1-16 ドレス選び
『私も?』
「そう書いてあるな………」
お出かけから数日後。その日珍しく届いたお茶会の招待状には、デュークの名前に並んで私の名前が書いてあった。差出人はこの国の王太子アルフォンス殿下だ。そして従兄妹に当たるカリーナ様もご同席されると。
『なんで私?』
「なんでだろうな………シャルが面識あるのはカリーナだし、カリーナが呼んだのかもな」
デュークはとにかく渋い顔をしている。まるでお腹の具合でも悪いみたいだった。カリーナ様の名前がデュークの口から出てドキリとしたが、ただただ面倒くさそうな様子にホッとしてしまった。
私もひどい女だなと心の中で呆れつつ、相変わらず渋い顔のデュークに笑いかける。
『デューク、お茶会とか苦手そう』
「……何が楽しいのか分からない」
『でもこれ、断れないやつだよね?』
「王太子の誘いだからな………」
げっそりとした様子のデュークは、諦めたように頭を掻くと、至極気の進まない様子で私の方を見た。
「マーカスも誘われてるし、仮に舌戦になってもそこまで苦労はしないはずだ。まぁ、アルフォンスはこの国では珍しく愛国心のある常識人だから変なことはしてこないとは思う。だから、本当に申し訳ないが、シャルも一緒に来れるか?」
その申し出に、私はニヤリと笑いふんぞり返った。
『当然ですわ!確かに声は出ませんが、このわたくしが簡単にやられるわけないでしょう?』
一応これでも魑魅魍魎がひしめき合う後宮で3年も生きてきたのだ。ここのところ弱気になっていたけど、デュークと海で語って開き直った今の私には声は出ずとも怖いものなどない。
ツンとした貴族顔で胸を張り笑みを浮かべると、デュークはキョトンとして私の顔を見つめた後、ふっと嬉しそうに笑った。
「凄いな。顔は違うのに、表情がシャルロッティ王女だ」
『私こんな傲慢な顔してた?』
「いや、気が強くて負けず嫌いで明るくて……凛とした綺麗な顔だな」
まさか、そんな風に言ってもらえるなんて。思わず赤面する。デュークは立ち上がると私の頭をポンポンと撫でて、招待状をポイッと自分の机に放り投げた。
「面倒だが、さすがに王太子の茶会に安っぽい格好では行けないから、お前のそれっぽいドレスを買いに行くぞ。フルオーダーは間に合わないだろうから、完成品を試着して手直ししてもらおう」
『この国はお茶会なのにそんなに気合入れるんだね』
「まぁ……この国は大体豪華だな。金は必要経費だし俺が払うから、あんまり気にすんな」
『いつもすみません』
「……別に」
そう答えたデュークは、少し間をおいて再び口を開いた。
「…………俺がお前に買ってやりたくて買うんだから、普通に笑ってありがとうでいい」
ボソリと呟かれたデュークの低い声にドキリとして、持っていたペンをギュッと握った。
『ありがとう』
「おう」
もうそれ以上何を書いたらいいか分からなくて、持ち上げたボードを下げる。
声の出ない私は、デュークにどれだけのことを伝えられているのだろうか。ゆっくりとした文字のやり取りがもどかしい。
ちらりとデュークを見ると、デュークも何故か同じように私をちらりと見て、こちらを伺っていた。
「………じゃあ、行くか」
なんとも言えない微妙なこそばゆい空気の中、私はコクリと頷いた。
それから少しして、私達はデュークが呼んだ馬車で、栄えた街の中を進んでいた。これまで殆ど来なかった街中は、人通りが多いものの、何故か皆ピリピリした様子だった。
『この街、少し治安悪い?』
「………絶対に、俺から離れるなよ」
そう言ったデュークの口調は、甘い言葉を吐き出したのに、それを感じさせないぐらい真剣だった。不思議に思ってデュークの顔を見ると、デュークは真面目な、でも少し寂しげな様子で、窓の外を眺めていた。
『何かあるの?』
「………よくある、貴族と民の仲違いだ」
その言葉にヒヤリとする。民が、王族貴族に牙を剥いた時。それがどうなるかを一番知っているのは、私だ。
再び窓の外に目を向けると、ボロを着た痩せた男が、ギョロついた目で馬車の中を睨んでいる。
その表情が、かつて断頭台から見た民の表情と重なった。
憎しみと敵意と、私達を悪とする、向こう側の正義に支配された、鋭い視線。
あの時の景色が一気に蘇り、恐怖が身体を駆け抜けた。
「―――大丈夫だ」
デュークの声が聞こえると同時に、手がふわりと温まった。ハッとして窓から視線を離す。いつの間にかデュークは隣に来ていた。微かに震える膝の上にある、私の冷たくなった手に、デュークの手がそっと触れるように重なっている。
