074 アレクの野望と愚行が齎したもの
時間は少し遡る
ガルフを筆頭とする冒険者や傭兵たちを追い出し、アレクは悪態を吐きながら夕食を摂っていた。侍従に命じて持ち込んだワインをグラスに注がせると、それを片手に陣幕の外をうかがう。
「ぐふふ、冒険者ども、せいぜいワシのために役立ってくれよ。このアレク・イートック様のために、な」
そう言って、彼はグラスを一気に煽り、再び椅子に腰を下ろした。すぐに侍従が近寄り、グラスにワインを注ぎ足す。グラスを指先で転がしながら、アレクは再び下卑た笑みを浮かべた。そして、机の上に置かれた一本の巻物に目を留める。
「しかし、高い買い物だったな。試しに見せられた効果は素晴らしいものだった。その100倍の効果と言っておったし、ワシを騙せばどのような目に遭うかも理解しておった。その上、あの方からの紹介であれば、信じても問題なかろう。そして、商人を紹介くださったということは、あの方もワシに期待を持っておられるに違いない。これを使って、ワシはゴメナの統治者になる。そして、その先も、ぐふふ、ふふふ、わっはっはっはっは!」
アレク・イートックがこの巻物を手に入れた経緯は、いささか特殊なものだった。
通常、巻物の販売を許されているのは、魔術師ギルドや教会、それに類する存在のみである。これらの組織は転売を基本的に認めておらず、もし認める場合でも販売元の立ち合いが必須条件となっていた。そのような正規の経路を全く経由せず、アレク・イートックは一人の商人からこの巻物を銀貨10枚という大金で買い取っていたのだ。
笑いすぎたアレクは激しく咳き込み、ワインで喉を潤した。そして、
「仮眠をとる」
と侍従に告げると、用意させていたベッドに横たわる。それを確認した侍従は、静かに陣幕から出て行った。
夜の11時を過ぎた頃、起こしに来た侍従に文句を言いながら装備を整えたアレクは、陣幕の外で本陣付きの騎士たちに集合を命じた。集まった者たちの前で、アレクは高らかに告げる。
「騎士団の精鋭の諸君、よくぞ集まってくれた。これより迷宮攻略に向かう。その誉れを諸君たちも共に享受することを許してやろう。50名、早い者勝ちだ。志願する者はいるか?」
アレクの言葉を聞いた騎士たちは、水を打ったように静まり返ってしまう。
「誰もおらんのか? せっかくの機会だぞ。では、第一部隊の隊長、お前を含めた精鋭50人を選出し、供とする。人選は任せる。速やかに行うように」
その言葉を聞き、隊長が口を開いた。
「恐れながらアレク様、私はアレク様の留守を預かりたく思います。万が一にも、アレク様が留守の間に不手際があれば、アレク様の名を汚す事になりかねません」
そう言われたアレクは、渋々ながら頷くと、視線を副隊長の方に向けた。
「私は、隊長を補佐したく思います。アレク様と違って、私も隊長もアレク様のような威光を持っておりませんゆえ」
「私も副隊長と共に隊長を補佐いたします」
副隊長の言葉を聞いて、間髪入れずに三席の地位についている者が答える。すかさず隊長が、
「アレク様、先に冒険者たちに確認と打ち合わせを行うべきではありませんか? 50人の人選は我々で行い、御身の元に連れて行きます」
そう言われればアレクも頷くしか出来ず、冒険者ギルドの陣幕に侍従と共に向かった。
アレクが見えなくなると、隊長を含めた3人が深々と頭を下げて、集まった騎士たちに声を揃えて謝った。
「本当に申し訳ない」
冒険者ギルドの陣幕の前では、仁王立ちになったガルフがアレクを待っていた。アレクは仰々しい態度でガルフに問いかける。
「進捗は如何かな、ガルフ殿」
「夕方の間引きのお陰で出口に向かって来たゴブリンは数えるほどしかいません。この感じですと、中も静かに動けば遭遇するゴブリンは少なくて済むでしょう。本当に中に入るおつもりですか?」
ガルフは慇懃無礼にアレクに問うた。
「当たり前のことを聞くな。我々が中に入ったあと、逃げ出してくるものを確実に倒すのが貴様らの仕事だ」
不機嫌を隠さずに言い放ったアレクに、ガルフは嬉しそうに笑って念を押した。
「逃げ出してくるものを確実に倒すのが我々の役目でよろしいんですね」
その時、顔の形が変わるほど顔を腫らした隊長が、50人の騎士を連れてアレクの元へ現れる。
「アレェク様、50人、連でぇ来ました」
発音も覚束ない隊長を一瞥し、アレクは告げる。
「それでは、これから迷宮攻略に向かう。余計な音を立てぬよう細心の注意を払え。では、しゅっぱーつ!」
そう言ってアレクを先頭に、松明を掲げて村の中心に向かう集団に、ガルフは憐憫の視線を向けた。
迷宮化した村の建物、その内部は異空間と化し、ゴブリンが生み出される。そして、一定数を超えると隣の建物に先に生まれたゴブリンが移っていく。それを繰り返し、最後は村の周囲でもゴブリンが活動するようになるのだ。冒険者が行った「間引き」とは、屋内にいるゴブリンを討伐することで、ゴブリンが夜間に村の中心部から出てくるのを防ぐことを目的としていた。
その甲斐あって、アレクと騎士たちは、途中、十数体のゴブリンと遭遇し、何人かの犠牲を払いながらも中心部に辿り着いた。村の中心には、黒々と聳え立つ巨木があった。その巨木を前にして、アレクは興奮気味に言う。
「これが野外迷宮の中心であろう。これを倒せば迷宮も消え、ワシの願いも叶うというものよ。では、始めるとするか。周囲を警戒して、ワシの邪魔をさせるなよ!」
そう騎士たちに指示を出したアレクは、腰の魔法の皮袋から巻物を取り出した。そして、手にした紙に目を落とし、高らかに詠唱した。
「我が願いは静謐なり、悪しき存在を許すことなく、ここに聖なる力を示さん『聖結界』!」
直後、巻物から光が溢れ、周囲を包み込んだ。騎士たちも眩しさのあまり目を瞑る。光が収まった時、騎士たちが見たのは、老人のように姿を変えたアレクだった。それと同時に、建物という建物からゴブリンが飛び出してきて、騎士たちに目もくれずに村の外へと逃げ出した。




