が微妙に動いた。「少々お待ちください」

待つこと十分。事務員らしき若い女性が小走りでやってきた。深々と頭を下げ、それから困ったような顔をした。

「榊先生……その、申し上げにくいのですが」

「なんだ」

「先生は昨年、大学の規定により懲戒免職処分となっております」

博士は少し黙った。「そうか」

「大変申し訳……」

「いや、いい」

博士は踵を返した。

工場に向かった。

長年住み慣れた路地を歩く。角を曲がれば見えるはずの古い建物、溶接の火花、ガラクタの山。

角を曲がった。

そこには、アスファルトが広がっていた。

白線で区切られた駐車スペース。整然と並ぶ車。工場の面影は、どこにもない。

博士はその場に立ち尽くした。

大学もない。工場もない。パロディアンもない。

足から力が抜けた。博士はゆっくりとその場に膝をついた。アスファルトが冷たかった。空が青かった。

どれくらいそうしていただろう。

エンジン音がして、一台の車が止まった。

ドアが開き、スーツ姿の男が降りてきた。四十代くらい、真面目そうな顔をしている。男は博士を見て、深々と頭を下げた。

「申し訳ありません博士。刑務所に伺ったのですが、行き違いになったようですね」

博士は顔を上げた。「君は?」

男は名刺を取り出した。「申し遅れました。私、千葉大学で機械工学を専門にしております、堀田と申します」

博士は名刺を受け取り、眺めた。

「詳しい話は研究所でしましょう」堀田は静かに言った。「ここから近い場所にあります。乗ってください」

博士は少し堀田を見た。それから黙って立ち上がり、助手席に乗り込んだ。

車は二十分ほど走った。

やがて見えてきたのは、真新しい大きな建物だった。ガラス張りの外壁が朝の光を反射している。広い敷地に、整備された駐車場。

「おかしい」博士は呟いた。「こんなところに、こんな施設はなかったはずだ」

「ええ」堀田は言った。「まだ建てられて一年ほどですから、博士がご存知ないのも無理はありません」

車が止まった。堀田が降り、博士のドアを開けた。

「ここは貴方の研究に心から心酔している、全国の有志によって建てられました」

博士は建物を見上げた。ガラスの向こうに、白い廊下が見える。人影が動いている。

「儂の、研究に?」

「はい」堀田は静かに、しかしはっきりと言った。「博士の研究を信じている人間は、世の中にたくさんいます」

博士はしばらく黙って建物を見ていた。それから小さく息を吐き、歩き始めた。

自動ドアが開いた。

広いエントランスだった。白い壁に、設計図が額に入れて飾られている。博士は足を止めた。見覚えのある設計図だった。自分が書いたものだ。いつ、どこで書いたものか、全部わかる。

「博士」

堀田が奥へ促した。廊下を進む。左右に部屋が並び、ガラス越しに研究員たちが作業しているのが見えた。みんな若い。真剣な顔をしている。

突き当たりの扉の前で、堀田が止まった。

「副所長室です」

扉を開けた。

広い部屋だった。窓から光が差し込んでいる。正面の大きなデスクに、一体のロボットが座っていた。

ザイロンだった。

その隣に、少年が立っていた。背が伸びた。顔つきが少し変わった。でも、その目は変わっていない。

直人だった。

直人が口を開いた。「博士」

博士は動けなかった。

ザイロンが立ち上がった。「……戻ってきたか」

その一言で、何かが崩れた。

博士の目から、涙が溢れた。

拭おうともしなかった。ただそこに立って、ザイロンと直人を見ていた。皺だらけの顔を涙が伝い、博士は声も出なかった。

直人が駆け寄った。「博士……」

「うるさい」博士はしゃがれた声で言った。「何も言うな」

直人は黙った。

しばらく、誰も何も言わなかった。窓から光が差し込んでいる。廊下の向こうから、研究員たちの声がかすかに聞こえてくる。

博士がようやく口を開いた。「直人」

「うん」

「大きくなったな」

直人は少し笑った。「まだ中学生だけど」

「ザイロン」

「なんだ」

「お前が副所長か」

「ああ」ザイロンは短く答えた。「文句があるか」

博士は涙を拭いながら、鼻を鳴らした。「文句はない。……よくやった」

ザイロンは何も言わなかった。でも、その目が少し和らいだ気がした。

堀田が静かに口を開いた。「博士、ここは貴方の研究所です。好きに使ってください」

博士は部屋を見回した。設計図、工具、机の上に並ぶ部品。工場とは違う、きれいで広い場所。でも空気は似ていた。

「一つ聞いていいか」博士は堀田に言った。

「なんでしょう」

「パロディアンは」

堀田は少し間を置いた。それから、扉の外へ目を向けた。「ついてきてください」

案内されたのは、建物の裏手にある大きなガレージだった。

シャッターが上がった。

そこにいたのは、見慣れた鉄の塊だった。トラックのバンパー、バスの降車ボタン、繋ぎ合わせた廃車の残骸。歪で、力強い。

パロディアンだった。

「警察から引き取るのに時間がかかりました」堀田が言った。「損傷箇所もありましたが、修理しました」

博士はゆっくりと近づいた。側面に手を当てた。冷たくて、硬くて、確かにそこにある。

「よかった」と直人が呟いた。

博士はパロディアンの側面をパンパンと叩いた。いつものように。

「まだ動くか」

「動く」ザイロンが答えた。「いつでも飛べる」

博士は振り返った。直人を見た。ザイロンを見た。堀田を見た。

それからまた、パロディアンを見た。

「そうか」

博士はぼそりと言った。それだけだった。

でも、その声は穏やかだった。

ガレージに、朝の光が差し込んでいた。

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