1-18 謝罪とカード
「まぁまぁ!お綺麗ですわ!」
優しいおばちゃん、という雰囲気のマーサさんが、ニコニコと嬉しそうに私を見ている。
シャンパンゴールドのドレスが揺れる。デュークに買ってもらったドレスは、しっくりと私の身体に馴染むようだった。
この状況が何なのかというと。数日前、突如デュークのお世話係だというマーサさんが部屋にやってきたのだった。
どうやらデュークが呼びよせたらしいのだけど。満面の笑みを浮かべるマーサさんに、デュークはなんだか気恥ずかしそうな、しかめっ面をしていた。
マーサさんは、そんなデュークの様子は意に介せず、嬉しそうに破顔して突撃してきた。そして『あら!あらあらあらあら!』と嬉しそうに私とデュークの周りをぐるぐると周り、『ぼっちゃまもなかなかやりますねぇ!』とデュークをどついて小躍りしていた。
なんでも、マーサさんはデュークの乳母さんだったとのことだった。デュークのもうやめてくれというウンザリした顔が面白かった。よく分からないけど、実家の母親のような存在は、男の子にとって恥ずかしいものなのかもしれない。
そんな二人の様子に、なんだか私まで温かい気持ちになって。それと同時に、故郷や家族がいる幸せを目の当たりにして、寂しくも思った。
私には、もう帰る場所はない。だけど、ここまで孤立した気持ちをほとんど感じずに過ごしてこれたのは、デュークがこうして拾ってくれて、穏やかな居場所を作ってくれたからだ。
だからせめて、この恩を返したい。今はそんな気持ちだ。
デュークはきっとずっと優しいままだろうけど。それでもデュークに失恋してしまったら、私は泡になって消えてしまう。まだ、デュークは誰とも婚約はしていないようだけど。多分、その日は近いはずだ。
デュークと並んだ、カリーナ様の上品な姿が頭に浮かぶ。そう、その場所にいられるのは、ただのメルルではなくて、カリーナ様のような人だ。王族の血をもつ二人と、人に化けた人魚。そんなの聞くまでもなく分かっている。
いずれ泡になって消えてしまうのなら。せめてその日まで、精一杯役に立とう。私はそんな決意を胸に、スッと背筋を伸ばした。
「まぁ、素敵ですわ!本当にこの国の貴族の方では無いのですか?堂々としていて、本当に高貴な方のようです」
『本物の王族貴族の方にナメられないように必死なんですよ』
「シャルさんなら大丈夫ですわ!この国のだらしない奴らなんて蹴散らしておやりなさいな」
ホッホッホと笑うふくよかなマーサさんは、元気の塊のような方だった。その明るさと安心感にホッとする。そしてその安心感に支えられながら、もう一度気を引き締めた。
これから乗り込むのは、アルフォンス王太子殿下とカリーナ様とのお茶会。何を言われるか分からないけど、不利なことが起こらないように動きつつ……妖魔が現れないか探らないといけない。
そっと呪いの残渣のある胸に手を這わせる。デュークは、本当の狙いは自分だと言っていたけど。
―――妖魔はこの呪いの残渣を持つ私のことを探っている。
直感として、それが分かった。
そして、少し考えた。妖魔は、どうしてすぐに私を殺さないのか。それは恐らく、妖魔はデュークの呪いがどうやって解かれたのかが分かっていないからだ。デュークが自力で解いたのか、私が何かをしたのか、それとも他の誰かの力なのか………その根本原因を潰したいと考えているはずだ。
もしこの先、私自身がデュークを呪いから助けたと確信が持てたら―――恐らくその時、妖魔は私を殺しにかかってくるはずだ。
隠れるように細く息を吐き出し、そっとデュークからもらった琥珀の指輪に手を這わせる。
デュークに話したら、きっと同じ結論を導き出すはずだ。そうしたら、私はこの部屋から出して貰えなくなるだろう。私の身の安全を考えると、それがベストではあるのだけど。でも、それは正しくない。
デュークには、何もないただの『メルル』を守るよりも、ずっと大切なことがある。それは、妖魔を見つけ、倒すこと。そして、デューク自身が命を失わないこと。
