1-15 二つの決意(sideデューク)
本日2話目の投稿です!
『もう大丈夫!疲れたところにお姉様たちに人魚の技っぽいのを使われて疲れちゃったみたい。もう休むね。今日はありがとう!』
そう言って、シャルは元気な笑顔を浮かべた。
それでも心配そうな顔をしていたら、今日はデュークがオカンな日なの?と笑われてしまった。確かに、心配し過ぎなのかもしれないけど。でも、気になるものは気になる。なんたって、人魚の姉達の技だなんて、全くの未知だ。人になったシャルにどんな影響があるのかも全くわからず、心配が募る。
ただ、夜にこれ以上べったりくっつくのも迷惑だなと気がついて。今度は慌ててシャルに寝支度をしてもらった。無事に部屋で休んだのを確認して―――やっと一息ついて風呂場に入る。
熱いシャワーを浴びながら、シャルを連れ回し過ぎてしまっただろうかと、しばし悩んだ。でも、多分……普段の温室管理から考えると、そこまでの体の負担は大きくなかったはずだ。恐らく精神的なものか、さっきの海を光らせた人魚の姉達からの影響なのだろう。
他に見落とした事はないかと記憶を辿る。様子がおかしくなったのは、やっぱり本屋を出る頃だ。きっとあの侍女たちのしわざだろう。そして、何だか沈んだ様子のシャルを馬車で寝かせた。その時は沈んだ様子ではあったけど、具合は悪そうではなかったはず……。それから、すっかり寝入ったシャルを起こさないように抱き上げて運ぶことにした。その時、特に熱があるような様子はなくて。
―――むしろ、柔らかくていい匂いがして、可愛らしい寝顔だった。
ザバァァァァ!!
頭から水を被る。
アホか。何考えてるんだ俺は。
ゴン!と風呂の壁に頭を打ち付け、深くため息を吐いた。煩悩だらけじゃないか。シャルの体調も心配だが、俺自身の振る舞いに問題なかったかもかなり心配だ。
正直に言って―――何が正解か分からない。
シャルは、気持ち悪かったり、嫌だったりしなかっただろうか。もしくは……全然物足りなかった、というのも考えられる。
一応、俺なりに頑張ったとは思う。花だって買った。苗だけど。馬車の乗り降りだってちゃんと手を差し出したし、人混みでも歩けるように手を引いた。贈った服も着てくれたし、指輪も貰ってくれた。
……のだが。ちゃんと心を込められたかというと、結局流れでやってしまって、単なる気遣いとちょっとした贈り物程度になってしまった気がする。大いに照れがあったのは認めざるを得ない。
片手で額を抑えて再び深いため息を吐く。
世の中の男たちは一体どうなっているんだ。口説くって、何だ。どうしたら良かったんだ。女の顔を見つめて、可愛いとか甘い声を出せる精神力は、どこで鍛えるんだ。
自分の行いを振り返る。全く冴えないそれにうんざりする。唯一目を見て言えたのが……
――一緒に、俺の国に行こう、シャル
パン!と両頬を叩く。
恥ずかしくて死ねる。誰だあれ。俺か。俺が言ったのか。
本当に気持ち悪くなかっただろうかと、己のことを振り返る。甘くもなりきれず、故に妙にこそばゆい台詞。あれが正解だったかどうかは全く分からなかった。とにかく、真っ暗な海辺で良かったと、自分を励ます。
ほんと、馬鹿みたいだ。
ザブンと湯船に浸かって、昇っていく湯気をぼんやりと眺める。
―――本屋も、やめれば良かったな。
ただでさえ、この国の選民意識は強い。それなのに、シャルはついこの間まで『ひろいむすめ』と呼ばれ、文字通りレオナルド王子に飼われていたのだ。恐らくカリーナの連れていた侍女達に、阿婆擦れだとか身の程知らずだとかいう事を、綺麗な言葉で遠回しに言われたんだろう。
くだらないこの国の文化にうんざりする。身分が高い者たちは、自分の身分が永遠だと思っているのだろうか。
破滅の時は、迫っているというのに。
そんな、腐り始めた国の中。本屋を出た後、落ち込んでいたシャルの様子に、最後まで楽しい時間を過ごさせてやれなかった事を悔やむ。
カリーナに恩知らずと言われても、断ればよかった。そんな後悔が胸に広がった。
立ち上る湯気をぼんやりと眺めながら、カリーナに助けられたあの日の夜を思い出す。今まで何度も思い返したが、なぜ呪いが解けていたのか、はっきりとした事は分からなかった。
妖魔を見つけて、追い詰めたところで逆に呪われたあの日。薄れる意識の中、体中に呪いの文字が浮かび上がったのを見た。流石に助からないと思った。
それなのに、次に見たものは地獄に落ちる死の景色ではなかった。揺れる朧げな意識の中、光る泡に包まれたような、身体が浄化されるような、そんな不思議な記憶。そして、光の中でかすかに見えた、誰かのシルエット。
