第五章 part11:努力
あの告白した夜以来、2人は付き合い始めた。
今では兄妹としてではなく、恋人そして一緒にいる。
何をするにも一緒で、最高の日々を送っていた。
「はい、兄さん」
昼休みになると、湊は自分が作ったお弁当を誠に食べさせようとした。
おいしそうな焦げ目のついた卵焼きを摘んだ箸が、誠の口に近づく。
誠は口を開けて中に含んだ。
「おいしい? 兄さん」
「うん。うまい。さすが湊だな」
「へへ、ありがと」
2人は笑顔を浮かべ、楽しそうにしていた。
だが、この幸せは、呆気なく崩れ落ちてしまうのだった。
誠は教室に戻ると、一瞬でみんなの様子がおかしいことに気づいた。
引き戸を開けた瞬間、騒がしかった雰囲気が一気に冷め、友達と話すのをやめるとじっと何人かの生徒が誠を見ていた。
「なんだ?」
誠は気にせず自分の机に向かった。
そのとき、自分の目を疑い、その場に立ち止まった。
机の上にはペンで落書きしてあった。ロリコン。キモイ。変態兄妹。バカ。死ね。
誠の体は震えていた。力を込めて抑えようとするが言うことをきかず激しさを増していく。
心の奥底から恐怖がこみ上げてきた。嫌な汗が、こめかみを流れるのがわかった。
「妹と付き合うとかおかしいよな……」
誰かがそっと陰口を叩いた。誠は信じられないような気持ちでみんなを見渡す。
みんなの目が怖かった。人の目、心はここまで変わるものなのだろうか。
そこではっと嫌な予感がした。妙な胸騒ぎがする。
「湊……」
湊は教室で自分の机に座りながらじっとしていた。耐えるようにぐっと我慢し、拳を握っている。
その周りには誰もおらず、みなわざとらしく数メートル離れていた。
「兄妹で付き合うとどうかしてるよね」
「ありえないでしょ。キモすぎない?」
「つーか兄妹で付き合っていいの? 法律違反じゃない?」
「頭おかしいんだぜ。近づいたら絶対バカになる」
「学校来んなよな。家で大好きな兄といちゃいちゃしてろよ」
「やりすぎて子供産むなよ」
そこでみんなが笑い始めた。その笑い声が耳に届き、そして心に響いてくる。
湊は拳を握り締め、じっと耐えていた。
みんなの声が耳にはっきりと聞こえてくる。苦しく、つらく、重く心に圧し掛かってくる。
好きな人と一緒にいるのがこんなにもいけないことなのだろうか。
湊は涙が出るのを必死に抑えていた。
その様子をただ一人、瞳は口を塞いだままじっと見ていた。
「湊……」
放課後、誠と湊は一緒に帰っていた。
それを見た生徒たちは聞こえないように小さな声で囁く。内容は聞こえなくても容易に理解できる。
2人はうつむきながら無言で歩いていた。いつのまにか学校中に広まっているようだ。
ただ兄妹というだけでこんなにも世間は許さない。その怖さを身に染みるほどわかった。
2人はできるだけ早歩きで学校を去り、みんながいないところまで来ると足を止めた。
「クソ!」
誠は松葉杖を投げ捨てその場に座りこんだ。
「なんでこうなるんだよ! 何か悪いことしたかよ!」
「兄さん……」
湊は悲しげな瞳で誠を見つめる。
「俺たちがいったい何したっていうんだ。みんなに迷惑かけることしたかよ。好きな人と一緒にいちゃいけないのかよ。恋愛は自由だ。誰かが縛るもんじゃない。定めるもんじゃない。……そのはずなのに……」
湊はそっと悲しげな表情で誠を見た。
誠の体は震えていた。悔しそうに、苦しそうに。
世間の声は想像以上に強く、そして冷酷なものだった。自分たちの力ではどうしようもできない。立ちはだかる敵は大きかった。
湊は一つため息を吐いた。
思い始めていたことを言おうと思った。そしてそっと重い口を開き、震える声で言った。
「兄さん……別れよ」
「え?」
誠ははっと顔を上げて湊を見た。
湊の目はじっと誠の目を捉えていた。その表情は真剣そのものである。
湊はそっと前のほうを歩き、周りの木々を見つめながら言った。
「私たち、もう別れたほうがいいよ。このままじゃ、ずっと苦しむことになるよ」
「で、でも、湊……」
2人が付き合ってまだ一週間も経っていない。あの幸せがこんなにも早くなくなるなんて。
どう考えても早すぎる。ようやくスタートに立ったのに、たどり着いたのはゴールではなく落とし穴だ。
まだ、まだ2人は何もしていない。
湊は誠に背を向けながら言った。
「仕方ないよ。これは、仕方ないこと。このまま一生苦しむよりマシでしょ? それなら、別れたほうがいいよ」
「ま、待てよ、湊。お前、俺のこと嫌いなのか? もう俺のこと、好きでなくなったのか?」
「そんなことない!」
湊が大きな声を上げた。誠の体が一瞬びくつく。
「……そんなことない。私……兄さんのこと、大好きだよ。すごく好きだよ。だけど、だけど……」
湊はうつみき、口を閉ざした。誠は立ち上がると、湊に近づこうとした。
「来ないで!」
湊の声で誠は立ち止まる。
「み、湊……」
「……もう、終わりにしよう。こうなるのが運命だったんだよ。もう……」
湊はそっと振り返った。そして目から涙を流し、いつもの可愛らしい笑顔で言った。
「兄さんが苦しむとこ、見たくないもん」
そのとき、誠の目からも涙が溢れてきた。熱い滴が頬を伝い流れていく。
これは心の涙なのだろうか。湊のことが好きなように、締め付けられるような痛みより、恐怖で縛られている痛みが込み上げてくる。激しくなる動揺が抑えきれない。
もう、終わり? 幸せだった日々は、一生続くと思った幸福は、ここで途絶えるのか?
