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1-24 謀(sideデューク)

 波の音がこだまする砂浜。


 俺の腕の中にすっぽりと収まったシャルを、しっかりと抱きしめる。


 間に合った。


 本当に、ギリギリだった。


 あと、ほんの少しでも遅かったら、シャルは泡になって消えていただろう。


 腕の中に、シャルの存在をしっかりと感じられて。そして、俺の背に回った柔らかい腕から、シャルが俺の気持ちに答えてくれたことが実感できて。その幸せなぬくもりを、いっぱいに味わう。



 何かがおかしい事に気づいたのは、部屋に帰ってきてすぐだった。トラブルの事後処理からやっと開放され、だるい体を引きずって帰ってきた時にはもう、日がかなり高くなっていた。


 部屋の中には、シャルの姿が見当たらなかった。室内なのに、妙に強く風が吹いている。開けっ放しのドアが、ガタガタと音を立てていた。


「………シャル?」


 嫌な予感がして部屋の結界を確認するが、破られた形跡はない。指輪の位置を確かめようとして―――何かが足に当たったのに気が付いた。


 人魚の涙が落ちている。


 それは、深い悲しみの色で。こちらまで胸が痛くなるようなその色に、シャルの身に何が起きたのかと焦りながら手を伸ばした。


 石に指先が触れる寸前、悲しみをたたえた人魚の涙は、泡のようになって消えた。


 呆然とその泡を見る。そして、視線をリビングの方向へ戻した。


 点々と床から立ち上る涙の泡が、リビングを通って、海岸側のドアへと続いている。


 ガタガタと風が揺らすドアの向こうに、海へと向かって歩いていくシャルの姿が見えた。


「―――っシャル!」


 弾かれたように走り出した。


 今にも消え入りそうなシャルの背中を追う。


「シャル!!!」


 波がシャルの足にかかる寸前、シャルを背中から抱きしめるように捕まえて、乾いた砂の上に二人で崩れ落ちた。


 海に入ったらシャルは泡になる。それが、直感として分かった。


「だめだ、シャル、死ぬな」


 力の入っていないシャルの身体を抱きしめる。その体はなんだか酷く冷たくて、温めるように必死で腕で包み込む。


 シャルが泡になる。つまり、それは、誰かを好きになり、そして失恋してしまったという事だ。相手が誰なのかは分からない。アルフォンスかもしれないし、カイザーや、他の誰かかもしれない。


 アルフォンスが、シャルを氷の刃から守るように抱き込んだ姿が頭をよぎり、どっと後悔が押し寄せた。


 シャルへ向かった氷の刃は、すぐに俺が溶かした。でも、恐ろしい気持ちからシャルを守れたのは、間違いなくアルフォンスだろう。


 アルフォンスには既に複数の妃候補がいる。正妃になろうとなるまいと、そのもの達はすべて、後宮に入る予定なのだ。それを、フィンティア育ちのシャルが、簡単に受け入れられるはずがない。それを知って、シャルは泡になりかけているのかもしれない。


