1-12 琥珀と薄紫の花
少しタイトルを変更しました!
『―――君を、僕の国に連れて帰るのを許してくれないか、シャルロッティ』
美しい金の髪が揺れる。甘い表情。そんな風に話しかけられた事なんて無い。びっくりしてその綺麗な顔を眺める。
『終戦協定の為に、君を連れ帰らねばならないというのは本当だ。でも……それだけじゃない』
握られた手は、とてもあたたかくて。戦で荒み、故郷を離れなければならないという不安に満たされた心に、その言葉は優しく響いた。
『確かに、僕には沢山の側室がいるけど。ごめん、仕方が無いんだ。大丈夫、君のことも、ちゃんと大切にするよ』
どちらにしろ、この人は私を連れていかねばならないのだ。
だったら。
人質としての側室だとしても、良い関係を築けるよう、信じてついていってもいいんじゃないだろうか。
優しい王子の表情に、そんな淡い期待を抱いた。
もしかしたら、本当に大切にしてくれるかもしれない。日々を積み重ねれば、愛し合えるようになるかもしれない。
だって、こんな私に、こんな甘い表情をしてくれるんだもの。
辛そうに涙を浮かべるお父様に、大丈夫、娘は結婚するんだよ、お祝いしてよと笑って。私の手を取る優しげな王子に、高鳴る胸の鼓動の助けも借りて。
不安がなかったわけじゃない。
でも、せめて、幸せそうに旅立とうって。
それを助けてくれた事には感謝している。
私は王子の滑らかな白い手を取り、淡く抱いた恋心に少しはにかみながら、帝国の大きな船に乗り込んだ。
船が苦手だと部屋に引きこもる王子に、気にしないで下さいと言って、私はのんびりと船旅を楽しんだ。
どこまでも続く青い海と水平線。刻々と色を変える広い空と流れる雲。眩しい日差し。しばらくして見えてきた帝国の港は、びっくりするほど栄えていて、大きかった。
見たこともない大きな帆船に、立派な建物。行き交う人の流れと、珍しい品々を並べるたくさんの店。
それを、一人馬車に乗り眺める。
大きな王宮は視界いっぱいに広がるほど広大で、全てを見渡すことはできなかった。開かれた馬車の扉。差し出されたのは従僕の手。私は少しの違和感と共に、城の中へと入った。
通された部屋は豪華で綺羅びやかで、沢山のドレスや宝石が準備されていた。湯浴みをさせられて柔らかな寝間着を着せられ、わけもわからずベッドに腰掛ける。
日もすっかり暮れた頃、王子が部屋にやってきた。
『やぁ。うん、良かった。ちゃんと見れるようになったじゃないか』
王子は甘い顔でニコリと笑うと、同じベッドの上に乗ってきた。驚いて後ずさる。
『婚礼の儀?あぁ、書類なら出しておいたよ。大丈夫、君はもう僕の妻だ』
何を言われているのか分からない。口の中が乾いていく。
『僕だって不本意だったんだよ?でも、しょうがないじゃないか。大丈夫、あんな田舎で暮らすよりも、ずっといい生活ができるよ。『大切にする』っていう証拠に、ちゃんとドレスも宝石も贈ったでしょう?部屋に沢山準備させたんだから』
ニコリと優しく微笑んだ王子を、呆然と見上げる。何を言っているのか、言葉がすぐに理解できなくて。それでも、受け入れがたい価値観を持っている事は、本能的に分かった。
私に覆いかぶさる王子の甘い表情が、何だか恐ろしく感じて。手先が冷たくなっていく。
横たわりながらじりじりと後ずさる私を、王子は嬉しそうに笑って追い詰めた。
『それに、僕をちゃんと愉しませてくれるなら、可愛がってあげるからさ』
そう囁く王子の表情に、愉悦に染まった何かが見えた気がした。
だめだ、逃げないと。
この先に起こることは、きっと、良くないことだ。
王子の手が伸びる。嫌だ。嫌―――
「シャル!」
ハッとして目を開ける。
目の前には、心配そうなデュークの顔。
息を整えながら、額に手をやった。汗でじっとり濡れている。
夢、だったみたいだ。もう3年も前の事なのに。震える息を吐き出して、心を落ち着かせる。
「部屋、入ってごめん。苦しそうな息遣いが聞こえたから」
そう言うと、デュークはタオルで起き上がった私の額の汗を拭いてくれた。それから、枕元からなにかを拾う。
汚れた青黒いような色合いの、人魚の石。明確な恐怖が入り交じる、悲しみの色。デュークはそれを拾い集めてから、手の中にギュッと握りしめた。
「……悪い夢かなんか見た?」
