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1-23 海の泡、風の音

 今夜は帰れないと思う。明日俺が帰るまで、部屋の中にいて。


 そう書かれたデュークからのメモ書きを手にして、昨夜は一人部屋に戻った。ドレスの着付けの仕事が無くなったマーサさんは、また卒業パーティーの時に戻ってくると言って一時帰国をしている。でも、それで良かったのかもしれない。


 朝、だるい体を起こして、朝日の差し込むリビングの扉を開ける。ソファーには、もちろんデュークの姿はなくて。その静かな光景が、余計に朝の冷たさを際立たせた。


 簡単に食事をとって、温室の世話を始める。メトが寄ってきて、私の顔をぺろんと舐めた。


 美味しい?しょっぱくない?そう心の中でメトに話しかける。


 朝から泣くなんてバカみたいだ。いつまで経っても幼稚なんだから。シャルは泣き虫だなぁと笑うお父様の笑顔が頭をかする。


 ふと、足元の土の中から、何かの芽が出ているのが見えた。多分、これはデュークと植えた食中妖草の種から芽が出たんだろう。そっとしゃがみ込み、その小さな芽を観察する。


 あの時、デュークの使った魔術はとても綺麗だった。両手から生み出された2つの魔術。きっと、デュークはすごい魔術の使い手なんだろう。


 だからきっと、あんなに大きな火の玉も、簡単に消せたんだ。


 カリーナ様を守るデュークの姿はとても格好良くて。デュークに縋るカリーナ様が見せた弱さも、とても可愛らしくて。寄り添う二人に、私はきっと二人の間には入れないんだろうなと思い知らされた。


 何で、私じゃないんだろう。私も、あんな風に守られてみたかったなぁ。そんな、自分の中に生まれた汚い気持ちにうんざりとする。


 本当にバカみたいだ。デュークのした行動は間違いなく正しい。それに、私の隣にはアルフォンス殿下もいたのだ。私を守る必要性なんて無かったし、高貴な立場や受けるダメージを考えると、カリーナ様を守るのが当然だ。そんなの分かりきった事だ。


 でも、どうしても、その気持ちが消えなくて。寄り添う二人の仲睦まじい姿が、どうしても頭から離れなくて。視線すら合わなかったデュークと私には、何もないと実感させられて。


