第一章 part1:記憶
誠は学校とは反対側の小さな山に向かっていた。
名も無いその山は、頂上には薄い緑のさらさらな芝生と透き通ったような綺麗な泉、まだ新しい木造のベンチ、周りには真っ直ぐに伸びて育っている雑木林がある。
ここは誠のお気に入りの場所なのだ。
誠は空を眺めるのが好きで、一番良く眺めることができる。
空を眺めると自由な気持ちになる。
誠はそれが好きなのだ。
しょうじき言うと、留年する確立はどちらかというと高い。
しかし、今がよければいいのだ。
いつも後悔しないほうを選んできた。
今回も後悔しないほうを選んだつもりだ。
誠は頂上に着くと、鞄をそこら辺に放り投げ、さっそくさらさらな芝生に大の字になって寝転んだ。
少し走ってきたから汗をかいてしまった。
涼しい風が足元から流れてきて、みるみるうちに汗がひいていくのがわかる。
空は薄い青の中にふわふわの白い雲が左から右にゆっくりと動いてきた。
朝の天気予報のいうとおりとてもいい天気だ。
のどかで居心地よく最高の時間だ。
このまま睡眠不足を解消しようとそっと目を閉じた。
そのとき、どこからか足音が聞こえた。
「ん? 誰だ?」
誠は体を起こして辺りを見回したが誰もいなかった。
気のせいだと思い、両手を頭の後ろに回し再び寝転がろうとした。
ポチャ
次は水の音がした。誠は泉のほうに目を向けた。
そのとき、ようやくその正体がわかった。
そこに一人の少女がいたのだ。
彼女は泉をじっと見ていた。
膝を着いて泉に映る自分の顔を覗いているのだが、その表情は楽しそうでもなく悲しそうでもなかった。簡単にいうと無表情に近い。
彼女は髪が長く腰まであり、可愛らしい顔立ちをして綺麗な瞳をしていた。
ここらでは見ない美少女だった。
しかも、彼女は桜楼学園の制服を着ていた。
誠はちょっと興味本位でじっとその彼女を見ていた。
彼女は泉から視線を反らすと、すっと立ち上がり近くのベンチに座った。
誠は仲間がいるとは珍しいと思い、立ち上がると制服に着いた草を払い除け、彼女のもとに歩み寄った。
彼女は依然として座ったまま前を見ていた。
というよりも、何か考え事をしているようだ。
誠は声をかけてみた。
「ねえ、君も学校を休んだの?」
しかし、彼女は何も反応せず前を向いたままである。
「あの~、なんでここにいるの?」
それでも、彼女は誠の問いかけに答えようとはしなかった。
「ねえ、君の名前は?」
そこで彼女は反応を示してくれた。
彼女はゆっくりと誠のほうに振り向くと、小さな口を開いた。
「私は……誰?」
「……え?」
誠は自分の耳を疑った。
自分が誰だかわからない? からかっているのだろうか。
「ねえ、名前は何て言うの?」
すると、彼女は空を見上げて答えた。
「私は……自分が誰なのか……わからない」
誠は苦笑いを浮かべながら頭をかき彼女の隣に座った。
これはテレビでよくある記憶喪失というものだろうか。
あれって本当だったのか? しかも、実際にそれに関わっている人が自分の目の前にいる。
どうしたらいいのだろうか。
「……あなたは?」
「えっ?」
誠は彼女に向き直った。
彼女はじっと誠を見てきた。
「あなたは……誰?」
そういえば、まだこちらは名乗っていなかった。
相手に聞いておいて自分は名乗らないというのはさすがに失礼だ。
誠は納得すると自己紹介をした。
「俺の名前は清水誠。あそこにある桜楼学園の生徒だ」
誠は腕を上げ、隣の山の麓にある学校を指すと彼女もその方角を見た。
「君もあそこの生徒だろ?」
問い掛けてみたが、彼女は何も反応することなく元の前に向き直った。
「君はよくここに来るの?」
すると、彼女はゆっくりと腕を上げ、奥の雑木林の中を指した。
誠の頭の中ではそこには何もないはず。
しかし、よく見るとそこには小さな小屋があった。
見るからにぼろぼろで今にも崩れそうな小屋だった。
