第二章 part11:恋人
無事香と岬は仲直りし、香のことは全て解決した。
今では昔みたいに二人は一緒にいる。
誠は安心した。
香は本当に嬉しそうにしていた。
今までよりもその笑顔は輝いていた。
だが、香との問題はまだ終わっていなかった。
月はとうとう7月に入った。
蒸し暑い日が続く。
制服も夏服に変わり、夏という季節を実感してきた。
放課後、一緒に帰っているときだった。
途中で岬と別れ、二人で帰っているとき、香は誠にあるお願いをしてきた。
「ねえ、誠。私のお願い聞いてくれない?」
「ん? なんだよ。そんなあらたまって」
「うん。今度の日曜日、私とデートしてよ」
「なんだ、そんなことか。いいぜ。いつもデートみたいにどこかに行ってるしな」
「それでね、ただのデートじゃないの」
「ふ~ん。どんなデート?」
すると、香は立ち止まった。
誠も同じように立ち止まる。
通学路の桜並木の真ん中で二人は向かい合った。
今では緑の葉で包まれている。
香は少し頬を赤く染めながら、真剣な表情をしていた。
「わ、私と、恋人としてデートしてほしいの」
「え?」
誠は香が言っていることをよく理解できなかった。
「それって……。二人はお互いに好き同士ってこと?」
「そう。友達としてではなくて、恋人として。二人は付き合っているということで。これは、私の一生のお願い。……ダメかな?」
香は視線を落として誠の返答を待っていた。
誠はそっと笑みを浮かべた。
「いいぜ」
それを聞いた香は嬉しそうな表情になった。
「ほ、ほんとに?」
「ああ。今度の日曜な。恋人同士みたいなデートしておもいっきり楽しもうぜ」
「うん」
香は満面の笑顔を浮かべながら元気よく返事をした。
そして、約束の日曜日。
誠は商店街のある喫茶店の前にいた。
少しして、今日のお相手である香が来た。
「あれ? 今日は誠のほうが早かったね。珍しいこともあるんだ」
「まあ、女を待たせるのは男として失礼だからな。それくらい当たり前だ」
「いつも私が待っているけどね」
二人は笑い合った。
そのとき、誠はあらためて香の姿を見た。
今までよりも可愛らしい姿だった。
服装も今までよりも大人っぽく、薄く化粧もしている。
一段と可愛く見えてつい見とれてしまった。
「どうしたの、誠?」
「え? あ、いや、なんでもない」
「もしかして、見とれてた?」
「そ、そんなわけないだろ」
「でも、心はしょうじきだね」
「あっ、勝手に読んだな!」
「しょうがないじゃん。でも、可愛い彼女のほうがいいでしょ?」
「……まあ、そうだな」
すると、香は誠の隣に並んでくっつくかのようにして腕を組んだ。
「今日一日、私たちは友達ではなく恋人同士だからね。よろしくね、誠」
「ああ」
二人は歩きだした。
最高の一日の始まりだった。
二人はまず買い物をすることにした。
香のお気に入りの洋服屋に入り、いろいろな服を見て行った。
「わあ~、これかわいい。ね、誠。これどうかな?」
香は手に持っている服を前に出して問い掛けた。
「うん。いいと思うぜ。よく似合ってるよ」
「ほんとに? じゃあ、これ買おうかな」
それからも香は気に入ったものを買って行った。
「うっ。重い……」
香が買ったものは全て誠が持っている。彼氏ということで荷物持ちになった。
「頑張れ、誠。それ家に置いたら何かご飯作るから」
二人は一度香の家に寄り、買ったものを置いた。
「ふ~、疲れた」
「お疲れ様。今、何か作るね」
そう言って、香は台所に向かった。
この前言っていたのだが、香は自分の手料理を食べさせたいと言っていた。
ということで、昼食は香の家で食べることになったのだ。
数十分くらいして、誠の目の前に料理が現れた。
「はい。オムライスだよ。味わって食べてね」
綺麗に焼けた卵が食欲をすすった。
そして、そのおいしそうな匂いを嗅いで、涎がでそうだった。
「お~、うまそうだな。じゃあ、いただきます」
「ちょっと待って」
誠はスプーンを持ち上げて食べようとしたのを香が止めた。
「なんだよ。早く食べないと冷めちゃうぞ」
「うん。あのね、……私が食べさせてあげる」
「はあ?」
「だって、私たち恋人同士なんだよ? それくらいしてあげなきゃ」
「いいよ。そんなこと普通しないって。自分で食べるよ」
「はい。口開けて。ア~ン」
香はスプーンにオムライスをつぐと、誠の口に持ってきた。
