1-4 血濡れた刃
ちょっと残酷な描写があります。
ムッとした空気が充満した温室の中。見たことのない熱帯の植物が並ぶ。男はエリマキトカゲをその温室に放すと、奥の扉を開けた。その先にあったのは海へと続く美しいテラスがついた………雑然とした部屋だった。
男はソファーに引っかかっていたブランケットを適当にどかすと、テーブルの上に適当に積み重ねられた紙の束を更に適当に積み重ね、空いたところに私の職探しの紙を置いた。そしてどうぞとソファーを指し示した。
……ここに座れと。
なんとなく綺麗かどうかを確認しつつ、恐る恐る座る。
案外座り心地は良くて、心做しかいい匂いがした。雑然としてはいるが、不潔ではなさそうでホッとする。男は私のそんな様子は気にならない様子で、ふぁ~と欠伸をすると向いの椅子に座った。
「一番やって欲しいのは温室の世話とエリマキトカゲの世話。これがメインの仕事だ。それから暇なときにこの部屋の掃除と、書類整理と、面倒くさそうな事務仕事。他にも出来そうな事あったら教えて」
なるほどと思いつつ、メモ帳にサラサラと文字を書いていく。
『温室とエリマキトカゲさんのお世話はどのようにやればいいですか?』
「あぁ、そうだな。まずはあのエリマキトカゲはメトという名前の妖獣だ」
ようじゅう……?
聞き慣れない言葉に首を傾げると、それだけで疑問を理解してくれたのか、男は頷いてまた話し始めた。
「妖獣は少し変わった生き物だと思えばいい。というか、生態もよく分かっていないんだ。メトはとにかくのんびりしていて、温室が好きでよくそこで過ごしている。お前の役割はとにかくメトが心地よく過ごせるようにすることだ」
『食事や他のお世話はありますか?』
「食事はメトが勝手に捕るから放置で大丈夫だ。散歩は俺が連れていくから気にしなくていい。どちらかというと温室の植物の管理が大変かもな」
そう言うと男はポンと古くて分厚い本を私に渡した。『妖草・妖樹の栽培管理方法』と書かれたそれには、いくつもの付箋がついている。
「温室にある植物は殆どが妖草か妖樹だ。普通の植物とは違う。まずはその本を読んで、温室の植物たちの管理方法を頭に叩き込んでもらってから、仕事にあたってほしい」
パラパラと本をめくる。土作りに肥料の与え方、成長に合わせた剪定方法に花の管理。確かに変わった素材を使っていたり怪しい花だったりするが、基本は普通の植物と似ている気がする。
これならきっと大丈夫だろう。私はコクリと頷いた。
「へぇ。キモいとか難しいとか言いそうなのに本当に大丈夫なんだな?」
『難しさは多分何とかなります。キモさは分からないので、現物を見ながら注意点等伺えると助かります』
「乗り気だな。じゃあ早速見てもらおうか」
『待って下さい』
急いで引き止めた私を男は怪訝な顔で見つめた。
「なんだ?嫌になったか」
『違います。貴方の名前を教えて下さい』
「あぁ………忘れてたわ」
男はガシガシと頭を掻くと、黒髪の間からまた青みがかった灰色の目を覗かせた。
「デュークだ」
『デューク様、宜しくお願い致します』
「………書きづらいだろ。デュークでいいし、敬語もやめていい。伝われば十分だ。あとこれ使え」
キョトンとして見上げると、何か不思議な板とペンを手渡された。
「正直、俺は面倒くさがり屋だ。その小さいメモにチマチマ丁寧に書くんじゃなくて、このボードに思いっきり書け。そのペンは俺の微量な魔力をインクにして文字を書くから、そこのボタン押せば何もかも消えるし、何書いても証拠として残らん」
何その便利道具!と試し書きしてみた。ボードのボタンをポチりと押すと、ふわりと文字が消える。面白い!そしてクソ王子と書いても大丈夫そうな安心感がたまらない。
新しいおもちゃを手にして嬉しくなった私は、満面の笑みで男を見上げた。男はなぜかしかめっ面をして目線を外した。
「……とにかく俺は丁寧すぎる筆談をじっくり待つよりも、砕けた言葉でいいから、さっさと内容が知りたい」
なるほど。じゃあまぁ……遠慮なく。
図々しい私は、主の意図を察しつつ、ボードいっぱいに大きく文字を書いた。
『わかった!!』
「いや文字デカすぎだろ……まぁいいや、そういうノリで頼む」
私の悪ノリに呆れたように笑うと、デュークは立ち上がって温室のドアを開けた。ムッとした温室の空気が頬を撫でて、それからエリマキトカゲの――メトがてこてこと走り出してきた。