「あの小屋がどうかしたの?」
彼女はまたもや何も反応しない。
誠は頭の中で一瞬だけよぎったことを聞いてみた。
「もしかして……あそこに住んでるの?」
彼女はすっと立ち上がるとこくっとうなずいた。
そして、ゆっくりと小屋に向かって歩き出した。
誠は彼女のあとについて行くことにした。
小屋の前に着くと、彼女はドアを開け誠に向き直った。
どうやら中に入れてくれるそうだ。誠は、
「お邪魔しま~す……」
といい、恐る恐る中に入っていた。
中も見た目と同じようにぼろぼろだった。
どこから持ってきたのか、古びた冷蔵庫やテレビまであり、腐った木のテーブルやぼろぼろになり染みのついた毛布が一枚あった。
窓はガラスが半分割れており、天井にはいくつもの蜘蛛の巣が張ってあった。
床も埃だらけで汚そうである。
もちろん、電気のスイッチを入れてみたが点くはずはなかった。
「本当にここに住んでいるんだな。ちょっと信じられないけど……。食事とかはどうしてるの?」
誠は彼女に向き直ると、彼女はお腹に手をやり首を横に振った。
「もしかして、何も食べてないの?」
すると、彼女はコクッと首を縦に振ってうなずいた。
誠はそれはいくらなんでもかわいそうだと思い、何か買いに行くことにした。
「何か買ってくるから、ここで待ってろよ」
誠は彼女の返事も聞かずに、小屋を飛び出した。
山を降り街に行くと、すぐさま近くのコンビニの中に入った。
入り口の前にある籠を取ると、パンやお菓子、飲み物などを片っ端から入れた。
店員が少し驚いているが気にしなかった。
そこであることを思い出した。
「あっ、そういえば湊の昼食おごることにしてたな。ついでにここで買っていくか」
誠は湊の昼食を籠に入れると、レジに持っていき、お金を払うとすぐに彼女のもとにむかった。
小屋に着くと、彼女は汚いテーブルを前にして行儀よく正座をして待っていた。
誠は買ってきたものを全てビニール袋から取り出すと彼女のもとにやった。
「ほら、全部食っていいぞ」
しかし、彼女はなかなか手に取ろうとはしなかった。
お腹は空いているはずなのに、あきらかに遠慮していた。
誠は時間を確認すると、すでに11時を回っていることに気づいた。
そろそろ入学式が終える時間だ。
誠は湊の分の朝食を取り、鞄の中に入れると立ち上がった。
「これ、全部食っていいからな。また来るからな」
そういうと、誠は急いで小屋から飛び出して学校にむかった。
彼女は誠がいなくなると、そっと一つのパンを取りゆっくりと口に入れた。
そのとき、彼女の目から一筋の涙がこぼれた。
学校に着くと、湊と瞳は校門の前で待っていた。
周りは保護者と一緒に帰る新入生や帰宅部の生徒、グラウンドでは各自それぞれ部活を始めていた。
誠は走りながら二人に軽く手を振った。
「遅いよ、兄さん! 何してたの!」
機嫌の悪い湊は誠を見た途端怒鳴ってきた。
「ごめん、湊。ちょっと寝すぎてしまったんだ」
「まあ、いいじゃない。さっそくお昼にしましょう」
瞳の言葉でなんとか助かり、誠たちは以前のように校舎の屋上にむかった。
誠が中等部のときは、三人で一緒に屋上で食べていたのだ。
大抵は湊がお弁当を作るのだが、なにかあった場合や時間が無いときなどは誠がおごることにしている。
「ほら、湊」
「ありがとう、兄さん」
湊は誠から昼食を受け取った。
それはタマゴサンドとお茶だった。
湊はタマゴサンドが大好物なのだ。
さっきまで機嫌の悪かった湊はにこにこしながらタマゴサンドを自分のもとに置いた。
そこで湊はあることに気づいた。
「あれ? 兄さんの分は?」
「ああ、俺はいいんだ。あまり食欲なくて」
実は、あの子の分のためにお金を使いすぎて自分の分が買えなかったのだ。
おかげで財布はずいぶんと軽くなった。
「それじゃあ、食べましょう。いただきます」
「待って、瞳。まだ食べちゃダメ」
