1-8 涙の色(sideデューク)
バタンと部屋のドアを蹴り開けて、部屋の中に走り込む。それから、少しホッとして息を整えると、シャルをゆっくりとソファーに下ろした。
胸につけさせていたブローチは紛失や盗難防止のために、許可した者しか触れない魔術と、位置情報を知らせる魔術が仕込んであった。何かありそうだと思って必ず付けさせていたが、まさか本当に誘拐されるとは。しかも、首輪を付けられているなんて。とんだ変態野郎だ。
危ない奴だとは思っていたが、レオナルド王子は相当な支配欲を持っているようだった。雇用契約と国籍の手配をしておいて本当に良かった。あのブローチを追いかけることは許されても、それだけではシャルを連れ戻せなかっただろう。
ソファーに沈み込んだシャルを見る。何故かまだ目を覆ったままだった。
「おい、もう部屋だから大丈夫だぞ」
何となくビクッとしたシャルは、恐る恐るその手を外した。手の中にはたくさんの人魚の涙。それは、びっくりするほど色とりどりだった。
「うわ、すごいカラフルだな?」
怒ったような黄色、安堵の橙色、恐怖や悔しさの滲む群青や紫に、一際目立つこの薔薇のような赤は―――
シャルはそのままさっと石をまとめると、ポケットに仕舞った。
「なんだよ」
隠すようなその仕草にイラッとすると、シャルは何故かむくれたような、何となく照れたような顔をしていた。それから、ちょうどテーブルの上にあったボードと魔力ペンを手に取った。
『号泣した涙をまじまじと見られるとか恥ずかしいでしょう』
「なるほどな」
そう言われてみればそうかもしれないと納得する。
シャルはそんな俺をちらっと見てから、また何か文字を書き始めた。とりあえず、いつものように隣に座ってボードを覗き込む。一瞬ペンが止まったような気がした。珍しい。疲れてるのかもな。そりゃそうか。
正直、俺も疲れた。はぁ、と息を吐きだしてソファーに沈む。
『助けてくれてありがとう』
「おう」
『本当に気持ち悪くて死ぬかと思った』
「お前首輪つけてられてたもんな」
『あれって普通?』
「いや明らかに異常だろ。よくあんな男好きだったな。変態か?」
『違うし!私じゃないから!!!』
物凄い書体で殴り書くシャルが面白くて笑う。こいつが普通に声出して話し出したらうるさいだろうな。何となく想像してみたら、より可笑しくなって笑い声が漏れた。
シャルはまた不機嫌なカエルのようにむくれてから、少し間をおいてまた文字を書いた。
『何度でも言うけど、あの見た目だけのクソ王子なんか大っきらいよ!願い下げよ!滅べばいいわ!それに、私が嫌々飼われてるっていう噂があるって言ってたけど、私は温室の妖草たちは大好きだし、メトも可愛いと思ってるし、デュークのことだって』
何故かそこでペンが止まった。不思議に思ってボードから目を離しシャルの様子を見ると、シャルは何故か難しい顔をして、また続きを書き始めた。
『デュークのことだって、まぁいい感じだと思ってるよ』
「何だよいい感じって。気遣わなくていいから」
『そんなんじゃないし』
「分かった分かった。喉乾いたろ。なんか飲むか」
もうこの話はやめようと席を立って小さなキッチンでヤカンを火にかける。
シャルは多分俺に対するいい褒め言葉が見つからなかったんだろう。正直、俺は性格も悪ければ適当な身なりで生きてきた自覚もめちゃくちゃある。別に、そこまで社交が必要な立場でもないし、そんなのは今まで大して気にも止めていなかった。
レオナルドに言われた言葉を思い出す。こんな男に怪しい生き物と一緒に飼われてるなんて、不名誉な噂を立てられてしまった。元々はメトと妖草たちの世話をしてくれる奴が欲しかったのだから、評判の良くない仕事を与えているとは分かってはいたのだが。少し申し訳無かったなと思う。
さっきの涙の石の色。怒りや悔しさの滲む色は、もしかしたらそんな不名誉な噂から来ていたかもしれない。安堵の色もあったから、助けて良かったとは思うが。なんとなく自信をなくして、はぁと息を吐き出した。
ブローチの位置情報が移動し、王宮のレオナルドの区画に入った時。俺は、分かった瞬間、講義室を飛び出していた。
もしあの時の俺から石が出たとしたら、何色になるのだろうか。
焦り、憤り、心配――それだけじゃない、黒い何かが湧き上がった。その気持ちは、レオナルドがシャルに首輪を付けて迫っているのを見たときに、大きく膨らんで――柄にもなく、俺の外見を揶揄する安い挑発にも言い返してしまった。
ガシガシと頭を掻く。何をそんなに熱くなってしまったのか。よくわからないあの黒い気持ちの正体が分からず、何だか気持ち悪い。
シュンシュンとヤカンから湯気が立ち始めた。やれやれと再びため息を吐いて、お茶を入れる。
そういえば、あの一際目立つ薔薇のような赤は何の色だっけな。ぼんやりと昔見た人魚の涙の図鑑を頭に思い浮かべる。
確か、あの赤は………
―――――愛の色
ガチャン!とカップが音を立てて湯が飛び散った。
音に驚いて飛び上がったシャルが、慌ててこちらに駆けつけてきた。何やってんのあんたは!?というような顔で、湯のかかった俺の手を引っ張って水の中に突っ込む。
水の中で浮かび上がるヒリヒリとした火傷の痛みと、俺の手を掴む、心配そうなシャルとの近い距離。慣れ親しんだ優しい匂いと手の感触に、急に胸が跳ねた。
混乱した気持ちのまま、シャルのしかめっ面の、心配の滲む横顔を見る。
―――誰だ?
