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プロローグ

 神明寺廉(しんみょうじれん)は、河原に佇んでいた。

 彼は十七歳で、多分死んだ。校舎の裏で煙草を吸っていたところ、屋上から飛び降りたクラスメートの下敷きになったのだ。

 自殺を図ったクラスメートは暫く生きていたが、間もなく死んだ。廉も首の骨を折って即死だった。


 自分の葬儀を見ていたのだから、死んだのは間違いない。

 ――だが、ここは……?


 死んだはずの自分が此処に居ると言うことは、この川は三途の川と言う事になる。

 廉の服装は、高校の制服だった。棺に入れられたときは死に装束だったはずなのに。


 暫く待つと、対岸から小舟に乗った男が現れた。黒い服を着た渡し守で、俯き加減で顔が見えない。


「渡し賃は六文だ」


 ぼそりと、渡し守が呟く。


 ――六文? 昔のお金なんか持っているはずが無い。


 一応ポケットを探ると、紙に『一億円』と稚拙に描かれたおもちゃのお金が一枚出てきた。


「これしか無いんだけど」

「渡し賃は六文だ。無ければ泳いで渡れ」


 廉がもう一度川に目をやると、ゴーゴーと音を立てる激流に変わっていた。


 ――こんな激流、渡れ無いじゃないか。


「因みに一文は、今のお金にするといくらだ?」

「……五十円……くらいか?」


 困った廉がおもちゃのお金を見つめると、五十円玉六枚に変わった。彼は驚いて目をぱちくりする。


「六文持っているじゃ無いか。サッサと乗れ!」


 廉は、渡し守に突然現れた五十円玉六枚を渡し、無事船に乗る事が出来た。

 川はいつの間にか穏やかな流れに戻っていた。


 対岸に着くと、船は忽然と消えて、廉は一人残された。


「誰も居ないのかな……」


 人っ子一人いない河原は、静寂に包まれている。何処へ行けば良いのか、なにをすれば良いのかも分からない。

 体感で三日ほど、河原に座り込み漫然と川面を見つめていた。どうしようも無く侘しく、心細くなっていると、どこからともなく声が聞こえてきた。


「……………………」


 周りを見まわしても誰も居ない。


「…………お…………い」

「え?」


 すぐ側に、十歳くらいの男の子が佇んで、こちらをじっと見ていた。


「君は?」

「お主の五代前の先祖だ。お主は、死んだ事は分かっているか?」


 ――ご先祖様か……。


「……やっぱり俺、死んだんだな……」

「ああ、でも、死んだと納得しているだけ増しだな。中には納得しないで、ここに何十年もいる奴もいるからな」

「そ、そうなんだ、その人はどうなるの?」

「どうにもならないさ。死んだと納得するまでそのままだな」

「…………これから、俺はどうなる?」

「儂に付いてこい」


 廉の先祖だという子どもに付いて歩き出した。

 周りは荒野で、何も無い荒涼とした原野がずっと先まで続いている。

 歩けど歩けど目的地に着かズ、廉は苛立ってきた。


「おい、一体何処まで行くんだ? かれこれ一週間も歩いているぞ!」

「お主はそう感じるのだろうな。まあ、もう直ぐ着くだろうさ」


 ふと気が付くと、巨大な橋が見えてきた。対岸が見えないほど長い橋だった。廉にはとてもでは無いが、渡りきる自信が無い。

 周りにはいつの間にか沢山の人々がいて、続々と橋を目指して歩いていた。


 ――彼等も死んだ人々なのか。一体どれくらいいるんだ。


 五十歳以上に見える者が多いが、中には廉のような若者も、小さな子どももいる。

 皆、普通に橋を渡っているが、橋から落ちてしまう人も少くない。

 橋の下を見ると、無限の暗闇が広がっていた。何も見えないほど深い奈落。

 廉はガタガタと震え始めた。


 ――谷底……あれは地獄だ!


 橋のたもとで立ち止まリ、足がすくんで動けない。とてもでは無いが、足を踏み出すことが出来ない。

 今までの自分のしてきたことが、走馬灯のように浮かんでくる。


 生前、廉は悪ガキだった。

 家庭では良い子を装い、学校では親の権威を振りかざし、学友をいじめまくっていた。

 あの、自殺をした生徒も、廉にいじめられていた一人だった。


 カツアゲ、暴力、五月蠅い熱血教師には、ありもしない罪をでっち上げて辞めさせられるように影でコソコソ策謀を巡らしたりもした。

 酒や煙草は三年前からだ。

 気に入りの女子生徒を追いかけ回し、女子生徒はそのせいで転校してしまった。


 橋を渡る人々を見ていると、極たまに橋の上の光り輝く空間に吸い込まれている者がいた。


「あれは?」

「あの者達は、生まれ変わる必要が無くなったのだ。生前の善行が実を結んだのだろう。かく言う儂もそうだぞ」

「橋から落ちた人達は?」

「この次元で修行し直しだな」

「……ッ! 地獄でか?」

「地獄? お主がそう感じるならそうだろう」

「では、橋を渡り切れば何がある?」

「また生まれかわって、善行を積むことになるだろう」

 廉はハッとして、橋に駆け寄り走り出した。


 ――渡りきれば、生まれ変われる! やり直せる!


