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1-28 金の色と、光の泡

 ついにやってきた、卒業パーティーの朝。


 私は呆然と、準備されていたドレスを眺めた。


 日差しを浴びてキラキラと輝くシャンパンゴールドのドレスは、繊細な金糸で美しい刺繍が施されていた。柔らかなスカートが滑らかに広がり、上品な輝きを放っている。胸元から上はやや透ける繊細な生地とレースがしっとりと施されていて、同じ生地で作られたドレープが、波のようにひらひらと肩から下がり、ショールのように腕をかたどっていた。


 とても、素敵なドレスだ。これを着ていいだなんて、夢のようだ。


 でも。いつ準備してたんだろう。暫く悩んでから、朧気な記憶の中から街の高級店へ行ったときのことを思い出した。


 そうだ、お直し用だとのことで、サイズはそこで測られてたんだ。まさか……これは、あの高級店のオーダーメイドドレスなのだろうか。スカートを手に取ると、明らかに上質な触り心地がして、慌てて手を離した。一体……幾らするんだろうか………デュークのお給料は大丈夫だろうかと、神に祈る。


「まぁ、シャルロッティさん。これから着るんですから、そんなに怖がって触らずとも、堂々と触ってくださいな」


 着付けのために再びやってきてくれたマーサさんにクスクスと笑われる。そんなことを言ったって、慣れないものは慣れないのだ。私は恥ずかしい気持ちになりながらも、そのドレスに腕を通した。


 完全に身体にぴったりなドレスは、まるで昼下がりの温室に差し込んだ陽の光のように、あたたかな色合いだった。


「まぁ……お似合いですわ、シャルロッティさん。それにこのお色、本当にそのままのお色で……」


 もしかしてマーサさんも同じ温室の光を思い出していたのかと、偶然の奇跡に感動してマーサさんを見ると、マーサさんはハッとして、何故か気を取り直したようにニコリと笑った。


「指輪のお色味ともぴったりですし、何より朗らかなシャルロッティさんのイメージとも良く合っていますわ。本当に素敵です」


『ありがとうございます。ヘアメイクもこんなに綺麗にしてくださって、嬉しいです』


「あらやだ、褒めないでください、調子に乗ってしまいます」


 おほほほと笑うマーサさんはとってもご機嫌だ。私も嬉しくなってきて、一緒におほほほと笑う。声は出ないのだけど。


 そうやって二人でじゃれ合っていると、ガチャリと扉が開いた。


 ドアから入ってきたデュークは、深い青色のローブを着ていた。デュークの国の正装だというそのローブには、縁取るように蜂蜜のような金糸で刺繍がしてある。胸元にはプレゼントしたカフリンクスがうまくアレンジされて取り付けられていた。