「おいおい……お前今日脱走しすぎじゃないか?」
メトはまた私のことを見上げて首を傾げている。可愛いなと思いながらガシッと掴んだら、またシャー!!と襟を広げて威嚇された。可愛い。
あんまり怒らせてもなぁと、温室の中に入ってメトを放した。メトはてこてこと歩き小さな木に登ると、また私のことをじっと見た。
「なんかお前のこと気になってんだな」
『掴むと怒るけどね』
遠慮なく敬語を取り払って書きなぐり、怒ったメトの絵を雑に描く。デュークはボードを覗き込んで、ふ、と笑った。
「このメトが怒っている絵、うまいな」
私のこのセンスのあるお絵描きが気に入ってくれて何よりである。絵は好きな方なのだ。にやりと笑うと、この気持ちが伝わったのか、デュークも少し可笑しそうに笑った。
「絵心があるなら妖草の観察記録でも書いてもらおうかな」
『たのしそう』
「妖草のスケッチを楽しそうとか言う奴、初めて見たわ」
デュークはワカメのような髪の毛の中で、顔を可笑しそうに緩めた。その笑みが思ったより優しげで、なんとなくホッとした気持ちになった。
ぶっきらぼうだけど、基本は優しい人なんだろう。再びちらりとデュークの様子を見る。この職場で会うのはほとんどこの人だけだろう。男の人ではあるけど、この人だけなら泡になるリスクはそんなに高くないんじゃないだろうか。
うん、いいかもしれない。そんなゆるりとした気持ちと共に温室の中に足を進めると、メトがてこてことついてくる。
蒸し暑い温室の中。先程通り過ぎた時に何となく見ていた温室の植物たちだったが、よく見てみると、思った以上に変わっていた。葉脈が透ける透明な葉に、キラキラと輝く粉を放つ美しい花。禍々しい雰囲気の紫の肉厚の葉に、こっそり歩き回る若木。
なんて面白い空間だろう。私はワクワクとそれらを眺めた。
……が、暑い。温室の中はムッとした湿度の高い空気が充満していて、じっとりと身体にまとわりついてくる。つ、と汗が頬を滑った。
ペロリ
その頬を舐める感触に驚いて振り返ると、メトが私の方をじっと見ていた。まさか、私の汗を舐めたのだろうか。ギョッとしてメトを一瞥した後、どういう事かとデュークを振り返り……私の動きはピタリと止まった。
鋭利な刃物が私の首元に突きつけられている。
目線を動かすと、デュークは先程の様子とは打って変わった、氷のように冷えた目で私を見据えていた。
「―――お前は何だ」
意図がわからず、かと言って声も出せずただその氷のようなブルーグレーの瞳を見返す。
デュークは、鋭い視線のまま、再び口を開いた。
「お前、人ではないな?」
一瞬、何いってんのこいつと思ったが。
そうだ、今私は、人の足を持つ人魚だったのだ。
ハッとした私の様子を肯定と受け取ったのか、デュークは更に鋭さを増した目で私を睨んだ。
「……貴様、妖魔か?人を惑わし何をするつもりだ」
妖魔!?何だそれと、微かに違うと首を振る。……違うよね?人魚って、そういえば何なんだろう。
混乱しつつも、もう死ぬよりはマシだと自分が人魚だと話すしかないと思った。思ったが、声が出ない。困った。
とにかく、なんとか伝えねばと口の動きだけで に ん ぎ ょ と言ってみる。
眉をひそめたデュークを見た感じ、伝わっていないようだ。今度は大げさな口の動きで、に!ん!ぎ!ょ!!と口を動かす。アホな顔に見えそうだが背に腹は代えられない。
怪訝な顔をしたデュークは私の足をちらりと見た。
「……人魚、だと?人魚は下半身が魚のはずだろ」
えぇいまどろっこしいと、イライラとする。喋れたら一気に伝わるのに。だんだん頭にきて、しかめっ面で口をパクパクしてやった。
「…………筆談を許す。ただし、変な真似はするなよ」
依然として刃を降ろさないデュークは、顎で下に落ちているボードとペンを指し示した。私は刃との距離を保ちつつソロソロとそれを手に取り、デュークを一瞥すると………思いの丈をボードに書きなぐった。
『信じられないかもしれないけど、私は人になった人魚に入った別の人間なの!』
「………何を言っている」
ですよね。私だって今でも意味がわからないんだから。もう破れかぶれな気持ちになってきて、開き直って何もかも洗いざらい話してしまおうと思った。