コクリと頷く私を心配そうに見たデュークは、少し躊躇したような間を置いたあと、反対の手を伸ばし、私の乱れた髪をなおすように、優しく頭を撫でた。
「もう、大丈夫だ」
シンプルだけど、心配と優しさの滲む声。トクンと自分の心臓が音を立たのが分かって。それから、温かいものがコロリと目から転がり落ちた。
「………安心した?」
ほんのり優しく笑いながら、柔らかな色合いの人魚の石を拾い上げたデュークは、それをコトリとサイドテーブルに置いた。
「こっちの暗い色の石はメトの餌にしちゃっていい?」
コクリと頷くと、デュークは、よし、と言って立上がった。
「お風呂入ってきたら?汗かいて気持ち悪いだろ」
それから、ガチャリと部屋の扉を開けてから、少しこちらを振り返って、壁を指さした。
「あと、あれ……気に入ったのあったら着て」
パタンと扉が閉まる。
指さされた方向を見ると、そこには、2着のワンピースがぶら下がっていた。
空のような明るい水色の、軽やかで繊細な生地のワンピース。それから、白いブラウスが胸元で切り替えられ、ブラウンのなめらかなスカートと一体となったワンピース。腰の細いリボンが可愛らしい。
ぼんやりとそれを見上げる。
もしかして、わざわざ今日のお出かけのために買ってくれたんだろうか。
ハッとして時間を見る。まずい、寝坊した。慌てて気に入った方のワンピースを掴み、お風呂場に駆け込んだ。
『おまたせしました!!!』
バタバタとリビングのデュークのところへ向かう。デュークはのんびりとソファーでお茶を飲んでいた。
「別に急いでないから大丈夫。準備できた?」
『もうバッチリです』
少し息を乱しながら文字を綴る。それから、躊躇しつつも、続きを書いた。
『素敵なワンピースありがとう』
「おう」
デュークはボードから少し目を離して私の着たワンピースを見てから、ちょっと笑った。
「何となく、そっちの方選ぶんだろうなと思った」
キョトンとしてデュークを見る。デュークは、何となくイタズラが成功したかのような嬉しそうな顔をしていた。
「お前、あんまり派手じゃない動きやすいのが好きなんだろ?」
図星でビックリする。そう、その通りだ。選んだのは白とブラウンのワンピース。多少動いても破れたりしなそうで、土がついてもはらえば気にならない色合い。それでいて、ちゃんと可愛さも兼ねているこのワンピースは、とても好きなデザインだった。
「……似合ってる」
不意に聞こえたその声に、自分の服を見ていた顔を上げる。空耳なんじゃないかと思って、デュークの様子を窺おうとしたけど。デュークはもう外に出る扉に手をかけていた。
「行くぞ」
カチャリと扉が開いて、潮風が部屋に流れ込んで来た。暖かな風がふわりと吹いて、私とデュークの周りを楽しそうに駆け回る。
パタパタとデュークを追いかける私の、新しいブラウンのスカートも、風と一緒に楽しそうに揺らめいた。
砂浜沿いの道には馬車が停まっていて、言われるがままにその馬車に乗り込む。乗り心地のいいその馬車にふわふわと揺らされながら、機嫌が良さそうに窓の外を眺めるデュークの横顔を盗み見る。
いろいろ、準備してくれたんだ。そう思って、何だかむず痒くなって視線を外した。手持ち無沙汰に、滑らかな座席を撫でる。それは手に吸い付くような、高そうな布地だった。
今まで、敢えて聞かなかったのだけど。デュークは何者なんだろう。ただのメルルの私が、こうして一緒にいていい相手なのだろうか。
「さっきからなんで座席撫でてるんだ?」
デュークが不思議そうに私に話しかけてきた。ハッとして、笑いながらデュークがくれた小さなボードに文字を書く。
『さわり心地良いなって』
「確かに。なんかいい生地使ってそうだよな、これ」
何のこともなく言い放つデュークの、のほほんとした顔にニコリと笑いかける。
二人で乗る、穏やかな馬車の時間。
窓から見える景色は、明るい街並の間から見える海が、キラキラと陽の光を反射していて、とても綺麗だった。
「そろそろ着きそうだな。あれだろ?」
テントが並ぶ広場が見えてきた。馬車がなめらかに停まり、扉が開く。
「ん」
先に降りたデュークが、ほい、と私に手を差し出した。
それを、何だか夢見心地で見つめる。
「………どうした?」
訝しがる声にハッとして、慌ててその手を取る。
