第三章 part10:準備
2人の目の前には茜のお母さん、時雨さんがいた。
黒い傘を持ち、2人を哀れな目で見てくる。
そして、視線はじっとある人物を捉えていた。
「し、時雨さん。どうしてここに?」
誠は無意識に立ち上がり口を開いた。
「いつまでもここにいてもしょうがないから、他の場所を探そうと思ったの。でも……、その必要は無くなったわね」
そう言って、時雨さんはゆっくりと歩き出した。そして一人の人物の目の前で止まる。
その人物とは、茜だった。
茜は驚きと恐れの表情で時雨さんを見ていた。
そんな茜を見て、時雨さんはそっと呟いた。
「……茜」
そこで誠は驚いた。
どうして? どうして茜だとすぐにわかったのだろうか。
今の茜は小学生。姿はまったく違う。なのに、なぜ……?
時雨さんは一息吐いた。
「まったく、どおりで見つからないわけね。こんな姿じゃ、どんなに大勢で探してもわかるわけないわ」
「時雨さん。どうして茜って……」
「簡単よ。自分の娘の幼いころの顔を忘れる親がいる? ほんと、不思議だけどここにいるのは幼いころの茜にそっくりね」
それを聞いて茜は呆然と時雨さんを見ていた。
「……お、お母さん」
時雨さんはその場に傘を置いた。
そして、手をそっと上げると茜の頬を叩いた。
パンッという音が響く。茜の首が横を向く。
そっと顔を戻して時雨さんの表情をうかがった。右頬は赤くなっていた。
時雨は睨みつけるような目でじっと見ていた。
「茜、あんたはどれだけ人に迷惑をかけたか分かってるの。取り返しのつかないことをして、これからの人生どうするつもり?」
時雨の言葉に、茜は力が抜けたようにぐったりとした状態で聞いていた。
「時雨さん、ちょっと待ってください。茜は、ただ思い出を作りたかっただけなんです。それなのに」
「……わかってます。さっきの話を聞いていました」
「なら、なぜ叩いたりなんか」
時雨はゆっくりと茜の頬に触れた。そして、そのまま優しく抱きしめた。
「なら、どうして親の私に相談しなかったの?」
「え?」
茜はそっと顔を上げた。
「悩んでるのなら、親に相談するのが当たり前でしょ。一人で思い込まずに話してくれればよかったのに」
「……お母さん」
茜は再び涙を流しながら腕を上げると時雨を抱きしめた。小さな体で力強く。
その光景を、誠はじっと見ていた。
3人は旅館に戻ると、汚れた体を綺麗にし、茜の怪我を治療した。
そして、湊に茜のことを全て話した。もちろん、時雨さんも一緒になって。
「この度は、大変ご迷惑をお掛けしました。このお礼はいつか必ず……」
そう言って茜と時雨が深く丁寧に頭を下げた。
「い、いえ、いいですよ。どうか頭を上げてください」
誠がそう促すと、2人はゆっくりと頭を上げた。
「それで、茜ちゃんはそっちに戻るの?」
湊は寂しいという感じを出して問い掛けた。茜はうつむきながらそっとうなずいた。
「だって、これ以上迷惑かけられないから……」
茜の表情は明らかに未練が残っていた。そんな茜を見て、誠は時雨さんに問い掛けた。
「あの、時雨さん。もう少しだけ、茜を家に泊めたらだめですか?」
「え?」
時雨は少し驚嘆の表情になった。茜はそれ以上だった。
「まだ茜の願いは叶っていません。それが実現するまで、どうかこっちに居させて上げてください。お願いします」
そう言って誠は頭を下げた。
「誠……」
茜は誠を見てうっすらと涙を浮かばせていた。時雨さんはすぐに返答した。
「かまいませんよ。清水さんがそうしたいなら」
誠は頭を上げると笑みを浮かべながら礼を言った。
「あ、ありがとうございます」
「しかし、条件があります」
「え?」
時雨さんは笑みを浮かべながら言った。
