第二章 part6:亀裂
あの噂話を聞いて、誠は香とあまり話さなくなった。
一緒に昼食を食べたりはするが、休み時間はあまり話さないし、放課後は一人でさっさと帰るようになった。
別に避けているわけでも、噂話をうのみにしているわけでもない。
ただ気持ちの整理がつかないだけだ。
香の過去をあの3人から聞いたが、それが本当だという証拠はない。
それに、今の香を見てそんな感じはしない。
それなら今までどおり振舞えばいいのではないか。
しかし、香は自分の心が分かるが、香の心はわからない。
あの噂が本当ならば、自分の秘密がみんなに知られるかもしれない。
知られることがこんなにも怖いものとは思わなかった。
誠はそっと自分の胸を抑えた。
もしこの奥底に沈めた秘密がばれたら、もうあそこにはいられなくなる。
これだけは……。
「ねえ、誠。今度の休み、一緒に映画でも見に行かない?」
香がいつものように話しかけてきた。
誠は平常心を保つように心がけた。
「ああ、いいぞ。何の映画なんだ?」
「感動のラブストーリーはどう? 私好きなんだ」
「いいね。じゃあ、映画館の前に集合な」
「うん」
香は笑顔で返事をすると、自分の席に着いた。
誠はぎゅっと拳を握った。
香に全てを聞く。あの噂話が本当かどうか。
そして、自分の気持ちもはっきりしてやる。
日曜日。
誠は映画館の前に着いた。
「誠!」
すでに香は到着していた。
「遅いよ。女性を待たせるなんてマナー違反だよ」
「悪いわるい。ちょっと寝坊して」
「本当かな~」
「おいおい、俺の心読むなよ! プライバシーの侵害だぜ」
「大丈夫だよ。もし読んでしまっても口にしないから。ほら、もうすぐ始まるよ。中に入ろう」
二人は中に入ると、チケットを買い、席に着いた。
映画は二時間くらい上映され、こてこてのよくありそうなラブストーリーだった。
男性が女性にむかって真実を問いかける話で最後はハッピーエンド。
いまいち、おもしろみがかけていた。
「う~ん、良い話しだったね。感動した」
香は目じりをハンカチで拭いていた。
「そ、そんなによかったか? 俺はあんまりいいとは思わなかったけど」
「誠はわかってないな~。それより、これからどうする?」
時刻を確認すると、ちょうど午後3時を回ったところだった。
「まだ時間あるし、少しぶらぶらするか?」
「うん」
二人はいろいろな店を回り、楽しい一時を過ごした。
時刻は午後6時を回った。
太陽が傾き、青かった空は茜色に変わり始めた。
「もうすぐ夜だね。そろそろ帰る?」
香は誠に問い掛けた。
誠は意を決し、香に言った。
「香、ちょっと話があるんだ。いいか?」
それを聞いた香は、誠に背を向けるとうなずいた。
「うん。いいよ。私も、誠に話があるし」
二人は歩き出した。
どちらも口を開かず、ただ目的地目指して歩くだけだった。
誠の後ろを香が着いてくる。
誠は後ろを気にしながら歩いていた。
香は今何を考えているだろうか。
もしかして、今の自分の心を読んでいるのだろうか。
怖い。香が怖く見える。
誠はできるだけ何も考えず、目的地に向かって足を進めた。
ようやく目的地に着いた。
それは学校の屋上である。
街全体が見渡せる屋上に二人はきた。
校舎が太陽の光で茜色に染まっていた。
誠は屋上の真ん中で止まると香に振り返った。
香とは数歩の距離があった。
「それで、話って何?」
香は真剣な眼差しで誠を見ていた。
すでに心を読んだのだろうか。
いや、そんなの関係ない。自分の口で言うんだ。
「俺は前に、ここで3人の女子生徒と話しをした。香も前に見たやつだ」
香はそっとうなずいた。
「覚えているよ。あの3人ね。皐、南、そして、……一河岬」
すでに名前を知っているようだ。誠の心を読んだのだろうか。
「その3人から、お前の過去の話を聞いた」
