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26/30

1-26 俺の

 翌朝。


 ドサドサッ!という音で目が覚めた。


 なんだろうと思って扉を開けると、デュークがソファーから落っこちていた。


 ペタペタと近寄って、床にうずくまるデュークをツンツンとつつく。


『大丈夫?』


「………だい、じょうぶ………」


 そう言うと、デュークは俯いたまま、顔を覆ってしまった。


 そういえば、昨日はドタバタであまりゆっくりする余裕がなかった。シャルロッティ泡になる大事件があり、偽の婚約届検証からの……若干のイチャイチャの後、バタバタと怠っていた温室の管理をして、疲れが出たのか二人とも暗くなってすぐに崩れ落ちるように寝たのだった。


 デュークは特に、一昨日の錯乱男事件からの徹夜明けだった。そういう時は魔力が乱れて変なテンションになるって言ってたし、もしかしたらまだ疲れが残っているのかもしれない。


 本当に大丈夫だろうか。心配になってデュークの顔を覗き込む。


「……シャワー浴びてくる」


 そういうと、デュークは私の顔を見ずにお風呂場へ行ってしまった。


 リビングにぽつんと一人取り残される。


 何となく寂しい気持ちになって、胸がチクリと傷んだ。


 昨日はもっと距離が近かったのになぁ。


 切ない気持ちでデュークが入っていったお風呂の扉をぼんやりと眺める。


 もし、帝国の王子の側妃だった時のように、形だけの関係になってしまったら。デュークとはきっと、そうならないとは信じているけど。


 でも、私は、今まで誰かと心を通じ合わせられた事なんて無い。自信なんてなくて。文字でしか気持ちを伝えられなくて。どう今の自分の気持ちを持っていったらいいのか分からず、心が沈み込むようだった。


 また、勘違いしてしまっていたら、どうしよう。


 そんな不安がふつふつと心の中から湧き上がる。


 期待を持つのが、怖い。私は、期待を裏切られた事しかない。


 私は、本当にこのまま、デュークに愛してもらえるんだろうか―――


 突然、ゴン!!!とお風呂場から大きな音が聞こえて思考が中断した。びっくりした。まさか、デューク……具合が悪くなって倒れてたりして……


 恐る恐る、お風呂場のドアをコンコンと叩く。


 デュークが、お風呂場の中からくぐもった声で、悪い、手が滑った、と答えた。特に具合が悪いわけじゃなさそうで良かったと胸をなでおろす。


 どさっとソファーに腰を下ろして、ため息をついた。危なかった。またグズグズと悩むところだった。


 気を確かに持つのよシャルロッティ。デュークはあのクソ王子達とは違うでしょう?


 そう自分を励ましながら、朝ごはんをテーブルに並べる。心を強く持たないと。大丈夫、きっと―――


 そう思うのに、どうしても不安な心が晴れなかった。


 しばらくすると、お風呂でホカホカになったデュークが、赤い顔をしてお風呂場から出てきた。


『大丈夫?』


「だ、いじょうぶ……」


『おはよう』


「おはよう………」


 何かデュークが変だ。本当にどうしたんだろうと顔を覗き込むと、はっとした顔をしてから、ふいっと顔を逸らされてしまった。


「朝ごはん、食べよう」


 そう言うと、デュークはお茶を入れにキッチンの方へ行ってしまった。それから、なんとなく会話のないまま、二人並んで席に座る。


 朝ごはんは、玉ねぎをじっくり煮込んだスープに、サクサクの焼き立てのパン、サラダにベーコンエッグ。それを、もそもそと口に運ぶ。


 デュークは、さっきから、殆ど声を発しない。


 もしかして、私は、何か間違ってしまったのだろうか。


 やっぱり、だめ、かもしれない。


 思わずじわりと涙が滲んで。しまった、と思ったときには床にころりと転がった。


 それに気づいたデュークがハッとして私の方を見る。


「シャル……?」


 本当に嫌だ。慌てて顔を覆う。何という泣き虫。お父様もびっくりだ。


 きっと、私は怖いんだろう。


 二番手の女。何十番目かの側妃。好きという気持ちを、踏みにじられた事しかない。やっぱり、だめ、なのかも………


 もう一度涙がにじみそうになった時。不意に、デュークの手が背中に回った。何だか少しぎこちないその手は、少し戸惑いながら私をそっと抱きしめた。


 その温かさに、なんだか縋りたくなって。私はデュークの背に手を回して、ぎゅっと抱きついた。


「………ごめん、その………照れた」


 頭の上からそんな言葉がボソリと聞こえた。


 …………照れた?


