第三章 part12:歌詞
誠と茜は無言のまま歩いていた。
沈黙の中、茜前に出てその後ろを誠が着いていく形がたんたんと続く。
最初は手を繋いでいたが、途中から離した。
すでに陽は傾き始め、もうすぐ夕暮れだ。空も、周りの景色も、少しずつ色が変わっていっている。
そして2人は一つの公園に着いた。
そこは、茜と出合ったときに訪れたところであり、ブランコに乗って遊んだこともある公園。
その広場の真ん中で、茜は背を向けたまま立ち止まった。
誠はその背を見つめ、足を止めた。
「ねえ、誠……」
もうお兄ちゃんを着けていない。おそらく、これは茜ちゃんではなく、秋野茜の気持ちで話しているのだろう。
「今まで私のわがままに付き合ってくれてありがとう。本当に、言葉では表すことができないほど感謝してる……」
誠は黙ったまま聞いていた。口を閉じ、じっと話を聞いていた。
「いろいろ楽しめたのも、私の願いが叶うことができたのも誠のおかげ。ありがとうね、誠」
「ああ。こんなことでいいなら、いくらでも力を貸すよ」
誠は口を閉じると考えごとをしていた。
少し気がかりなことがあったのだ。誠はそっと聞いてみた。
「なあ、茜ちゃん。前から思ってたんだけど、もしかして、時雨さんやお父さんと遊びたかったんじゃないの?」
「え?」
茜は背を向けたまま少し驚嘆な声を上げた。
「茜ちゃん、ここでブランコで遊んでる親子を見たよね。すごく羨ましそうに。それは、自分もそうしたかったから。子供のとき親と遊んだ思い出がない。だから、もう一度子供なってお母さんやお父さんと遊びたかったっていう願いもあったんじゃないかな。それに、寝言でも言ってた。寂しそうに呟いてたよ。実は、それも含まれていたんだろ?」
誠は思っていたことを全てはいた。茜は観念するかのようにそっとうなずいた。
「うん。たしかにその願いもあった。ずっとレッスンしてたから、お母さんやお父さんと遊んだ思い出はない。だから、出来れば思い出を作りたかった。この、私が生まれた島で。でも、もういいんだ。その埋め合わせは十分にしてくれた。誠がね」
「俺が?」
「うん。一緒に居てくれて、遊んでくれて、旅行にまで連れて言ってくれて、まるでお父さんのようだった。それだけで、良かったよ。……ありがと」
誠はそっと口元を緩めた。茜がそういうなら、何も言うことはない。
「それで茜ちゃんが幸せだったなら、俺も嬉しいよ」
茜はそっとうなずいた。
「うん。……やっぱり、誠は優しいね」
「え?」
茜は振り返った。笑みを浮かべ、誠に見せ付けた。
「誠一回も怒ったことないもんね。本当に優しい。もし誠が私のお兄ちゃんなら、ずっと好きでいられるよ。優しくて、想ってくれて、大切にしてくれて。お父さんのような感じもしたけど、それよりも理想のお兄ちゃんって感じだね」
誠は頭をかきながら照れ笑いを浮かべた。
「ありがと。茜ちゃんも、元気があってすごく可愛い妹に思えたよ。本当に、そのまま自分の妹にしたいくらい」
「でも、すでに妹はいるよね」
「まあ、そうだな」
茜はくすくすと笑うと、そっと空を見上げた。
すでに空と浮かんでいる雲は茜色に染まっていた。日が傾き始め、2人を眩しく照らしていた。
「ねえ、誠。……誠は好きな人いる?」
「え? なんだよ、いきなり」
「いいから答えて」
茜の表情は笑っているが、内心本気だった。誠は少し考え込むと答えた。
「好きなのかどうかはわからないけど、大切な人はいる」
「大切な人?」
「ああ。とても、すごく大切な人。俺は、そいつのことを忘れたことは一度もない。それほど、大切な人だ」
「……ふ~ん。そっか」
茜は歩き始めると、誠に近寄った。そして顔を上げ見上げた。
「ごめんね、誠。ここでお別れだよ」
「え? ……なんで?」
「今日で終わりって決めたの。だから、これで帰るの」
「で、でも、ちょっと待てよ。そんな、急に」
茜はゆっくりと首を振った。
「これ以上迷惑かけることはできないよ。お母さんだって待ってるし」
「でも……」
「二度と会えなくなるわけじゃないんだよ。少しのお別れ」
すると、茜がうつむきだした。そして体が小刻みに震え、地面に黒い点が出来始めた。
「あ、茜ちゃん?」
「……ご、ごめんね。泣かないつもりだったのに、我慢できなかった。最後まで笑顔で別れようと思ったのに」
「茜……」
誠は少し戸惑いながら茜を見ていた。
「誠……」
茜は突然誠に抱きついてきた。強く、小さな体で誠の胸にうずくまった。
「誠……。ありがとう。本当に、ごめんね……。何もしてあげられないけど、恩返しできないけど……、絶対忘れないし、また会いに来るからね……」
「ああ……。待ってるよ」
誠はそっとしゃがみ込むと茜を優しく抱き返した。
華奢な体を包む。体温が伝わってきた。茜に想いも一緒に伝わる。
「あとね、誠……」
「ん? なんだよ。どうかしたのか?」
茜はそっと誠と離れた。少し頬を赤く染め、他所を向いていた。
「え、えと、あのね、その……」
「なんだよ。最後くらいはっきり言えよ」