それは、個人の事情ではない。多くの人の命と、デュークの国のためだ。だから、なんの立場もない私のことを使えるだけ使って、妖魔を倒すのが正解だ。
―――なんだかんだ優しいデュークは、私を犠牲にするような選択肢を選べないかもしれない。それに、こんな残酷な決断をデュークにさせたくない。
だから私は、デュークに何も話さなかった。人魚の浄化の魔法について話せば、魔法を使う力を失うというのもあるけれど。最後の切り札として。そして、デュークに辛い思いをさせない為に。私は、人魚の魔法が使えることを、デュークに伝えないと決めた。
いつか真実を知ったら、デュークは怒るだろう。でも、それでもいい。私は、デュークと失われそうな人々の命を守りたい。
ヤイール帝国の悲劇が再び起るのを防ぎたいのは、私も一緒なのだから。
私は、このまま囮として出歩き回って、妖魔をおびき寄せる。泡となって消える最後の一時まで、この命を捧げよう。そう覚悟を決めた。
「準備できた?」
ハッとして顔を上げる。完全に考え事にどっぷりとはまっていた。ごめんごめんと、声を出さずに謝りながら振り返り、私はピタリと動きを止めた。
「なんだよ」
眉をひそめて視線をずらすデュークの姿を凝視する。
上品なシャツにベスト。パリッとしたジャケットに、髪を整えたデュークは、思っていたよりもスタイルが良かった。きっちりと着飾ったデュークが想像以上に格好良くて、何もできずに息を呑む。
「まぁまぁぼっちゃま、見違えましたよ!やればできるじゃないですか」
「茶化すなマーサ」
「褒めてるんですよ!やっぱり元々素材はいいんですよね、なんたって」
「マーサ」
「おっと、申し訳ございません」
パッと口を抑えたマーサさんは、ニコニコとして私の背を押した。
「ささ、もうお時間ですよね?行ってらっしゃいませ」
「行ってくる」
そうして私の手を取ったデュークは、外へと続く扉を開けた。
柔らかな潮風がふわりと吹いて、私達を包み込む。
「歩けるか?砂浜には降りないけど、飛んできた砂がちらばってるから、ちょっと滑るだろ」
大丈夫、というようにコクコクと頷く。でも、うまく伝わらなかったのか、デュークは少し心配そうな顔をした。
「……緊張してる?なんか表情硬いぞお前」
プルプルと顔を横に振るが、余計無理をしているように見えたようで、デュークはピタリと立ち止まって私の顔を覗き込んだ。
「…………お前、具合悪かったりする?」
そんなに変な顔してた?と恐る恐るデュークを見上げると、デュークは心配そうな顔をして私のおでこに手をあてた。
「熱ある?なんか赤いぞ……いや待て、どんどん赤くなってるけど」
間近に見える顔に、いやあぁぁぁぁ!!と叫びたかったが声は出ない。変わりにアワアワとしながら飛び退いて―――煉瓦の石畳に積もった砂で、真新しい靴を履いた足がズルリと滑った。
「ちょっ――何してんだ」
がっと腰を抱き寄せられて、転倒は免れた。免れたが、もはや昇天しそうだ。勘弁して欲しいと顔を覆う。
「ほんとに大丈夫か?具合が悪いなら無理に行かなくても………」
まさか王太子殿下とのお茶会をドタキャンしようとしているのか。それはいけないと慌ててペンをとる。
『具合が悪いとかじゃない』
「いやでも顔すごい赤いし」
『それは』
そこまで書いて、ピタリとペンを止める。ちらりと目線を上げると、デュークは凄く心配そうな顔をしていた。なんだか段々申し訳なくなってきて。なんかもういいかと、開き直って再びペンを走らせた。
『デュークがカッコいいから』
「……………は」
静まったデュークを、恐る恐る見上げる。デュークは赤い顔をして固まっていた。
二人で顔を見合わせ、しばし無言の時が経つ。
デュークは、突然ぱっと身体を離すと、私と手を繋いだままそっぽを向いた。それから、反対側の手で顔を覆って少しなにか考える仕草をした後、ちらりと横目で私を見た。
「シャルも………綺麗だ」