「冷静に、なってみたら………昨日……すごい、こと、したなと」


 確かに、いつものデュークとは違って、積極的な気はしたけれど。もしかして……徹夜も手伝って、いつものデュークと違っていたのだろうか。


 じゃあ、もしかして……今は、私のこと好きじゃなかったりして……そんな不安が湧き上がってきて、また怖くなってデュークの服をギュッと掴む。


 デュークは、不安げな私の様子を窺うように、そっと身動ぎした。


「………ちゃんと、好きだよ」


 ボソリと耳元で声が聞こえた。


 デュークの腕が、ギュッと私を抱きしめる。


「………いや………すごい、好き」


 小さい声だけど。デュークの低い声が、しっかりと耳に届く。


「…………ごめん、いい言葉、これ以上思い浮かばないんだけど………」


 戸惑うようなデュークの声は、少し不安そうだった。


「………信じて」


 その言葉に、顔が熱くなる。むしろ美辞麗句よりもリアルに心に響いて、ドキドキしながらコクコクと頷いた。


 ホッとした息遣いが聞こえる。


「……ありがとう」


 いやそれはこちらの台詞ですよと思ったのだが、抱きしめられていて文字が書けない。もうどうしようもなくなって、代わりにデュークをぎゅうぎゅうに抱きしめて、その胸に顔をスリスリとした。


「…………くそ」


 何故か不満な声が聞こえてきた。もしかして、嫌だったかな……


 もぞもぞと動いて、デュークの顔を見上げた。


 デュークは真っ赤になっていた。


 ぼふ、と再び抱きしめられて、デュークの胸の中に沈む。


「見んな」


 照れてる……デュークが照れてる!!


 貴重なその顔に悲しい気持ちもすっかり霧散して、何とか抜け出そうとバタバタとする。


「暴れんな。黙ってそこで泣いとけ」


 もう泣いてない。胸の中でブンブンと首を振る。デュークは私の頭の上で、何だか変な深呼吸をした後、しぶしぶという感じで腕を緩めた。


 抜け出して再びデュークの顔を見る。


 デュークはそっぽを向いていた。


『そんな風にされると傷付くのですが』


 むくれながらズイッとボードを差し出すと、デュークはちらりとそれを見てから、そっぽを向いたまま答えた。


「……少し、待って」


『待てば治ると?』


「………頑張る」


 そう言ったデュークは、顔を覆ってしまった。


 可愛い。


 可愛いデューク!!!