 俺が、もっと魅力的で、シャルを惚れさせられていたら。そうしたら、シャルは死なずに済んだのだろうか。


 ぎゅっとシャルを抱きしめる。


 ダメだ、諦めるな。まだ、シャルは、ここにいる。


「―――俺のこと、好きになれ、シャル」


 今からでも、少しだけでもいいから。生きるためだけであってもいいから、ほんの少しでも俺のことを好きになってくれないだろうか。


 シャルの柔らかな身体を、消えるなと願いながら自分の身体に引き寄せる。


 そうだ、俺はまだ、伝えてないじゃないか。


「好きだ、シャル」


 言葉に乗せてしまえば、それを伝えるのは簡単だった。なんで今まで、こんな簡単なことが出来なかったのだろう。


「俺は、シャルが好きだ。シャルだけだ。愛人も側妻もいらない」


 シャルの柔らかな髪に頬を寄せる。少しでもいいから、俺に気持ちを向けてほしいと祈る。


「俺の見栄えが気に入らなければ変えるし、甘い言葉だって覚える。ずっと、大切にする。だから、死ぬな。簡単に、泡なんかになるな」


 消えるな、消えるな。そう願う。シャルが、消えてしまったら―――


「―――シャルが、消えた世界で、俺は生きたくない」


 その細く柔らかい身体を、もう一度ぎゅっと抱きしめる。


「俺は、シャルと過ごす毎日が、大切だ。二人で草木を育てて、メトを世話して、のんびり食事をして……俺は、楽しそうにしているシャルを、ずっと側で見ていたい」


 なんとなく始まった二人暮らしは、俺にとってはもう、空気のようにそこに無いと生きられないほど、大切なものになっていた。


 そう。そうやって共に過ごして、すぐ側でシャルの豊かな表情を見るのが、俺の幸せだ。


「くるくると変わるシャルの表情が好きだ。楽しそうな時も、ふざけてる時も、真面目な顔も、怒った顔も……バカでかい文字も、野菜を押し付けてくるところも。子供みたいな寝顔も、背筋を伸ばした綺麗な姿も……全部、好きだ」


