第四章 part8:追求
玄関から戸が開く音がした。その瞬間、二人はすぐに緊張が走るのがわかった。
人の家の戸を、身内の者以外が勝手に開けるはずがない。
つまり、雫が言っていた鬼、お父さんが帰って来たのだ。
すると、下の方から大きな声が響いた。
「おい、雫! どこにいるんだ! 出て来い!」
その声が耳に届くだけで恐怖が生まれた。
誠はきっと真剣な目にした。雫のお父さんと立ち向かうためだ。
しかし、雫はそうさせなかった。
雫は立ち上がると、誠の手を引っ張ってすぐに押入れの中に強引に入れた。
「し、雫?」
「いい。絶対にここから出ないでね。いいというまで。私に何があっても。……約束してね」
そう言って雫は誠の返事を聞かずさっと戸を閉めてしまった。
そのとき、雫の部屋のドアが開かれる音がした。
誠は戸を少し開けて隙間を作った。
「おい! さっさと返事しねーか! このバカタレが!」
「ご、ごめんなさい……」
雫は怯えながら、びくびくとした感じで謝った。
誠はあらためて雫のお父さんを見た。
雫のお父さんは、さっき階段のところですれ違ったあのヤクザのような人だった。
「ここで何してたんだ。さっさと飯作れって言ったじゃねーか。この役立たず!」
雫のお父さんは手を振りかざした。そこで誠は咄嗟に目を瞑った。
少しして痛々しい音が耳に響く。それと一緒に雫の声も届く。
「ご、ごめんなさい……。ごめんなさい……」
雫が怖がるように頭を腕で覆いうずくまっていた。
誠はすぐに押入れから出ようと戸に手を触れた。そこで力を入れようとしたが入らなかった。
雫が涙目になってこっちを見ているのだ。
眼で訴えている。そこから出てくるなと。
誠はぎゅっと唇を噛んだ。どうすればいいのかわからなくなった。雫の言う事をきくべきなのだろうか。
「ちっ! すぐにしろ!」
雫のお父さんは最後に雫を蹴ると部屋から出て行った。
誠は下に降りていく音を確認すると、押入れから出てきた。
そして未だにうずくまっている雫の元に寄った。
「だ、大丈夫か、雫?」
誠は優しく雫の背中を撫でてやった。
「う、うん。大丈夫。今日はまだ、軽いほうだから。……。ごめんね、私ごはん作らなきゃ。しばらくここで待ってて」
そう言って雫はゆらゆらとした足取りで立ち上がると部屋から出て行った。
誠はその場に取り残されると歯を力強く噛みしめ、雫のベッドに拳を振り落とした。
「くそっ!」
どうして早く気づいてやれなかったのだろうか。どうして早く助けようとしなかったのだろうか。
いや、過ぎたことは仕方ない。ならば、もう遅くならないようにしなければ。
今から始めればいい。今から助け出せば。
助けたい。雫を、この地獄から、鬼の手から助けてやりたい。絶対に……。
それしか、今は考えられなかった。
しばらくして、雫は再び部屋に戻ってきた。
どうやらお父さんはお酒を飲んで眠ってしまったらしい。
「誠くん。今のうちに外に……」
誠は雫の言葉に同意し、立ち上がると、二人は外に出ていった。
外はまだ雨が降っていた。気分を損ねる冷たい雨。その雨が容赦なく二人に襲いかかる。
母屋から離れ、先を歩いていた誠は神社の前で立ち止まると雫に向き直った。
うつむいていた雫はそっと口を開いた。
「わかったでしょ。今の私の家庭状況。こんなんじゃ学校にもいけない。……お金も無くなっちゃうし」
「でも、それはあいつが全部悪いんだろ。だったら、あいつを追い出せばいいじゃないか。雫、警察に言おう」
「え?」
「警察に言えば、雫は助かるんだ。それで、全て解決だ」
誠はすぐに雫も承諾すると思った。
しかし、雫はうつむいてしまい、口を閉ざしていた。
「どうしたんだよ、雫」