愛の色の、人魚の涙。あの時いたのは、俺とレオナルドだけだ。つまり――
大嫌いだとか言っておいて、やっぱりレオナルドに惹かれてるんじゃないのか。
学園での俺たちの評価を考えれば当然だ。怪しげな魔術師学部の留学生の俺は、エリマキトカゲや妖草を育てる、だるそうで洒落っ気のない得体のしれない男として敬遠されていた。
一方で爽やかで優しげなレオナルドは、騎士学部のナイトとしてキラキラの金髪の王子様だと恐ろしいほどの人気だ。結果それもあって複数の女を囲い込んでいるのだが、何故かそれも許されてしまうほどの人気。
間違いなく、愛の色をもたせたのはレオナルドだろう。
出会ってすぐ、シャルが温室で言っていたことが、頭をよぎった。
―――どのみち失恋したら泡になって死ぬ運命
「だめだ、シャル」
水の中で、ガシッとシャルの手を掴む。
びっくりした顔で俺を見上げるシャル。でも、ちゃんと伝えないと。
「レオナルドは、だめだ」
そう言って、きちんと伝わるようにしっかりとシャルの深い青の目を見つめる。目を丸くしたシャルは、ふるりと震えると、顔を赤くした。その表情に、何だかショックを受ける。
「――やっぱり、レオナルドが好きなんだな」
驚いたような顔をしたシャルは、一拍置いてふるふると首を横に振った。その絶妙な間に、やっぱり、という何だか黒い気持ちが湧き上がる。
なんで……だめだ。シャルが、死んでしまう。
「そんな、簡単に、気持ちを切り替えられないだろうけど」
ぎゅっとシャルの手を握る。どうしたらいいんだろう。でも、とにかく、分かっていることは。
もう一度シャルの手をしっかりと握って、真剣に、伝わるようにと願って、口を開いた。
「―――他の奴、好きになれよ」
そう言ってシャルをしっかりと見つめると―――シャルは、真っ赤な顔になり、呆然と俺を見上げた。
「よぉー!デューク久しぶり!!!戻ったぜー!!!」
バーンとドアが開いて、有名な土産の袋をぶら下げたマーカスが部屋に入ってきた。
それからキッチンの俺らを見て、ピタリと止まる。
「………………邪魔だった?」
部屋に、なんとも言えない変な空気が流れる。
邪魔?首を傾げる。本当はもう少しシャルを説得したかったけど、もうこの状況じゃやめたほうがいいだろう。
そう気持ちを切り替えて、シャルの手を離す。
「いや、もう大丈夫だ。結構早かったな。無事に家督は継げたのか?」
「えっ、あ、いや、うん。継げた継げた」
「容態は?」
「あぁ、うん。まだ起き上がれないし体に麻痺は残ったけど、もう死ぬとかはないって。親父もしぶといわ〜」
はは、と笑うマーカスは、若干疲れが見えるものの元気そうだった。いつもの明るいその様子にほっとする。父親が倒れたという知らせを受けて、血相を変えて飛び出していったのだ。無事に落ち着いたようで本当に良かった。
「で、卒業はできるの?」
「ハッハッハ、もちろんだよデューク君。あと3ヶ月だからね。あっちにいる奴らに全て丸投げしてきたよ」
「えっまじか」
「………書類送るから確認して返送しろだって」
ゲッソリとした顔に、少し疲れた顔の理由が分かった気がした。
「がんばれ」
「えぇーー手伝ってよーー」
「だめだろ普通に」
「頼むよぉーー」
「嫌だ」
「友よぉーー」
「友だろうと嫌だ」
「………ツレナイよねデュークって」
ムスッとしたマーカスは、ジトッと俺を睨むと、視線をすすすと横にずらした。
「……………そんな友に冷たいデュークだとしても、ちゃんと紹介してくれるでしょ?その可愛い子は誰ですか?」
あぁ、と思ってシャルに視線を戻す。何故かまだ赤い顔をしていた。何となく照れているような、恥ずかしそうな顔。