 髪を整え、いつもよりもずっときちんとした姿のデュークは、想像よりもずっと格好良くて。思わずぼーっと見とれてしまった。


「………ぼっちゃん?」


「っあ、うん、起きてる」


「当たり前です!もう、そんな完璧にシャルロッティさんの色のお召し物を着てるくせに、気の利いた言葉一つ言えなくてどうするんですか!」


 どしっと体当たりかと思うようなマーサさんの平手打ちを背中に食らったデュークは、ハッとして我に返ったような表情をすると、ほんのり頬を染めながら眉間にシワを寄せた。


「……ちょっと、どっか行っててマーサ」


「はいはい、頼みましたよ?自信持ってください、ちゃんとお父上そっくりの美男子ですから」


 そう言うとマーサさんは、では、と言って私に笑いかけると、ササッとどこかへ行ってしまった。


 二人だけになった部屋に、微妙な沈黙が流れる。


 デュークは、はぁぁとため息を吐き出すと、つかつかと私のところへやって来て。そしてドレスを崩さないように近寄ると、ぽすっと私の肩口に頭を乗せた。


「…………行くのやめるか」


 まさか、ここに来て!?とワタワタと焦るように動いた私を、デュークは緩く抱きしめた。


「…………可愛すぎる」


 ボソリと耳元で低音で呟かれたそれが、あまりの破壊力で。私は力が抜けてしまって、ぐらりとよろめいた。


「っシャル!?」


 慌てるように私を支えるデュークに、ゆるゆると文字を綴る。


『鼻血でそう』


「は!?何、具合悪いのか?のぼせた……?」


『デュークが格好良すぎる』


 そうふらふらと書いた文字を見せると、デュークはぐっと口を引き結んだ。


「ほんと………勘弁してくれ………」


『照れた?』


 そうしてふふふとデュークの顔を覗き込むと。デュークは、思っていた表情と違って、しっかりと熱を宿した目を私に向けていた。


「……やっぱり、このまま二人でここに閉じ籠もるか?」


 そう言ったデュークは、私の腰に手を回したまま、間近で私の目をじっと見つめた。


 その仕草があまりにも色っぽくて、真っ赤になって固まる。


 デュークは、再びはあぁとため息を吐いて、その綺麗に整った頭をゴンと私のおでこにあてると、ぼそりと呟いた。


「お前、もうちょい危機感持てよ」


 そう呟いたデュークに、一体何の危機感!?と問いただしたかったが。私はそのままデュークに連れ出されるようにふらふらと部屋を出た。


 マーサさんに見送られ、デュークにエスコートされてたどり着いたのは、豪華絢爛なパーティー会場だった。段々と日が傾いてきた会場からは、美しい海が一望できる。


 その海を見て、ここは、と息を呑む。美しい入江の白い砂浜。その場所は、初めてデュークと出会った―――呪われたデュークを救った、あの砂浜だった。


 その砂浜を見渡しながら、綺羅びやかな会場を進んでいく。輝くシャンデリア、豪華な食事、ひらひらと揺れる、美しいドレス。


 横を通り過ぎる人々が、私達のことをちらちらと見ていく。扇子の裏では、きっと美しい言葉で、噂話が繰り広げられているのだろう。


 国の贅を尽くした、富の象徴のような場所。しかし、それは、一部の場所だけで。よく周囲を見ると、服装に違いがある。騎士たちにも差があるのがわかる。


 ―――貧富の差。それが、ありありと見えるようだった。


 周囲を見渡す。会場の中も、その差を表すように人の輪が分かれている。遠くの方に、農学部のみんながいるのが見えた。それなりに着飾ったような、でも大していつもと変わらないようなカイザーたちが、遠くからこちらの方に手を振ったり、ふざけてハートマークを作ったりしている。


 笑いながら手を振り返した私は、デュークと共に、最も綺羅びやかな人々のいる輪の中へと入っていった。


 奏楽隊が入場曲を鳴り響かせる。礼を取った私達の前に、王族たちが豪華な衣装を纏って現れた。国王や王妃や側妃に続き、アルフォンス殿下や、レオナルド王子、ローズマリー様が入場する。


 国王は装飾の施された美しい椅子に着席すると、寛大な様子で手を広げた。


「生徒の諸君、卒業おめでとう。今日はめでたき日。門出を祝うためにこの席を用意した。十分に楽しみ、新たな一歩を踏み出すと良い」


 そう曰った国王は、次いでデュークと、その横に控えるマーカスさんを見て、少し意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「それから帝国の大使のお二人よ。勉学ご苦労だった。我が国で得るものはあっただろうか。きちんと卒業証書も発行された。安心して国に帰られよ」


「ありがとうございます。では、帰国前に、先日お渡しした我が国からの親書について、返答をお聞かせ願いたい」


 マーカスさんがそう言うと、陛下はジロリとマーカスさん睨んだ後、ガハハハと笑いだした。


「あんなもの、儂の部屋の前の篝火の中にくべてやったわ」


「………あれは、わが国からの最後通牒です。国策を練り国を改善し、妖魔を追い出さねば、この国はこの先崩壊します」


 デュークがそう静かに話すと、国王陛下は笑みを消してジロリとデュークを睨みつけた。


「ハッあんな要求飲めるわけがなかろう。民への補助や法の改正など必要ない。奴等は自分で何とかせねば、いつまでも国に甘えたままであろう?クーデターやらも問題ない。我が国の数万の兵でねじ伏せるだけだ」


