第三章 part1:幼児
香が東京に行って数日が経ち、もうすぐ夏休みを迎えようとしていた。
みなそのことで頭がいっぱいのようだ。
逆に誠は、夏休みのことよりも香のことのほうで頭がいっぱいである。
東京に行って、今はどうなっているか心配だった。
ちょくちょく携帯で連絡をしているが、忙しいからあまり長く話すこともできないし、ちょくちょくと言っても週に一回くらい。
少しずつ、香のことは香自身に任せようと思うのだが……。
確かに、今はそんなことよりも大事なことがある。
それは、期末テストだ。
これで赤点をとればせっかくの夏休みはなくなってしまう。
誠はほぼ徹夜状態で勉強に励んだ。
「……眠い」
そして、結果テストではどれもぎりぎりで赤点をまぬがれ、ようやく待望の夏休みが訪れた。
といっても、別に予定はないので家でごろごろすることしかできない。
「はあ~、おはよう」
誠はあくびをしながら、居間に足を踏み入れた。
「おはようじゃないよ、兄さん。今何時だと思ってるの?」
居間で制服姿の湊があきれながら言った。
「ええ~と……9時?」
「もう12時過ぎてるよ。その生活習慣どうにかしてよ。こっちは後片付けが大変なんだよ」
「どうせお前も暇だろ?」
誠は冷蔵庫を開けると、牛乳を取り出し残り少なかったのでそのまま飲み干した。
「これから部活なの。悪いけど、ご飯は自分で作ってね」
湊は中学からやっている吹奏楽部に入ったのだ。誠はもちろん帰宅部。
「そりゃ大変だな。頑張っていってらっしゃい」
「うん。いってきます」
湊は準備を済ませると玄関を飛び出した。
家には誠一人取り残され、静かなときが流れた。
「ああ~、暇だな~」
誠は無意識にリモコンを取るとテレビのスイッチを入れた。
映し出されたのは、名前も知らないアイドルが出演している番組。
別にアイドルなんて興味ない。しかし、見たい番組はないので、仕方なく眺めることにした。
「それで、茜ちゃんは桜楼学園に在学中なんですね?」
テレビの司会者がアイドルに質問をした。
そこで誠は少し驚いた。
「こいつ、俺と一緒の学園なのか? 見たことも聞いたこともないが……」
「はい。でも、仕事が忙しくてあまり通うことはできませんけど」
アイドルは可愛らしいしぐさで受け答えしていた。
なら見るはずないか。
誠はソファに深く座った。
なんかだるい。
「それでは、次の質問に入ります。ずばり、自分の願いごとはなんですか?」
「ええ~とですね。私、もう一度子供になりたいんです。そうですね、小学生くらいに」
司会者はちょっとわざとらしい驚き方でアイドルを見ていた。
「子供になりたいですか。夢があっていいですね。茜ちゃんの子供のころは、それはかわいいのでしょうね。それで、子供になったらもっとアイドル目指して一から修行したいと?」
その質問に、アイドルは少し歯切れの悪い受け答えをした。
「……そ、そうですね。もっと人から愛されるアイドルになりたいと思います」
「ありがとうございました。それでは以上、秋野茜さんでした」
そう言って番組は終わった。
最後にアイドルは満面の笑顔でカメラに向かって手を振っている。
誠はリモコンを掴むとテレビを消した。
「ああ~、なんか楽しいことないかな~」
誠は家にいても暇なので、どこかに出かけることにした。
家から出ても、どこもあてがないので、ただぶらぶらするだけである。
やはり夏だからか暑い。陽射しがうっとおしい。
少しは太陽も休みを取れと言いたくなる。
いや、取ったら困るか……。
誠はまだ昼食を取っていないことに気づき、どこかの店で食べることにした。
街まで暢気に歩いて行った。
子供が楽しそうに虫かごを持って友達とはしゃぐのが見える。
家族で出かけているものもいた。
誠はその家族を見て立ち止まった。
そういえば、夏休みは家族とどこかに行った記憶がないな。今度、湊とどこかに行くか。
誠はその家族が見えなくなると、振り返って歩き出そうとした。
そのときだった。
「きゃあ!」
「痛っ!」
前をよく見なかったから誰かと衝突してしまった。
誠は大丈夫だが、ぶつかった人はその場に倒れてしまった。
「ご、ごめん! 大丈夫?」
そこで誠は気づいたのだが、ぶつかった人は小さな女の子だった。
大きな麦わら帽子に白いワンピースを着ている。いかにも夏スタイルだ。
「ごめんね。怪我はない? ほら、捕まって」
誠は女の子にむかって手を差し伸べた。
女の子はそっと顔を上げた。
その顔を見た誠は驚いた。
その女の子はすごく可愛く、ちびっこアイドルのようだった。
女の子も呆然と誠を見ていた。
我に返った誠はもう一度問い掛けた。
「あ、大丈夫? 立てる?」
誠は手を女の子に向けると、女の子はそっと手を握ろうとした。
すると、前から声が聞こえた。