再びマーカスに視線を戻す。俺に紹介をしてくれるのを待つマーカスは、今度は楽しそうな様子で、ニコニコとシャルを見ていた。元気で明るく人懐っこいマーカスは、とにかく人と仲良くなるのが上手い。そんないつものマーカスなのに、何故かちょっとイラッとした。
「……シャルロッティだ」
「シャルロッティちゃんね!えぇと?それから?どんなご関係で??」
「メトと妖草妖樹の世話をしてもらってる」
「っあのトカゲと怪しい植物の!?鬼なのデューク!??」
「トカゲじゃない、エリマキトカゲだ」
「似たようなもんでしょ!?えぇー!?シャルロッティちゃん、触れるのあれ!?」
ハッとしたシャルは、パタパタとテーブルの方へ走り、ボードを手に取った。マーカスは文字を書くシャルロッティを不思議な表情で見ている。
『メトは可愛いですし、触れます』
「えっあ、そ、そう??」
「シャルは声が出ない」
そう補足すると、マーカスは何だかビックリしたような顔で俺を見た。
「何だよ」
「なんだって、いやいやお前」
『シャルロッティです。声が出ませんが筆談はできます。メトと妖草たちのお世話とちょっとした家事で雇ってもらいました。マーカスさん宜しくお願いします』
マーカスは何か俺に言いたかったようだが、シャルがボードを書き上げたからか、そちらに視線を戻した。ふむふむとそれを読んで、そしてじっとシャルを観察するように見つめている。
「………雇ってもらったんだね?」
『そうです』
「……雇用主と雇われた人?」
『はい』
「………っていう関係で合ってる?」
何故か今度は俺に確認を取るマーカスの意図が良く分からず、顔をしかめる。
「合ってる。何をそんなに疑問に思ってるんだお前は」
「まぁ………いや、なんでもない、ごめん」
良く分からない空気感で居心地が悪い。首を傾げつつシャルの方に視線をやると、シャルは何だか顔を赤くして、ボードで俺の視線を遮りながら何か文字を殴り書きし始めた。
『メトと妖草たちのお世話してませんでした!!ちょっと行ってきますね!!』
そうしてパタパタと温室へ行ってしまった。もしかして、人見知りだろうか。そう思いながら、さっきの様子を頭に浮かべる。
何にあんなに赤くなってたんだ?
再びマーカスに視線を戻す。
少しお調子者な雰囲気の、でも整った顔の上には、レオナルドと同じ金色の髪が、きれいなウェーブを描いて乗っかっていた。
まさか。
「いや睨むなよ!邪魔して悪かったって!不可抗力だからな!?」
「……別に睨んでない」
「いや……いやいやいやいや」
何故か片手で目を覆って苦悩するマーカスは、金色の美しい髪の毛を掻き上げると、なんとも言えない表情で俺のところに歩いてきた。そして、ガシッと肩を組んで、何かを企むような顔で俺の顔を覗き込んだ。
「……………で?」
「……は?何だよ」
「いや、何か言うことあるだろ、俺に」
「…………あぁ、明日歴史のテストだ」
「っ嘘だろ!最悪だ!!もっと早く言え……じゃなくて!!!」
ガシガシと美しい金髪を掻きむしったマーカスは、再び真剣な表情で俺の顔を覗き込んだ。
「あの子だよ」
「シャルがどうした」
「どうしたって、いや、お前な………」
「言いたい事があるならはっきりと言え」
「そう来るか………いや、待てよ、お前もしかして………」
今度は何かを思案し始めたマーカスは、何か思いついたのか、ハッとして、そしてニヤリと悪い笑顔を作った。
「シャルロッティちゃん、可愛いよね。俺もシャルって呼んでいいか聞いてこようかな」
は?という声が出そうになった。
でも別に、ダメな理由はない。
それなのに、何故か、いいんじゃないか、という一言が口から出てこない。
代わりに、また慣れない黒い気持ちが沸々と湧き上がってきて眉を顰める。
「っぷはっははははっ……!やべぇ、面白っ!!」
「何が……」
「お前も嫉妬したりするんだな」
―――嫉妬?