「―――では、我が国と戦をしますか」


 その言葉に会場がざわりとする。危機を煽るようなその空気に、背筋が冷たくなるようだった。


 まさか、デュークの国が、この国に戦争を仕掛けるつもりだったなんて。血なまぐさい未来を想像し、震える手をぐっと握る。


 そっと、私の腰に回っていたデュークの手が、私を引き寄せるように動いた。


 ――俺を、信じて。


 そう私に告げたデュークの言葉を思い出す。


 私はぐっとお腹に力を入れて背筋を伸ばした。


 大丈夫、私は、デュークを信じる。


 突如、沈黙を破るようにグアッハッハッハ、という国王の笑い声が響き渡った。立ち上がった国王陛下は、ばっと手を広げた。すると、ガチャガチャという鎧の音と共に、私達はたくさんの兵に囲まれた。


「戦など、我が国の数万の兵としてもらっても構わないが。その前に、貴殿らの命を人質として預からせてもらおう。なに、そなたらは王族の血も入っているのであろう?少なくともすぐに見放されたりはしないと、期待はしているからな」


「………宜しいのですね」


「しつこいわ!我が国は我が国のやり方がある。貴殿らの国の仲良しごっこや妖魔退治遊びに付き合ってやる筋合いはないわ!」


「――――分かりました」


 デュークは、そうぽつりと諦めたように言葉をこぼすと、辛そうな表情で、目を閉じた。


 それから、ゆっくりと目を開いたデュークの瞳に、私も、周囲の兵士も、国王陛下も目を見開いた。


 デュークの目は、陽の光を浴びたような、美しい黄金色に変わっていた。


「っき、貴様まさか!?帝国の妖怪皇子――」


 ゆっくりと一歩前に進んだデュークは、その金の目を真っ直ぐに国王へ向けた。


「ゼオドラス帝国皇子デュークライドの名において宣戦布告する。即刻降伏せよ」


「っふざけるな!おい、早くそいつを殺せ!!!」


 慌てたようにつばを撒き散らす王の掛け声に、はっと気づいた兵たちが、デューク目掛けて槍を構えた。が、デュークの動きはそれよりも早かった。デュークはばっと何かを四方へとばら撒くと、両手から一気に何かの魔術を展開した。


 瞬間、会場のあちこちから太い木や蔦が爆発的に飛び出した。うねるように勢いよく広がるそれは、兵士を一気に拘束し、蔦の籠の中に貴族たちを封じ込め、蔦で拘束された国王の首元に鋭い棘を突きつけた。


 一瞬だった。デュークと私とマーカスさん以外に、動ける人はいない。


「城は全て制圧した。俺の希望は無血開城だ。即刻降伏して国を明け渡せ」


「っふざけるな!貴様のような化け物にこの国を支配させてなるものか!そう簡単に我が国の者は従わんぞ!」


 つばを撒き散らす国王は、憤怒の顔をデュークへ向けた。デュークは、その顔を冷たく見下ろすと、少し悲しそうに目を細めた。


「………まだ分からないのか?お前の兵は、もはや数千もいない」


 目を見開いた国王が、周囲を見渡す。蔦で編み込まれた壁の向こう。粗雑な身なりの兵たちが、デュークに向かって跪いていた。


「クーデターはもう爆発寸前だった。解放軍は我が国と協議し、今は我々に従ってもらっている。――残された兵は、ここに拘束されている身なりの良い者たちだけだろう。これだけで我が国と戦えると思っているのなら、それは相当に強い者たちなのだろうな」