 欲に塗れた己の心が、どうしようもなく醜く思えた。


「やぁ、シャルロッティ」


 その声に驚きながら顔を上げる。温室の窓の向こう。そこには、のんびりとした様子のアルフォンス殿下がいた。


「ごめんね、こんな所から。デュークの結界がキツくて、これ以上近寄れないんだ」


 そう、この温室とリビングは、デュークがかなり強力な結界を張っているらしく、入れる人が限定されている。だから、とても安全ではあるのだけど。


 気を取り直して、申し訳ない気持になりながら、ボードに文字を書く。


『おはようございます、アルフォンス殿下』


「うん、おはよう。よく眠れた?」


『はい、ありがとうございます』


「そう……?やっぱり、あまり元気には見えないけど」


 私を見抜くようなその視線から、思わず顔を背ける。アルフォンス殿下は、分かっているという風に笑うと、一拍置いて静かに口を開いた。


「ねぇ、やっぱり私のところに逃げておいでよ」


 何を言っているのかと顔をあげると、アルフォンス殿下はじっと私を見つめて、重さのある口調で次の言葉を発した。


「これじゃあ、レオナルドに飼われていた時と変わらないじゃないか―――君はこの温室の鳥籠の中で、二番手以降の女で居続けるのか?」


 グサリとその言葉が胸を突き刺す。二番手以降の女。そう、私は、誰かの唯一になった事がない。


 メルルとしても――前世の、シャルロッティ王女だった時も。


「……すまない、傷つけるつもりは無かったんだ。でも、今、ショックを受けてるんじゃないかと思ってね」


 そのアルフォンス殿下の言葉に、沈んでいた思考から慌てて顔を上げて、取り繕うように文字を並べる。


『いいえ、大丈夫です。デュークがカリーナ様をお守りするのは当然ですし、私はそもそも雇用されているだけで、デュークの恋人でも何でもないですから』


 何とかそう文字を綴ってアルフォンス殿下に見せる。アルフォンス殿下は切ない表情でそれを一瞥してから、ちらりと私の瞳を覗き込んだ。


「そう………じゃあ、あの件は大丈夫なんだね?」


 話が読めず、何が、と首を傾げる。アルフォンス殿下は、迷ったような、少し悲痛な表情をした後、もう一度静かに口を開いた。


「………聞いてないのか?デュークと……カリーナの、婚約の話だ」


 その声が頭に響く。一瞬、理解が出来なくて。凍ったように動かない頭が、私の身体を徐々に冷たくさせていく。


「昨日、婚約届にサインされていたのが回ってきていたから。多分今、この部屋に写しが届いているんじゃないのか?」


 その言葉に、リビングへと続く扉を振り返る。届け物は、朝食の時間に前室に届けられる。きっと、届いているのなら、今そこにあるはずだ。


 私は、ふらりと足を進めた。


 背中から、私を呼び止めるようなアルフォンス殿下の声が聞こえた気がした。でも、もうそれを気にする余裕はなくて。


 かちゃりと前室の扉を開けた。届いた書類は3枚。その中に、ひときわ美しい紙で挟まれた何かの書類が目に止まった。


 冷たくなった指先を動かして、その紙を手に取り開く。


 上質な紙には、婚約の約束事を連ねた文字が規則正しく並んでいる。最後には、カリーナ様の美しい署名の文字。そしてその隣には、少し崩れたような筆跡で、デュークの名前でサインがしてあった。


 その文字を指でなぞる。昨日の事があったから。きっと、デュークはカリーナ様を安心させようと、卒業前の正式な婚約に踏み切ったんだろう。


 ころりと頬に涙の石が流れ落ちる感覚がした。でもそれは、今までよりもなんだか遠い感覚で。胸の痛みが、すぐそばから弾けるような、そんな不思議な感覚があって。体の芯からふわふわと浮かび上がるような、朧気な夢の中にいるような気持ちになった。


 パサリと手から紙が滑り落ちる。


 ―――海へ。


 本能に似た、そんな声が頭に響く。


 そうだ、海へ。海へ還ろう。私はもう、この場所にはいられない。


 身体がどんどん軽くなっていく。


 そう、私は。泡になって、海に還るんだ。


 気が付くと、私は海へと続く扉を開けていた。ガタガタと強い向かい風が吹き、私を押し戻すように部屋に流れ込む。


 デュークが、好きだった。こんなに一人の人の側にいたいと思ったことなんて無かった。本当は、もっと一緒にいたかった。妖魔を見つける手助けもしたかった。


 もう、それは叶わない。でも、それで良かったのかもしれないと思う。


 これ以上、好きな人が、誰かのものになるのは、見なくて済むのだから。


 泡になって消えてしまったメルルも、同じ気持ちだったのだろうか。そんなことを朧気な意識の中で思いながら、砂浜の上に足を置いた。


 それは、日差しを受けて熱くなっているはずなのに。いつの間にか裸足になっていた私の足は、冷たいままだった。


 砂の上に落ちた涙が、次々と泡になって消えていく。


 この砂浜に初めて降り立ったのは、真夜中に、瀕死のデュークを助けた時だった。思えば、あの時デュークを助けたのは正解だった。


 こうして消えてしまう命だけど。少しでも、あなたの役に立てたのだから。


 ザァァという、海の音が間近に聞こえる。


 海の泡になって、暖かい日差しの中で弾けたら。


 私も風になって、デュークのところに、会いに行けるだろうか。



「シャル!!!」


 突然、ガッと後ろから捕まえられるように抱きしめられ、乾いた砂の上に崩れ落ちる。


 あと少しで、海だったのに。


 残酷にも、私は、恋い焦がれたデュークの腕の中にいた。


 どうして。


 どうして、止めに来ちゃったの。


 目から流れ落ちる涙が、頬の上で泡になって空に登っていく。消えていくところを、見られたくなかったのに。


「だめだ、シャル、死ぬな」


 力強く私を抱きしめるデュークの胸の中で瞳を閉じる。もう、力が入らない。せっかく、こんな風に抱きしめてもらえるなら、最後の最後に思いっきり抱きつきたかったなぁなんて、バカみたいなことを思った。


「―――俺のこと、好きになれ、シャル」


 必死なデュークの声が耳に届く。何を言ってるんだろうと、可笑しくなってしまった。


 私はもう、こんなにデュークの事が好きなのに。


 私の身体を必死で引き寄せるように、命を繋ぎ止めようとしてくれるデュークの腕の中に包まれる。


 デュークには、申し訳ないけれど。こうして大好きな人の腕の中で死ねるなら、私にとってはいい事なのかもしれない。


 だって、ここには、私を罪人と呼ぶ民衆もいない。石も飛んでこなければ、血の水溜りもない。


 ここにはあるのは、誰もいない静かな砂浜と、打ち寄せる海の音。それから、柔らかな日差しと、優しく吹く潮風があるだけだ。


 私の命は血濡れた刃に奪われるのではなくて。好きな人の腕の中で、溶けるように泡になって消えるのだから。



「好きだ、シャル」



 ふと、そんな言葉が耳元で聞こえた。


 希望が、幻聴になってしまったんだろうかと、不思議な気持ちになる。



「俺は、シャルが好きだ。シャルだけだ。愛人も側妻もいらない」


 強く私を抱きしめたデュークが、かすかに震える声でそう告げている。逃げないように、消えないように。まるでそう願っているように、両腕で私をしっかり包み込んで。そして、まるで大切なものをいたわるように、私に頬を寄せた。


