第三章 part9:理由
誠が秋野茜の母親、時雨さんと会っていることを2人に話してから、茜はいやに考えごとをするようになった。
せっかくの旅行なのだから、もっと楽しめばいいものの。
しかし、そうなった理由はうすうす感づいていた。
だから、誠はわざとあんなことを言ったのだ。
もう迷う必要はない。全てをはっきりさせようと思う。
今の時刻は午後5時、誠は茜に問いかけた。
「茜ちゃん、ちょっと散歩しに行かない?」
「うん。いいよ」
茜は元気よく素直にうなずいた。
しかし、どこかに弱冠の恐れがあるように感じられる。いつものような仕草を保っているように見えるが動揺は隠しきれていないようだ。
「兄さん、何だか雲行きが怪しいよ。何だか雨降りそう」
湊は縁側に出て空を見上げた。
たしかに、黒いどろどろとした雲が空を覆い尽くしている。おかげで青い空はまったく見えない。
「大丈夫だよ。夕食までには戻ってくるさ」
そう言って誠と茜は手を繋いで部屋を後にした。
湊は濡れるのが嫌だから残ると言った。
2人は曇り空の中、ある場所まで歩いて行った。
周りに人は誰もいない。今世界は2人だけのようだった。それほど静かな通りだった。
「ねえ、どこまで行くの?」
「ん? ちょっとあそこまで」
2人は無言のまま、ある場所まで目指して歩いて行く。
誠はその間、考えごとをしていた。
もう後戻りは出来ない。引き返すことはできない。茜に全てを聞き、答えを導き出す。
それしか、頭になかった。
数十分歩くことにより、2人はある場所に着いた。
それはあの大きなひまわり畑である。
以前見たときと比べたら、空が嫌な雰囲気を漂わせているせいであまり感動を覚えなかったが、あいかわらず立派なひまわりだった。
それを茜はじっと見ていた。
「茜ちゃん。前にここに来たことがあるんだよね?」
誠が優しく口を開く。
とうとう始まった。答えを探すために。
「うん。前に一度来たことがある。でも、あまりはっきりとは覚えてないね」
誠はその場に座り込んだ。同じように茜も隣に座った。
「茜ちゃんは、スカイって知ってる?」
少し間を置いて、茜はうなずいた。
「うん。知ってる。……お母さんに教えてもらった」
「それを、使ったことは……ある?」
それを聞いて茜は黙り込んでしまった。
誠の不安は積もっていく。その先が、どうしても知りたかった。
「ねえ、茜ちゃ――」
「使ってない」
突然茜は口を開き、誠はしゃべるのを途中で辞めた。
「私、使ってない。まだ、使ってない。だって、一度しか使えないんだよ。まだ何があるのか分からないのに、使うわけないじゃない」
茜はうつむきながら顔を伏せた。その口調も冷たく感じられた。
誠はそっと口を開いた。
「覚えてる? 茜ちゃん」
茜はそっと恐る恐る誠のほうを見た。
「前に一度、学校の中に入ったよね。そして、2年C組のある席に座った。そこは今は違うけど、以前はある人の席だった。その人の名前は、……秋野茜」
それを聞いた瞬間、茜は驚きの表情を隠せずにいた。体も小刻みに震えているのが分かる。
この情報は、瞳から聞いたのだ。
瞳の情報によると、秋野茜は以前あの席に座っており、仕事が忙しくてあまり学校には来ていなかったようだ。
いつしか、周りの生徒たちもその存在は忘れていたようだ。
そのせいか、たまに学校に来ても秋野茜はいつも一人だったようだ。
親しい友達も、話す友達もいない。まるで、グループから外れた子供のようだったそうだ。
誠は一息吐いて話しを続けた。
「茜ちゃんの本名は、秋野茜だよね? 今まで名字を言わなかったのはばれるのが怖かったから。それに、これまでの行動を思い返すと、茜ちゃんは小学生とは思えないことをしていた。高校生が行くようなお店に入ったり、アクセサリーをつけたり。自分なりに子供とは何かを考えて振舞っていたんだろうね」
誠は茜の表情をうかがった。茜がどういう反応を示すか、それが気になった。
「ねえ、茜ちゃん」
すると、茜は突然立ち上がった。
「あ、茜ちゃん?」
「……さようなら」
そう言って茜は突然走り出した。
「茜ちゃん!」
誠もすぐに立ち上がるとその後ろを追いかけた。
茜はがむしゃらに走っていた。
もうあそこには戻れない。もうあの幸せな時間を過ごすことはできない。
そう思うだけで涙が出てきた。瞳から熱が生じるのがわかる。
茜は森の中に入った。周りの木のざわめきが聞こえる。
空が曇りのせいで、森の中はより一層暗く、夜のように感じられた。
そのとき、大きな根に足を取られ転倒してしまった。
「あっ!」
茜は勢いよくその場に倒れた。手足に痛みが走る。どこか怪我したようだ。
「うっ……」
茜は拳に力を入れた。そして大粒の涙を流す。
その涙は落ちて自分の手の甲に落ちた。
どうしてこんなことになったのだろうか。どうしてこんな気持ちになったのだろうか。悔しさと哀れさでいっぱいだった。
茜は最後の力を振り絞って大きな木に背をつけてもたれかかった。
そのとき、冷たい滴が頬に当たった。少しずつそれは勢いをつけ本格的に振り出した。
雨だ。