その言葉を処理しきれず、呆然とマーカスを見る。マーカスは、そんな俺をみてまた可笑しそうに涙を浮かべて笑い転げると、ニヤニヤとしながら再び肩を組んできた。
「何びっくりした顔してんだよ」
「……そういえば今日はこれを植えるんだった」
「えっ何……わぁ!!バカ!!!それしまえ!!」
ガラス瓶に入った珍しい食虫妖草の種をポケットから取り出す。育てるのが難しく、かなり珍しい貴重な種だ。ちなみに、種だけど常に勝手に飛び跳ねて、虫を食べる。
「触ってみるか?」
「いや、ふざけんなマジで!こっちに向けんな!」
「こいつ強いからそろそろ蓋のコルク突き破って出てくると思うんだよね」
「ギャーーー!!!」
マーカスは妖草が大の苦手だ。特に動くやつ。これは本当に苦手だろうなと思い……顔の前に突き出してやったら、お土産を放って慌てて逃げ出した。
「それ!姉ちゃんから土産だって!後でテスト範囲教えろよ!?じゃあな!!」
そうしてバタバタと逃げていった。
ため息をついて、種を金属の蓋がついたガラス瓶の中に入れる。本当にコルクが薄くなっていた。出るのは時間の問題だったな。出ても、別に害はないけど。
キュッと蓋を閉じて、コトリと机の上に置く。
―――嫉妬
今日感じた黒い気持ちの正体を言い当てられ、正直動揺した。
そう、あの気持ちは、間違いなく嫉妬だ。
嫉妬した。それって、つまり―――
「…………うそだろ」
ずるずるとしゃがみ込む。いや、俺に限って、そんな………
最初から順を追って思い出す。そう、まずはメトを躊躇なく触れる女がいる事に驚いた。そして、栽培管理ができるという文字を見て、丁度いいやつだなと思った。
それから、中身がシャルロッティ王女だと分かって。筆談を続けるうちに、どんどんそれは確信に近づいた。今はもう一切疑っていない。人魚が知っているわけもない農作物の話をあんなに詳しく語れるのは、シャルが言うとおり、身体に違う人間――シャルロッティ王女が人魚の身体に入り込んだと考えるのが一番自然だった。
だから、今度こそシャルロッティ王女を、ちゃんと守りたいと思った。
でも、別に、それだけのことだ。そのつもりだった。
―――本当に、それだけか?
その後の日々を思い出す。
穏やかに、静かに流れる日々。隣で覗き込むシャルのうるさい筆談。一緒に食べる食事。表情豊かなシャル。
一緒に温室の管理をするのはとても楽しい。筆談やイラストで、妖草の話を長々としたこともあった。旨いものがあれば食わせてやりたいし、調子に乗ってるとからかいたくなる。その辺にいるだけで何故か落ち着くし、逆にいないと気がかりになる。
とにかく、一緒にいたいと思っている……と思う。少なくとも、レオナルドのところにやるなんて嫌だ。一緒にいれば楽しいし、満たされる。それで、俺の近くで、ご機嫌そうに笑っていてくれれば満足だ。
……そこまで考えて、あぁやばいなと思いながら、諦めたように心の中を整理した。
この気持ちは、やっぱり、どう考えても。
―――好き
ゴン!とキッチンの壁に頭を打ち付ける。
いや、バカか俺は。何してんだ。守るとか、かっこいいこと考えといて惚れるとか。
こんなに自分の気持ちが自由にならないなんて思わなかった。というか、気持ちの変化に気が付かなかった。いつからだ?正直良くわからない。でも、恋愛なんてそういうものなんだろう。
自分のポンコツさに嫌気が差す。シャルに、何か気持ち悪い事をしていなかっただろうか。
頭にシャルを思い描いて、はっとする。シャルだって、好きになりたくなくても、好きになってしまうものなんじゃないのか?
複数の女を囲うレオナルド王子や、婚約者のいるマーカスにだって。好きになりたくなくても、なってしまうかもしれない。それが、叶わぬ恋だとしても………
もし、そんな男を好きになってしまったら、シャルは―――泡になって、死ぬ。
ドクンと胸が音を立てた。
それは、それだけはだめだ。シャルを、失恋させたらだめだ。
ちゃんと、シャルを大切にできるやつを好きになってもらわないと。
シャルのことが好きで、浮気しない奴。まだ婚約者もいなくて、レオナルド王子からも守れる奴。それは――――
「…………俺?」
混乱の中、俺が出した答えは、イケてるわけでもなく敬遠される根暗な俺に惚れさせたらシャルは死なないという、なんとも無理のある答えだった。
お読み頂いてありがとうございます。
さぁ盛り上がってまいりました!!
「キャー愛の色だって!」とウキウキしてくれた読者様も、
「デュークこれからどうするのかな」とニヤニヤしてくれた方も、
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