「不用意に俺たちを傷つけるとこの国の民はその場で切り捨てられるという法律だ。だからこそこの酷い空気感になっている訳だが。幸か不幸か、今すぐ捕えられて傷付けられるようなことは無いし、俺たちはこの国の者じゃないから心配いらない」
そう告げるデュークの声は優しかったけど、同時に少し寂しげで、苦しそうだった。
「……特に今馬車が走っている場所は治安が悪い。もうすぐかなりマシになるから、もう少しの辛抱だ」
デュークはそう言うと、心配そうに私の様子を伺っていた視線を外した。それから、少しの間をおいて、私の手を遠慮がちに、でもしっかりと握った。
その手が、恐怖に震えていた私の弱気な気持ちを包み込んでくれているようで。
デュークは反対側の窓を見ていて、その表情は分からないけど。ぶっきらぼうでも、頑張って私を勇気づけようとしてくれているみたいだった。
そう、なんだかんだ、デュークはとても優しいんだ。冷えた手と一緒に、心も温まってきて。
デュークのことが、本当に、好きだなぁと思った。
いつの間にか固く握りしめていた両手の力が緩んだ。なんだかホッとして、私の手の上に乗っていたデュークの手に、ほんの少し自分の手を絡める。
私が想定と違う動きをしたからか、デュークは少し驚いたように僅かに身じろいだ。それから、少し視線を戻して重なる手を見たような素振りをした後、やや間をおいて、もう少ししっかりと、私の手を握ってくれた。
そのちょっとずつ近づいてくれる姿が何だか面白くて。私は思わず笑ってしまった。残念ながら、笑いで吐き出される息の音しか聞こえないけれど。デュークは私が笑ったのに気がついて、少し拗ねたように私の顔をちらりと見た。
「……急にご機嫌かよ」
そんなデュークに、本当はありがとうと言いたいのだけど。両手が塞がっている私は、何だかこの手を離したくなくて、そのままニコリとデュークに微笑んだ。
デュークはそんな私の嬉しそうな顔を何とも言えない表情で一拍見つめた後、またプイと反対側の窓の外に視線を戻してしまった。
同時に、少し乱暴に手を絡められて。
私は何だか温かくて幸せな気持ちのまま、その手を握り返した。
馬車は暫くして大きな街道に入った。先程のピリピリとした雰囲気は霧散して、比較的穏やかで高級感のある様子になっていく。そんな街中を進んだ先にあったのは、二階建ての建物ぐらいある、大きな大理石のアーチに囲まれた店だった。美しい大きなエントランスは、品の良い洗練された雰囲気を醸し出している。
『ここ!?』
「そう」
『ほんとに!?』
「ほら、降りるぞ」
デュークは呆気に取られている私の手を引き馬車から降ろすと、店のエントランスへと向かった。
エントランスの横に広がる大きなショーウインドウには、美しい刺繍のドレスが飾られている。大理石の床と柱も全て美しく磨かれていて、私達の歩く足音をコツコツと響かせた。
祖国にこんな素敵なお店は無かったし、帝国では採寸に応じて作られたドレスが定期的に送られてくるだけで、こんなオシャレな店に訪れた事なんて無かった。完全に気後れしながら、ドアマンが開けてくれた大きなドアから店内に入る。
「ようこそデューク様、シャルロッティ様。ご準備できております」
上品な白髪のお祖父様という雰囲気の店主らしき男が、私達に恭しく一礼した。顔を上げた店主は、洗練された店構えに狼狽える私を見て、優しげに微笑んだ。
「シャルロッティ様、どうぞリラックスしてお過ごし下さい。個室にご案内しますので」
個室!!服屋に個室があるってどういう事だろうと、結局狼狽えたまま個室に入った。落ち着いた室内には、大きな鏡と大量に並んだドレス、品の良い調度品やソファーが置いてあった。ここでも洗練されたオシャレな雰囲気に圧倒される。
「シャル、王宮に住んでたのに服屋で緊張するのか?」
『こんなオシャレな空間にいたことないもの!』
「そんなに違わない気がするけど……」
訝しがるデュークに、狼狽えながらも何言ってるのと荒れた文字を書きなぐって主張する。
『田舎者だったから、こんなところで素敵なドレス選んだことなんてないのよ!大体何着あるの!?どうやって選べばいいのよ!!』
アワアワしている私の様子にキョトンとしたデュークは、目をパチパチとさせた。ビックリした黒猫のようでちょっと面白いなと思ってデュークを見つめていたら、デュークは何だか嬉しそうに目を細めて笑った。
「選んでやろうか?」
その悪戯っぽい笑い方が妙に甘くて。声も出ないのに口をパクパクとさせてしまう。
「どういうのが好みだ?」
大量のドレスの前に連れて行かれ、希望を聞かれた私はキョドりながらも文字を書いた。
『露出が多くないやつ』