「俺の見栄えが気に入らなければ変えるし、甘い言葉だって覚える。ずっと、大切にする。だから、死ぬな。簡単に、泡なんかになるな」


 何を言ってるんだろう。私は、このままのデュークが好きなのに。そう伝えたいのに、声は出ないままで。


 そして、じわじわと、デュークの声が紡ぎ出す言葉が、私の身体に染み込むように聞こえ始めた。


 待って――待って。


 デュークが、私のことを、好きって言ってる。


「―――シャルが、消えた世界で、俺は生きたくない」


 そう告げるデュークの声はひどく真剣で。嘘ではない、それだけははっきりと分かった。


 でも、なんだか嘘みたいで。デュークが、こんな風に情熱的なことを、言うなんて。


 急にドクンと胸が大きく跳ねた。


 思ったよりも硬い、男らしい腕の中。息を吸う度に感じる、薬草のような香りが混じったデュークの匂い。優しい温かさと、熱の籠もった、真剣な声。


 一気にそれがリアルに感じられて。急に働き出した頭で訳も分からず混乱したまま、日差しとデュークに温められ、心と身体の温度がどんどん上がっていく。


「俺は、シャルと過ごす毎日が、大切だ。二人で草木を育てて、メトを世話して、のんびり食事をして……俺は、楽しそうにしているシャルを、ずっと側で見ていたい」


 そんな風に思っていてくれたなんて。これまでのデュークとの暮らしが頭に浮かんできて。なんだかその日々がとても幸せで、愛おしく感じてくる。


「くるくると変わるシャルの表情が好きだ。楽しそうな時も、ふざけてる時も、真面目な顔も、怒った顔も……バカでかい文字も、野菜を押し付けてくるところも。子供みたいな寝顔も、背筋を伸ばした綺麗な姿も……全部、好きだ」


 真剣な声色で紡ぎ出されるその内容に、ふるりと心が震える。


 それはどれも、特別な美しさがあるような内容ではなくて。


 デュークが、バカみたいな私自身を見てくれていることが、痛いほど分かった。


「俺と、一緒に生きよう、シャル」


 ザァ、と海の音が響き、柔らかい風が私のとデュークを包み込むように吹き上げる。


「………シャル?」


 少し身体を離して私の顔を覗き込むデュークと目があって、どきりと胸がはねた。


 優しくて、真剣で、心配の滲むその表情に、胸がいっぱいになる。


 ころりと私の頬に涙がこぼれ落ちた。綺麗な色の人魚の涙が、砂浜の上に転がっていく。


 ハッとしたデュークは、私の頬に手を伸ばし、転がり落ちる涙の石を受け止めた。それは、泡にはならず、きちんと形を保っている。


「………止まっ、た………?」


 泡にならずそのまま石の形を留めている美しい石を眺めたあと、デュークは希望を宿したような表情で、再び私の顔を覗き込んだ。その近い距離にドキドキと胸が高鳴って。でも、何も伝えることができないまま、目も逸らせず、デュークを見つめ返す。


「……好きに、なってくれた………?」


 その甘さの滲む声に大きく胸がはねた。ど、どうしよう。突然のことにどうしていいか分からない。そして手元には文字を書けるものがなにもない。


 ずっと前から好きなんだけどな。


 でも、そんなことを伝える手段がなくて、とにかく今はしょうがないと、ドキドキ跳ねる胸を落ち着かせながら、そのままコクリと頷いた。


 その私の様子を見たデュークは、はぁと大きく安堵のため息を吐くと、もう一度私をぎゅっと抱きしめた。


「良かった………」


 その優しい声と温もりに胸がギュッとなって。そして、今ならデュークをしっかり抱きしめ返せると気がついて。思い切って、そろそろとデュークの背に手を回した。


 デュークはなんだか嬉しそうに、頬ずりをするように、ほんの少し身じろぎをして私に身を寄せた。


「……好きだよ、シャル」


 囁くように耳元で響いたデュークの甘い声に、どうしようもなくドキリとしてギュッとデュークに抱きつく。デュークは、嬉しそうに私の体を包み込むように抱きしめ続けた。


 ザァァと、さっきと変わらない波の音が誰もいない浜辺に響く。風はいつの間にか柔らかい穏やかな風になり、そよそよと暖かく私達を包み込んでいた。


お読み頂いてありがとうございます。


デュークさん頑張りました!!!

自分で読み返しても「イヤァハァァーー!!!」とち○かわのうさぎのように叫びだしたくなりますが、皆様いかがだったでしょうか……


「エンダァァァ―――イヤァァ―――!!!」と別の叫び声を上げてくれた神読者様も、

「アルフォンス……?」と王太子が気がかりな貴方も、

いいねブックマークご評価なんでもいいので応援頂けると嬉しいです☆彡

ぜひまた遊びに来てください!

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