「湊……湊!」
「ごめんね、兄さん。……さようなら」
湊はカバンを持つと、走っていってしまった。
誠は手を伸ばした。だが、湊は待ってくれず、自分の前から姿を消してしまった。
まるで、長く、暗いトンネルの中、誠を置き、湊はその中に入り、さまよい続けるように……。
「う、うそだろ……。こんなのってありかよ……。こんなのって……。うあああああ!」
誠はその場に崩れ落ちると、心の動揺をかき消すために泣き叫んだ。
湊と別れ数日が経った。
誠はあの日から学校行かず、病院のリハビリ室にいた。そこで一日ぼーとして過ごす。それが日課になった。
湊とはあれから一度も話していない。食事も別々で、湊は大半部屋で閉じこもっていた。
ときどきその部屋からすすり泣く声も聞こえてくる。
誠は今スカイが欲しいと心から思った。スカイがあれば、どんなに幸せになるだろうか。
こんな世間の声なんか、簡単に消すことができるはず。そしてすぐに湊と再び幸せな時間が過ごせるはず。
だが、そんなことはもうできない。スカイは一回。どうあがいても、無理なのだ。
「父さん、母さん……。俺、これからどうしたらいいんだ?」
誠はうつむき、手を握り締め、その上に頭を置いて考え込んだ。
そのとき、前の方で声が聞こえた。
「もう、嫌だ! こんなことしても歩けないんだ! スカイを使ったほうがいいよ!」
誠は声がしたほうを顔を上げそっと見た。
そこには一人の男の子が場に座り込みわめいていた。隣りでは若い看護婦が困った表情をしている。
男の子の足も、誠と同じように歩けないようで、リハビリをしているようだ。
「もう少しだから頑張ってみようよ。きっと歩けるようになるよ」
看護婦が優しく声をかける。だが、男の子にはきかなかった。
「全然歩けないじゃん。こんなきつい思いするならスカイを使ったほうがいいよ」
「でも、そんなことで使っていいの? これからもっと大切なことがあるかもしれないのよ」
「いいんだよ。僕のスカイなんだから。これで簡単に歩けるようにするよ」
男の子は手を握ると願いごとを唱えようとした。そこで誠は慌てて男の子の前に倒れ、止めようとした。
「ちょっとストップ! スカイを使うのはまだ早いぞ!」
男の子と看護婦は呆然とした表情で誠を見ていた。
「お前誰?」
「俺の名前は誠だ。君は?」
「……晃」
「晃くんね。君はスカイを使うには早すぎるぞ。これから何が起こるかわからないんだからな」
「余計なお世話だ! 僕のスカイなんだから好きに使うのは僕の勝手だろ!」
「よく考えろ。今こんなことに使えばお前は絶対に後悔する。これからたくさんの苦難が待っているはずだ。学校のテスト、高校受験、大会、他にもたくさん。スカイは一回しか使えない。なのに、こんなところで使っちゃっていいの?」
晃は少しうつむき、黙り込んでしまった。誠は晃の頭を軽く掴んだ。
「いいか。スカイは簡単に願いを叶える便利なものだ。でもな、願いごとは簡単には叶えてはいけないんだ。願いごとは努力して手に入れることに意味があるんだ。歩けないなら頑張ってリハビリする。したいことがあるならそれにむかって努力する。夢があるならそれにむかって対策を考える。人は無限の可能性がある。努力するから意味があるんだ」
晃は顔を上げると、こくっとうなずいた。
「わかった。僕、頑張って努力する」
晃は立ち上がると鉄棒を掴みリハビリを行った。
誠はそっと笑みを浮かべた。そしてそこではっと気づいた。
もしかして、スカイってそのためにあるんじゃないだろうか。
スカイはこの島で生まれた人しか使えない神秘の力。一生に一度使える魔法。
なぜそんなものがあるのか。それには隠された意味があるのかもしれない。
誠はそっと立ち上がるともう一つある鉄棒を掴んだ。
あんなこと言ったが、自分に言い聞かせているようにも感じた。
歩きたいならリハビリをする。やりたいこと、望みたいことがあれば、それにむかって努力する。
誠には湊との約束がある。
歩けるようになったら一緒に誠のお気に入りの場所であるあの山を登ること。
それが今の誠の叶えたい願いである。
そして、再び元に戻りたい。
この好きだという感情は簡単には消すことができない。
誠は松葉杖を放り投げ、ぎゅっと鉄棒を掴むと、リハビリを始めた。
「待ってろ、湊……」