 私はガバァ!とデュークに抱きついた。二人でソファーに転がる。


「っちょ!お前やめろ!」


『よいではないか』


「その台詞、どこの悪徳王だ!」


『ほう、そんな事言っていいのかな?』


 私はデュークに馬乗りになり、その赤い顔を見下ろしてニヤリと笑った。


『昨日甘い言葉を覚えるって言ってくれたのはデュークだよ?』


「っ、そ、れは……」


『あんまり冷たくすると、うっかり泡になっちゃうよ?』


「……っ、わ、かってる……」


『ほらほら、お願いしますよ』


「とにかく、そこ、どけ!」


『嫌』


「っおまえ、分かってやってんのかこの体勢!?」


『ふははは、分かっていますとも。これならデュークは動けな』


 突然、グイッと頭を抱き寄せられて。あっと思った時には、唇が重なっていた。


 デュークの腕の中で、昨日よりも熱いそれに、混乱しながらも何だかふわりとした気持ちになる。


「………ごめん、もう、着替えてきて」


 しばらくして、デュークがそうボソリと呟いた。何で、と不満な顔でデュークを見ると、デュークはやっぱり赤くなったまま、視線を外して呟いた。


「その……男女の……絡まり合いっぽいから」


 私は自分の乱れた寝起き姿の格好と状況を見て、声なき声を上げながら、自分の部屋に飛び込んだ。




「今度はシャルが照れんのかよ」


 制服で身なりを整えた馬車の中。私は顔を覆ったまま、デュークの顔が見れなかった。


『そういうつもりは無かったの』


「分かってる……」


 心なしかデュークの声も照れて聞こえる。


「……もう着くぞ」


『作戦、覚えてる?』


「………ほんとにやるのか」


『やるわよ』


「無理するなよ」


 そう言うと、デュークは私の手を握った。


『心配?』


「当たり前だろ」


 即答してくれたのが嬉しくて。ガバァ!と抱きついたらここではやめろと怒られた。


 それでも再び手を繋いでくれるデュークは、もしかしたら照れつつもすごく頑張ってくれていたのかもしれない。


 そんな風に幸せを噛み締めて、によによとしながら馬車を降りた。


「やぁおはようシャルロッティ、それとデューク」


「………おはようございます殿下」


『おはようございます』


 早速アルフォンス殿下が現れた。お茶会の時にも使った、挨拶を記入してあるドライフラワーがついたカードをピラリと見せる。


「びっくりしたよ。あの婚約届、偽物だったんだって?」


「そのようです」


「完全に信じてしまったよ。申し訳なかったね。デュークとカリーナなら近々そうなると思っていたから」


 アルフォンス殿下は、そう含みをもたせたような言い方をした。


 今思えば、何だかすごく作為的な言い方だ。やっぱり……と思いつつ、少し悲しそうな顔をする。


 演技、というか。やっぱり普通に悲しい。


 すると、ほんのり俯いた私の腰を、デュークはぐっと抱き寄せた。


「有り得ません」


「……へぇ、そうなの」


「俺にはシャルだけですから」


「そう……随分ご執心だね?」


 にこりと笑ったアルフォンス殿下は、すっと校舎を指し示した。


「シャルロッティの授業、始まるよ?」


「えぇ、もう行きます」


「私が連れて行こうか?」


「大丈夫です」


 そうしてデュークはぐっと私の背を押して、校舎へと向かった。


 硬い表情のデュークを見上げる。


『ありがとう』


「……うん。ごめん……結局引き剥がした」


 アルフォンス殿下と接触しよう!という大作戦なのに確かにおかしいのだけど。


『でも、あのままはいどうぞって渡されたら凄くショックだったと思う』


「……なら、良かった」


 目を見合わせて、なんだか恥ずかしくてはにかむように笑う。


 すごい、なんだか本当に恋人っぽい。照れつつも、そういえばと思いながらまた文字を綴った。


『今ので揺さぶりをかけられた気がするから、この後また私の所に来そうだよね?』


「……………」


 見上げると、デュークは今度は眉間にシワを寄せていた。多分……嫌なんだろうな。その様子に、逆に大事にされている実感が出てきてニヤニヤとしてしまう。


 広い学園の中をてくてくと二人並んで進む。


『ここまで来たら、もう大丈夫だよ?』


 もうかなり奥地の農学部校舎の方までやってきた。デュークの魔術師棟はもっとずっとあっちのはずだったなと、声をかける。


 だけど、デュークは少し硬い表情のまま、私の手をぐっと握った。


「……嫌だ」


『でも』


「シャルは俺のなんだろ?」


 その言葉にドクンと胸が跳ねた。デュークは、私の手を引いて前を向いたまま、もう一度口を開いた。


「ちゃんと俺のだって、みんなに示させて」


 そうしてしっかりと手を繋いだまま、校舎に入った。


 教室のドアの前。デュークはじっと私を見ると、ほんのり柔らかく笑ってから、ポンポンと私の頭を撫でた。


「終わったら迎えに来る」


 そしてサッと行ってしまった。そんなデュークの背中を呆然と見送る。


 なんだ、今のは。


 デュークが。


 めちゃくちゃ格好いい………!