辛うじてそう答えた。胸元が大きく空いたドレスだと、呪いの残渣が見えてしまうかもしれないと、元々そういうのを選ばせてもらおうと思っていたのだ。
そう文字を書いてから思った。なんて色気のない答えだろう。好きな色とか、雰囲気とかを答えるべきだったろうに。
そんな狼狽え続ける私の様子に気づいているのかいないのか、デュークは少し首を傾げて考えたような素振りをした後、パサパサとドレスを物色し始めた。
「この辺じゃね?」
少ししてデュークが私に渡してくれたのは、首元まで繊細なレースが続いた軽やかなものや、胸元から肩に続くアーチのような袖のあるドレスだった。
「もっと肌見せないのがいい?」
ふるふると首を振る。とても丁度いい露出具合で、ほっとしながら、ドレスの布を手に取る。
そして、なめらかな手触りや美しい刺繍に、その高品質っぷりを実感して慄いた。
『待って、これ幾ら?』
「言うと思ったよ。悪いことは言わない。今日のところは金は気にするな」
『いやでもそんな贅沢するわけには』
「必要経費だって言ったろ。王太子に会うのに舐められたら困る」
『でも、私のお金じゃ買えないし』
やれやれとため息をついたデュークは、ぽりぽりと頭をかいてから、また口を開いた。
「払う金は俺が普通に自分で稼いだ金だ。税金ではないし、この国の者に恨まれる筋合いもない。そしてお前が嫌だと言っても必要だからドレスは買う。むしろこの国に金を落としていくのを感謝して欲しいぐらいだ」
そう言うと、私の手に高そうなドレスをドサっと数着乗せ、私を試着室へと押し込んだ。
「………それに、俺はお前を使用人のように見せるつもりはない」
ボソリと少し低い声でデュークが呟く。そして、一呼吸置いてから、真っ直ぐ私を見た。
「対等に俺の隣に立つ女に見えるように、ちゃんと着飾れ」
そして、パタンとドアがしまった。
呆然とその閉まったドアを見つめる。
「まぁまぁ……ふふ、いいですね。そう言われてしまったら、お隣に並べるよう、ちゃんと着飾るしかないですよ?お嬢様」
その声にハッとして振り返ると、綺麗な女性がにこやかな笑みを浮かべて立っていた。身なりから見て、この店の方のようだった。
「どれから試着されますか?まずはこの辺なんてどうでしょう」
私は優しげな女性にコクリと頷くと、ドキドキとしながら鏡の前に立った。そして、レモン色の柔らかなフレアの入ったドレスを充てがわれる。
なんとなくふわふわとした気持ちのまま着せられて、試着室を出て―――デュークの前に立った。
「……可愛いけど、ドレスがシャルに負けてるな。もうちょい華やかさがあって、上品なやつがいいかな………」
なんですと?
いきなりカウンターパンチを食らわされて固まる私に、デュークはバサバサと新しいドレスを充てがった。
「これとこれも着て」
それからは怒涛だった。着てはデュークに見せ、そしてまた別のドレスをを着てはまたデュークに見せるという、謎のファッションショータイムが続く。デュークはこれもいいけどこっちもいいなと追加でドレスを渡してきて。やっと決まったのは10着目だった。
「うん、これだな」
頷いたデュークにホッとして、気が抜けたようにボードに文字を書く。
『デューク、女の人のドレスなんて選べたんだね』
「まぁ……姉貴が3人もいるからな」
意外な家族構成にびっくりしている私の周りをぐるっと回ったデュークは、納得の表情で頷いた。
「うん、かわいい」
その自然な様子で紡ぎ出された言葉にどきりとする。多分、お姉さんに意見を求められたように答えたのだと思うのだけど。田舎王女の私はいつも農場を駆け回っていて、ドレスを着るのは式典の時ぐらいだったから。こんな風に着飾った姿を自然と褒められたのなんて、家族以外に記憶がなかった。
鏡に映るのは、上品な袖のあるシャンパンゴールドのドレスを着た『メルル』の姿の私。その姿は、確かにとても可愛らしかった。ドレスは同じ金糸のような糸で全身に刺繍が施されていて、縫い付けられた細かいビーズがキラキラと光を反射している。スカートはお茶会の場にぴったりのサラリとしたボリュームで、二重で施された透ける素材が優しげに揺れていた。
「なんだかんだ、お前はこういう柔らかい色合いが似合うんだな」
デュークは、このメルルの姿を、気に入ってくれているのだろうか。私であって、私ではないこの姿に、少し胸がズキリとした。
私は何を子供じみたことを考えているんだろう。私はきっと、ずっとこの姿のままで生きていくのだから。そう心の中で暗い気持ちを霧散させると、それを振り切るようにボードに文字を書いていった。
『ご納得の出来になりましたか?』
「うん。色もあってるしな」