ガハァ!と血を吐き出すかと思った。なんという破壊力。やめて私耐性無いから。田舎娘に安易にそんな言葉かけないでよ。
心の中は大混乱だ。どうしていいか分からない。そんな呆然としている私の手を、デュークはくいっと引っ張った。
「元気なら行くぞ」
そう言ってグイグイ私を引っ張っていくデュークは、もしかして、照れてるんだろうか。
なんだかその姿が微笑ましくて、私はデュークの手をキュッと握った。
海岸沿いの道を進み、王宮の本館へと進む。本館は小高いところにあり、所々にある白い階段を登った。白い壁が陽の光を反射し、空の青を背景にして、美しい城がくっきりと映えて見える。
違う世界に繋がる道を行くような気持ちになった。
着飾ったデュークと私は、今どんな風に見えるのだろうか。
「デューク!来てくれてありがとう」
白い階段の先にあった、海が一望できる開放感のあるテラス。先に来ていたカリーナ様が、私達の姿を見つけて、嬉しそうに歩み寄って来てくれた。上品にブロンドの髪を結い上げたカリーナ様は、優しげな薄紫のドレスがとても似合っていた。
「こちらこそお招き頂きありがとうカリーナ」
「ふふ、今日はたくさんお話させてね」
デュークと並ぶその姿に、胸がチクリと痛む。
「シャルロッティさんも、来てくれてありがとう。そのドレス、とてもお似合いね。お顔の色にもピッタリだわ」
そうにこやかに話しかけてくれるカリーナ様は今日もとても綺麗だった。
『筆談で申し訳ございません。本日はお招き頂きありがとうございます。カリーナ様もとても素敵です。上品で美しい着こなしですね』
「まぁ、ありがとう。筆談で全く問題ないわ。むしろいつもと違ったやり取りができて楽しいわ」
そう返してくださるカリーナ様は、あまり毒のない、優しげな様子だった。言葉の中に隠れた非難も見あたらない。
少しほっとした。でも、なんだか気持ちが上向かなくて。心做しかデュークが私を気にするような雰囲気を感じたが、デュークの顔を見る気になれなかった。
「君がシャルロッティ?会えて嬉しいよ」
背後から落ち着いた声が聞こえた。振り返ろうとする寸前、デュークにクイっと手を引かれる。見ると、デュークが頭を下げていた。
―――王太子殿下
そう察して、私もすぐに礼を取った。
「こら、仰々しいよデューク。学園で会ったときと同じようにしてくれていいのに」
「こちらは王宮ですから」
「真面目だなぁ。ほら、二人とも顔を上げて」
そう言われて、デュークの様子を伺いつつ、一緒に顔を上げる。
見上げた先にいたのは、レオナルド王子と同じサラサラの金髪に碧眼の、まさに王子様な出で立ちのアルフォンス王太子殿下だった。
美しい金髪に滑らかな肌。それに加え、レオナルド王子とは一味違う、威厳と落ち着きを放っていた。
「よく来てくれたね。今日は完全に非公式だから、発言も含め何も気にしなくていい。逆に僕達からも同じように非公式でお願いしたいんだけど、いいかな?」
「えぇ、問題ありません」
「なんかまだ微妙に仰々しくないか、デューク……まぁ、いいか。ほら、カリーナ。大丈夫だよ」
「はい。ありがとうございます、殿下」
何かを待ち構えていたような様子のカリーナ様は、アルフォンス殿下に感謝を述べると、そっと私の手を取った。
「―――シャルロッティさん、本屋では本当にすみません」
突然カリーナ様が謝り始めた。驚きで目を丸くする。
「カリーナ、突然何を……」
「わたくしの侍女が、シャルロッティさんに不適切な態度で接しました」
デュークがハッとしたような表情でカリーナ様を見る。カリーナ様は、申し訳無さそうな表情でデュークに視線を投げかけてから、また私に向き直った。
「その場で何もかも聞いたわけではありません。ただ、その後の二人の様子からも不適切な行いをした事は明らかでした。あの者たちは身勝手にシャルロッティさんを目下の者と決めつけ、遠巻きに傷つけるつもりで接したのです」
そんなの気にしていないと首を横に振る。確かにあの時落ち込みはしたものの、高貴な方に直接謝罪して頂くほどの事ではないと思う。