次に気づいた時には、カリーナの屋敷だった。高熱で一晩寝込み、やっと起き上がって、呪いや光る泡のことを聞いた。そんなものは無かったと、誰に聞いてもそんな返答しか帰ってこなかった。それどころか、愛の力といった、子供の夢のような非科学的な返しばかりをされた。
あれは、そんなものじゃない。妖魔が俺を殺しそこねたり、あえて生かしたりする理由もない。
誰かが俺を助けてくれた。ただ、そんな確信だけがあった。それが誰なのかは、わからないまま今まで来たけど―――
記憶の中の光る泡と、さっきシャルと見た光る海が頭の中で重なる。
それから、ふるふると頭を振った。
どっちも光ってるからって、さすがに安易すぎるだろう。そもそも、泡は白っぽい光だったし、海の光はシャルの姉である人魚達が光らせたという青い夜光虫の光なのだ。大体シャルに出会ったのは、妖魔に呪われた少し後だ。既に人間としてレオナルド王子と共にいたシャルが俺を助けてくれたとしたら、時系列的におかしい。それに、シャルはもう人魚でもなければ魔術も使えない。見ず知らずの俺を助ける理由も力も無いんだから。
なんとなく光る泡と光る海を重ねて考えてしまったのは、恐らくシャルが助けてくれたのだとしたら嬉しいという、自分の願望からだろう。頭の中お花畑かよと、自分自身を罵る。もう少し気を引き締めよう。
むしろ、助けてくれたのはシャルじゃない何者かの方がいい。あの妖魔はまだこの国のどこかに潜んでいる。俺が生きていることは妖魔にも分かっているだろうから、助けてくれた者の命を狙う可能性も高い。
恐らく妖魔はあの時取り憑いていた子供から、他の人間に乗り移っているはずだ。そして、なぜ俺が生きているのかと様子を伺っているはず。恐らく、俺を助けた何かについても、それを排除しようと近くで目を光らせているはずだ。
ちゃぷんと、湯を顔にかける。
妖魔の身の隠し方はこの世の誰よりも上手い。ただし、その姿を現さなければ妖魔は殆どの力を使うことができない。奴を次に見つけられるとしたら、恐らくまた俺の命を狙ってきた時か、俺の呪いを解いた何者かを排除しようとする時だろう。
俺の呪いを解いた誰かが、俺のせいで命を落とさなければいいのだけど。それが誰なのか、どんな方法だったのかすらわからない今、守ることも恩返しすることもできない。
重く吐き出された息が、湯気とともに天井へ昇っていく。
心の隙に取り憑き、負の連鎖で進化していく妖魔。腐敗が進み廃れ始めた国によく現れるそれは、この国で着実に力をつけ、もっと国を腐敗させ始めた。この国の終わりが見えるようで、やるせない気持ちになる。
国の上の者が、正すことができる強い心を持っていればいいのだが。この国は、それができないまま、水面下でついに危険な状態に陥ってしまった。
俺がこの国にいるのは、国の状態を見守り、可能であれば手助けし―――無理であれば、旧ヤイール帝国のような悲惨な状態にならないよう、手を打つことだ。
不安定で、腐りかけた欲深い国。この国で俺のすべきことが終わったら、シャルは俺の国へ連れて帰る。それは、俺の中で決定事項だった。
妖魔に取り憑かれ、欲に従い自由な振る舞いをする者ばかりの国にいたら、シャルはあっという間に泡になって死んでしまう。そんな気がしていた。だから、少しでも安全な国へ。理屈では、間違いなくそうだった。
でも、分かってる。そんなのは、もはや単なる表向きの理由だ。
俺が国にシャルを連れて帰りたいのは、俺がシャルと一緒にいたいからだ。
ちゃぷんと湯を揺らし、湯船の縁に頭を預けて宙を仰ぐ。一夫一妻制の自国に連れ帰り真面目な男に預ければ、シャルが泡になって消える可能性はずっと低くなるだろう。
でも、そんなことをする気にはならなかった。
シャルは、俺が幸せにしたい。
それが、俺の出した答えだ。
ザブンと湯の中から立ち上がる。方針は確定している。自分の手で幸せにしたいのなら、シャルを口説いて自分に惚れさせる以外にない。俺は父上のような美男子でもなければ兄上のように口も上手くない。でも、決めたからには全力を尽くすしかない。手応えは……全然ないが。というか、どういうのがいい状態なのかもイマイチ良くわからない。
ため息を吐きつつ、乱暴にタオルで濡れた髪を拭いて風呂場を出る。
なんで今まで適当な人付き合いで生きてきてしまったんだろう。なんだか何もかも間違ってるような気もしてきてしまう。シャルは他の男のところに行ったほうが幸せかもしれないけど。
……シャルとの穏やかな毎日が無くなってしまったら。そんなの俺が泡になって消えてしまいそうだった。俺も、欲深くなってしまったのだろうか。
