第三章 part6:涙腺
月が変わり、八月に入った。
気温が上がり、蒸し暑い日が続く。
蝉の声が耳障りである。太陽の陽射しもうっとうしい。
おかげで満足に寝ることもできない。
誠は今では朝9時ごろには起きるようになっていた。
そのかわり、家にいるときは常にエアコンを点けるようになった。
「兄さん。エアコンの点けっぱなしは体に悪いよ」
湊は部活に行く準備をしながら言った。
「でも暑いだろ。これのほうが涼しくて快適だし。な、茜ちゃん」
「うん」
茜は元気よくうなずいた。
湊はあきれたようなため息を吐いた。
「私明日から部活ないから、今日は最後ということで遅くなると思う」
「ああ、わかった」
「湊お姉ちゃん、いってらっしゃい。頑張ってね」
「うん」
湊は鞄を持つと、部活に出かけてしまった。
部屋の中は誠と茜の2人になった。
「なあ、茜ちゃん」
「うん?」
「今日は、ずっとこうしてよう」
「……え?」
茜は少し困った表情になった。
「なんで? どこか遊びにいかないの?」
「外暑いだろ? ずっとこのままでいいじゃん」
「嫌だよ。どこかに遊びに行きたい」
茜は誠の体を揺すり始めた。まるで、親子の仕草のようだった。
「じゃあ、どこに行きたいんだ? 暑くてだるいところは嫌だぜ」
茜は少し考えると、ある場所を指名した。
ということで、2人はその場所に向かうことになった。
少し歩くこと10分。
2人の目の前には、大きな施設が建っていた。
ここはプールがあるのだ。
たくさんの遊具のあり、何より暑さふっとばすことができる。
「それで、茜ちゃんは水着持ってるの?」
「あっ、忘れてた……」
「しょうがないな~」
2人は受付で水着を購入し、それぞれ着替え始めた。
準備ができ、二人は合流した。
誠はごく普通の短パンの水着。
茜は学校で使うようなスクール水着に似ているようなやつだった。
「この水着ださい。もっと可愛いのがいい」
茜は自分が着ている水着に文句ばかり呟いていた。
「しょうがないだろ。それしかないんだし。子供はそれで十分だ」
「でも……」
茜は満足できないようだった。
「それより、お前泳げるのか?」
その質問に、茜は首をかしげた。
「え? 別に泳ぐ気ないよ。浸かるだけでいいし」
それを聞いて誠はこけそうになった。
「浸かるだけって、ここはお風呂じゃないんだぞ。こんなに広いんだから、自由に泳ごうぜ。……まさか、泳げないの?」
「お、泳げるもん!」
茜は少し怒ったような口の聞き方で答えた。
「じゃあ、泳いでみろよ」
そして、2人はプールの中に入り、茜は泳ぐ体勢をとった。
「い、いくよ……」
茜は床を蹴ると前に出た。
しかし、すぐに体が沈んでしまい、まったく前に進まなかった。
誠はすぐに茜の元に向かい体を起こした。
「おい、大丈夫か?」
茜は息を乱しながらしっかりと誠に捕まっていた。
「やっぱり泳げなかったな。しょうがない、俺が教えてやるよ」
「……うん」
茜は素直にうなずいた。
それを見て、誠は小さく笑みを浮かべた。
そして数時間して、茜は10メートルくらい泳げるようになった。
「やったよ。泳げた」
茜は両手を挙げて嬉しそうに喜んだ。
誠は笑みを浮かべながら拍手した。
「よくやった。なかなか上手かったぞ」
「へへへ。ありがと」
茜は照れ笑いを浮かべた。
疲れたので、2人はこれで家に帰ることにした。
途中、ご褒美として誠は茜にアイスを奢り、手を繋いで家路を歩いているとき、2人は公園で親子が遊んでいる光景が目に入った。
楽しそうに子供はブランコに乗り、その子のお母さんは、後ろを押していた。