「っこの、悪魔め!このような人智を超える呪術を使いよって、貴様こそ妖魔なのであろう!?」


 降伏の姿勢を見せずにただ喚き散らす国王を、デュークはじっと見下ろしている。


 その背中は、孤独が滲んでいて。大勢の人の前で罵声を浴びるデュークの痛みが伝わってくるようで。私はぎゅっと手を握った。


「いいえ父上、その者は妖魔にたぶらかされているんですよ」


 突然背後から声がして、ぐっと後ろ手で両手を拘束される。振り向いた背後にいたのは、レオナルド王子だった。


 いつの間に。なぜ、動けるのだろう。


 レオナルド王子は可笑しそうに笑った。


「あれ、何?まさか知らないの?あんなに一緒にいて、全然手を出してなかったってこと?証拠なら、ここにあるのにね」


 そう言うと、レオナルド王子は、力任せにレースを破き、私の胸元を露わにした。


「ほら、この悍ましい印。妖魔の印だよ。この女が妖魔だ」


 ざわりと会場が揺れ、私に注目が集まる。まさか――まさか、この呪いの残渣に、そんな疑いがかけられるなんて。でも、否定する言葉なんて出ない。声も出せないし、文字もかけないのだから。


 得体のしれない呪いの文字の塊が、大勢の人の目に触れる。それは、あの日断頭台で見たのと同じ、憎しみや恐れに染まっていた。


 恐る恐るデュークを見る。


 デュークは、目を見開いて、呆然と私の胸元を見ていた。


「――――シャル、だったのか」


 その静かな声が、会場に響いて。デュークの視線が、痛くて。


 鉛のような冷たさが、身体中を覆うようだった。


 また、私は―――こうして、人々の憎しみの中、殺されるのだろうか。


「っはは!本当に気が付かなかったんだな。紳士っていうのも困りものだね?さっさと手を付けていればこんな事には―――」


「黙れ」


 パンッと床から新しい蔦が飛び出し、レオナルド王子を弾き飛ばす。ドサリと尻もちをついたレオナルド王子の眼前に、すぐさまいくつもの鋭い棘が並んだ。レオナルド王子が、ヒィッという声を出して後ずさる。


 デュークはそれを一瞥すると、ゆっくりと私の方を見た。


「シャル、だったのか?―――俺を……妖魔の呪いから、助けてくれたのは」


 ハッとして、デュークと視線を合わせる。その金の瞳には、憎しみや攻撃心はなくて。


 それは、驚きと心配が強く滲む、優しい瞳だった。


 ―――信じて、くれた。


 ほろりと涙が溢れ、床に美しい色の人魚の涙がころりと転がった。


「助け、たって………」


 デュークが作り出した籠の中にいるカリーナ様の声が、ぽつりと響いた。


「デュークが、呪われていたというのは、本当だったのね……?」


 カリーナ様が、綺麗な顔をこちらに向けた。


「シャルロッティさんが、デュークを、助けてくれたの………?」


「っシャル、何で、今まで―――」


 刹那、ぞわりと悍ましい殺気が辺りを覆った。気がついた時には、黒い靄が眼前に迫っていて。まずい、と思ったときにはもう逃げられなかった。


 目をギュッと瞑る。これは、妖魔の呪いだ。恐ろしさが全身を支配する。


 でも、痛みも何も起こらなくて。恐る恐る目を開くと、目の前にはデュークの背中があった。黒い靄も消えている。


「へぇ………本当に妖術も使えるようになったんだ?」


 カツカツという足音と共に、アルフォンス殿下が進み出た。その周囲には、淀んだような黒い靄がかかっている。


「凄いね。流石、妖を操る妖怪皇子だ」


「………妖魔にとりつかれるよりはマシだろ、アルフォンス」


「っふふ、そうかな?それより僕はショックだったよ。なんで言ってくれなかったの、デュークライドだって」


 ニコリと笑ったアルフォンス殿下は、黒い靄を纏っている以外、変わったところはない。アルフォンス殿下は、綺麗な顔のまま、サラリと金の髪を流しながら首を傾げた。


「別に、嘘はついてない。目の色を変えただけだ。デュークだって、俺の愛称だろ」


「やだなぁ。金の目のチャームポイントを隠されると、流石に別人だと思うよ。10年は会ってなかったんだから」


 そう言ったアルフォンス殿下は、にいっと笑うと、デュークの背後にいる私の方を見た。


「それより、その床の人魚の石。本当に人魚だったんだね、シャルロッティ。やっと謎が解けたよ。デュークにかけた僕の渾身の呪いを解いたのは、シャルロッティの―――人魚の魔法だね?」