「姉御、顔真っ赤」


 振り返ると、マッチョなクラスメイト達がニヤニヤと笑っていた。


「朝からラブラブですねぇ〜」


「ヒュ〜!!」


「へこむなよカイザー」


「へこんでねぇ!!」


 ワイワイと騒がしい教室の中、私はもっと真っ赤くなって、うぐぅと顔を覆った。


「……で、何。お前らそういうことになったの」


 そうカイザーに問われて、何だか恥ずかしいと思いつつ、これもアルフォンス殿下ゆさぶり大作戦のうちと文字を綴る。


『そうです』


「ふーん、良かったじゃん」


「拗ねるなってカイザー」


「拗ねてねぇ!黙れお前ら!!」


 おお怖いとわざとらしく震えるクラスメイトを一瞥したカイザーは、ガシガシと頭をかくと、また私の方を見た。


「でも、大丈夫なのか?お前―――」


「大丈夫だよ、私もついているからね」


 ガタリと隣の席の椅子が引かれた音がした。カイザーが驚愕の顔をしている。この声は―――


 振り返ると、アルフォンス殿下が美しい表情で笑っていた。


「今日は私も講義を聞かせてもらうよ」


「っは!?え、農学部の授業をですか!?」


「もちろんだよ。国の一次産業について知るのも大事なことだろう?」


 つなぎの作業服を着たむさい男がひしめく講義室の中。ただ一人の女とやたら豪華な衣装を着た王族がいるという異様な空間。


 講義が始まる中、私はちらりとカイザーの様子を窺った。カイザーもちらりとこちらを見た。


『お前なんでこんなに殿下に付きまとわれてんの?』


 カイザーが、コソコソとノートの端に汚い字を書く。


『知らない』


『モテモテかよ』


『どちらにしろ、何でこんなに私に構うんですかって聞きたいんだけど、なんて聞けばいい?』


『んなこと聞いていいのかよ』


 カイザーが眉をひそめる。


『多分その流れで色っぽい会話になるぜ?』


『うーん、それはそれで』


 ポンポンと肩を叩かれた。


「仲いいね、君たち」


 そう耳元で囁いたアルフォンス殿下は、私のノートの端っこに、美しい文字を綴った。


『私とも筆談してくれる?』


『講義中にですか?』


『君たちもしてたじゃない』


 ニコリと笑う殿下に苦笑いしつつ、カイザーにも視線を送ると、俺は無理無理という感じで首をプルプルと横に振って、我関せずと黒板の方に集中してしまった。


 こうなったら一対一だけれど、アルフォンス殿下から何か情報を引き出すチャンスかもしれないと、覚悟を決める。


 アルフォンス殿下は、早速サラサラとペンを動かしてノートに何かを書き始めていた。


『あの後、大丈夫だった?』


『あの後ですか?』


『怖かっただろう、いきなり氷の刃が飛んできて』


 そう文字を綴るアルフォンス殿下の表情を盗み見る。すると、私の動きに気がついたようで、視線を合わせると優しい表情で微笑んだ。


 私も、敢えてにこりと微笑んだ。


『アルフォンス殿下が守ってくださったので、怖くは無かったです』


『そう、それは良かった』


 私はアルフォンス殿下に視線で礼を言うようにアイコンタクトを取ると、すっと目線を講義室の黒板に移動させた。


 話は終わった。この後どう出てくるだろうと息を潜めながら、淡々と講義を聞く。


『このままデュークの国へ行ってしまうの?』


 少ししてから、ノートにそう文字が綴られた。


『はい、そのつもりです』


『残念だな』


 アルフォンス殿下は、艶っぽい視線を私に向けながら、またサラサラとペンを動かし美しく文字を綴っていく。


『このまま私のところに残らない?デュークよりも、ずっと優しくするよ?』


 もう一度アルフォンス殿下の表情を伺う。アルフォンス殿下はじっと私のことを見ていた。


 ―――違う。


 見覚えのある、その表情。しっとりとした甘さを纏った内側にある、違う感情。


 きっと、前世で一緒になった帝国の末の王子も、こうして甘さを纏って私に接していたのだろう。


 もう、その偽りの甘さには騙されない。


 私は微笑むと、その美しい文字の下に、新しく文字を綴った。


『目的はなんですか?』


 そして、じっとその空色の美しい目を見つめる。


 アルフォンス殿下は、そんな私の目をしばらく見つめ返した後、ふっと笑った。


『君をデュークから奪いたい』


 ストレートなその表現に少し驚いたように動きを止めた私に、アルフォンス殿下は笑みを消した真剣な表情を向けた。


『君は本当に色々なことを知っている』


『牛のことですか?』


『うーん、農学全般かな?』


 アルフォンス殿下との筆談は、うまいこと軽い雰囲気になったように思えた。


 そんな甘い気持ちは、次の言葉で打ち砕かれた。


『それに、君は他にも何か特別な事ができるんじゃないの?』


 にこりと笑うアルフォンス殿下の目の奥は、笑っていない。


 やっぱり、アルフォンス殿下は、私がデュークにかけられた妖魔の呪いを解いたのだと疑っているのだろうか。それはつまり、アルフォンス殿下に妖魔が取り憑いていることと同義だ。やっぱり、とぞわりとした冷たさが足元から這い上がってきた。


