第五章 part10:告白
誠はベッドの上で自分の胸を抑えていた。
さっきから激しく脈打ち、緊張したように締め付けられている感じがする。息苦しさを覚えるほどだ。
頭の中では湊のことばかり考えていた。
可愛らしい笑顔、幸せそうな表情、名前を呼ぶ姿、思い浮かべるたびに自分の鼓動は高鳴っていく。
誠は自分のこの想いに確信めいていた。
やはり自分は、湊が好きだ。
もちろん家族としても、だが、一人の女としても好きだ。
どうしようもなく込み上げてくるこの想い。どうやっても抑えることができない。
湊が兄妹だということはわかっている。だが、それは世間から見た話だ。
実際、誠と湊は血も繋がりも何もない。だから、自分が湊のことを好きになってもいいはずだ。
いや、たとえ兄妹だったとしても、好きになっていたかもしれない……。
誠はぐっと両手を握り締めるとうずくまった。
「湊……」
湊は教室で席につきながらぼーっと外を眺めていた。
考えているのは誠のことばかり。大会が終わり、当分は時間ができる。
これからは十分に誠の世話ができるはずだ。少しでも早くケガが治り、退院してまた一緒に住みたい。
そこで湊はふと思った。
なぜそこまでしているのだろうか。なぜそこまで誠のことを考え、協力しようとしているのだろうか。わからなかった。
もしかして、まだ責任を感じているのだろうか。いや、それはもうないはず。
誠は優しいから許してくれた。それに、少なからず責任を感じていようと、あのときのことはすでに振り切っている。
ではこの気持ちはなんだろうか。ふと思えば誠のことを考えている。考えようと思えば、一日中考えられるだろう。
それに、誠の笑顔や優しさに包まれるたびにドキドキしてしまう。
もしかして、この感情は……。
「私、兄さんのこと……」
湊は首を振って否定した。
「そんなことないよね。私たち兄妹だもん」
湊は軽く息を吐いて授業に集中した。
湊が病院に来るとリハビリが始まる。リハビリ室に向かい、ゆっくりと歩く練習をする。
「頑張って、兄さん」
そのとき、湊の手が、鉄棒を掴んでいる誠の手に触れた。温かく、すべすべした感触が伝わる。
それだけで誠はドキドキしていた。そしてばっと湊の手から逃れた。
「どうしたの? 兄さん」
「あ、いや、なんでもない」
誠は再び何事もないように歩き出した。そこで湊は気づいた。
「あ、手……触れないほうが良かった?」
湊は少し頬を染めながら謝ってくる。誠は手を振って否定した。
「い、いや、そんなことないよ。ちょ、ちょっと驚いただけだ」
そう言って誠は再び歩き出した。
そんな姿を、湊はそっと見ていた。そして自分の手に触れた。
湊も誠の手に触れ、ドキドキしていた。兄の手に触れると抑えきれないほど激しく鼓動が脈打つ。
湊は自分の気持ちに気づいた。
もしかしたら……。
2人は病室に戻り、誠はベッドの上で横になっていた。
誠はベッドの上でそわそわしていた。
しょうじきやばい。こんなにもドキドキするとは思わなかった。
前はそんなことなかったのだが。やはり、自分の本当の気持ちに気づいたからだろう。つい意識してしまう。
「兄さん、タオル持って来たよ。汗拭いてあげるから服脱いで」
「はぁ? そ、そんなことできるわけないだろ!」
「え? いつも体拭いてたじゃない。ほら、早くしないと風邪引くよ」
湊は無理に誠の服を脱がすと、お湯で濡らしたタオルで体を拭き始めた。
「兄さん、気持ちいい?」
「あ、ああ……」
しょうじきいえば気持ち良すぎる。優しい手触りが心地良く、程よい感触に包まれ吐息がつい漏れてしまう。
なにより自分の好きな人にしてもらうとその効果は何倍にも倍増されてしまう。
「痒いところはない?」
「ああ、大丈夫だよ」
そして誠の上半身や足を拭き終え、一段落した。