「おい! どこにいったんだ?」
「わからん。クソ! どこに消えたんだ」
「早く見つけ出せ!」
そこには何人ものこの暑い日に黒いスーツを着た人達がいた。
すごく目立っており、回りから痛々しい目で見られている。
そんなことはお構いなしに、その人たちは何かをしていた。
「あっ!」
女の子は誠の手を掴むと立ち上がり、そそくさと誠の後ろに隠れた。
そのとき、黒いスーツを着た人たちがこっちに近づいてきた。
「きみ、この人を見ていないかい?」
一人の男が誠に話し掛けてきて、一枚の写真を見せてきた。
それはアイドルの写真で見たことはなかった。いや、どこかで見たかも。
誠はそっと後ろに隠れている女の子を見た。
女の子は涙目になって誠を見ている。
写真の子はおそらく高校生だが、この女の子と似ているような気がした。
「いえ、見ていません」
「そうか、すまなかったな。おい、行くぞ」
そう言って、男たちはどこかに行ってしまった。
「なんだ、あいつら……」
誠は再び女の子のほうを見た。
女の子は安心したような表情になっていた。
誠は今の状況が理解できず、頭の中が混乱していた。
「ええと、ところで君は?」
すると、女の子は誠の後ろから出てきた。
「わ、私は……」
すると、女の子は少し考え込んでしまった。
「ねえ、君の名前は?」
誠は中腰になって女の子に問い掛けた。
すると、突然口を開いた。
「お腹空いた」
「はっ?」
「お腹空いたの。なにか食べさせて」
「いや、お腹空いたって言われても……」
「あれが食べたい」
彼女は近くにあったファミレスを指した。
そこでは、一組のカップルがおいしそうにパフェを食べていた。
「あれが食べたいの?」
誠は女の子に向き直ると、女の子は涙目になって訴えてきた。
誠はその目を見て戸惑ってしまった。
チワワみたいな可愛らしい目をしていた。
これは反則ものだ。そんな目をしていたら断るにも断れない。
ということで、結局ファミレスの中に入り、パフェを食べさせた。
誠もついでにコーヒーを頼んだ。
「それ、そんなにおいしいか?」
女の子は本当においしそうにパフェを食べていた。
すごい食欲であっという間に食べ終わった。
「ほら、クリームが着いてるぞ」
誠はテーブルに置いてあった紙を取ると、女の子の頬に着いたクリームを拭き取ろうとした。
「いい、自分でする」
そう言って自分でクリームを拭き取った。
けっこうしっかりした子なのかもしれない。
一息着いて、誠は女の子に質問した。
「それで、君の名前は何て言うの?」
女の子はまたもや口を閉ざしたままである。
誠は仕方なく別の質問をした。
「歳はいくつ?」
すると、
「十七歳」
「えっ?」
「あっ、いや、な、七歳」
誠は一瞬耳を疑ったが、いい間違いだと思い気にとめなかった。
「お父さんやお母さんはどこにいるの?」
「……いない」
女の子は悲しげな表情になった。この子も親がいないのだろうか?
「ねえ」
今度は女の子のほうから口を開いた。
「あなたは誰?」
「ああ、俺は誠っていうんだ」
「誠……」
女の子は呟くと、椅子から降りた。
「一緒に来て」
女の子はそういうと店から出ようとした。
「え? ちょ、ちょっと」
誠はいそいでお金を払うと女の子を追いかけた。
「ねえ、君のことは何て呼んだらいいの?」
女の子は誠に振り返ると答えた。
「私のことは、茜って呼んで」
「茜ちゃんね。それで、茜ちゃんはなんでここに来たの?」
すると、茜は突然走り出した。
「おい! ちょっと待てよ!」
相手は小さいのですぐに追いつくことはできた。
「どこにいくの?」
茜は誠の言葉を無視して走っていく。
誠は仕方なく後ろを着いていった。
茜はいろいろなところに行った。
デパートやアクセサリー店、服や靴などを見ていった。
お金を持っていないのか、見るだけで買おうとはしなかった。
そして、ようやく公園で休憩できた。なんか振り回されて疲れた。
「あ、あの~、俺、もう帰ってもいい?」
すると、茜はまた涙目になって訴えてきた。
そんな目を向けないで欲しい。
「じゃあ、俺は帰るね。バイバイ」
誠は彼女に手を振ると、ベンチから立ち上がり帰ろうとした。
しかし、何か引っ張られる感じがした。
後ろを振り向くと、茜が誠の服を掴んでいた。
「あ、あの、帰れないんだけど……」
茜はあの目になって首を振った。
帰らせてくれないようだ。しかし、誠もかまっている暇はない。いや、暇だが面倒だ。
誠は力強く前に進んだ。
しかし、茜はひきずられても離そうとしない。
「わ、悪いけど、離してくれない?」
しかし、茜は離そうとしない。
誠はため息を吐くとしぶしぶ茜に言った。
「俺の家に来るか?」
すると、茜は満面の笑顔で元気よくうなずいた。
この言葉が間違えだと、誠は気づかなかった。