 その言葉に、身体がピリリと反応した気がした。


 私が人魚の魔法を使えることが、人に知られた。


 海の神の、怒りを買ったのだ。


 カウントダウンが始まる。私はさっと窓の外を見た。水平線に、太陽がかかるところだった。


 日が沈めば、人魚の魔法は、失われる。


「あ、アルフォンス、お前………」


 国王の呆然とした声が響く。アルフォンス殿下は、美しい顔でニコリと国王陛下へ笑いかけた。


「なんでしょう?父上」


「その、黒い靄は、何だ」


「あぁ、これですか………」

 アルフォンス殿下はその綺麗な手を国王へと差し出した。ゆらりと黒い靄が揺れる。


「妖魔の力ですよ」


「よ、うま………」


「っ兄上、なんで、そんな………」


 床に這いつくばったままのレオナルド王子が、青い顔でワナワナと震えた。


「なんでって?」


「さっきは、俺が見たメルルの胸の印をさらけ出せば、正体が分かるって!」


「あぁ、分かっただろ、人魚って。あれ、もしかして僕に妖魔がついてるって今まで分からなかったの?デュークの蔦からあんなに簡単に逃してあげたのに?」


「そ、んな……あに、うえ………」


「嘘よ!!!」


 編まれた籠の中、カリーナ様が悲痛な叫び声を上げた。


「殿下が、そんなに簡単に妖魔などというものに取り憑かれるものですか!あんなに、あんなに国のために、頑張ってらっしゃったのですよ!それをー――」


「煩いなぁ」


 バッとアルフォンス殿下の手がカリーナ様へ向けて振りかざされる。鋭い、氷の刃がカリーナ様へ向かって飛んでいく。カリーナ様は、ショックを受けたように目を丸くした。


 でも、それはカリーナ様へは届かなかった。カンカンカン!と弾く音と共に、氷の刃は地面へ突き刺さる。剣を抜いたマーカスさんが、シュッと剣を振り、刀身に着いた氷の破片と水を弾き飛ばした。


「そろそろ外野は黙っててくれる?今は、久々に会えた旧友と、珍しい人型の人魚と話がしたいんだ。―――君たちは、この二人の後に、ちゃんと殺してあげるからさ」


「こ……ろ…………」


「この国の民はたいそうお怒りだからね。磔にして、石を投げられ泥水をかけられ―――ジリジリと死ぬのを待つとかどうだい?」


「なっ――アルフォンス、お前!」


 国王陛下が青くなって震える声で叫ぶ。アルフォンス殿下は、嬉しそうに笑った。


「大丈夫ですよ、父上。―――ちゃんと貴方の絶望を頂いてカラ、この身体をコロして、デて行きますヨ」


 微笑んだアルフォンス殿下の目が全て真っ赤に染まり、口が黒く大きく歪んだように裂けた。ヒィッと叫んだ国王陛下が、ガタガタと青くなって震えだす。


「っおっと、いけない。せっかくうまく融合できたのに。興奮して素の顔が出ちゃったよ」


 元の顔に戻ったアルフォンス殿下は、美しい顔でニコリとデュークに微笑んだ。


「どうかな。君が僕を殺すときに苦しめるように、自我を完全に消すことなく取り憑いたんだ。もっと早く試せばよかったよ。アルフォンスは、今この胸の中で、後悔と焦燥と絶望で、美味しそうな感情を爆発させてくれているよ」


「……下衆が」


「怒った?いいねぇ、嬉しいよ、デュークライド」


 ギラリと目を光らせた妖魔は、両手に黒い靄を集め始めた。あちこちから悲鳴が巻き起こる。


「止めて!止めてよ!アルフォンス殿下を返して!」


「キーキー煩い女だね、先に死ぬ?」


 妖魔がカリーナ様に視線を向けた瞬間、私はデュークに、さっと小さなボードを渡した。それを見たデュークが、少し目を見開いた後、私に視線を送る。私はコクリと頷いて、そのボードから、手を離した。