誠は仕方なく、口を開けて香からのオムライスを食べた。
「どう? おいしい?」
「うん。すっごくおいしい。けっこううまいな」
「よかった。私オムライス得意なんだ。いつでも作るから言ってね」
それからも、香が何度も誠に食べさせ、甘い時間は過ぎて行った。
午後からも、二人は商店街を回った。
「あっ、誠あれ撮ろうよ」
香が指したのはプリクラだった。
「恋人ならプリクラの一つや二つは持っていないとね。さっそく撮ろう」
香は誠の腕を引っ張ると、中に入って行った。
撮り終わると、香はプリクラを見て嬉しそうに笑みを浮かべた。
「そういえば、誠の写真とか一枚も持っていなかったね。これ、私の宝物にする。誠もなくさないでね」
「プリクラごときで宝物かよ。もっといいものあるだろ?」
「いいの。私すごく嬉しいよ。誠とずっと一緒の気持ちになれるもん」
香はプリクラを大事にしまった。
そして、二人の楽しい時間はあっという間に過ぎて行き、とうとう夕方になった。
「もう夜になるな」
誠は暮れそうな夕日に向かって言った。
「楽しい時間はあっという間に過ぎるね。もっと誠と一緒にいたかったな」
「仕方ねーよ。時間は止められない。そろそろ帰るか?」
誠は香のほうを見て問い掛けた。
「うん。……誠、最後にあそこに行こう」
「あそこ?」
二人はある場所に来た。
それは、二人の出合った場所。
屋上だった。
「やっぱりここは落ち着くね。屋上ってなんか好きなんだよね」
香は両手いっぱい広げて屋上に立った。
誠はその姿を見ていろいろと思い出した。
思えば、すべてここだった。
香と出会ったのも、ケンカして決裂したのも、岬とのことも。
ここは、いつしか香との思い出が詰まった大切な場所になっていた。
「ねえ、誠」
入り口の前に立っている誠に背を向けながら、真ん中に立っている香が口を開いた。
「私の、最後のお願い聞いてくれない?」
「なんだよ。最後のお願いって」
誠は香の言い方に違和感を覚えていた。
一生のお願いや、最後のお願い。
まるで、もうお願いしないような言い方。
これからも香とは一緒にいるはず。
なら、そんな言い方するはずない。
「私ね、今日一日誠とデートできて楽しかったよ。本当に恋人同士みたいで。だからね、最後に恋人らしいことしたいの」
「なんだよ。恋人らしいことって」
「うん。それはね……」
香はそっと誠に振り返った。
夕陽によって茜色に染まった表情には、少し頬に赤みがあった。
「私と、キスして」
「え?」
突然そんなこと言われて戸惑ってしまった。
確かに、恋人同士ならキスの一つや二つするかもしれない。
しかし、自分たちは別に恋人ではない。
今日たまたまそういう設定にしているだけだ。
誠はそっと香の表情をうかがった。
香の表情は真剣そのものだった。
「ねえ、誠。私と、キスしてよ」
香はもう決心している。
誠はごくと生唾を飲み込むと意を決し、香にむかってゆっくりと足を進めた。
香の顔がどんどん大きくなっていく。
恐れず、視線を反らすことなく、その場に堂々と立っていた。
そして、二人の距離は埋まった。十分キスできるくらいの距離まで。
誠は手を伸ばし、そっと香の顔に触れた。
すべすべした肌触りが手によって伝わる。綺麗な髪が風によってなびく。
「誠……」
香はそっと目を閉じた。
そして、顔を少し上げた。
もう準備はできていた。
「香……」
誠もそっと目を閉じた。
そして、自分の顔を香に近づける。
その距離は数センチ。
誠の心臓は激しく高鳴っていた。
緊張する。
だが、願いを叶えてあげたい。
止めることなく近づける。
もうすぐ唇が重なる。
もう少し……。
すると、突然香が誠に抱きついてきた。
「か、香?」
「ごめん、誠。やっぱりいいよ」
「え? いいって」
「やっぱりキスは本当の恋人同士じゃないとね。ごめんね、無理言っちゃって」
そのとき、とうとう日が落ちて夜が現れた。
「わ~、綺麗な月だね」
香はフェンスに手をつきながら、夜空に浮かぶ満月を見ていた。
誠はその後ろ姿を見ていた。
ほんとうによかったのだろうか。
香は最後の願いと言った。
できれば叶えたかった。
たとえ、恋人同士ではなくても。
誠がそんなことを考えている最中、香は月を見ながら静かに涙を流していた。
そして、そっと呟いた。
「……もう決心ついたよ。ばいばい、誠……」
誠に聞こえないくらいに小さな声で呟くと、無理に笑みを作った。