「茜を、この時間だけ幸せにしてください」
それを聞いて、誠は力強く返事をした。
「はい」
誠たちは旅行から帰ると、家に戻ってきた。
「ああ~、疲れた~」
誠はそうやってすぐさまソファに倒れた。
「もう、兄さん。寝る前にバッグ片付けてよ」
湊はあきれながら誠のバッグを脇にどかした。
「わかったわかった」
そこで気づいたのだが、茜の姿が見当たらない。誠は起き上がって探すと、茜は玄関で立ち往生していた。
「なにやってんだよ、茜ちゃん。そんなところにいないで早く入れよ」
「でも……」
「いつからお前は遠慮するようになったんだ。それに、ここはお前の家だろ」
「え?」
茜は吃驚した表情をして誠を見た。
誠は笑みを浮かべながら茜を待っている。
茜も自然と笑みを浮かべると元気よくうなずいて中に入った。
「うん!」
3人は居間に居合わせると夕食を食べることにした。疲れたので簡単にお茶漬けにした。
「それで、茜ちゃん。明日から何しようか。何かしたいことある?」
「うん。……この姿になって、いろいろ楽しい想いはしてきたけど、したいことはあれかな」
「なんだよ。言ってみろよ」
茜は少し戸惑いながらもそっと口を開いた。
「学校で授業受けたい」
「……え?」
「だから、勉強したいの」
「茜ちゃん偉いね。あっ、ごめん。茜さん」
「いいよ、茜ちゃんで。私も変わらず湊お姉ちゃんって言うから」
「うん」
「それで、本当にそれでいいのか? もっと他に――」
「これでいいの。私そんなに授業受けてないからね。一度でいいから、楽しく授業受けたいの」
すると、いきなり誠が立ち上がった。
「よし、俺にまかせろ。最高の授業を体験させてやる」
誠は居間を飛び出すとすぐさま準備に取り掛かった。
次の日。
誠は珍しく早起きをし、ある準備をしていた。
そして、とうとう計画が開始された。
「茜ちゃん! 起きろ!」
誠は茜の部屋である床の間に入ると無理矢理起こした。
「な、何、朝から? どうかしたの?」
茜は眠たそうな目を擦って起き上がった。
「今から学校行くぞ!」
「は? え? 学校?」
「そ。ほら、早くしないと遅刻するぞ」
「う、うん」
茜は誠の言っていることがよく理解できなかったが、言われるままにした。
朝食を食べ、身支度をし、制服は湊が中等部の時に使っていた物を着た。そして鞄を持たされ、3人は学校へ向かった。
「ねえ、今から何するの?」
「昨日言ったろ? 授業受けたいって。だから、今から学校行って勉強するんだよ」
「でも、そんなことできるの?」
「それができるんだよ。なぜなら俺は悪な友人が多いからな」
誠は桜楼学園の制服を着てにやにやとにやついた。隣では、湊も一緒になって笑みを浮かべている。
「なんだか夏休みに学校行くなんて変な感じ。補習行くみたい」
すると、後ろから声が聞こえた。
「お~い、湊~」
そこには瞳がいた。大きく手を振ってこっちに向かってきている。ちゃんと桜楼学園の制服も着ていた。
実は、昨日瞳にも学校に来るように連絡したのだ。茜の正体のことは話していない。
「おはよう、瞳」
「おはよう、湊。それに、茜ちゃんも」
「お、おはようございます……」
茜はぎこちなさそうな挨拶をした。
「さて、学校行きますか。早くしないと遅刻するし」
「おいおい、ちょっと。俺に挨拶無しか」
「あれ? お兄さんいたんですか?」
「ふん。先輩を敬わないとは態度の悪い後輩だ。あとで罰を与えてやる」
「はいはい。それより、今日の授業は何なの?」
「ま、それは着いてから決める」
「計画性ないね」
「なんだと!」
こうして楽しい登校を過ごし、茜も笑っていた。
そして、とうとう学校に着いた。
茜の一日学校体験の始まりである。