思ったよりもしっかりした、力強い手。もちろん私よりは大きい手だったけど、指が長くて綺麗な形の手だから、もっと柔らかな感触を想像してたのだけど。
デュークの手は、思っていたより、男の人の手だった。
「結構混んでるな」
見ると、結構な人混みだ。その様子を見てから、あっと胸元を抑える。
しまった。慌てて着替えたから、ブローチを忘れてきてしまった。
こんなところに国宝らしき高級品をつけてくるのも憚られるけど。
困った気持ちになりつつも、デュークに素直に謝る。
「あぁ。ほんとだ。今部屋にあるな」
恐らく魔術か何かでブローチの在処を探ったのだろう。デュークは少し宙を見つめながらそう答えた。
「まぁ大丈夫だよ。そもそも、もうあれつけてても意味ないだろ」
『なんで?』
「もう一回おまえを攫うなら、ブローチ外して所在分からなくしてから攫うだろ」
『確かに……』
そう言われてみればその通りだ。私だってそうする。
デュークは、ふぅ、とため息を吐いてから、何となく居心地が悪そうに、私の方をちらりと見た。
「……一応、代わりはあるんだけどさ」
何だろう。首を傾げてデュークに先を促すと、デュークは少し躊躇する様子を見せながら、この間買ったばかりの新しい服のポケットを、ゴソゴソと探った。
「嫌じゃなかったら」
そんな控えめな言葉とともに、何かが私の手のひらにポトリと落とされた。
それは、琥珀が柔らかに光る、金の粒子が光と混ざって溶けたような、優しげな色合いの指輪だった。
「……認識阻害と、本人以外は外しにくい術も付けたから。指輪だと特に外れにくいし、あのブローチみたいに目立たないし、多分攫われても簡単には外されないと思う」
何故か妙に言い訳のように特徴を述べるデュークを頭の片隅で不思議に思いつつも、私はその優しげな雰囲気の指輪に釘付けだった。
恐る恐る手のひらから持ち上げ、少し悩んで、右手の薬指につける。
魔術が発動したのか、ほんのり温まった指輪は、しっとりと私の指に寄り添うように、ぴったりとはまった。
柔らかなその輝きに、なんだかデュークの優しさを感じてしまって。どうしても、嬉しい気持ちが溢れ出してくる。
『魔術、デュークがかけてくれたの?』
「……おう」
『大変じゃなかった?』
「大したことない」
『この指輪、高くなかった?』
「そんなでもない」
淡々と答えるデュークの声に、少しこちらを窺うような、何となく不安そうな色を感じ取って。顔をあげると、デュークはやっぱり不安そうな顔で私を見ていた。
もしかして、私が気に入ってるのか、気になってるのかな。そんなわけ無いと自分に言い聞かせながら、それでも胸が跳ねて。ドキドキしながらまた文字を綴る。
『綺麗な指輪ありがとう』
「………どういたしまして」
『この優しげな色、すごく好き』
「………ブローチの代わりにつけられそう?」
『うん。毎日付けてもいいの?』
「おう。じゃないと意味ないだろ」
『そっか。そうだよね。毎日付けるよ。ありがとう』
何となく照れたようなデュークの様子が嬉しくて。両手で祈るように、指輪のはまった手をキュッと握った。
嬉しくて笑みが溢れる。
デュークは、そんな浮かれた私を何となく嬉しそうに眺めると、よし、と視線を広場の方へ向けた。
「じゃあ、見て回るか。一応指輪してたら追跡はできるけど、迷子になって人攫いに遭うとかやめろよ」
『子供じゃないんだから大丈夫です!』
「どうだかな」
私を馬鹿にしたように笑うデュークにちょっと口を尖らせながらも、一緒に人混みの中に入っていく。
色とりどりの花が展示されていて、立ち止まる人と歩く人が入り乱れ、なんだか複雑な人の流れになっていた。何かのイベントが終わったのか、わっと人の流れが動く。
ぶつかられてよろけるけど、元気な人々の流れはびくともしない。そう言えば、こんな人混みは初めてかもしれない。帝国では殆ど部屋に引き籠もっていたし、故郷じゃこんな人混みの中に入っていくことはなかった。大体人より牛や羊の方が多かったんだから。
少し目を回しながらよろよろと足を進める。ちょっと、花を見てられないんだけど………
「お前、想像以上に人混み歩けないな」
もはやとうの昔に見失っていたデュークの声が背後から聞こえた。ほっとしたのもつかの間、グイッと引っ張られる。
「とりあえず人の群れの中に突っ込むのはやめろ」