 パァン!と窓が大きな音を立てて割れる。


 私を横抱きにしたデュークが、太い蔦に飛び乗り、飛ぶように会場から外へと飛び出した。


 ザァ、という波の音と、バタバタと吹く強い海からの風。私達は、初めて出会った入江の白い砂浜に降り立った。


 白い砂浜は、半分ほど水平線に飲み込まれた太陽の光で、赤く染まり始めていた。


「びっくりした。逃げるのかと思ったよ。そっか、君は優しいもんね。みんなが巻き添えを食わないようにここに来たんだろ?むしろ、巻き添えをくって死んだほうが、楽に死ねて幸せだろうにねぇ」


「死ぬのはお前だけだ」


「できるの?僕もろとも殺すなんて……一緒に勉強した仲じゃない。楽しかったなぁ、君の国への留学」


「―――アルフォンス」


「なぁに、デューク?」


 金色の髪をサラリと流したアルフォンス殿下は、黒い靄以外には、普通と変わらなかった。


「抗ってみろ、アルフォンス。お前はこの国の王太子だろう」


「っははっ、それも楽しそうだね!やってあげようか。『っぐあぁぁあ、こ、ろせ……!殺してくれ!!』」


 悲壮感の漂う声で砂に膝をついたアルフォンス殿下は、悲しみに染まった顔で、デュークを見上げた。


「なんだその、クソみたいな芝居は……」


「―――いいんだ、デューク。この国の為に死ねるなら、本望だ」


 そう呟いた表情は、王太子のそれだった。デュークが、ハッと息を呑んだ。まずい、と思った瞬間、私の目の前に、恐ろしく黒く裂けた口をした妖魔の顔が見えた。


 ドシュっと、砂が舞い上がる。


「………何ダよ、面白くないナ。お前が優しサで窮地においやラレて、惨めに殺られルところが見たかっタのに」


「アルフォンスの覚悟を無駄にできないだろ」


 目の前で黒い靄がグルグルと周り、ボシュゥ、と消える。私を砂浜に下ろしたデュークは、両手にいくつもの種を取り出した。


「―――悪いが、死んでもらう」


 バッと投げつけた種が空中で発芽し、巨大なうねりとなって妖魔を襲う。妖魔は、ひらりと舞い上がって、発芽した木々をボロボロに朽ちさせた。


「本当は、この国を、良くしたかったんだ……」


 突然元のアルフォンス殿下の顔に戻った妖魔は、悲しみに暮れた表情でポツリと言った。


「でも、僕の手にはもう負えないぐらい、国は乱れていて」


 下唇を噛んだアルフォンス殿下は、ぐっと両手を握った。


「クーデターだって、分かってたんだ。キミたちの国の動きも。重圧と、何もできない自分に、もう、駄目だと思って―――全部、壊シテやろうと思ったんダ」


 地面から黒い靄が吹き出して、私に迫る。わっとよろけた私を、デュークが抱えて宙に飛び上がった。


 同時に、アルフォンス殿下へと、鋭い棘や蔦ががいくつも飛んでいく。


「助けてよ、デューク。助けて………」


 悲痛なアルフォンス殿下の声とともに、大量の黒い靄が頭上から降り注ぐように降りてくる。砂の上に着地したデュークが、何かを地面に向けて発動させた。バシュウと蒸気のような何かが地面から巻き起こり、黒い靄を吹き飛ばしていく。


「さっさと死になよ。面倒なんだよ。おマエは、にんゲンのくせニ」


 苛ついたような声とともにアルフォンス殿下の顔が裂けて、恐ろしい顔へと変わっていく。それは、赤く染まった砂浜の上で、アルフォンス殿下の悲鳴が聞こえるような、悲しさを帯びていた。


