第一章 part11:月夜
朝になると、誠はすぐに小屋にむかった。
泉のことが気になり、いてもたってもいられなかった。
伊藤純一と再会し何かあったはずだ。泉のあんな表情は初めて見た。
誠は休むことなく走り続けた。
中に入ると、泉はすでに起きており朝食の準備をしていた。
「……おはよう」
泉は元気がないが、いつものように挨拶をしてくれた。
誠の分も作っており、一緒に食べることにした。
食事中も、どちらも一言も話さず、静かに朝食を消費するだけだった。
朝食が終わっても、泉はなにもせずに考え事をしているようだった。
大好きなぬいぐるみを抱き、布団の上で黙っていた。
誠はずっと泉のそばにいた。
本当に心配だった。これからずっとこのままなのだろうか。
誠は首を振って考えを否定した。
いつか元に戻るはず。そして、これからも泉は自分のそばにいるはず。
二人はなにもせず、ただ一緒の空間にいるだけを過ごした。
とうとう日が暮れてしまった。
外の景色がだんだんと暗くなる。月が見え始め、星が瞬き始めた。
誠はとうとう我慢しきれず、泉に問い掛けた。
「なあ、泉。なにかあったんじゃないか? いったいどうしたんだ?」
泉はそっと誠を見た。悲しげな目を誠にむける。
すると、泉は降参したのかようやく口を開いた。
「来て……」
そういうと泉は立ち上がり、小屋から出て行った。
誠は言われるままに後ろをついて行った。
空は満月だった。雲もなく星がよく見える。
二人は黙ったまま、暗い中歩いていった。
泉はある場所で立ち止まった。
そこは泉のお母さんが泉にスカイを使った場所だった。ただの偶然だろうか。
泉は誠に背を向けたまま、そっと口を開いた。
「ねえ、誠くん」
この言葉が、二人の終幕を告げる始めの言葉であり、そのカウントダウンが始まったことを、誠は思いもしなかった。
「私たち、ここで出会ったんだよね。そして、私のお母さんがスカイを使った場所」
誠は素直にうなずいた。
「ああ、泉との時間はここから始まったのかもしれない」
「私、誠くんとここで出会って……本当によかった」
泉は誠に向き直った。満月なのでよく顔が見えた。
誠はじっと泉が口を開くのを待った。
すると、泉は突然頭を下げてきた。
「ありがとう。本当にありがとう。私を助けてくれて。誠くんと一緒にいれたときはすごく楽しかった。毎日私に会いに来てくれて、いろんなものを買ってくれて、両親にも会わせてくれて。私、こんなに幸せな気持ちになったの、初めてだった」
誠は意味が分からずただ呆然と聞いていた。
泉の語り方はまるでもうすぐ別れるようだった。
泉は顔を上げると思い出しながら語った。
「風邪を引いたときはごめんね。どうしても看病したくて。お世話になっているんだから、そのときくらい恩返ししなくちゃって思ったんだ。昔からけっこう料理は得意だったんだよ。お粥くらい簡単に作れるしね。逆に迷惑かけちゃったけど。でも、あのときちょっと嬉しかった。誠くんは、本当に私のことを心配してくれているんだなって」
そのとき、誠は一つの仮説をたてた。もしかして……。
「泉、まさか、記憶が……」
泉は小さくうなずいた。
「やっぱり遊園地に行ったときが一番楽しかった。誠くんジェットコースター嫌いなんだね。ごめんね。それに、あの観覧車も楽しかった。昔ね、お父さんとお母さんと一緒に乗ったことがあるんだ。すごく楽しくて、あの景色を思い出せてよかったよ」
「ちょっと待て。泉、どうやって記憶が……」
泉は夜空を見上げながら語った。
「お父さんがスカイを使ったの。私の記憶を甦らせてって。刑務所ではスカイを使っちゃいけないんだね。お父さん、使ったら近くにいた警察官にすぐに奥に連れて行かれた。それで……、殺されちゃったみたい……」
伊藤純一が殺された? 伊藤純一はスカイを使ったら殺されると知っていたのだろうか。
もし知っていたのなら、最後に父親らしいことはしている。
しかし、これで泉の家族は完全にこの世から消えたことになった。
それよりも、気になることがある。
誠はそっと息を吐いて俯いた。
「そっか……、記憶が戻ったか……。やっぱり行かないほうがよかったよな。嫌な記憶が甦って」