その雨は森の中にいるのにも関わらず、容赦なく襲いかかってきた。
茜はそっと笑みを浮かべた。
「もう、終わりなんだね……」
茜は全身の力を抜いた。
これからどうしようか。一人で生きて行くしかない。
もう、誠に世話になるわけにはいかない。
そのとき、茂みから足音が聞こえた。
茜はそっとその方向に力のない目を向けた。
そこには誠がいた。
しかし、茜は驚かなかった。自然とわかった気がした。
いつもそうだった。自分のそばにはいつも誠がいた。
誠はゆっくりと茜に近づくと、正面で立ち止まった。
「お前、怪我したのか?」
茜の手足を見た。擦り傷が多く血が出そうだった。
「ふふ、良いざまよね。これが、他人に迷惑かけた罰かしら」
いつのまにか、茜の口調は子供のような話し方ではなくなっていた。
「ねえ、誠。……いつから気づいたの?」
「……最初から違和感はあった。でも、完全に確信したのは、時雨さんの話を聞いたときからだ」
そこで茜はある言葉に反応した。
「時雨って、私の母親の名前を知ってるっていうことは本当に来ているのね」
誠はコクッとうなずいた。
「ああ。すごく心配してたぞ」
茜は力のない笑みを浮かべた。
「それで、誠の狙いは何なの? 私の正体を知って、何が目的なの?」
誠はその質問に答えられなかった。
たしかに、こんなことを暴いて何になるというのだろうか。別にこのままで良かったのではないだろうか。
「……わからない。ただ、知りたいっていうよりも、お前から言って欲しかったのかもしれない」
「え? どういうこと……」
茜は少し驚きの表情で誠を見た。
「隠して欲しくなかった。言って欲しかった。悩みがあるなら力になりたかった。茜が何かしたいなら、望んでいることがあれば、自分にできることがあれば助けてやりたかった。ただ、それだけ」
誠はうつむきながら話し終えた。
それを見て、茜はふっと息を吐くと口を開いた。
「……話してあげる。誠にはお世話になったからね。もう知ってることもあると思うけど、全て話してあげる」
誠はそっと小さくうなずいた。そして、茜は話し始めた。
「私は、幼いころからアイドルになるためにレッスンをしてきたの。別に私はなる気も何もなかったのに、親が勝手にさせてたの。この子は将来トップアイドルになるって、私の気持ちは無視して勝手に決めてね。まあ、親も元アイドルだからね、娘にもなってほしかったのかも。でもね、それから私の望んでいたものはことごとく崩れ去った」
誠は生唾をごくっと飲み込んだ。
それは知っていた。時雨さんに聞いたから。ここから、茜の気持ちがわかる。
「レッスンのせいで、私は友達と遊ぶことも、自由に過ごすこともできなくなっていた。毎日朝から晩までがレッスンの日々。学校が終われば親が迎えに来てるのよ。あきれるくらいにね。そのせいで、私は今の流行とか人気とかが疎くなったわ。多少の芸能のことならわかるけど、小学生とかがそんなのに興味あるわけないし。おかげで私は、みんなの話しの輪に入れず孤立の時間を送った。いつも一人だった。そして、中学の上がったときには、とうとう学校をちょくちょく休むようにもなった。完全の孤独。ついにはいじめられるようになった……。これも、全部あいつのせいよ……。全部親のせいでこうなったのよ!」
茜は悔しそうに拳に力を入れていた。
「そのいじめはずっと続いたわ。そして、高校は桜楼学園に入った。私は変わろうとした。ここで、たくさんの友達を作って楽しい時間を過ごそうって。でも、その望みは叶わなかった。親が勝手に中退させたの。2年生のときにね。私は愕然としたわ。そこまでするのって。本当に憎んだ」
話を聞いて行くうちに、だんだんと茜が可哀想に思ってきた。
「そして、私は決心した。もう一度思い出を作りたい。学生生活を楽しく満喫したいって。誠の言うとおり、私はスカイを使った。すごく迷ったけど、決心して使った。そう、誠と最初に会った日に。そして、うまく逃げることができた。これから私の第二の人生が始まるんだって。心が躍ってわくわくしたわ。でもね、そう簡単にはいかなかった。現実は厳しかった。体が小さくなったからって、すぐに学校に通えることはできない。だから、誰かの養子になりたかったけど、それも怖かった。自分の無力さを知ったわ。一人でさまよって、行く当てもなくて。なかなか決心できなかった……」
茜はそっと誠を見た。弱々しい目を向ける。雨が降っていてもわかる涙を流していた。
「私は、ただ思い出を作りたかった。それだけだった。……ごめんね、誠……」
「茜……」
茜は顔をうつむくと嗚咽を漏らしながら涙を流していた。
誠は茜に近づくと、そっと抱きしめ包んであげた。
「誠……?」
「ありがとう。話してくれて。辛かったよな。いろいろあって。でも、大丈夫だよ。これからは、もっと楽しく過ごせる。茜ちゃんの人生は、これから続く。まだまだずっとね」
誠は茜を離すと優しい笑みを浮かべた。それを見て茜は安心した表情になった。
「誠……」
そのとき、後ろから足音が聞こえた。
2人はその方向に目を向ける。茜は驚きの表情になりながらそっと呟いた。
「お母さん……」