そう思ってデュークに助けを求める視線を投げかけようとした時だった。
「よって、あの者たちには暇を出しました」
信じられない言葉を聞いて、呆然とカリーナ様を見る。カリーナ様は少しほほえみながら、毅然とした態度で口を開いた。
「シャルロッティさんのせいではありません。元々、資質に欠ける者達だったのです。文化の違いも知らぬまま他国の方と接し、国家間の関係に傷をつけてしまうようでは、わたくしの侍女は元々務まらないのです。いい機会でしたわ」
そう語るカリーナ様は変わらず上品で落ち着いた表情をしていた。完璧なまでの貴族たるその姿に息を呑む。
「カリーナ、そこまでさせてしまってすまない」
「いいえ、留学生とはいえ、仮にも帝国の大使としていらしてるデューク様のお連れの方に粗相を働くなど、あってはなりませんわ」
「そんな風に俺を丁重に扱うやつなんてカリーナぐらいだろ」
「まぁ、そんなことありませんわ!ねぇ、殿下」
カリーナ様がにこやかに笑うと、アルフォンス殿下はやれやれという雰囲気で苦笑いした。
「もちろんだよ。私だって君のことを手厚くもてなしてるつもりなんだけど……足りなかったな?」
「とんでもございません。いつもありがとうございます」
「なんか心がこもってない感じがするんだよなぁ」
カラカラと笑うアルフォンス様と、同じようにクスクス笑うカリーナ様、そして半分苦笑いになっているデューク。
そのテンポの良い会話にうまく筆談で入り込めず、文字を書き終えたボードを胸に抱える。
そういえば、こんな交流の場で筆談をするなんて初めてだった。おしゃべりな私は、かつてこのような場でも楽しく会話をしていたのだけど。
私は少し考えたのち、スカートの隠しポケットからカードの束を取り出した。
「シャルロッティさん、それはなあに?」
早速カリーナ様が興味を示してくれた。私はニコリと笑い、一枚目をカリーナ様に見せた。
『事前に話したい言葉を書いておいたカードです』
「まぁ、素敵ね!押し花?」
そう、見て頂くからにはと、押し花で美しく装飾した自慢の手作りのカードだ。一枚目はインパクト重視で、妖草のキラキラと光る白い花の押し花を貼りつけている。
「あの花、こんな風に加工できるんだな」
デュークも面白そうに覗き込んできた。ニコリと笑って、次のカードを取り出す。
『紙に包んで大きな本の間に挟むと、思ったより簡単にできます』
「まぁ、そうなのね?やってみたいわ」
『薄さのある草花を選ぶのがコツです』
「コツもあるのね。……ねぇ、今のはすべて準備済みのカードなのよね?会話が成り立つなんてすごいわ」
その答えなら……とペラペラとめくる。
『ありがとうございます。嬉しいです』
「完璧ね!」
クスクス笑うカリーナ様はとても上品で綺麗だった。良いタイミングかと思って、さっき書き上げたボードに少し書き足してカリーナ様に見せる。
『話は戻りますが、本屋での件、そこまでお心遣い頂きありがとうございます。これからも良い関係でいさせてください』
「嬉しいわ。ぜひこれからはお友達として仲良くしてくださいね」
差し出された手を丁寧に握る。
これで良かっただろうか。ちらりとデュークを見ると、デュークは面白そうな、でも優しそうな顔で、ほんのり微笑んでいた。
お読み頂いてありがとうございます。
応援してくださった方ありがとうございます!
感想まで頂けて泣いて喜んでおります…!!
カリーナ様もアルフォンス殿下もいい人っぽい…?
「クッ……しかしカリーナにデュークはやらん!!」と対抗心を燃やしてくれたシャル派な貴方もも、
「ふふふ、デューク頑張ってお洒落してるのね?」とニヤついてくれたデュークまるっとお見通しのハイレベル読者様も、
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次は夜に2話ほど更新予定です。
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