記憶が甦ることは、泉がいじめられていたときのことも思い出す。
それが気がかりだった。
しかし、泉は首を振った。
「そんなことない。確かに苦い記憶も甦った。思い出したくない記憶も。けど、楽しいことも思い出した。本当にありがとう。……誠……くん」
そのとき、泉の目から涙が流れた。
泉は溢れてくる涙を何度も拭いていた。
少しずつその量も増え、嗚咽も聞こえてきた。
「本当に……楽しかった。誠くんと出会えて……本当に良かった。あんなお父さんだけど……会わせてくれた。……私……私、絶対忘れないから……。誠くんとの思い出は、絶対……記憶が消えるようなことがあっても……忘れないから」
「泉……」
誠は泉に近寄るとそっと抱きしめた。
「泉、お前なに言ってんだよ。これからだって、俺たちずっと一緒だろ? もっとたくさん思い出作ろうぜ」
泉は顔を誠の胸の中にうずめた。
「誠くん。私……お父さんとお母さんに会いたい。また……あのときみたいに三人で……」
「でも、泉の両親は死んでしまった。これからは俺が家族だ。それでいいだろ?」
「誠くんは知ってるでしょ? 家族がどれだけ大切で、温かくて、楽しいものか。私がいじめられていたとき、慰めてくれたのはお母さん。酷いときもあったけど、楽しいときを作ってくれたし、記憶を甦らせてくれたのはお父さんだった。あの二人はかけがえのないたった一つの大事な存在。私は、もう一度会いたい」
「でも、どうやって会うんだよ。スカイは死人を蘇ることはできない。それに、俺と一緒は嫌なのか?」
その質問に、泉は大きく首を振って否定した。
「私だって、誠くんとずっと一緒にいたいよ。離れたくない。ずっと……ずっと、一緒にいて、たくさんの思い出を作りたい。……でもね、これ以上迷惑かけられないよ。私は十分に助けられた。本当によかった。私を助けてくれたのが誠くんで」
すると、泉はそっと目を閉じると顔を近づけてきた。
そして、誠の唇と自分の唇をそっと重なり合わせた。
泉の体温が伝わる。
少ししてそっと離した。
泉の顔は赤く頬が染まっていた。
「これが、今できる精一杯の感謝のしるし」
そして、泉は誠から数歩離れると、自分の胸の前で手を組みそっと目を閉じた。
「泉、まさか……」
「お願い……」
「やめろ、泉!」
「私を、両親のもとに連れて行って」
願った瞬間、泉の体が光り始めた。
青白い光がだんだんと大きくなっていき、泉の体を包んでいく。
誠は泉の肩を掴むと強く握り締めた。
「待ってくれよ! 頼むから待ってくれ! 行かないでくれ! 俺を一人にしないでくれ! 泉!」
「誠くん……」
「迷惑かけていい。これからも一緒にいていいから! 俺が泉を守るから!」
泉は小さく首を横に振った。
「毎日楽しくする! 泉の思い通りにするから! もう怒ったりしないから!」
泉は流れる涙を抑え、首を振った。
「たくさんぬいぐるみ買ってあげるから! なんでも好きなもの買ってあげるから!」
泉は涙を拭くと、目を開けて必死に誠の顔を見た。
「……泉! ……泉!」
誠は止まらない涙を流しながら必死に泉の体にしがみ付いた。
泉との過ごしてきた時間が頭の中で繰り返されていた。
楽しいときが、幸せだった日々が終わりに近づく。
泉の体がどんどん冷たくなっていくのがわかる。
誠はがむしゃらにどうにかしようとした。
泉は目を瞑るとそっと口を開いた。
「誠くん、……ありがとう。私、楽しかった。本当に幸せだった」
そのとき、泉は誠を見て口元を緩ませた。
誠は泉の顔に釘付けになった。
笑った。
泉が笑った。
最後に笑ってくれた。
見せることのなかった。
見ることができなかった笑顔を。
泉は最後に見せてくれた。
すると、泉ははっきりと言った。
「私の本当の名前はね……京」
「京……」
泉は笑顔を浮かべながらそっとうなずいた。
青白い光はどんどん収まっていき、最後には消えてしまい、泉はその場に倒れた。
「泉! 泉!」
誠は泉を抱きかかえると、泉の顔を見た。
その顔は今でも幸せそうに笑っていた。
体は死人同様に冷たく、どんなに呼んでも泉は目を開けなかった。
「泉――!」