第五章 part8:約束
誠が入院してしばらく経った。すでに学校は新学期が始まっている。
誠は未だ入院中なので、学校には通えない。
その変わり、湊が毎日病室に来て、学校から課題プリントを持ってくるそうだ。余計なことをする。
そして、誠の体も治りつつあった。
「やっと取り外されたか」
誠の両足に取り付けられていたギプスがようやく外された。安堵の息を漏れた。
「これで退院ですか?」
「いや、まだだよ。これからリハビリをしなければ」
「リハビリ?」
「足を動かしてみなさい」
誠は言われたとおり足を上げようとした。しかし、力が少し入るくらいでまったく動かない。
「人の体は長いこと動かさなかったら神経が麻痺して動かなくなるんだ。これからリハビリして少しずつ動くようにしなければならない」
「そうですか……。でも、頑張れば早く治るんですよね?」
「そうだが、頑張りすぎは良くないよ。毎日少しずつするのが一番だ」
「……わかりました」
「あとで、担当の人が来るから詳しいことはその人に聞いてくれ。では、頑張ってね」
先生は出て行くと、誠はベッドに深く横たわった。
「ああ~、リハビリか~。早く治して帰りたいな」
すると、ドアが開かれ湊が入ってきた。
「兄さん、気分はどう? あれ、ギプス外れたの?」
湊は嬉しそうに誠の足を見た。
「ああ、さっき外されたんだ。でも、これからリハビリだって」
「そうか。でも、よかった。私もできるだけのことは手伝うからね」
「ありがとう、湊」
それからは湊の学校の話を聞いた。ついでにいらない学校の宿題プリントももらった。
しばらくして、リハビリの担当の看護婦が来た。
「清水くん。今からリハビリをしますよ」
誠は看護婦に言われたとおりにした。
ベッドの上に座り、足を宙に浮くようにした。もちろん、力が入らないのでぶらぶらしている。
「では、これからリハビリに入りますね。リハビリと言っても、清水くんは何もする必要はありません。するのは私です」
すると、看護婦は近くのパイプ椅子を持ってきて誠の前に座ると、誠の足首を掴み交互に上げ下げを繰り返した。
「毎日少しずつこれを繰り返します。こうすることによって少しずつ感覚が戻ってきます」
看護婦は優しい手つきでリハビリをしていった。誠はただ座ってされるだけである。
すると、湊が恐る恐る口を開いた。
「あ、あの、私にさせてもらえませんか?」
「え?」
誠は湊がいきなりよくわからないことを言って驚いてしまった。
「私にやらせてください。私も、兄さんの力になりたい」
「湊……」
それを聞いた看護婦は笑顔でうなずいた。
「いいですよ。やってみてください」
「はい」
湊は元気よく返事をすると、看護婦と入れ替わりに誠の前に座り、誠の足首を掴んで看護婦がやったようにした。
「そう。そんな感じにゆっくりしてください。焦らず一回一回確実に」
「はい」
湊は集中してそれを繰り返した。
誠はつい笑みを浮かべてしまった。自分のためにここまでしてくれる妹がいる。こんな兄思いの妹はいないだろう。そう考えると嬉しく思えた。
そのあと、看護婦にいろいろ説明をうけた湊は、特別に誠のリハビリ担当となった。
普通は素人にさせないだろう。寛大な病院である。
誠は湊にリハビリを受けること数週間。少し足が動くようになった。前と比べれば、全体に力が入っていることがわかる。
それでも、ちょっとしか動かないが。どれもこれも湊のおかげである。
誠のリハビリをしながら、湊はそっと口を開いた。
「ねぇ、兄さん。歩けるようになったら、まずどこに行きたい?」
「そうだな。……まずはお気に入りの場所かな」
「それって、兄さんがよく行ってる、あの学校の反対側の山のこと?」
「ああ。あそこに、またいきたい」
湊はそっと笑みを浮かべた。
「そ、その、……そときは、私も一緒じゃ、ダメかな?」
「もちろん、いいぜ。歩けるようになったら、一緒に行こう」
「うん」
湊は元気良くうなずき、嬉しそうに笑顔を見せた。
「よく頑張りましたね。この調子だと、予想以上に早く治るかもしれませんね」
湊の協力もあり、第一段階のリハビリは予定よりも早く終わった。
「ありがとうございます」
湊は丁寧に頭を下げた。
「それでは次の段階に入ります。次はリハビリ室で行います」
誠は車椅子に乗り、その後ろを湊が押した。
看護婦の後ろを着いていって、リハビリ室の中に入った。