「「「姉御ぉぉおおおぉぉぉー!!!」」」


 男たちの雄叫びと共に、ドドドドというけたたましい音が鳴り響いた。


 怒り狂った3頭の牡牛。その後ろには、白い石が山盛りに積まれた台車がついていて、轟音を立ててこちらに向かってくる。


「「「アニキィィイ!!頼みますぅぅぅ!!!」」」


 デュークが、バッと手を振りかざし、呆気にとられていた妖魔の両腕両足を蔦で捉えた。荷台と牛を繋いでいた鎖がスパンと切られ、荷台だけが目の前で止まる。


「何の真似ダ―――」


 ちゃぷんと波に足をつけた私を、妖魔は驚いた表情で見た。


 ―――お願い


 夕暮れの光をキラキラと反射する波の中で、祈りを捧げる。海から吹く潮風がぶわりと海の泡を立たせ、私の足元でいっぱいに輝く。それは、飛び上がる人魚のように、空中へ光の泡となって飛び出した。


 透明な海水を伴って舞い上がった光る泡は、あっという間に妖魔とアルフォンス殿下を包み込んだ。


 サァァと渦巻いて流れる光の泡は、何度かグルグルと周り、真っ黒に染まっていく。少しして重たく揺れた泡はどろりと浮かび上がり、砂浜に乗り上げるように停車していた荷車の白い石の山へ、ザァと吸い込まれていった。


 ざぁざぁと海水が白い石に吸い込まれていく。そして、白い石の山から出てきた海水は、元の透明な海水に戻っていた。それは、サラサラと静かに海へと帰っていった。


『ッキサマァァァァ!!!』


 石の山から小さな声がする。真っ黒になった無数の小石たちには、それぞれに怒り狂った妖魔の顔がついていた。


「………気持ち悪いな」


 妖魔の顔が浮かび上がった大量の小石を見て、ぼそりとデュークが呟いた。同意する。本当に気持ち悪い。


『ナニヲシタァァァ!!!』


「この石、知らないのか?珪藻土だ。素晴らしい濾過性能を持つから、覚えておくといい」


 ニヤリと笑ったデュークは、不思議な形に手を組んだ。


「―――召喚、メトリアトス」


 シャァァァァという声とともに、翼竜のように巨大なエリマキトカゲが、ズシンと砂浜に降り立った。お腹に、赤いリボンがついている。


「メト、喰っていいぞ」


『ッヤメロォォォオオォォォ!!!!!』


 ベロン、ぱくん。


 妖魔の声は、それっきり、聞こえなくなった。



 水平線に、太陽が吸い込まれる。突然、ふっと力が抜けて、バシャンと波の中に崩れ落ちた。


「っシャル!!!」


 慌てたようにデュークが駆け寄ってきて、私を支えた。


「何だ、どうした!?術の、使いすぎ……!?」


『だいじょうぶ』


 ヘロヘロになりながら、砂に文字を書く。波打ち際のそれは、すぐに波に飲まれて消えてなくなった。


『もう まほうは つかえない』


 繰り返し打ち寄せる波が、文字をさらっていく。


『これで にどと うみに かえれなくなったよ デューク』


「そ、れは………」


 迷ったように目を泳がせたデュークは、きっと、私の人魚としての人生を終わらせた責任を感じているのかもしれない。


 本当に、優しい人。私は、クスクスと笑うように息を吐き出しながら、もう一度文字を書いた。


『だから ずっと いっしょに いてね』


 そう綴った文字は、夕闇の中、すぐに波に飲まれて消えていって。


 デュークは、その文字の消えた場所を見つめてから、私をぐっと抱きしめた。


お読み頂いてありがとうございます!


ついに!ついに妖魔を倒しました!!!

「デュークちゃんとシャルが助けたって気づいてくれたあぁぁぁ!」とスッキリ爽快になってくれた神読者様も、

「ふたりとも良かったねぇぇ」と心の中でバンザイしてくれた優しさ溢れる読者方も、

いいねブックマークご評価なんでもいいので応援頂けると嬉しいです☆彡


残りのお話は今晩追加投稿1話+明日投稿のおまけ話で完結です!

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

ぜひ最後までお楽しみください!

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