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声も出せないまま、とりあえず起き上がろうともがくが、体中の痛みも合わさってパニックになりベッド上でじたばたする私を、彼が慌てたように制す。
「わ、ちょっと。そんなに急に起き上がったらまた倒れちゃうよ? 怪我だってしてるんだから、まだ寝てて。」
椅子から腰を上げ、ベッド際で私を布団に戻そうとする彼と近距離で目が合い、不本意ながらまた心臓がはねる。か、顔が近い……。メイクを落としたてなのだろう、スキンケアを行った後のつるんとした肌が間近に迫り、どぎまぎしてしまう。先ほどの勢いとは打って変わった自然体な姿に力が抜け、お言葉に甘えることにしてもう少し休んでから帰ろうか。大人しくなった私を見て満足したのか、彼は椅子に座りなおして口を開く。
「それにしても、タイツなんか履いて暑くないの? もう6月だよ?」
彼にとっては単なる疑問なのだろうが、一番触れてほしくないところを突かれた私の、治まり掛けていた心拍数が跳ね上がる。
「ど、どうしてタイツのことを?」
動揺を隠しきれず震える声で尋ねながら、今日はゆるめの長ズボンを履いているし、万一ズボンがめくれてもぱっと見タイツと分かるタイプのものでもないし……と考えてハッとする。布団をめくって確認すると、さっきと違う服を着ている!?
「あ、着替えたこと気づいてなかった? あの会場は、飲み物がこぼれていたり出演者の演出の色々が落ちていたりと汚いから、一応着替えてもらったんだ。でも安心して、着替えさせたのは女性スタッフだから。ちなみに手首は体が床に着いた拍子にひねったんだと思うけど、見た感じ骨とか靭帯は大丈夫そうだよ。ただ顎は近くにあったテーブルの角で切っちゃってるから相当痛いでしょ? 悪いけどお財布から保険証確認したのと、病院の診察券作って次回の予約書いて入れといたからまた……」
後半はほとんど聞こえていなかった。着替えさせられた?ということは、肌を見られた?いや、彼は何も言ってこないしタイツは脱いでいなさそうだからセーフ?混乱したまま、やはり無理やり起き上がる。体に痛みは走るが、これ以上ここにいるのは耐えられない。私は元々着ていた服をひっつかみ、挨拶もそこそこに彼の部屋を飛び出した。
外に出るととうに日は暮れていた。外気を吸い幾分冷静になった私は、今しがた出てきた建物を振りかえる。どうやら、エントランスは異なるが1階は病院、2階より上が住居スペースというマンションのようだ。敷地面積はそれ程大きくなく部屋数も少なそうだが、その分1つ1つの部屋にゆとりをもって作られた印象を受ける。一人でゆったり住むのもよし、友達や恋人と住むのもあり、といった感じだ。共有部分もシンプルかつスタイリッシュで、なかなか居心地が良い。建物観察をしていると少しずつ気分は落ち着いてきたが、そういえばここどこだっけ、もう夜も遅いだろうが帰れるだろうかと不安になってくる。ただそれは、目の前に広がるやけに見慣れた風景によって打ち消され、代わりに嫌な予感と安堵が湧き出る。私の住むマンションは目と鼻の先で、知っている街どころか、とんでもなくご近所さんだ。複雑な感情のまま自宅へと急いだ。