「さっき先生に聞いたんだけど、近いうちに退院できるって言ってたよ。十分歩けるようになったし、自宅からの通院に変わるかもって」
「そうか。よかった。これで元に戻るのか」
「うん。本当に良かった」
湊の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。それを手で軽く拭き取る。
「なんだよ、泣くことないだろ」
誠は湊の頭を軽く撫でた。
「う、うん。そうだね。ごめんね。退院するときは来るから一緒に帰ろうね」
「ああ」
そしてとうとう退院日が来た。入院してから一ヶ月以上お世話になった。
誠と湊は病院から一緒に帰り、自宅へと着いた。
「ああ~、久しぶりの我が家だ。懐かしいな」
「うん。兄さんがいない間ちゃんと掃除してたから汚くはないよ。まずはご飯にしようか」
テーブルの上にはたくさんのごちそうが並べてあった。
「今日は兄さんの好きなものばかり作ったからね。たくさん食べてね」
「おお! ありがと、湊。いただきます」
誠は片っ端からどんどん自分の口へと運んでいく。
「どう? おいしい?」
「おう。めっちゃうまいぞ」
「よかった」
湊は嬉しそうに笑みを浮かべた。その表情を見て、誠はまたドキッとした。
「どうしたの? 兄さん」
「ああ、いや、別に」
誠は食べることばかり考えることにした。
誠は自室のベッドに横になった。久しぶりの自分ベッドはやはりいい。
病院のベッドと違い、自分のは寝やすい。今日はいつもよりぐっすり寝れそうだ。
そのとき、ゆっくりとドアが開かれた。
「に、兄さん。……まだ、起きてる?」
「ん? なんだよ、湊」
湊の顔は赤くなっており、恥ずかしそうに口を開いた。
「え、えと、その、ね、……また一緒に寝ちゃダメかな……?」
「え?」
「い、いやならいいんだよ。その……、前みたいに一緒に寝たくて……。兄さんが入院してる間、私ずっと一人で、寂しくて。けど今は、兄さんが帰ってきて、それで……、その……」
湊はうつむきながら突っ立っていた。誠は笑みを浮かべると、掛け布団を上げた。
「おいで、湊」
湊は嬉しそうに顔を上げ、誠の布団の中に潜り込んだ。
「へへ、あったか~い。兄さんの温もり感じるよ」
「そうか」
2人はクスクスと笑い合った。
「明日から学校一緒に行こうね。ずっと楽しみにしてたんだから」
「ああ。一緒に行こう。湊」
湊はそっと目を閉じると、誠の胸の中にうずくまり眠りについた。
誠は湊を優しく包むと、そっと髪を撫でた。
今自分の中に湊がいる。しょうじき、ずっとドキドキしていた。愛しき人が、そばにいる。
誠はそれだけで幸せだった……。
今日から誠は学校に復帰である。手には松葉杖が握られてあるが、いつものように家を出た。
「あれ? 瞳は来ないのか?」
誠は背伸びをしながら湊に訊く。
「え、えと、瞳は用事があるから先に行くって」
湊はへらへらと笑って誤魔化した。誠は納得してくれた。
瞳とはまだ口もきいておらず、会ってもいなかった。おそらくケンカ中ということになるだろう。
だが、湊はそのほうがよかった。大好きな兄と、2人だけになれるのだから。
放課後になると、湊とリハビリついでに商店街で買い物をして家に帰っていく。
誰もいない通学路を、2人の足音だけが響き渡り、凍てつくような風が吹き乱れていた。
周りの桜の木々は花を咲かずに、寂しい枝だけの格好をしていた。すでに日は暮れ、薄暗い色に包まれていた。
「桜はまだ咲かないかな。春になると、ここは桜で埋め尽くされるんだけどね」
湊は重いであろう誠のカバンと自分のカバン、そしてさっき買った買い物袋を提げ歩いていく。
誠は松葉杖を持って隣を歩いていく。
だんだんと情けなくなってきた。兄のくせに、男のくせに、何も出来ず世話になりっぱなしの自分。