項垂れつつも部屋に戻る。深夜の暗がりの部屋の中。机の上で、チカチカと緊急呼び出しの石が光っているのが目に入った。
「―――悪い、待たせた」
「いや、むしろ夜中にごめん」
少し難しい顔をしたマーカスを深夜の暗い温室に招き入れ、防音の魔術をかける。カサカサと動く草木にビクッとしたマーカスは、妖草の生えていない作業用のスペースに足を運び―――珍しく妖草への文句も言わず、真面目な顔で俺の様子を窺うように見た。
「国から返事が来たよ。………そろそろ限界じゃないかって」
その言葉にヒヤリとして、一拍呼吸を整えてから口を開く。
「………もう止められないのか」
「あぁ。相当な量の武器も集まってるし、革命軍もかなり大きくなった。数ヶ月以内に、革命軍が政権掌握に向けて蜂起するだろう、というのがこちらの見立てだ。旧ヤイール帝国の革命軍の指導者もこの国に入った。いつ何が起きてもおかしくない」
「……父上は何と」
「悲惨なクーデターが起こってこちらに飛び火する前に、さっさと属国にしろとさ」
その事の重さに、空気まで重くなったように感じる。
「………国の体制や駐在の動きは?」
「俺とお前で最後通牒を提示して交渉が決裂したら、みんな一気に引き上げる準備はできている。……でも、必要ないだろ。この作戦は、お前の手で一瞬で終わるはずだ」
「……………分かった」
呟いた声が深夜の温室の暗い空気に溶けていく。本当はこんな事をしなくても済めば良かったのにと、もっと何かできなかったのかと手を握りしめる。
「何暗い声出してんだよ。クーデターで沢山の血が流れるよりずっといいだろ」
「このままこの国が立ち直れたら良かったのにとは思うだろ」
「………手遅れだったんだろうな」
マーカスは重いため息をついて、ガタンと植木鉢の並ぶ棚に背を預けて宙を仰いだ。
「革命軍の者たちと何度も話し合ったけど、王族貴族への失望はもう取り返しがつかない段階にまで来ていた。そこに流行病と降雨量の減少による不作だ。信頼を取り戻すには何年もかかる。民はもう待てないだろう。妖魔にまで取り憑かれてるんだ。放っといたら一年以内にこの国は崩壊するか、周辺国に乗っ取られる……だったら俺らで属国にして、革命軍も取り込みつつ、血を流さず立て直す方がきっといい」
「………そうだな」
本当に、それが正解なのかはわからない。分からないけど、もうあんな風に血が流れるのは見たくない。
なら、今ある選択肢の中で、最善と思う道を進むしかない。
そう覚悟を決めたらなんだか楽になって、気の抜けたように、マーカスに頷いた。マーカスは、そんな俺を見て少しホッとしたような顔でニコリと笑った。
「で?どうだったの?」
「何がだ」
「シャルロッティちゃんとお出かけしたんでしょ、今日」
「……別にお前に報告するような事はない」
「うわぁ、最低。デュークの事だから本当にただお出かけしたんでしょ。だめだよ〜手を繋ぐぐらいはしないと〜」
「…………」
「……………………え?……え!???うそ!?デュークが!??」
「別にそれぐらいできる」
「うそだろ!?あの、種と図鑑持って土ばっかいじってたデュークが!?人間には全然興味を示さなかったデュークが!??手を繋いだの!?ほんとに!?デュークから!?シャルロッティちゃんが繋いでくれたんじゃなくて!?」
「………新月の夜は人の魔力が妖草に作用しやすいって知ってたか?」
「は?えっ、うわっちょっと!!!ごめんって!!もう茶化さないから!!!」
グネグネと蔦が首を持ち上げるように立ち上がり、ざわざわと草木が揺れる。
マーカスはぴょんと飛び上がるとドアから走り出た。
「とにかく!応援してる!どんどん攻めろ!その調子だ!!じゃあな!」
そう捨て台詞を残して、マーカスは風のように去っていった。
客がいなくなり、静まり返った温室のドアをパタンと閉める。
「………どんどん攻めろ、か」
その攻め方がわかれば苦労しないのだが。
種と図鑑ばかりの土いじりの日々を、少しの後悔と共に振り返った。それから、また重いため息を吐く。
温室のガラス越しに見える月の無い空には、夜光虫が輝いているように、キラキラとたくさんの星が瞬いていた。
お読み頂いてありがとうございます。
ついに不穏な動きが……!?
そして影でめちゃくちゃ照れていたデュークさんでした。
「ふふふ、たまらんなぁ」とニヤついてくれた女神のような読者様も、
「さぁ!もっと攻めろデューク!!」と荒ぶったグイグイ推進派の貴方も、
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