中はいろいろなリハビリマシーンがあった。誠のほかにもリハビリをしているのは多く、子供から大人まで、老若男女たくさんいた。
「清水くんは、今から自分の力でリハビリをしてもらいます」
「自分の力か。やっとリハビリらしくなってきたな」
「あまり無理しないようにね。それじゃあ、まずはこの台に座って」
誠の目の前には一人が座れるくらいの台とお湯の入った小さな湯船があった。
誠は言われたとおりに台に座った。すると、台は序々に高くなっていき、湯船のほうに向き直った。
看護婦は誠の足を持ち上げると湯船の中に足を入れた。そのとき足がビリッと感じた。お湯の中では電気が通っているようだ。
「清水くんは、お湯の中に足を入れてゆっくりと足を持ち上げてください。これが次のリハビリです。お湯の中ですると効果があるんですよ」
「なるほど。よし、やってやるぞ!」
誠はさっそく足に力を入れた。足はゆっくりと少しずつ足を持ち上げると、またお湯の中に戻した。それの繰り返しである。
湊はその様子をじっと見守っていた。
「それを交互に十回繰り返してください。そのあとは休憩です。それを三回行ってください」
「はい」
誠は一回一回集中して行った。見た目は簡単かもしないが、意外に大変な作業だった。
うまく力が入らない足を動かし、抵抗のある水の中で行う。これはきつかった。
だが、歩けるようになるためには、これを繰り返すしかない。
誠は集中し、ゆっくりと行った。
誠は頑張った結果、とうとうお湯の中でなくベッドの上でも足が動くようになった。
誠は前みたいに簡単に足を動かした。
「やったぜ。俺の足が戻ってきてるぞ」
「よかったね、兄さん」
「ああ」
「よく頑張りましたね。でも、まだリハビリは終わってませんよ」
「まだあるの?」
「次が最後の段階です。次は実際に歩く練習をします」
誠は言われたとおり、看護婦の後ろを着いていき、再びリハビリ室の中に入った。
次は、湯船ではなく、学校で見るような太い鉄棒が二本並べてあった。下には倒れても大丈夫そうにマットが敷かれてある。
「清水くんは、この鉄棒の間に立って歩く練習をします。すぐに歩けるようになるわけではありません。一歩一歩焦らずゆっくりと歩いてください」
「わかりました」
誠は湊と看護婦に支えられながらその場に立つと、鉄棒を両方の手で握った。そして、ゆっくりと足を前に進めた。
すると、片足に体重が乗った瞬間、力が入らなくなりその場に倒れてしまった。
「兄さん!」
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です。もう一度……」
誠は二人に支えながら再び立ち上がると同じように行った。しかし、今回は歩こうとするたびに倒れるばかりであった。
「兄さん、大丈夫?」
湊が心配した表情で覗き込む。
「だ、大丈夫だ。ここまで来たんだ。さっさと歩けるようになって、退院してやる」
誠は体が小刻みに震えながらゆっくりと歩いた。しかし、片方の足に体重をかけるたびに転倒してしまう。
「ぐっ。……くそ……」
「に、兄さん、もうやめてよ。そんな無茶しても、早く治らないよ」
「そうですよ。焦らずゆっくりするのが1番ですから」
湊と看護婦は誠を支えると、床に座らせた。しかし、誠は鉄棒に手を伸ばすと再び歩き出そうとした。
「兄さん、やめてよ!」
湊は後ろから誠を抱きしめた。
「湊……」
「兄さん、無茶ばっかりだよ。そんなことしても、意味ないよ」
それでも、誠はやめようとしない。焦っているのか。それともただ歩きたいだけなのか。
湊には理解できなかった。
「ねぇ、兄さん。どうしてそこまでするの? 少しずつすればいいじゃない」
誠は出てきた汗を拭い、隣りで体を支えている湊を見ると口を開いた。
「……約束したから」
「え?」
「早く歩けるようになって、あの場所に一緒にいこうって……」
「兄さん……」
「俺、早く行きたいんだ。湊と一緒に、あそこにいきたいんだ。……話したいことも、見せたいものも、したいこともたくさんある。……だから、俺は、歩けるようになりたいんだ」
湊はにじみ出てくる涙を拭うと、誠の体をしっかりと抑えた。
「湊?」
「私も手伝うよ。だって、私たちは家族だもん。助け合うのは当たり前でしょ。……一緒にいこうね、兄さん」
誠はコクッとうなずくと、湊と一緒にゆっくりと歩き始めた。