 まったく人と変わらないその姿。本当に?という疑問もまだ残るけれど。でも、もし、本当にアルフォンス殿下に妖魔が取り憑いていて、この質問をしているのだとしたら―――妖魔は私達に、アルフォンス殿下に取り憑いているとバレるのを恐れていない。簡単に手を出せないと、知っているからだろう。


 ギリギリの精神戦だ。多分、ここで私が呪いを解く能力があると分かったら、私はこのまま殺されるのだろう。


 私は、こっそりと深呼吸したのち、再びペンを持ち上げた。


『できますね』


 そして、元気に書きなぐる。


『顔芸に爬虫類の世話、掃除洗濯炊事もできますし、契約書も作れます。あぁ、それから、ソファーで寝転がってるデュークを起こすのも得意ですね』


 どうだ、とアルフォンス殿下をにやりと見る。そんな簡単にこちらの情報を渡してなるものですか。


 そんな勝ち気な私の表情を見て、アルフォンス殿下はキョトンとした顔をした後、ふっと可笑しそうに笑った。


『面白いね、シャルロッティは』


 その表情は、思っていたより人間味があって。


 私は思わず息を呑んだ。


 妖魔が取り憑いた人は、こんなにも自然な表情ができるのだろうか。


『なにびっくりした顔してるの?』


 アルフォンス殿下は無邪気な顔で笑った。


『僕だって、いつもいつも王太子殿下の顔ばかりしてるわけじゃないよ』


 ―――僕、という一人称は、素のアルフォンス殿下の言い方なのだろうか。より人間味があるように思えてしまう。


 きっと、妖魔はアルフォンス殿下に取り憑いている。でも―――本当に、完全に、乗っ取られているのだろうか。やっぱり、アルフォンス殿下の心は、まだ残っているのではないだろうか。


『ねぇ、シャルロッティ』


 アルフォンス殿下は、頬杖をついてペンを動かしながら、いたずらっぽく笑った。


『君は、人魚なの?』


 思わず動きを止めた私に、少年のように無邪気な笑顔を向けたアルフォンス殿下は、金色の美しい髪をサラリと流しながら首を傾げた。


『教えてよ』


 ごくりと、つばを飲み込む。危なかった。完全に、アルフォンス殿下―――妖魔のペースに飲まれるところだった。


 持っていたペンをギュッと握り、考えるふりをして、呼吸を整える。


『もしかして、私を口説いてらっしゃるんですか?』


 そう、正解は、肯定でも否定でもない。


 スッと背筋を伸ばす。


 そう、思い出せ。私は―――あの、おぞましい後宮で生き抜いてきた、何十番目かの側妃だったのだから。


 私は再びペンを走らせながら、クスクスと笑うように息を吐き出した。


『あの美しいと言われる人魚に例えて頂けて光栄ですが、言い過ぎではないですか?』


『本気で聞いてるんだけどなぁ』


『お上手ですね』


『本当に違うの?』


『照れるのでやめてください』


 そう書いてから照れたように頬に手をあてる。アルフォンス殿下は、そんな私を探るように見つめた。


 授業の終わりを告げる鐘がなる。


 助かった、これで終わりだ。もう少しアルフォンス殿下から情報を引き出したかったのだけど、もう限界だ。まぁ今日のところは上出来と、午後の実習のために皆と分かれ、着替えに教室から離れる。


 廊下を進みながら、さっきの筆談を思い出す。あの内容から考えて―――やっぱり、アルフォンス殿下には妖魔が取り憑いているとしか思えない。私が人魚であること、そして、『何か特別なこと』ができると思っている事。王太子としても、気になることだとは思うけど。