『この身体は、深い海の底で暮らしていた人魚の『メルル』の身体なの。メルルは昔、レオナルド王子が海に落ちたのを見かけて助けた。その時、うっかりその綺麗なクソ王子に恋しちゃって、海の魔女に声と引き換えに人間にしてもらって、ここにやって来たのよ。そしたらクソ王子はメルルに気を持たせるだけ持たせて隣国の姫君と結婚したでしょ?メルルの魂は失恋の痛みで泡になって死んで消えたわ。その残った身体に入ったのがこの私シャルロッティよ!気がついたら声も出ないしクソ王子の愛人扱いだしで最悪よ!』
文字にしてみるとより悲惨に思えて悲しくなってきた。じわりと涙が浮かぶ。――シャルは泣き虫だなぁ、と困った顔で笑った父様の顔が頭に浮かんで、より涙腺が緩んだ。
何で、こんな繰り返し繰り返し酷い目に合わなければいけないんだろう。
『確かに身体は元は人魚だし、メルルの記憶も朧気ながらあるけど。私自身は海の中を泳いだことなんてないわ。妖魔も人魚もどんな生き物なのかよく分かっていないけど、私は私よ。どうせ敗戦国の田舎王女で、帝国の十何番目だか分からない人質としての側室で、馬鹿な王族たちと共に処刑されたばかりだもの。殺すなら殺したらいいわ。どのみち失恋したら泡になって死ぬ運命だし、遅いか早いかよ』
じわりとより涙がせり上がってきた。こんなところで泣いてしまうなんて。私ももう限界だったのかもしれない。でも、まだ泣かない。悔しくて、なんとかして涙を引っ込める。
それから、もはやどうにでもなれという気持ちでデュークを見ると、デュークは驚いた表情で私を見ていた。
「―――シャルロッティ、王女?」
『そうよ。この人魚の身体の中身は、小国フィンティアの田舎王女シャルロッティ=バルバドロス=フィンティアよ。残念ながら元王女で、ヤイール帝国の人質同然の側室だったけどね』
ヤケクソになりながら書きなぐる。そんな私の文字を目で追うデュークは、何故か呆然とした様子だった。
「………本気で言っているのか?」
一拍おいて、急に怒りを露わにしたデュークは、またギラリと刃を私の首元に近づけた。
「――俺はヤイール帝国のクーデターの後、王族たちの公開処刑を見ている」
ドクンと、胸がなった気がした。
あの時の風景が、脳裏に蘇る。
「俺は断頭台のすぐ近くにいた。泣き叫び命乞いをする妃たち、悪態をつく王族たち。そのなかで、唯一毅然として前を向いていたのが、第十七王子妃のシャルロッティ王女だ」
そう、私は十七番目だった。最初に国王や王妃や側室、王子たちが処刑され、それから順に王子妃が処刑されていった。
私は、本当に最後の方だった。
「あの血濡れた断頭台に真っ直ぐに立ったシャルロッティ=バルバドロス=フィンティア――小国フィンティアが愛したシャルロッティ王女は、あの中で唯一の気高い王女だった。お前があの、首をはねられる最後まで誇り高く生きた、シャルロッティ王女だと?」
覚えている。血濡れた断頭台。
いや、もう、赤い水溜りになっていた。
たくさんの穢れた血が混じりあったそこには、憎しみや妬み、悲しみが渦巻いていて。そして民が投げた石やゴミが混じり合い、そこに踏み込むだけで穢れていくように感じた。
泣くな。私は、フィンティアの王女。小国であろうと、田舎であろうと、誇り高きフィンティアを背負う私が、民の前で情けない姿を見せられない。
だから、必死で背筋を伸ばした。
だけど、本当は、怖かった。
足元に纏わりつく血の匂い。両腕に食い込む鎖の痛み。額に当たった石。民の憤る声。
穢れた王族たちの血が混じり合う、太い二本の柱と、大きな刃でできた、断頭台。
眼の前に、ギラリと光る刃が見えた。
かひゅ、と喉がなった。
「―――おい?」
血が滴り落ちる、私を殺す、大きな刃。押さえつけられた首。視界いっぱいに広がる――汚れた血の海。
民の、憤り、狂気にまみれた興奮した声。怖かった。でも。その先は覚えていない。
きっと、あの後、私の首に。
あの、血濡れた刃が。
冷たい涙が、転がるように頬を伝った。
震える冷たい手で、喉元を抑える。
嫌だ、そんなもので―――私を殺さないで。
叫びたかった。
でも、声は出なくて。
私はそのまま、意識を手放した。
お読み頂いてありがとうございます!
少しでも楽しい時間をお過ごし頂けたら嬉しいです。
「思ったよりしんどい過去だった(´;ω;`)」と涙してくれた優しい読者様も、
「おいデュークなにしてくれてんねん!」と怒ってくれた素敵な貴方も、
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