 だが廉は橋から落ち、深い奈落へ真っ逆さまに落ちていった。


 廉が気が付くと、そこは大きな街だった。何処までも家々が立ち並んでいる。

 だが、街は生前住んでいた街とはまるで違った。小さな小屋が、ゴチャゴチャと建ち並び、大勢の人が道にたむろしていた。

 まるで映画で見た、戦後の日本のようだ。粗末なバラック、みすぼらしい姿の人々。

 服装は時代がかった物から現代風の物まで様々だった。

 辺りは夕暮れ時なのか薄ぼんやりとしている。


「ここは? 俺は生まれ変われたのか?」

「ここはナラカだ」


 いつの間にか廉の隣に寄り添っている子どもの姿のご先祖様が答える。


「ご先祖様も一緒に来たのか?」

「ああ、儂は何時もお主に付いている。お主が気付いていなかっただけだ……お主は、橋から落ちたな」


 ――やはり俺は地獄に落ちたんだ。だが、話に聞く地獄とは少し違うみたいだ。


「ここは街のようだけど、彼奴らはなにをしている? 道ばたに座り込んで」

「博打だな。そっちの集団は薬をやっているか、酒でも飲んで居るんだろう」

「死ねば、飲み食いしないものだと思っていた……そう言えばなんだか腹が減ってきた」


 廉は食事処と思われる小屋へ入ってみることにした。

 中にはカウンターがあり、数人の男や女が酒を飲んでいた。

 廉もカウンターに座り、

「親父、何か食いもんをくれ」

「金は持っているのか?」


 ――そうだった。金がいる。


 廉は渡し守のときと同じようにように掌を見て、金よ出ろと念じてみた。すると掌に一万円札が一枚現れた。


「これは使えるか?」

「ああ」


 店主は金を奪い取るように鷲掴みして、代わりに不味そうな()()()()を出してきた。


 出された料理に不満はあったが、何故か無性に腹が減っていた廉は、むさぼるように食べ始めた。

 無味無臭、熱くも冷たくも無い味気ない食い物だった。

 だがいくら食べても満足しない。何杯もおかわりをしたが空腹感は増すばかりだった。


「どうしたことだ、いくら食べてもダメだ!」


 廉は途方に暮れた。腹の皮が捩れそうなほど空腹を感じ、痛みさえ覚える。


「廉よ、ここは心象の世界だ。お主の気持ちがそうさせる。満足したと思えば治まるのだが……」


 ――満足? 腹は減っていないと思えば良いのか?


 そう思った瞬間、満腹になった。

 不思議な世界だ。まるで異世界に迷い込んだようだった。


 廉はナラカを歩き回った。いくら歩いても先がある。

 歩けども歩けども、似たような人々に建物だ。終わりの見えない、延々と続くみすぼらしい街並み。


 ここの人々は基本的に向上心が無い。

 怠惰に寝転ぶ者、喧嘩をする者、盗みを働く者……心が荒みそうな光景ばかりだ。


「心象の世界とは、俺が考えた世界と言うことか。これが俺の心の中と言うことなのか? なら、ここはゲームの世界だと思えばゲームの世界になるのか?」


 ゲームの世界だと思った瞬間、ナラカが迷路に見え始めた。

 建物は石壁となり、人々はモンスターに変わった。

 モンスターどもは互いに殺し合い、負けたものを生きたままむさぼり喰らっている。

 暫く見ていると、喰われた者は、復活して、また同じ事を繰り返しているのだ。


 ――本当にゲームになったぞ!