 自分で言っていて、あぁ、俺はこんなにシャルのことが好きだったのかと思い知らされた。


 そう、俺は、シャルと共に生きたい。


「俺と、一緒に生きよう、シャル」


 ザァ、と海の音が響き、柔らかい風が俺とシャルの髪を混ぜるように吹き上げる。


「………シャル?」


 少し身体を離してシャルの様子を窺った。頬を赤らめたシャルは、温かさが戻っていて、消え入りそうな雰囲気が無くなっていた。


 ころりと頬に涙が転がって。美しい色の人魚の涙が、いくつも砂浜の上に転がった。


 頬に手を伸ばし、シャルの瞳から転がり落ちる涙を受け止める。それは、泡にはならず、きちんと形を保っていた。


「………止まっ、た………?」


 シャルの顔を覗き込む。シャルは、もっと顔を赤くして、俺の顔を見つめ返した。


「……好きに、なってくれた………?」


 ビクッとしたシャルは、照れたように目を泳がせた後、口をきゅっと結んでから、コクリと頷いた。


 その様子に、どっと安堵の気持ちが押し寄せてきて。


 はぁ、とため息を吐くと、もう一度シャルをぎゅっと抱きしめた。


「良かった………」


 そろそろと俺の背にシャルの腕が回る。ひどく優しいその柔らかな感触に、心が満たされて、暖かくなる。


「……好きだよ、シャル」


 ピクっと揺れる体が可愛い。シャルが、生きてる。もう、消えない。


 改めて思い知らされた。


 俺は、シャルがいないとだめだ。


 もう、シャルが消えてなくならないように。シャルがどこかへ行ってしまわないように。そう願いを込めてシャルを抱きしめ続けた。



 少しして、もぞりとシャルが動き出した。


 何かあっただろうかと、若干の不安な気持ちとともにシャルの様子を窺う。


 シャルは、俺と目が合うと少し恥ずかしそうにして、それから人差し指を立てると、砂に文字を書き始めた。


 柔らかい砂にはあまり細かい文字が書けないようだった。大きく、柔らかく文字が綴られていく。


『こんやくは、いいの?』


「……婚約?」


 その言葉にドキリとする。


 もう、俺とのことをそこまで考えてくれている、ということだろうか。なんだか嬉しくて、俺はニヤつく顔を必死でごまかしながら、努めてしっかりした声で答えた。


「うん、しよう、婚約」


 そう答えたのに。何故かシャルは、なんとも言えない怪訝な顔をした。


 何を間違ったのだろうか。俺も首を傾げる。


「シャルが俺と婚約してくれるって話じゃなくて?」


 途端にシャルはびっくりした顔になって、あわあわと真っ赤になった。


「っ悪い、急ぎすぎた。その、気持ちの準備ができたらでいい。でも、前向きに、考えてほしくて」


 勘違いの恥ずかしさとショックで、情けなく取り繕うようなことを言ってしまった。確かにいきなり過ぎる。


 しかしシャルは、そんな俺をバカにするどころか、余計混乱した様子で再び砂に文字を書いた。


『カリーナさまとの こんやくは?』


「……………カリーナ?」


 俺の声にビクリとしたシャルは、何故か不安げな顔で俺を見上げた。なぜ、そんな事を言うのかと不思議に思いながら、もしかしてと思い当たる。


「誰かから何か聞いた……?」


 サッとシャルの顔にショックを受けたような色が滲んで、慌てて説明を追加する。


「違う、確かに打診をもらってはいるけど。それはもう、断ってるから。この国の貴族たちはこういうの積極的だから何度も打診はしてくるけど、俺は一切受ける気はない」


 そうはっきりと告げると、シャルは眉間にシワを寄せて、何か悩むような素振りを見せた。


「シャル……?」


 シャルはしばし考えた後、立ち上がった。そして、俺をグイグイと引っ張り上げて立たせる。


「どうした?」


 シャルは、俺の手を取り、部屋を指さしながら砂浜を戻っていく。何かあったのだろうかと、不思議な気持ちで帰ったその先には、信じられない物があった。


 そこには、カリーナと俺の、婚約届と思われる書類の写しがあった。


「…………これは、どこから来た……?」


『朝、届いてた』


「…………」


 落ち着きを取り戻し、ボードを手にしたシャルの文字を見る。朝届いていた……?その上質な紙を手に取り、サインを観察する。


「とにかく、間違いなく偽物だ。それに、この届けを出したとしても効力はない」


 そう断言した。サインの形は上手に真似てはいるが、そもそもこの俺の名前は偽名だ。一体、誰が何の目的で……?


『デュークが書いたんじゃないっていうこと?』


「待って、今魔力を辿ってる」


 綴られた文字にまだかろうじて残っていた微弱な魔力を辿る。それはゆらりゆらりと空気と混ざり合いながら、細く長く繋がっていて。


 そして、それが繋がった先を確認した俺は、ここまで妖魔の手が伸びていることに、危機感を感じた。


『誰だった?』


「………これを書いたやつはもう死んでる」


 シャルは驚いたように息を呑んだ。無理もない。俺はグッと手を握り、状況を整理しようと頭を働かせた。シャルは驚いた表情のまま、ガリガリとボードに文字を綴った。


『どういうこと!?』


「……妖魔のせいだ」


『妖魔!?』


 驚いたようにペンを動かすシャルの表情を窺う。その目は、少し赤くて。泣きはらしたシャルの表情を見て、だんだん冷静さを取り戻してきた頭が、警鐘を鳴らした。


 ―――まずい。

 バッと窓の外を振り返る。


 サッと人影が動いたような気がした。


「シャル、ここで待ってろ!」


 そう言いながら、さっきまでいた砂浜に向けて走り出す。


 ザァザァと波の音が響く砂浜。さっきまでしゃがみこんでいた場所には、美しい人魚の石がいくつか散らばっていた。


 そしてその周りには、自分たちのものとは違う足跡。


 ―――やられた。


 さっと残りの石を回収し、部屋に戻る。


『どうしたの?』


「……シャルが人魚なのが、誰かに……もしかしたら、妖魔に知られたかもしれない」


 拾ってきた石を見せると、シャルはハッとした表情になった。


「ごめん……気が動転してて、守りが浅かった」


『ううん、私が、外で泣いちゃったから』


 チャリ、とその石を机の上に置く。美しいこの石は、恐らく恐ろしいほどの高値で売れるはずだ。それが誰かの手に渡っているとすれば、シャルの身が危ない。


 そう危機感を募らせる俺に、シャルはのほほんと笑った。


『大丈夫だよ、デューク。砂浜でどこかから来た人魚が泣いてたのかもしれないし、デュークがプレゼントしてくれた人魚の石を、喧嘩してばら撒いちゃったかもしれないでしょ?』