引っ張られながら何かの流れに乗るように歩くと、少し人の波が落ち着いた。デュークを見上げると、可笑しそうに笑っている。
「子供じゃないんだから大丈夫、なんだよな?」
一応そのつもりだったが。あまりのカッコ悪さにしゅんとした。残念ながら、人混みを歩く能力に欠けた大人だったようだ。いきなり迷惑かけるとか……と、己の不甲斐なさに少し凹む。
「………慣れるまで我慢しろよ」
そう言って、デュークは私をくいっと引っ張って、他の人の波に乗った。
人混みで、手元がよく見れないけど。私の手は、デュークの手に繋がれていた。手の温もりと感触でそれが分かって、またドキドキと胸が鳴った。
人混みだから。そう、人混みだからと、自分に言い聞かせるけど。でも、そんな言い聞かせなんて無駄なんじゃないかっていうぐらい、私の頬は熱くなっていた。
「ほら、この辺ならそんなに人いないし、ゆっくり見れるんじゃないか?」
小さな苗の展示された場所。先程の大きく華やかな花と違って、小ぶりな花や蕾が多かった。
ボードに文字を書こうとして、少し持ち上げたけど、また下ろした。まばらな人の中、まだ手は繋がれていた。片手じゃ書けないなと、少し悩んでいたら、そのままそっと手が離された。
少しの間、その冷たくなった手の周りの空気に、動きが止まる。
―――声が出たら良かったのに。
そんな気持ちを無視するように、またペンを走らせた。
『この辺は、土の改良用の品種みたいだね。地味だからあんまり人がいないのかな』
「まぁ、派手さはないけど……これも普通に綺麗だと思うけどな」
確かに小ぶりの花だけど、可愛らしい。葉も瑞々しくて綺麗だから、まとめて植えたら素敵なんじゃないだろうか。
『土壌改良しながらお花楽をしめるなんて結構いいんじゃないかな』
「そうだな。温室用に少し買ってくか。売ってくれるみたいだし」
様子を見ると、確かにこの辺の苗は購入できるようだった。先程の人混みの方は値札はついていなかったけど……どうやら人気すぎるようで、抽選か入札で決めるらしかった。
『割とみんな派手なのが好きなんだねぇ。こういう素朴なのもいいんだけどな』
「これ敷き詰めて植えたとこに寝たい」
『お花潰しちゃうでしょう!』
「花畑で寝転がってみたくない?」
『……やってみたい』
「ほらな」
私の手元の小さなボードを二人で覗きこみながら、可笑しくて一緒に笑う。花畑でお昼寝するデュークは、まさに黒猫だろう。想像すると、なんだか可愛くて微笑ましい。
『何色がいいかな』
そんな花畑を想像しながら苗を選ぶ。
「………これは?」
デュークが指し示したのは、柔らかな薄紫色の、小ぶりで可愛らしい花の苗だった。
『可愛いじゃん!デュークもお花だと、こういう色選ぶんだね』
「別に身につけるわけじゃないし」
『確かに』
「……それに、これ、ちょっと似てるなと思って」
何に似てるのかわからなくて首を傾げる。デュークは、少し私の様子を伺うようにこちらを見ると、また口をひらいた。
「お前の色、こんな色だったなって」
ポツリと呟いたその声に、びっくりして動きを止めた。
薄紫色。それは、このメルルの身体の色じゃなくて。
元の『シャルロッティ』の、瞳の色だった。
『私の目の色、知ってたんだ』
「一応、見たからな」
処刑されたあの日。きっと、遠目からだっただろうに。
デュークは、懐かしむように目を細めた。
「あの目は、堂々として綺麗だったから。ちゃんと覚えてる」
そうして私に笑いかけたデュークの優しい笑顔に、溶けてしまいそうだった。
その日、私達はのんびりと苗を物色したり、変わった土や肥料の配合を考えたり、新しい品種改良の仕組みについて興味津々で展示場の人を問い詰めたりしながら、楽しい時を過ごした。
薄紫色の小さな花を咲かせる苗を沢山買って、幸せな気持ちで広場を出る。
馬車から見た夕暮れの海と空は柔らかな色合いで。なんだか私の指に光る琥珀の色と似ているなって、バカみたいに浮かれてしまった。
刻々と色が変わる美しい空。
私は馬車の窓から、それをのんびりと見ていた。
お読み頂いてありがとうございます。
ブックマークしてくださった方ありがとうございました!
とても嬉しいです!
デュークさんは攻めに転じてきた……かも?
楽しんでくれた方、
いいねブックマークご評価なんでもいいので応援頂けると嬉しいです☆彡
ぜひまた遊びに来てください!