 モンスターは獣のような鋭い爪で、廉にも襲いかかってくる。


「剣よ、出ろ!」


 廉は愉しかった。剣で撫で斬りにするだけで、モンスターは消え、そして直ぐに復活する。

 人を殺したという感覚は全く無かった。


「こいつらは只のモンスターだ、幾らでも殺して構わないさ! だって、ゲームなんだから」


 だが、切られたモンスター達は、毎回苦しみ、泣きながら命乞いまでするのだ。その姿は廉の嗜虐心を増長させた。


「ハーッ、面白い! 幾らでも殺せる」


 だが、それもすぐに飽きた。余りにも簡単に倒せてしまえるからだ。

「馬鹿な奴らだ。どうせ復活するのに、逃げ惑って命乞いをしている。無抵抗で殺されるのも面白くは無いがな!」


 ――もっと強いモンスターはいないのか。簡単すぎてつまらないゲームだ。


「…………では、次の階層へ行けば良い」

 黙って付いてくるご先祖様が、ぽつりと言った。

「違う場所もあるのか! 行きたい」

 そう思った瞬間、場面が変わった。


 廉が居るのは、先ほどの階層よりも薄暗い場所だった。


「何だか見えづらい、明かりは無いのか?」

 そう思った途端、廉の手には松明が握られていた。


 ――これもさっきの続きのゲーム世界か。難易度が上がったみたいなものか。


 暗がりに松明を向けると、気味の悪い出来物だらけの怪物がうずくまっていた。

 背中にも、腕や顔にもジュクジュクとした出来物があり、そこから血膿がにじんでいる。


 もう一方にも化け物達の気配がする。そちらに松明を向けると、化け物達がまぐわっていた。

 気味の悪い化け物がいつまでも狂態を演じている。


 廉は、見ていて吐き気がしてきた。


 ぎろりとこちらを見た化け物の目は禍々しく赤黒い。髪は汚らしく伸び放題で、顔は黒ずんでいて目だけが大きく見開かれている。身体は骨と皮、腹だけが異様に膨らんでいる。


「気味の悪いモンスターだ。こんなのと戦いたくない」

「餓鬼だ」

「ガキ?」

「いくら食べたくても食い物が喉を通らない。生前、欲望にまみれた生き方をした者達だ」


 ――食べたくても食べられない? ここは心象の世界のはずなのだ。他は兎に角、喰いたい物が食えるのでは無いのか?


 廉は、手に食い物を出現させ、暗がりにうずくまる餓鬼に投げ与えた。

 餓鬼は血走った目で食い物に取り付き、むさぼり食ったが、口から火を噴き苦しみだした。


 その姿を見た廉は怖気を振るった。

 そして、ふと「自分は?」と思ってしまった。

 自分を認識した途端、廉の身体は、今見た餓鬼と同じ姿に感じられる。


「うわーーーーっ!」

 叫んだ途端、また場面が変わった。


 気が付くとまた階層が変わったようだ。真っ暗で何も見えない。

 だが、周りには喧噪が渦巻いている。


 ワーワーと叫びあい、ゴツン、ドシンとした音が聞こえる。

 誰かが戦っているようだった。相当な人数がいるらしい。余りの騒音で耳が痛くなるほどだ。


「戦争でもしているのだろうか」

「ここは修羅の道に落ちた者達がいる。絶えず他を蹴落として上に立とうとする者どもが寄り集まっている。ここなら、お主が戦って楽しめるのでは無いか?」

「そうだな!」


 そう言った途端、ご先祖様の気配が消えた。

 この喧噪の中、先が全く見えない場所に一人取り残されて、廉は慌てた。


「ご先祖様! 何処だ、出てこい!」


 廉は、松明を持ち、真っ暗な中を懸命に探し回った。


 後ろに気配があった。振り向くと、寺社で見かける仁王像のような筋骨隆々とした大男が、眼をぎろりと見開いて廉をロックオンしていた。


 廉はあっという間に首を落された。

 首を落されても、痛みと意識は続いている。そして再び元の身体に戻り、また、仁王像の化け物に蹂躙されるのだ。


 時にはやり返すこともあるが、力の差は歴然としていた。抵抗すればするほど、仁王像のような化け物は喜び、廉を切り刻む。


「辞めてくれ! もう許してくれ!」


 哀れに命乞いをする廉を見て、仁王像はニタニタ笑い、全く意に介さず廉をもてあそび、腕を切り、足を切りおとして廉の苦しみを長引かせて喜んでいる。


 何十回も同じ事を繰り返され、段々廉の抵抗する気持ちが萎えていった。


「ここから抜け出したい!」


 同じ苦しみが延々と続く中、廉はふと、あることを思い出した。


 ――あの時の俺は……。


『お願いしますもうお金は無いんです、許してください』

『うるせー、ボンクラオタクのくせに生意気だ。サッサと金を持ってこいよ』

『…………お金はもう無いです』

『それなら親から盗んで来いよ。万引きでも良いぞ』

『…………分かりました』


 ――あの後、彼奴は飛び降りたんだったな。


 廉は、気弱で根暗な彼を面白がって、何度もふざけて蹴ったり、水を掛けたり、ズボンを引き下ろして笑いものにしたりした。

 金をせびったのは嫌がらせの中でも、つまらない部類だった。

 特にいじめたつもりは無かった。ただ面白いから、それだけの理由だった。


 ――彼奴にとっては無間地獄のような物だったのか。


 廉は、仁王像に似た怪物に立ち向かうには、自分も同じ姿になれば良いと分かっていた。

 ここは心象の世界なのだから。自分だって仁王になれる。 


 だが彼等と同じにはどうしてもなりたくなかった。


 廉の中には良心の呵責が芽生えていた。

 小さな小さな『後悔』という火が灯っていたのだ。

 ここで廉は、永遠とも思える長い間苦しみ続けた。


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