「……そんな都合よく解釈してくれるか?」


『むしろ二本足で地上を歩く農業オタクの私が人魚だなんて、誰が思うのかしら』


「…………まぁ、そう、かもしれないけど」


『大体、宝石目的だったら、人魚の涙は全部持っていかない?妖魔はよく分からないけど……』


 確かにその通りだとも思いつつ、不安が拭いきれず表情を曇らせる。


 どうしても、何かが引っかかる。きっと、俺の気付いていない何かがあるはずだ。そう俺の直感が訴えているのに、それが何か分からない。何か――それを見つけようと思考を巡らす。


 一番心配なのが、石を見つけたのが妖魔かもしれないということだ。この偽造の婚約届のタイミングからして、こちらの様子を窺って近くにいたとしても不思議じゃない。


もしそうなら……この後、妖魔はシャルが人魚であることをバラすぞと、俺を脅してくるのだろうか。


でも、何故か腑に落ちない。妖魔のシャルへの攻撃、偽の婚約届、人魚の石。何か、重要なことを見逃している気がする。――妖魔は、俺じゃなくて、シャルのほうを気にかけている気がしてならない。でも、なぜ?


 シャルはそんな難しい顔をしている俺を見て、仕方ないなぁという顔で笑いながら、またボードに文字を綴った。


『これについては悩んでもしょうがないよ。それより、この婚約届だよ。妖魔が関わってるの?これを偽造した人が死んでるって、どういうこと?』


「………このサインを書いたのは、昨日の演習で錯乱した、あの火の玉や氷の刃を放った男だ」


『あの人!?死んじゃったの!?』


 そう、あの男はその後死んでしまった。そして、妖魔の影響を受けていた。俺はなんとも言えない気持になりながら、昨日あった事を思い出した。



 *****


「デューク、あの……」


 男が放った巨大な火の玉と氷の刃を防いだ後。俺の背後からカリーナが震える声で話しかけてきた。


「あぁ………大丈夫?」


「っえ、えぇ、怪我はないわ。デュークは……?」


「大丈夫、なんともない」


「ほんとうに……?」


「どこにも出血も火傷もないだろ?」


「っ、よ、よかった……」


 カリーナが俺の背でホッとしたような声を出した。その声を聞きながら、テラスを見上げる。


 シャルが、アルフォンスに背を支えられながら退席するところだった。


 どこへ連れて行く気だと、黒いものが湧き上がる。


「すみません、デューク様。現場検証にご協力いただけますか?」


 俺の視界に急に学園の警備担当が入ってきた。うんざりしつつも承諾の返事をして、前へ進もうとする。


 が、クイッと背を何かが引っ張った。


「………?」


「っあ、ごめん、なさい」


 カリーナが俺の服を掴んでいたらしい。ぱっと離されて体が自由になる。


「……ありがとう、デューク」


「あぁ、うん。無事で良かった」


 そう言ってから、警備の者に付いていく。


 地面には俺が弾いた氷の刃があちこちに刺さっていた。シャルに向かった氷の刃は一瞬で蒸発させたが、この数は全ては無理だった。ボロボロになった演習場を視界にいれながらも、脳裏には違う光景が頭に浮かんでいた。


 アルフォンスが、守るようにシャルを抱き込んでいた。


 その光景が、頭から離れない。


 確かに、とっさの動きとして身を挺してシャルを守ってくれたのは良かった。あの一瞬で氷の刃が全て溶けたのか判断するのは難しかったのかもしれない。


 でも、と、何かが心に引っかかる。


 演習開始前。アルフォンスは、俺が張ろうとしたシャルを守る結界を、途中で解除した。あれがあれば、氷の刃ぐらい問題なかったはずだった。


 結界は、瞬時に張ることはできない。だから、演習で何か間違いが起こる前にと、指輪の力も合わせて強力な結界を張ったのに。アルフォンスは展開した結界を、途中で妨害して解いてしまった。それから、シャルに俺に手を振らせた。