早く治って、湊に恩返しがしたい。この感謝と嬉しさを、いっぱいに表現したかった。
「兄さん、来年も一緒に学校行こうね」
湊は誠のほうを振り向き、満面の笑顔で言ってきた。そこで誠はまたドキッとした。
まただ。また心臓が高鳴り、苦しいほど締め付けてきた。
誠はごくっと唾を飲み込むと、その場に立ち止まった。
「湊」
数歩先を歩いていた湊は振り返った。
「なに? 兄さん」
誠は松葉杖ごしからぎゅっと拳に力を込めた。
そして想いをしょじきにぶつけた。
「……湊。……俺、お前が好きだ」
「え?」
誠の突然の告白に、湊の表情が一瞬で変わった。
いつもの明るい表情から一遍、驚きと呆然の表情へと変わる。
誠は続けた。
「俺、湊のことが好きだ。兄妹として、家族としてではなく、純粋にお前のことが好きなんだ。だから、だから……」
誠の言葉は震えていた。しっかりと言えたかわからないが、通じたとは思う。
ただ、どうしてもこの想いを伝えたかった。伝えなければ後悔しそうで。
すると、湊の目から一筋の涙が流れたのに気づいた。その量が増え、ぽたぽたと地面に落ちていく。
「み、湊……?」
誠は少し焦った。もしかして、困らせたのだろうか。湊は袖で溢れる涙を拭いて顔を上げた。
「……ほんとに? 今の言葉、本当なの?」
「湊?」
「嘘じゃないよね? 冗談なんかじゃないんだよね?」
湊は嬉しそうな顔をしており、目から溢れる涙が頬を伝っていた。声もかすれ、必死に訊いて来る。
そこで誠は気づいた。もしかして、湊も……。
誠は湊を見つめ、はっきりとうなずいた。
「ああ、本気だ」
「わかってるの? 私たち兄妹だよ? それでも、本気って言えるの?」
誠は一つ息を吐いた。そして自信に満ち溢れた心で言った。
「俺は、湊が好きだ」
そのとき、湊がカバンと袋をその場に捨て、勢いよく抱きついてきた。
「兄さん!」
小さな体が誠にぶつかる。湊は力強く、そして温かく優しく誠を抱きしめた。
「私も、私も……兄さんが好きだよ。ずっと、ずっと好きだった。……一番、好きだったんだよ」
涙で汚れた顔を誠の制服に押しつけながら、湊は自分の想いを打ち明けた。
誠は松葉杖をその場に放り投げると、華奢な体を包み、優しく抱きしめた。
誠の目にも、止めることができない歓喜の涙が溢れていた。
「湊……ありがと。……俺、絶対幸せにするから。……守ってあげるから」
「うん……うん……」
「俺、これからも、湊を好きでいていいんだよな? ずっと、好きでいいんだよな?」
「うん。……私も、ずっと兄さんを好きでいるから」
「ああ……」
2人は離れようとせず、少しでもそばにいようときつく抱き合った。
誠は安堵した。本当に良かった。きつかった心がやっと解放された気分で、なによりこうなったから嬉しかった。
自分の想いを伝えるのがこんなに難しく、そして怖かったことを初めて知った。
湊はふるふると小刻みに体が震えていた。
嬉しかった。本当に嬉しかった。好きだって言われたとき、刹那のように、体が反応して過敏に歓喜がこみ上げてきた。
そのときやっと証明された。自分は兄が好きだと。この想いに、嘘はないと。
溢れ出てくる涙が止まらない。これを望んでいたから。こうなることを、ずっと夢みていたから。
誠の温もりを感じ、その温かさに、今の自分の心は癒されていた。
「兄さん……」
湊はそっと顔を上げた。自分の一番好きな人を見つめる。
「湊……」
2人はそっと目を閉じた。そして暗い中、月の光だけが2人を照らし、その中で、そっと顔を近づけ唇を重なり合わせた。
この幸せが一生続くと思っていた。これから、2人の人生が歩み始めたと心から思った。
だが、2人には思いもしない出来事が待っていた……。