瞳が自分のお弁当を持ち上げ食べようとしたとき、湊が無理に止めた。
「え~、なんで? 早く食べようよ」
若干涙目になって瞳が湊に訴えた。
「ごめん、瞳。ちょっと待って」
すると、湊は真剣な表情になって誠に向き直った。
誠は何か悪いことしたかなと慌てて考えた。
「兄さん、私たちに何か言うことない?」
「え? 言うこと?」
誠は一瞬あの彼女のことかと思った。でも、それは関係ないはず。
もしかして……。
「ああ、ごめん。二人が食べるはずだった冷蔵庫にあるプリン、我慢できずに食べてしまった。本当にごめん!」
誠は丁寧に頭を下げた。
それを見た湊と瞳は呆然とした表情で誠を見ていた。
「うそ! あのプリン食べたの兄さんだったの!」
「人の物を勝手に食べるなんて最低です!」
「え? このことじゃないの?」
「違います! その件は、あとでみっちりと説教します。それより、他に言うことあるでしょう?」
どうやら違っていたようだ。自分で自分の首を締めてしまった。
では、他になにがあるだろうか。
そこでようやく湊の考えていることがわかった。だてにいつも一緒にいるわけではない。
誠は一つ咳払いをすると、二人に向き直り言った。
「入学おめでとう。湊、瞳」
すると、湊は満面の笑顔になった。どうやら当たったようだ。
「ありがとう、兄さん」
「お兄さんも、進学おめでとうございます」
「ありがとう」
ようやく昼食が始まった。
誠はその間にクラス分けを見に行った。
誠のクラスはA組みで、何人か知り合いもいたので少し安心した。
席は嬉しいことに窓際の一番後ろだった。
すぐにくじ引きをして席を決めたらしい。残り物には福があるとはこのことだ。
そのあと再び屋上に戻り、湊たちの話を聞いた。
二人は一緒のクラスになれたらしく湊は喜んでいた。
そして、誠は二人にある質問をした。
「なあ、二人は学校に来なくなった女子生徒知ってる? 辞めたやつとか」
「え? 兄さん、学校辞めちゃうの?」
湊が驚いて誠を見た。
「え? ち、違う違う! 俺は辞めないよ!」
それを聞いた湊は安堵の息を吐いた。
誠は彼女についてなにかわかると思って聞いてみたのだ。
もしかしたら何か手がかりがつかめるかもしれない。
「それなら知ってますよ」
「ほ、本当か?」
「はい」
瞳はお弁当と箸を置くと話し始めた。
「三年前の話です。ある女子生徒が、中学からこの桜楼学園に合格し入学したのです。彼女はとても可愛く、みんなから人気がありました。しかし、ある噂が広がり彼女の周りからは少しずつ友達が減り、いつしかいじめられるようになりました。しかし、彼女は一日も学校を休むことなく通い続けました。そして、高校に進学しようというときに、忽然と姿を消したのです。みんなは自殺したんだと言っていました」
「それ、私も聞いたことがある」
湊もどうやら知っているようだ。
「彼女はなんでいじめられたんだ? それに、その噂って?」
瞳は顎に指をやり考えながら話した。
「詳しいことはわかりませんが、お父さんが何か犯罪をして刑務所に捕まったという噂が流れて、いじめられるようになったと言っていたような気がします」
誠はなるほどというようにうなずいた。
「彼女はいつ高校に上がるはずだったの?」
「それは今年です。私たちと同じ歳ですから。詳しい話もさっき聞きましたし」
「じゃあ、その子の名前は?」
「それはわかりません。同じクラスになったこともありませんし……」
「私も知らないよ」
誠は腕を組むと、今聞いたことをふまえて彼女のことを考えてみた。
まだ確信はないが、そのいじめられた生徒はあの彼女のような気がする。
辻褄はなんとなくあいそうだし。
それにしても、誰であっても親のせいでいじめられるのはかわいそうである。
親も子供のことをよく考えて欲しいものだ。
誠は立ち上がると、自分のお気に入りに場所に足を進めることにした。