 アルフォンスのことだから、過保護だと、そういう事なんだろうけど。こんな事が起こるなんて、誰も想定していなかったのも事実だ。だけど、何か―――


 明確にはわからない。でも、何かが引っかかる。嫉妬、だろうか。その自覚はもちろんあるが。


 はぁとため息をついて、頭を振った。とにかく、今はシャルや他の生徒たちの安全が第一だ。そう言い聞かせて、錯乱した男へ近づいた。


 男は、ミイラのように干からびて死んでいた。周囲に集まってきた人の輪がどよめく。


「っこれは、一体……!?」


「おい、誰かこいつに攻撃をしたのか!?」


 警備の者や生徒たちが顔を青くしながら騒いでいる。俺は近寄ってその躯を確認した。


 ――――妖魔だ。


 その男の身体に残る痕跡に、そう確信した。恐らく、前々から妖魔の術がかかっていた。それは、恐らく何かで押さえつけられていて、何らかのタイミングで一気に開放されたのだろう。結果、男は錯乱し、黒い火の玉を生み出した。そして妖魔の術の力に耐えきれず、干からびた。恐らく、そういうことなのだろう。


 でも、それであれば尚更おかしい。


 黒い火の玉はカリーナの方向へ飛んでいった。なぜ、妖魔は直接俺を狙って攻撃してこない?そもそも、あんな間接的なやり方でわざわざ男に魔術で攻撃させても、俺が傷つかないことなど明らかだ。


 恐らく、目的は他にある。


 でも、その目的が何なのかが分からない。


「おい、デューク」


 その声に顔をあげると、マーカスが少し離れたところで手を挙げていた。ミイラになった男から離れて、デュークとそれとなく人の少ない場所へ向かう。


「あれ、妖魔のしわざか」


「痕跡を確認した。間違いない」


「……目的は?」


「それがわからなくて悩んでいた」


「……確かなのは、妙な動きである事だけか」


 マーカスが深いため息を吐く。その視線はカリーナにそそがれていた。


「怪我は?」


「幸いにも、魔術学部の最終学年だからな。それぞれ防御してくれたから、怪我人はいない」


 そう言うと、マーカスは何故か不満そうな顔で俺を見た。


「……お前、カリーナのこと身を挺して守っただろ」


「は?いや、立ち位置的にあれが一番防御効率がいいところだったから」


「まぁ、そうなんだろうけどさ………」


 再びため息を吐いたマーカスは、思ったより真剣な表情で口を開いた。


「カリーナに変に期待もたせるなよ」


「………そんな意図はない」


「分かってるよ」


 マーカスは、やれやれと力の抜けたため息を吐いた。それから、視線をずらして、疲れたように呟いた。


「……今日は帰れなそうだな」


「勘弁してくれ…………」


 話が長いと評判の大臣がこちらに歩いてくる。なんで学園にいるんだ。俺はどっと疲れが増したように感じて空を仰いだ。


 それから、夜中までぶっ通しで検証が続いた。やはりこの国の者は妖魔の存在は受け入れられないようで、俺とマーカスの説明には残念ながら耳を傾けなかった。挙句の果てに俺らを疑うような発言をする者まで現れて、危うく国際問題に発展するところだった。


 とにかく、分かっている事は、最終学年に在籍していた男が、錯乱して強力な攻撃の魔術を発動させたという事だ。


 その男はそこまで魔力が多かったり、魔術に長けている者ではなかった。どちらかというと、補助系の魔術や魔導具開発をする特性の者だった。それが、教師でも難しいかなり強力な魔術を発動させたのだから、一体どういうことだと皆首を傾げていた。