そのとき、香の眉がピクッと動いた。
すると、うつむきながら口元を緩ませ笑みを浮かべた。
「そっか……。誠も聞いたんだ。あの噂」
「ああ。香、しょうじきに答えてくれ。あの噂は本当なのか? 人の心を勝手に読んだり、お金をもらって教えたり、人を平気で騙したり、そして」
「一人の男子生徒をノイローゼに陥った。でしょ?」
香は顔をうつむきながら低い声で答えた。
誠は生唾を飲み込みながらうなずいた。
「……あ、ああ」
誠は拳を握ると香にむかって叫んだ。
「香! あんなの嘘だろ? あんなのでたらめだろ? ただの誰かが作ったしょうもない噂なんだろ? そうなんだろ? 香!」
香はうつむいたまま答えなかった。
茜色に服が染まり、風が長い髪をなびかせていた。
誠は焦った。
これが本当なら、これから自分はどうしようか。
誠が考えている最中に、香はそっと口を開いた。
「その前に、……誠に聞くことがある」
「な、なんだよ」
「……友達って、何?」
「え?」
香はうつむいていた顔を上げるとはっきりとした口調で言った。
「友達って、いったい何なの? その答を教えて」
香は真剣な眼差しを誠に贈っていた。
誠は意味がわからなかったが、今考えられることを言った。
「友達は、その人自身を信じ、決して裏切らない。何かあったときは助ける、困ったときは助けられる。一緒に笑って、一緒に楽しむ。それが友達だ」
その答に、香はそっと笑みを浮かべた。
「そう。それが誠の友達の意味ね。それじゃあ……」
香は顔下げながら誠にゆっくりと近づいてきた。
誠はじっと香を見ていた。
香が近づいてくるにつれて、自分の鼓動が激しく脈打つのがわかった。
香は誠との距離が数十センチになると、そっと顔を上げて誠を見つめた。
「誠は、私の噂を信じる?」
「え?」
香の目は悲しげな目をしていた。瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
綺麗な瞳は、一直線に誠を捉えていた。
だが、その奥では恐れがまじっているのがわかった。
誠の返答を怖がっている。
「ねえ、誠……」
誠は香からそっと視線を外すと答えた。
「……わからない」
「……え?」
誠は拳に力を入れ、目を固く瞑るとはっきりと答えた。
「わからないんだ。俺はお前を信じたい。信じてやりたい。でも、あの噂話が本当かどうかもわからない。俺はどうしたらいいのかわからない。だから、……わからないんだ」
誠は香から顔をそむけた。
その答を聞いた香はうつむいてしまった。
「どうやら、本当みたいね……」
香はその答が本当かどうか、誠の心を読んだようだ。
すると、香の足元に小さな黒い点ができていた。
少しずつその量も増え、嗚咽も聞こえてきた。
「……信じてたのに……」
「……え?」
誠ははっとして香を見た。
香は必死に涙をこらえようと、拳を固く握り締めていた。体も小刻みに震えている。
「私、……信じてたのに。……誠は、あんな噂信じないって。すぐに否定して、私を信じてくれるって……。でも、迷うんだね。私は、誠にとってその程度の友達なんだね」
香は涙を抑えきれず、顔を手で覆った。
「か、香……」
誠はそっと香にむかって手を伸ばした。
すると、その手を香は叩いた。
「もういいよ!」
香は誠を睨みつけていた。
息を荒げ、涙を流しながらじっと誠を見ていた。
「香……。俺、俺……」
香は目じりを拭くと、出口に向かって走り出した。
「……ばいばい」
そう言って、香は出て行ってしまった。
「香!」
誠は香にむかって手を伸ばした。
しかし、その場に立ったまま動かなかった。
香の背中から来るなと訴えているかのように感じた。
いつのまにか日も暮れていた。
あたりは真っ暗になっていた。
それは、誠の心も同じだった。