「う、うん。その……」
そのとき、とうとう陽が沈み、闇が訪れた。辺りは薄暗く、外灯も点灯し始めた。
それを見た茜は誠に向き直った。
「もう行かなきゃ。……さよなら、誠」
すると、茜は突然顔を近づけ誠と口付けを交わしてきた。
誠は少し驚いた表情になった。
茜は1秒とたたずすぐに離すと、顔を真っ赤にしながらうつむいた。
「じゃあね、誠……。ありがとう」
そう言って、茜は公園を走り去って行ってしまった。
誠はその姿をその場でじっと見ていた。そしてそっと唇に触れた。
茜とのキスした感触がまだ残っていた。とても熱く、潤いのある甘い唇だった。
誠はそっと空を見上げた。
これで、もう終わった……。
茜と別れてから数日が経った。
何もする気が起きず、時間が過ぎるだけの毎日。夏休みも残り数日となった。
未だに誠はぼーとしている。湊も少し落ち込んでいたが、今では切り替えしっかりとしていた。
「兄さん。もう少ししっかりしてよ。そんなんじゃ、茜ちゃん怒るよ」
しかし、誠は返事もせずぼーとテレビを眺めていた。それを見て湊はため息を吐くと、夕食の仕度を始めた。
誠は考えごとをしていた。
あの別れの日、茜は最後に何かを伝えようとしていた。それが気がかりだった。
茜はいったい何を言おうとしたのか。最後に未練が残ってしまった。
夕食の準備が終わり、湊が誠の前に持って来ると、突然驚嘆な声を上げた。
「あ! に、兄さん。テレビ見て!」
誠は言われたとおりテレビを見た。そして誠も驚いた。
そこには茜がいたのだ。
見た目はそのままで、名前はあかねとひらがなでアイドルとしてデビューしていたのだ。
「すごいね。茜ちゃんまたテレビに出てるよ」
誠は呆然とした表情で見ていた。
「今日はゲストであるあかねさんのデビュー曲を聴いて貰います。それでは、どうぞ」
司会者の言葉と同時に画面が変わると、ステージに立っている茜が映し出された。
茜はお辞儀をすると、マイクを口に持ってきて語り出した。
「この曲は、自分で作詞しました。ある一人のことを想い、私の気持ちを込めて作った詩です。……今、その人がこの番組を見ているかわかりません。それでも、私はその人のことを想い、心に届くように歌います。聴いて下さい。……ひまわり」
『私は手を伸ばす 小さな手だけど 掴みたいものがそこにあるから
ねぇ気付いてよ 私はいつでもあなたを見ていることを
空に向かって伸び続ける 癒してくれるその笑顔まで
もし私が届かなくても 風に乗ってそこまで行く いつか会うと誓う
安心する輝く手 その大きな手で 私をまた包んでほしいから
茜色に染まった花を見て あなたは今何を思うの
降り注ぐ光を浴びさせ あなたは今何を考えるの
ねぇ行かないでよ 私だけを見てよ 一人にしないでよ
それだけで私は強くなれる 強い風が吹いても 冷酷な雨が降っても
あなたに届くまでは 諦めないよ
私は支え続ける 繋がった心で 包みたいものがそこにあるから
ねぇ気付いてる 私はずっとあなただけを見つめていることを
悲しみの空から 冷たい雫が零れ落ちても その涙を残らず受け止めてあげる
私はずっと離れない いつかそんな日が来ることを知っているから
儚き弱みを覚えた瞳 その潤んだ瞳を 拭ってあげたい
私の心にはいつもあなたの優しさが 私の隣にはいつもあなたの微笑みが
あなたがいるだけですごく安心できた 一緒にいるだけで幸せだった
苦しい想い 叶えたい夢 愛情の言葉 溢れ出すこの想い
誰にも止められない 止めることができない
だから私はこの歌で届けたい あなたに対するこの想いを
逢いたい あなたに逢いたい もう一度逢いたいよ
ずっとずっと閉じ込めてた 私の本当の気持ち
伝えることが出来なくて 届かせることができなくて
でも今なら言える あなただけに贈る言葉を 大好きだよ』
茜の目からは涙で溢れていた。それでも最後まで歌い続け、自分の想いを必死になって届けようとしていた。
歌い終わると、周りから満場の拍手が送られた。
それに答えるかのように、茜は丁寧に頭を下げた。
頬を伝う涙を何度も拭き、そして最後には満面の笑顔を見せ、茜はステージを降りた。
「茜ちゃんの歌良かったね。すごくうまいし、歌詞も良かったよ。ね、兄さん」
湊は隣にいる誠に向き直った。その誠を見て、湊は少し驚いてしまった。
「に、兄さん……」
誠は泣いていた。瞳から溢れる涙を流し、じっとテレビを見つめていた。
誠は目を瞑ると一息吐いた。
今わかった。茜が言いたかったこと。最後に伝えたかったことを。
その想いは、たしかに自分の心に届いた。
誠は立ち上がると、自分の部屋に向かった。
部屋に着くと、誠は窓を開け外を眺めた。
最初に目に入ったのは茜色の空だった。
綺麗な夕日が少しずつ沈んでいく。
「茜。そして、茜ちゃん。想いは届いたよ。……ありがと」
誠は首にかけてあった茜からのプレゼントである、銀色の十字架のネックレスを外すと窓側に大切に置き、部屋から出た。
誠の部屋からは、そのネックレスだけが光輝いていた。