 恐らく、妖魔の術で操られていたからだろう。無理やり力を使わされ、反動で命を失った。そう考えるのが自然だった。




俺の話を聞いたシャルは、う~んと悩みながらカリカリとペンを動かした。


『つまりその男の人が、この婚約届も妖魔に操られながら書いたんじゃないか、って言うことだね?』


「そう。多分、昨日錯乱する前に偽造の婚約届けを書いたんだと思う」


『なんでそんなことをしたの?』


「………分からない」


 今回の妖魔の件については、分からないことだらけだ。俺を殺そうとしているわけじゃない。

 どちらかというと、俺の周りを掻き回して楽しんでいるような、そんな動き方だ。


 そんな事をして、一体何をしようとしているのか。


『とにかく、偽の婚約届で泡にならなくて本当に良かったよ。絶対成仏できなかったと思う。助けてくれてありがとうデューク』


 思考に耽っていた俺の視界に、シャルの明るい雰囲気の文字が飛び込んできた。


 元気にボードを掲げたシャルは、ふふ、と笑うように息を吐き出している。


 気楽なその雰囲気に、一瞬本当に何でもない事のように思えたけど。


 もう一度、冷静にその文字を見て。


 それから、もう一度、シャルを見た。


 シャルは、なに?という雰囲気で、きょとんと首を傾げている。


「――――この、婚約届を見て、泡になりそうだったの?」


『そうだよ?』


「な、んで?」


『だってデュークとカリーナ様が結婚するんだと思って』


 シャルは、何を今更と言うように眉間にシワを寄せているけれど。


 俺は、もう一度その文字を見て、息を吸って、吐いてから、慎重に口を開いた。


「………さっき、俺のこと、好きになってくれたんじゃないの?」


 は?という感じで、シャルが首を傾げる。


「他の奴のことが好きで、失恋して泡になりそうだったんじゃないの?」


 そう言うと、シャルは怖いほど目をひん剥いて唖然としてから、勢いよくガリガリと文字を書いた。


『違うけど!?』


「………違う?」


『誰だと思ってたの!?』


「………アルフォンスとか、カイザーとか……」


 はぁーー!?!?という声が聞こえてきそうなほど、シャルは大きな口を開けた。


『違うわ!!普通にデュークのことが好きだったけど!?』


「……そ、うなの」


『なんでそんな事言い出したの!?』


 何故か怒り始めたシャルを呆然と眺める。


「俺が……そんな簡単に、好かれるとは………思えなくて………」


『好きじゃない人と手繋いだりしないから!』


「……花の展示会に遊びに出掛けたのが良かった?」


『デュークのこと好きだったから楽しかったんでしょうよ!』


「ドレスとか、指輪とか……?」


『それも好きな人に貰ったから嬉しいの!』


「髪、切ったから……」


『髪切る前から好きだわ!!』


 まるでキーキー怒るように文字を書きなぐるシャルを夢見心地で見つめる。


「そんなに、前から?」


『大体あなたね!ドレスとかデートとか髪型とか気にしてたけどね!そんなのが好きになる理由になったりしないわ!』


「じゃあ、なんで」


『なんでとかじゃない!面倒くさそうなのに優しくて、どうでも良さそうなのにしっかりしてて、不機嫌そうなのに穏やかな、黒猫みたいなデュークが好きなの!』


「そんな、とこが……?」


『うまく説明できないけど、そのまんまのデュークが好きなの!!!髪ボサボサでも、ソファーで寝てても!』


 まだ伝えたりないのか、ガリガリと文字を書きなぐるシャルの手を掴む。


 なによ!という顔で俺を見上げたシャルは、近い距離にある俺の顔を見て、はっと息を止めた。


 そんなびっくりした表情も可愛くて。そんな風に思ってくれていた事が、どうしても嬉しくて。


 思わず、その柔らかそうな頬に手を伸ばした。


「顔、まっか」


 赤くなってプルプルとし始めたシャルを、幸せな気持ちで見つめる。


「………かわいい」


 プシュ~という湯気が出そうなほどシャルの顔が赤くなっていく。ほんとに、かわいい。驚いて丸くなった目も、ワナワナと震える小さな口も―――


「おいデューク!徹夜明けに悪いん………だけど…………ごめん次からノックするね」


 俺は手元の偽婚約届を、思いっきりマーカスに投げつけた。


お読み頂いてありがとうございます!

ブクマいいねご感想どれもすごく嬉しいです!!


安定のお邪魔虫マーカスさんでした。

「やっぱりシャルはデューク一筋よね」とドヤ顔をしてくださった読者様も、

「偽の婚約届を……妖魔が……」と推理を始めたコ○ンばりのキレ者の貴方も、

いいねブックマークご評価なんでもいいので応援頂けると嬉しいです☆彡

ぜひまた遊びに来てください!

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