『色があってる?』
「……何でもない」
何故かハッとして恥ずかしそうにしたデュークに首を傾げる。デュークは、気を逸らすようにそのドレスと別のもう一着をアクセサリーや靴一式で購入する旨を伝え、サラサラと支払いの書類に署名を始めてしまった。店の方に促されつつ、また試着室に戻る。
「少しお直しもしますし、採寸もさせて下さいね」
採寸されながら、シャンパンゴールドのドレスをまじまじと見る。美しい刺繍がこれでもかとふんだんに施され、高価なものであることがわかるような質感だった。
「お嬢様?お気に召しませんでしたか……?」
不安げな顔を見られていたのに気がついて、ふるふると頭を振る。
『沢山買っていただいたのに、何もお返しできてないなって』
「なるほど……」
店の女性は、ふむ、という感じで少し思考を巡らすと、私ににこやかに提案した。
「では、お嬢様からカフリンクスを贈ってみるのはいかがですか?そこまで酷く値が張るものではないので、もしお手持ちがあれば」
そう言って見せてくれたカフリンクスは普通のものよりは少し高めだったが、使い道がなくただ貯めるだけだった給料を使えば、問題なく買える値段だった。
「この辺なんてピッタリだと思いますが、いかがでしょう?」
深い青色の石が美しいカフリンクスを手に載せられる。それは、まるで澄んだ海を深い所まで覗き込んでいるような、不思議な透明感を持っていた。
「デューク様なら魔術付与もされますよね?こちらも適正はありますので、何かしら使い勝手もあると思いますよ」
着飾ったデュークが、これをつけた姿を想像する。
………妄想の中のデュークの破壊力が凄まじくて、ふぐっと変な息を吐き出してしまった。
「お嬢様?」
『いえ、すみません。これにします』
「ありがとうございます。このお色でしたら、本当にピッタリですので、きっとお喜びになると思いますよ」
どうピッタリなんだろうと不思議に思うが、確かにデュークが好きそうな色だった。こういうところは客の好みの色を把握しているものなのかもしれない。
店のお姉さんはにこやかに「お包みしてきますね」と言ってカフリンクスを持って奥へと消えてしまった。試着室にポツリと残され、気の抜けたようにため息を吐いて近くの椅子に座る。
鏡に映るのは、美しく着飾った『メルル』の姿。
―――メルルは、レイナルド王子の隣に、こんな姿で立ちたかったかもしれない。
そう思うと、何だか切ない気持ちになった。
もう一度立ち上がり、スッと背筋を伸ばして姿勢を正す。
そこには、メルルの姿だが、確かに祖国を背負って真っ直ぐに立ち続けた、あの日の自分がいるように思えた。
―――弱気になったらだめよ。
そう、自分に言い聞かせる。
―――メルルだって、どこかで見てくれているかもしれない。もし逆の立場だったら、私の身体の持ち主がウジウジしてるのなんて嫌だわ。強く幸せに生きていて欲しい。メルルがそれを望んでいるのかは分からないけど―――私には、私の生き方があるわ。
弱気になっていた理由は、なんとなく想像がついている。きっと、私がデュークのことを、好きになってしまったからだ。
でも、だからって、このままウジウジしていていいの?
―――気合を入れるのよ、シャルロッティ=バルバドロス=フィンティア。
恐れる心を奮い立たせる。
多分もう、デュークを想う気持ちは引き返せないところまで来ている。私はデュークに失恋したら泡になって死ぬのだろう。でも、それがなんだって言うのだ。皆死ぬときは死ぬのだから。
自分に正直に生きる。それでいいじゃないか。
今は、前世とは違って、それは許されているのだから。
本屋でのデュークとカリーナ様を思い出す。例えデュークが対等に私を扱ってくれているのだとしても、正式な婚約者のような立場となれば、それは別の話だ。今優しくしてくれているからと言って、その先があるとは、思わない方がいいだろう。デュークだってきっと、立場のある人なのだから。それは、王女だった私が、一番良くわかっている。
なら、私ができることは。こうして私を拾ってくれたデュークのために、できることをすることだ。
泡になって消えるその時まで。
私は、時折痛むようになった胸の呪いの残渣に手を当て、鏡の中の自分に言い聞かせた。
お読み頂いてありがとうございます!
デュークは意外とドレス選びができたようです!
「ちょっとギャップにドキッとしたかも」と思って下さったギャップ好きの方も、
「どんなお姉ちゃんなのか気になる」と妄想を膨らませてくださった読者様も、
いいねブックマークご評価なんでもいいので応援頂けると嬉しいです☆彡
ぜひまた遊びに来てください!