第四章 part9:理解
誠は学校に行かず、部屋にこもるとあるところに電話をしていた。
その相手とは警察である。
雫には悪いが、一晩考えてこうするしかないと思った。
もしかしたら雫は誠のことを一生怨むかもしれない。勝手なことをして、許してはくれないだろう。
しかし、それでもかまわなかった。それで雫が助かるなら、魔の手から救い出せるなら、誠はたとえどんなに憎まれようと我慢できた。
誠は決心して、電話をした。
直接話したほうがいいということで、誠は警察署に訪れた。
制服を着て、いつもより礼儀正しく振舞う。
中に入ると独特な雰囲気のせいで緊張してしまう。
受付で名前を名乗ると奥の待合室に案内され、少しして一人の男性が入ってきた。
警察官の服は着ておらず、普通のスーツ姿で若い人だった。
「君が清水誠くんだね。私は守山と言います。さて、さっそく詳しく話してくれないかい?」
誠は雫のことを知っている限り全て話した。
虐待を受けていること、雫の今の現状や生活、学校でのことなども話した。
それを聞いて、守山はうなずいた。
「なるほど、汐風さんは、お父さんに虐待を受けているんだね。たしかに、君の言うことが本当なら酷い話だ。……それで、君はその汐風さんの友達なんだね?」
「は、はい。お願いです。雫を助けてください」
すると、守山は口を閉じて黙ってしまった。そして考え込んで険しい顔をする。
「あ、あの、雫は助かるんですよね? 虐待を受けているんだから、それは可能なんですよね?」
「あ、ああ、たしかにそのとおりだ。でもね……」
守山はため息を吐くと重い口を開いた。
「私もね、君の話しを聞いてすぐにでも助けたいと思う。これは本当だ。でもね、だからといって、その……今のままでは助けにいくことはできないんだ」
「え?」
誠は衝撃を受けた。
雫が助からない? なぜ? 雫は助かるはずだ。虐待を受けているんだ。ならそれを止めるために動くはずではないのか。
「ど、どうしてですか? 早く助けないと雫はもっと傷ついてしまう。それでもほっとけというんですか?」
誠は椅子から立ち上がり、声を荒げて室内に響くくらいの怒声を上げた。
「ちょ、ちょっと、誠くん。落ち着いて。たしかに君の言うとおりだ。ほっとくなんてことはできない。でもね、君の力だけでは無理なんだ。汐風さんを助けるには、一つの重要なものが必要なんだ」
「なんですか、それは?」
守山はそっと口を開いて言った。
「汐風雫、彼女自身の意思だ」
「意思……?」
「そう。彼女の意思。つまり、虐待を受けている。親が暴力を振るう。助けて欲しい。そう言った彼女自身の助かりたいという意思がないと、こちらは動くことも協力することもできないんだ」
「そ、そんな……」
誠は力尽きたかのように椅子に座った。
「雫の助け……」
誠はうずくまると頭を抱えた。
無理だ。雫がそんなこというはずない。
今の雫は、自分が虐待を受けていると他人に言うことは絶対にありえない。どんなに説得しても、首を縦に振ることはない。
それほど雫の決意と耐えるという意志は固い。
なにより、家族を大切に思っている雫が自分から父親を警察に渡すようなことはしない。
誠は目の奥から熱がこもるがわかった。目から涙が溢れ、ぽたぽたと下に落ちていく。
誠は悔しくて歯を噛み締めた。自分の力では、何もできないのだろうか。
こんなに想っても、人一人を救うことは、できないのだろうか。
「だ、大丈夫かい? 誠くん」
守山は立ち上がると誠を慰めようとした。誠は涙を拭うと顔を上げた。
「す、すみません。ちょっと……」
「何があったんだい? しょうじきに話してごらん」
誠は顔をうつむきながらもしょうじきに話した。
雫の決心は固いことを。絶対に自分が虐待を受けていることを認めないことを。
それを聞いた守山は悲しい顔になった。
「そうか……。そうだったのか。だから誠くんが、わざわざここに来たのか……」
誠は小さくうなずいた。それを見て守山は優しそうな笑みを浮かべた。
「誠くん。君の気持ちはよくわかる。その助けたいという気持ちは痛いほどね。だけど、諦めないで欲しい。なんとかして、汐風さんを説得してほしい。僕は君を見てどうしても助けたいと思った。我々は全力で助けるだろう。何も怖がることはない。法律でそうなっているんだ。頑張ってくれ、誠くん」
誠はそっとうつむきながらうなずいた。守山の言葉が温かく、力を与えてくれる。
今雫を助けることができるのは自分しかいない。何とかして、助けなければ。
誠は涙を袖で乱暴に拭うとすっと立ち上がった。
「俺、絶対に雫を助けます。だから、そのときはご協力お願いします!」
誠は丁寧に頭を下げた。守山はしかと、その熱意を受け止めうなずいた。
誠は警察署を後にすると、街中をぶらぶらと歩いていた。
これからどうするか対策を練っているのだ。
雫が認めないなら、警察も動くことはできない。今の雫に何を言っても無駄だろうし、自分を見ればすぐに追い出そうとして話しにならないだろう。
ならば、自然と対象が変わるだろう。
誠はぐっと手に力を入れた。
やはりこれしかない。頼むならあの人だ。雫のお父さんに。
誠はそっと空を見上げた。今にも雨が降り出しそうな曇り空だった。
誠は家に帰らず、そのまま神社へと向かっていた。
やると決めたなら早いほうがいい。一刻も早く雫をあいつから離してあげたい。
果たして上手くいくだろうか。いや、確率は限りなく低いだろう。
しかし、それでも微かに望むがあるなら賭けたい。ダメならまたその後考える。
誠は少し早足で歩いていった。
とうとう神社へと続く階段の下へと着いた。これを登れば雫のお父さんがいるはず。
誠は意を決し、登ろうと足を上げたときだった。
上から人影が見えた。誠は咄嗟に方向を変え、周りの木の陰に隠れた。そこからそっと覗いた。
降りてきたのは雫だった。前と変わらず元気のない瞳とやつれたような表情をしている。傷は顔にまでできていた。
それを見て誠は怒りを覚えた。そして心から誓った。絶対に助けてやると。
雫は誠に気づくことなく先を進んでしまった。
誠はそっと出てきてその後ろ姿を見送った。温かく優しい目でじっと見る。
そしてきびすを返して階段をゆっくりと登って行った。
誠は母屋の前に立った。そして目つきを鋭く変える。
玄関の扉を激しく開け、中に土足で上がりこむと居間に向かった。
やはり雫のお父さんは居間にいた。寝転がってお酒を飲みながらテレビに映る競馬を見ている。
誠の存在に気づいた雫のお父さんは睨みつけると怒声を上げた。
「ああ、誰だ、お前は! どこから入ってきた!」
迫力のある声で怖気づきそうになる。
それでも誠の目は雫のお父さんの目を捉え、外すことなくじっと見ていた。
「ちょっと話があるんです。表に出てくれませんか?」
「はぁ? お前なんか知るか。さっさと出てけ!」
今にも襲い掛かろうとする。それでも誠は立ち向かった。
負けるわけにはいかに。逃げるわけにはいかない。じっと耐えるんだ。
「大事な話があるんです! お願いします!」
誠も負けないような大声を出して対抗する。少し動揺した雫のお父さんはうなずいた。
「ちっ! 少しだけだぞ」
そういってタバコを掴むと一本取り出し火を点けた。
「ありがとうございます」
誠と雫のお父さんは外に出た。
これから、誠の真剣勝負が始まる。