1-6 後悔(sideデューク)
部屋に備え付けられた小さなキッチンで、深夜の暗がりの中、熱いミルクの入った鍋にパンを突っ込む。コトコトと鍋から立つ音は、何だか妙に平和で、闇夜の中でそこだけが温かな雰囲気だった。
少し前、フィンティア王国を訪れた時のことを思い出す。俺の役目は、議会制に移行し新しい体制となった新ヤイール帝国と関連諸国との間に入り、近隣の和平を取り戻す事だった。
フィンティアは敗戦の経験からか、少し前から国力を高める動きをしていた。既に水面下で周辺国との連合国化に向けて動いているようで、もしそれが実現すればかなりの大きな勢力となる。だから、新ヤイール帝国とフィンティア王国との良好な関係性、そして自分の国との関係性向上は、重要課題とされていた。
あれは、ヤイール帝国の王族たちの公開処刑から数カ月後のことだった。初めて訪れたフィンティアは、長閑で、穏やかで。そして、悲しみに暮れていた。
帝国の王子の側室として嫁いでいったシャルロッティ王女が処刑された。
それは、フィンティアの国民にとって、雲の上の偉い誰かが死んだというよりも、友人か同僚が殺されたように感じる出来事だったらしい。敗戦の傷跡と合わさって、国全体が悲しさと憎しみのような行き場のないやるせなさで覆われていた。
最初に謁見した国王――シャルロッティ王女の父親は、威厳のある表情の向こう側に深い悲しみと怒りを湛えていた。俺はその日、元から準備していた元ヤイール帝国との和平に関する親書を国王に手渡すことを断念した。
民や家族に愛されていたシャルロッティ王女。その王女を殺した国との和平を、平然と提案できる状況では無かった。代わりに、数週間の滞在を許してもらい、フィンティアの国を見て回って、良い関係性を築く糸口を探した。
そして目にしたのは、フィンティアのあちこちに残る、シャルロッティ王女の軌跡だった。
農業国フィンティアでは、王家も畜産や栽培、育種といった農学を学ぶ者が多い。特に政務にあまり関わらない王女の立場のシャルロッティは、農学を深く学び、王家の農地で育種を行ったり、国の辺境の地まで農業指導に出向いたりしていた。
元々小国で人との距離が近いフィンティアだが、シャルロッティの場合は特に民との距離が近く、時には農家の古びた一室に泊まって地酒を飲みながら語り合ったり、夜通し家畜の出産に立ち会ったりしていたらしい。そして、そこで得た現場感を王家に持ち帰り役立てていく。それが、フィンティアの国を回って見えた、亡きシャルロッティ王女の軌跡だった。
悲しみと共に語られるシャルロッティ王女の生きた日々。それに触れるたびに、フィンティアが立ち上がるまでにまだ時間がかかるだろうということと――自分があの日断頭台の側で見た、シャルロッティ王女の最後の立ち姿が頭に浮かんだ。
結局、フィンティアの国王は我が国と同盟を結び、元ヤイール帝国との間の和平協定に同意した。それは、フィンティアの民の穏やかな日々のために必要な決断ではあったけれど。
あの時、協定にサインする国王の静かな悲しみと怒りを湛えた表情は、今でも忘れられない。
あの日、クーデターが起こり、ヤイール帝国の王族たちが処刑された日。自分は帝国の状況と行く末を把握するために民に紛れ込んでいた。他国の人間である自分の立場では、見ているしか無かった。それは間違いなかった。
それでも。人質同然で帝国で生きていたシャルロッティ王女が処刑されるのをただ見殺しにしたという事実は、自分の心を抉っていた。
最後の立ち姿は、美しくて、気高くて。
後にフィンティアで見た、シャルロッティ王女のが処刑前に書いたという手記には、祖国への想いと共に、こう書いてあった。
―――こうして牢に入ってしまったけれど、醜い欲に塗れて己を見失うよりは、ずっといい。私の知恵と心の自由は、誰にも奪わせない。
その言葉は、今でも自分の胸に強く残っている。
一度、会って話してみたかった。自然とそう思える自分にとっては珍しい人物だったのに。
フィンティアで愛されていた明るく気高い王女の命が失われたのは、いつの間にか自分にとっても、苦い記憶となっていった。
そんな思いを抱いていたからだろうか。人ではない何かが化けた女が、そのシャルロッティ王女を騙るのを見て許せない気持ちになった。
メトが口にするのは、妖魔や幻獣、精霊といった、通常とは異なる生き物に関わるものだけだ。女の汗をメトが舐めたということは、この女は人ではない。妖魔か何か知らないが、これ以上シャルロッティ王女が穢されるのは許せない。そんな気持ちで刃を向け続けた。
通常、人に化けたものは、追い詰められると本性を現し襲いかかってくる。そのはずだった。
だけど、目の前の女は、悲しみの色で染められた涙の石を瞳から零れ落とした。そして、俺の語るあの日の断頭台の様子に顔を青くして、震えて首を抑え、気を失った。
崩れ落ちた時、植木鉢の角に頭を打っていた。その後はぐったりとして動かない。側には人魚の涙が転がっている。
―――まさか。
一時、動けなかった。
間違いなく、人魚の涙だった。そして、シャルロッティ王女の処刑の話に、顔を青くして倒れた。
近くに落ちるボードに書かれた文字を呆然と見つめる。
それを否定できる要素は、何もなかった。
―――もし、本当に、この人に化けた人魚の中身が、シャルロッティ王女だったら?
もしそうなら、俺のした事は、最悪だ。
ガランと持っていた剣が手の中から滑り落ちた。
それから、慌てて女を――シャルロッティだという人魚の女を抱き上げる。青白く、辛そうに歪んだ表情。力の入らない、柔らかい身体。もし本当にシャルロッティが……この人魚の身体の中身があのシャルロッティ王女だとしたら。鋭い剣を突きつけられ、自分が死んだ時の話をされる恐怖はどれだけのものだっただろうか。
罪悪感がじわじわと胸に広がる。でも、そんなことよりも、早く手当をしないと。部屋のドアを蹴り開けて、急いでベッドに寝かせた。
シャルロッティ王女かどうかは確信が持てないが、本当に人魚だとしたら、それはどちらかというと保護の対象となる。中身がどうであれ、人魚は『人に危害を加える』ものではなく、『人に危害を加えられる』ことが殆どだからだ。人魚と人との歴史は、『人魚の涙』に魅了された欲深い人間と、囚われ搾取された人魚という、暗い歴史で作られている。
ぐったりとベッドに沈むシャルロッティを手当てする。頭の傷は幸いにも軽症だった。少し経つと落ち着いてきたのか顔色は戻ってきたが、今度は熱が出てきていた。傷を手当てし、濡れタオルを額に乗せた。
正直、シャルロッティが目を開けるまで気が気じゃなかった。はぁと深いため息を吐いて、パン粥を温めていた火を止める。一応味見をして、適当な皿に盛り付ける。絶品ではないが、これぐらいの出来栄えなら許してくれるだろうと、スプーンと一緒に部屋に運んだ。
シャルロッティは、ベッドの上に座り、物思いに耽っていた。その少し切なげな横顔が、あの日に見たシャルロッティの表情に少し重なる。
まだ、確信は持てないけれど。
もし、本当に彼女がシャルロッティ王女なら―――俺は、今度こそ彼女を救えるんじゃないか。
帝国やフィンティアでの苦い記憶を思い出しながら、そう思った。
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