 ――何か特別なこと。私にそれを聞くということは、きっとこの身体に呪いの残渣があることを知っているからだ。


 それを知るのは、私と、恐らく妖魔だけだ。


 つまり、アルフォンス殿下は、やっぱり―――


 そんな思考に耽っていた時。更衣室へ向かう、農学部の端の日陰の廊下。突然、グイッと腕を引かれて壁に押し付けられた。


「―――大人しく言えば優しくしてやったのに」


 薄暗い柱の陰。私の両手を壁に縫い付けるように押し付けたアルフォンス殿下は、恐ろしいほどの冷たい表情をしていた。


 感情の無い空色の目を細めたアルフォンス殿下は、スッと空いていた片手を持ち上げ、ガッと私の首を締めた。


 指が食い込み、カハッと息が漏れる。


「怖いよね。泣いていいよ。そしたら全部分かるから」


 何故か優しい声で呟いたアルフォンス殿下は、ニコリと笑うと、顔を近づけた。吐息のかかる距離で、毒のように甘い声が響く。


「このまま、キスしようか」


 信じられない思いで目を見開く。次いで、もう見たくもない過去が、目の前に蘇ってきた。


『――――僕をちゃんと愉しませてくれるなら、可愛がってあげるからさ』


 金色の髪。甘い声。愉悦に染まった美しい顔。


 帝国の末の王子の手は、あの時もこうして、私の両手をベッドに縫い付けた。


 だめだ、逃げないと。


 でも、それは、叶わなくて。


 喉に、王子の手が伸びて。緩く締め付けられて、動けなくなった私を、嬉しそうに見下ろした王子は、そのまま――――


「何してるんですか」


 突然ガクンと後ろの支えが無くなり、よろけたと思ったらぐっと抱き寄せられた。


 しっかりと胸元に抱き込まれていて、その顔を見上げられないけど。


 ―――助けに、来てくれた。


 物凄く、ホッとして。涙がこぼれ落ちないように、ギュッと目を瞑ってデュークにしがみつく。


「………すごいね。柱と壁、何処にやったの?」


「一時的に消しただけです」


「そんな事できるんだ」


「できますよ―――貴方が思っているよりも、もっと色々とね」


 デュークが私を宥めるように、優しく背に手を回して抱きしめてくれているけれど。


 その声は、知らない人のように、酷く冷く、挑発的だった。


「俺は死んだはずなのにって思いました?」


「………何の話?」


「あぁ、違いましたか?それとも、宝石が欲しかった?」


 チャリ、と音がした。何だろうと思ってデュークの胸元から顔を出す。


 デュークの真っ直ぐな指の先。そこから、人魚の涙の石が、次々とこぼれ落ちるように出ていく。


「……すごいね、魔法みたいだ」


「魔法は使えないですね。でも、魔術は沢山できますし―――妖術も使えますよ」


 えっと思って見上げたデュークは、挑発的な表情でニコリと笑っていた。


「試してみますか?」


「…………いや、また今度にしよう」


 遠くから、姉御ー!授業始まるよー!というみんなの声が聞こえる。アルフォンス殿下は、サッと雰囲気をいつもどおりに変えると、にこやかに微笑んだ。


「悪かったね。あまりにもシャルロッティが可愛くて、無理強いしてしまったよ。―――また明日ね」


 そう言うと、アルフォンス殿下は踵を返して去って行った。


 姿が見えなくなって、気が抜けたようにドサリと尻餅をつく。


「っシャル、見せて、大丈夫?」


 デュークが慌てたように私の顔や首を見たり触ったりしている。なんだかその焦る姿が珍しくて。可笑しくなってきて、ほっとして―――じわりと涙が滲んだ。


 怖かった。助けに、来てくれた。


「―――シャル」


 ハッとしてデュークを見上げる。その姿は滲んでいた。しまった、こんなところで泣いたら―――


 ちゅっと、柔らかい感触が目尻に触れて。あっと思った時には、もう一度、反対側の目尻にもデュークの唇が触れた。


「………どう?」


 涙は吸い取られたし、次いで浮かび上がろうとした涙もびっくりして引っ込んだ。


 じわじわと、顔が熱くなっていく。


「っふ………真っ赤」


 可笑しそうに笑ったデュークは、次いでんぐっと口を抑えた。


「っ口の中で固まった………」


 大丈夫なのそれ!?驚いた顔をした私に、デュークがいたずらっぽく、舌をべーっと出した。


 デュークの赤い舌の上には、変な形にひしゃげた涙の石があって。それはやっぱり、柔らかな、綺麗な色をしていた。


お読み頂いてありがとうございます!


アルフォンスが豹変しました!!???

「うわぁー!!やっぱり黒!?」とぞわりとしてくれたの読者様も、

「朝は照れてたのに……シャルがピンチになると甘くなるのね?」とデュークのあれこれにニヤついてくれた貴方も、

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― 新着の感想 ―
[良い点] 良かった、ちゃんと警戒してくれてたーw [一言] アルフォンス殿下、真っ黒ーーー! なにげに、デュークさんに、嫉妬しているのかなー? 自分の本心+妖魔に思考誘導で、自分が「おかしい」状態で…
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