「……ごめん、誠くん。私、そんなことできないや」
「な、なんで? どうしてだよ。これで雫は助かるんだぞ」
「だって、自分のお父さんを捕まえてくださいって言ってるんだよ。そんな酷いことできないよ」
「酷いのは雫のお父さんだろ! こんなこと許されるかよ! あのクソ野郎を、ここから何としても追い出すんだ! それで、あの鬼は」
「もうやめてよ!」
突然雫が叫んだ。そこで誠は口を閉ざした。
「……やめてよ。これ以上、お父さんの悪口を言うのは。……あれでも、私のお父さんなんだよ。助けあって、協力しあって、少しでも幸せを望む。それが、家族でしょ?」
雫はうつむくと体が小刻みに震えてきた。
そして目から涙が溢れ出て、一筋の滴が頬を伝った。その量が増え、何度も流れていく。
誠はその様子を見て口を閉ざしていた。
たしかに雫が言ったことは正しい。でも、それは正解なのだろうか。
今の雫の言葉は、まるで自分に言い聞かせているようで。
「雫。お前は、幸せを知りたいって言ってたな。人の幸せを探してたよな?」
誠の質問に、雫はうつむきながらそっとうなずいた。
「うん……」
「雫のお父さんは、今のままで幸せそうか? あんなことして、幸せに見えるのか?」
雫はゆっくりと首を振った。
「わからない。でもね」
雫は顔を上げると無理に笑みを浮かべた。
「きっと、今のお父さんはこれが幸せなんだよ」
誠は反論できなくなった。
もう、覚悟をしている。雫は、すでにこれから何があろうと耐えるという覚悟を持っていた。
「ごめん。今日はもう帰ってくれない?」
誠は口を閉ざしたまま、逃げるようにしてその場から去って行った。
家に着くと、すでに湊は帰ってきており夕食の仕度をしていた。
「あっ、兄さんお帰り。もう少しでできるから、ちょっと待っててね」
そう言って調理を始める。誠はそんな湊をじっと見ていた。
夕食の準備ができ、2人は席に着いて進めていく。今日の夕食はオムライスだった。
「ね、兄さん。今日のオムライスはどう? おいしい?」
「ああ、すっごくうまいよ」
それを聞いて湊は嬉しそうに笑みを浮かべた。
誠はオムライスを食べながら考えていた。
やはり家族はこういうものだ。お互いに一緒に過ごし、ご飯を食べ笑い合う。
楽しく、仲良く、温かな空間に包まれる。それが家族だ。
いや、そのはずだ。雫が言っているのは家族のはずがない。
「なあ、湊」
「うん?」
湊は誠の顔を見た。
「なに、兄さん?」
「湊はさ、もし俺が暴力を振るったり、怒ったりしたらどうする?」
「え?」
湊は少し怯えた表情になった。
「そ、そんなこと、兄さんはしないでしょ。今までだって、そんなこと一度もなかったし」
そう言って無理に笑みを作る。
「いや、もしもの話だよ。もし、そうしたらどうする?」
湊は少し考え答えを言った。
「どうにかして、助けようとするかな」
「え?」
「だって、そんなに怒るってことは何かあったんでしょ? 人が怒るのは何かあったからだよ。嫌なことがあって、どうしようもなくなった気持ちを晴らしたい。だから、暴力にあたる。それで、兄さんが満足するなら耐えるかな」
湊はにこっと笑った。誠も笑みを浮かべる。
そんなこと、絶対しないのに……。
「じゃあ、友達が親からそんな虐待を受けて苦しんでいるとき、お前はどうする? その親は昔から酷いやつで、暴力ばかりするんだ」
「う~ん、そうね……。その虐待を受けている人が嫌がって、助けを求めるなら手をかすかな。やっぱりそこまでしたら助けたいし」
誠は今わかった気がした。今自分がするべきことを。湊のおかげで導き出せた。
「ありがと、湊」
誠はオムライスをいそいで腹の中に入れると部屋に戻った。