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刻舟求剣エッセイ

秘すれば花

作者: イトウ モリ


 私の好きな言葉。


 そして、私を戒めるための言葉でもある。


 それが、秘すれば花。



 1年前に投稿したエッセイで、いつかはきれいな花を咲かせられたら、と書いた。


 自分で書いた作品は割と読み返すようにしている。(でも誤字を見逃すのはなんでだろう)


 特にエッセイは、自分ために書き残しているものが多いので、読み返すことが多い。


 自分への戒めとか、初心を忘れないようにしようとか、歳とってボケたときに読み返して、あの頃は若かったなあと思い出に浸れるように準備しておこうとか。

 そんなつもりで投稿している。



 1年前のエッセイは、自分がここで創作するためのスタンスを書いたもので、たまに自分の立ち位置を見失いそうになったときに読み返すようにしている。





 ある日の帰宅途中、急に疑問が浮かんだ。



 きれいな花って、どういう花を咲かせたいんだ?



 あまりにも願望が漠然としすぎていて、なんのイメージも持てていなかったことに気づいた。



 自分の咲かせたい花のイメージを何も持たずに、ただボケーっと『あははー。きれーなお花がしゃいたらいいなー』と、なにもせずボケボケしていたわけだ。アホくさ。それこそ頭に花でも咲いてるみたいだ。


 パンツ一丁で頭に花を咲かせる教育テレビのカッパのほうが何倍も立派だ。

 だって彼はイメージした花を自在に(たまに失敗するけど)頭に咲かせられるんだから。



 こうなったらいいなと願っていても、イメージができていなければ、人は何も変われない。


 具体的なイメージを持たなければ、目指す方向がわからないし、方向がわからなければ進むことはできない。



 私は、想いを秘めたその先に、なんの花を咲かせたいと思ったんだろう。


 色は。大きさは。花弁は。葉は。


 イメージがなければ、花はいつまで経ったって咲くわけがない。

 そんな当たり前のことに1年経ってようやく気づいた。




 帰り道、知っている花を思い浮かべる。



 オルレア。

 好きな花だけどなんか違う。私には綺麗すぎる。


 バラ。

 違う。トゲはいらない。


 ラベンダー。

 ちょっと香りが強すぎて嫌だな。


 ……庭にあるやつしか思いつかん。



 そんなことを考えながら家に帰った。結局思いつかなかった。




 いきなり話が変わるが、いま私には禅語ブームが到来している。


 たまたまスヌーピーと禅語の記事を見かけて、すごく自分にぴったりの言葉を知った。


 んで、忘れてしまった。



 同じ記事を探してももう見つからなくて、仕方ないから山ほどある禅語の中から該当の言葉を探そうと、本を買って読んでみた。


 といっても本気の禅はハードルが高すぎなので、お手軽な知的生き方文庫の中から選んで購入した。



 禅をきちんと学んだことは今まで一度もなかったけれど、昔カウンセリングの研修を受けていたとき、ちょっとそこの流派から浮気をして、ゲシュタルトセラピーのワークショップに参加したことがあった。


 ゲシュタルトセラピーと禅はけっこう似ている。


 言語ではなく、体感や五感での気づきの概念が私にはすごく合っていた。


 頭で理解するものではないから、ネットで知識を詰め込みたい人には向かないジャンルだと思う。


 でも私はこういうのがすごく好きだ。



 そのせいなのか禅語の本を読んでいるとき、自分がすでに禅的な生き方をしていることに気づいた。


 年齢的な節目も迎えたし、旅支度も兼ねて、そろそろ自分の(よりどころ)にするための宗教ってものについて考える時期がきたのかもしれない。


 ずっと無宗教を主張していたけれど、もし選ぶなら禅を選んでもいいな。


 そんなことを思った。

 



 禅の本の後半を読んでいたら、人の世は沼だという言葉があった。


 進めば進むほどズブズブ沈み、飲み込まれ、息ができなくなる。


 だけど私たちはその沼の中で生きなくちゃいけない。


 もがきながら、あえぎながら、必死で息をして生きている。




 その瞬間、急に花が浮かんだ。



 (はす)の花だった。




 深い泥の中に根を下ろし、水面から空へ向かって高く茎を伸ばす。

 そして、淡く優しい色彩の花を咲かせる。



 ああ、これなら悪くない。



 私がひとまず咲かせたい花は蓮にしよう。



 まるで最初からそう決まっていたように、すんなりと腑に落ちた。



 蓮のいいところは、花が咲かなくても食用になることだ。素晴らしいと思う。



 私はきんぴらも好きだし、はさみ揚げも好きだし、レンコンチップスも好きだ。


 ……なんか酒が飲みたくなってきた。




 気づきというのは悟りと同じものらしい。



 なんとなく、節目の時期になると多くの気づきを得る。


 気づきというのは、頭ではない場所で感じるものだ。



 頭を休めて、目を閉じて。


 自分の中にいる自分と、言葉ではない会話を交わす。



 そうすると、なにかがつながる。


 アハ体験とか、ゲシュタルト転換とかいうやつだ。


 また数年ぶりにゲシュタルトについて学び直してみようかな。


 そんなことを思った。




 で、結局。


 私が知りたかった禅語は、購入した本には紹介されていなかった。



 別にスヌーピーは好きでもなんでもないのだが、スヌーピーのマンガで禅を説明した本というやつを買うしかないのかもしれない。


 でもそこにも載ってなかったら嫌だなあ。

 別にそんなにスヌーピー好きじゃないし。



 誰かご存知の方がいたら教えてほしい。



 たくさんの人に話を聞いてもらえなくても、自分の身近な人たちの小さな輪の中で声が届けばそれでいい。


 そんな感じの意味の禅語らしい。



 秘すれば花と一緒に、自分の好きな言葉リストに加えたい。


 だめならスヌーピーを買うまでだ。

 別に買いたくはないけれど。情報求む。













 春夏秋冬、朝昼晩。

 花咲けパッカン。うーん……開花っ!







 挿絵(By みてみん)






 あ、しまった。


 はなカッパのおじいちゃんとおそろいになっちゃった。

6.20追記

本日ようやく解にたどり着きました。

私が探していた言葉は【一箇半箇】という言葉でした。

あー、スッキリした!

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