誠はそっと茜を見た。
茜の表情はうらやましそうに見ているようだった。
親子は少しして帰っていった。公園には誰もいない。
それでも、茜はずっとブランコを見ていた。
「……押してやろうか?」
誠の声に、茜は最初は少し驚いたがすぐに嬉しそうにうなずいた。
「うん」
茜はブランコに座ると誠を待った。
誠は優しく後ろから茜を押した。
茜は楽しそうに笑っていた。
誠もそれを見て、自分も楽しくなった。
妹、いや自分の子のような感じがする。
親になるってこういう感じなのだろうか。
子供が喜べば自分も嬉しくなる。
親子は不思議なものである。
「誠お兄ちゃん、もっと強く押して」
「よし。行くぞ!」
誠はさっきよりも強く押した。
ブランコは高く上がる。
茜は声を上げて楽しんだ。
誠も笑みを浮かべる。
そのとき、顔に何か当たった。冷たい何かが。
雨だろうか? でも、空は晴れ渡っている。
しかし、さっきから小さな滴が顔に当たる。
そして、ようやくその正体がわかった。
茜は泣いていた。
ブランコに乗りながら、涙を流していた。
誠は自分の目を疑ったが間違いなかった。横に涙の跡が見える。
誠はゆっくりとブランコを止めた。
茜はブランコから下りると誠に向き直った。
「ああ~、おもしろかった。またお願いね、誠お兄ちゃん」
茜の目は少し潤っていた。そして赤くなっている。
なのに、何事もなかったかのように笑みを浮かべている。
誠はその表情を見て、茜が心配になってきた。
「おい、あ、茜ちゃん……」
「ん? 何?」
前に進んでいた茜は、後ろにいる誠に振り返った。
その目はいつもの目に戻っていた。
「あ、い、嫌。……なんでもない」
「変な誠お兄ちゃん」
茜は少し首をかしげると、家にむかって歩き出した。
誠は思い違いだと思い、その後ろを歩いていった。
家に着くと、湊はまだ帰っておらず、二人で夕食を作った。
そして、湊が帰って来ると一緒に夕食を食べた。
「すごいね。2人が作ったの? すごくおいしいよ」
誠と茜は笑みを浮かべた。
そして、それぞれ眠りに着こうと部屋に入っていった。
誠も自分の部屋に戻りベッドに潜り込んだ。
少しして、ドアがノックされた。
「どうぞ」
ドアの前には茜が立っていた。
ピンクの寝間着を着た茜は、静かに部屋の中に入ってきた。
「誠お兄ちゃん……」
茜は元気がない声を出した。
誠は電気を点けると茜に向き直った。
「どうしたんだよ。眠れないのか?」
茜は首を振ると、誠にお願いしてきた。
「今晩、一緒に寝て欲しいの」
「え?」
茜の目は冗談ではなかった。本当にそうして欲しいようだ。
誠は掛け布団を上げると茜を招き入れた。
「おいで」
その言葉で、茜は嬉しそうに表情になるとうなずいた。
「うん」
茜は誠に背を向けながら、誠は天井を見ながら眠りに着こうとした。
電気を消して辺りは真っ暗。窓から来る涼しい風と月の光が部屋に入ってくる。
誠はもう少しで眠りに着こうというときに、ある音が耳に入ってきた。
誠はそっと茜は見た。
茜は嗚咽を漏らしながら泣いていた。
小刻みに体も震えている。
そして小さく呟いた。
「お父さん……。お母さん……」
茜に何があったのだろうか。
最初会ったときはあんなにしっかりしていたのに、ここでの暮らしに慣れて、つい弱音を吐いてしまったのかもしれない。
誠は茜の方に体を向けると、優しく頭を撫でた。
さらさらとした髪に、ゆっくりと滑らかに手を動かす。
それを続けていくうちに、茜の声も収まり、安心したのか眠りに着いていた。
誠も少し安心すると、小さく口元を緩るませて眠りに着いた。