ゴブリン
ゴブリン。
人に似た最厄の魔物。
子宮を持つ雌となら何だって繁殖が可能という特異な性質を持つ化け物。
そして交わった雌から産まれてくるのは、やはりゴブリン。
人の大人よりは小さく、10歳の子供よりは大きい。
力は人間の雄より弱く、雌や子供よりは強い。
頭脳は人より愚かで、猿より賢い。
道具を使い、火も扱う。
そして雄しかいない。
それがゴブリン。
「ギャ、ギャ、ギャ!」
目の前では苗床として機能しなくなった人間の雌が餌になっていく。
虚ろな目はすでに死への恐怖すら映し出さない。
実際、痛みすら感じていないのだろう。
おおよそ、苗床の最後はこんなものだ。
交われば数日でゴブリンが産まれる。
子を産めば、また犯され、孕まされる。
場合によっては、産んだばかりのゴブリンにその場で犯される。
あくなき繁殖力。
まるで増えることだけが存在意義かのような行動原理。
(人間なんて何が美味いんだろうな)
ゴブリンとしては雌であれば何でもいいのだが、同じような二足であるく人間を好んで食べる。繁殖先の相手としてはついでのようなものだ。
本能のおもむくまま孕ませ、やがて衰弱し、子を産まなくなった雌を食料にする。
勿論、雄も食う。
だが子を産む必要の無い雄は犯す必要などない。
ゴブリンが狩った人間の辿る道筋は苗床として経由するか、しないかだけであり、結局は胃袋へ行き着くのだ。
「どちらにしても俺には関係の無い話か」
人と同じように言葉を発したのは体毛の無いゴブリンには珍しい赤い頭髪。
人の平均よりも巨大な体躯。
ゴブリンの中の異端とも言える赤毛の王。
「だいたい、犯すと死ぬって、どんな設定だよ」
自慢の頭髪をぼりぼりと掻きながら赤毛は呟く。
すでに人よりも高い知能を得ていた赤毛は、ゴブリンの寿命と生殖行為の関連性に気が付いていた。
雌を孕ませると、やがてゴブリンは死ぬ。
生まれつき性欲が異常に少なかったためなのか、一度も経験をしていない赤毛は長命だったのだ。
「あいつ、もう死ぬな」
赤毛の視線の先には、苗床に跨がり腰を振っているゴブリン。
それが精を放った瞬間に死んだ。
「計算どおり」
ゴブリンは長期間交尾をしなければ力も知能も成長をする。成長は何度も訪れ、その度に強くなっていく。
だが雌を犯したいという強い本能を抑え込むことは、ほとんど不可能だ。
結果、本能に抗えないゴブリンは、すぐに死ぬ。
この寿命が人の暦で約4年。
「生きるための力みたいなものを子供に譲渡するから死ぬんだろうな」
赤毛は自らの観測結果から結論付けていた。
「お陰様で俺は長生きだよ」
約30年。
誰とも交わらず、赤毛はゴブリンの人生をただじっと見送ってきた。
「ゲ、ゲ、ゲ…ギャ、ゲ」
「ああ、いらんよ。俺は自分で肉を獲ってくるから大丈夫だ。俺は人は喰わない」
「ギャ、ギャ、ギャ」
「だからお前たちの王じゃねぇって何回言えば解るんだ?」
「グゥ」
この集落で一番、力がある。
この集落で一番、知恵がある。
いつのまにか王という扱いになっていた。
「そろそろ次の成長か……これまでの周期と同じであれば、今回は大成長のタイミング。楽しみだな」
10年経過した時点で人間よりも強くなった。
20年経過した時点で人間よりも賢くなった。
賢くなっても足りなかったのは知識。
それを補うためにゴブリンは人間に頼った。
「助けてくれ」
「ああ、それで国というのはどういう意味なんだ」
「国か。国というのは――」
非常食とするために生きたまま保管している雄もいるのだ。
赤毛は、そんな人間と何千回と会話を試みた。
赤毛が言葉を理解しようとしていることが解ると、非常食はすぐに言葉を教えてくれるようになった。
知識を得て、歴史を知った。
計算を知って、科学を識った。
「お前、言葉が分かるなら、心があるんだよな。わかるだろ。なぁ、助けてくれ。俺には妻と子供が……」
「心というのは何だ?」
「愛とか気持ちとか、そういうものだよ!」
「愛について詳しく教えてくれ」
色々な非常食と幾日、幾日も繰り返し会話をした。
たまに理性を保っていた苗床とも会話をした。
だが赤毛は、どうしても心という意味が理解できない。
「助けてくれ」
「なぁ、心について、もう一度説明してくれよ」
「説明したら助けてくれるのか?」
「ああ、食わないぞ」
色々な情報を聞いた。
人間は賢い。
だが、いくら聞いても人間の説明では心というものが理解できない。
「もういい」
ある日、赤毛は諦めた。
「助けてくれ」
「ああ、俺はお前を食わない。約束したからな」
次の日に行くと、赤毛と会話をしていたその人間は骨になっていた。
「非常食は非常事態以外に食うな!」
赤毛に殴られたゴブリンが肉塊に代わる。
それをゴブリンが食う。
同族すら死ねば食糧だ。
それがゴブリンの日常だった。
それを冷たい目で眺めながら赤毛は心を理解するのを諦める。
まだ、足りない。
成長が、足りない。
ただ、それだけ。
そう確信を持ちながら。
そしてその日がやってくるのだ。
「そろそろ成長が始まりそうだ。おい」
「グギャ?」
「誰も近づけるな」
「ゲチャ」
赤毛はそう言って、集落の一番大きな岩の上で横になる。
10年ごとの大成長では数日は眠ることになるのだ。
喜び、楽しみ。
そういった情動は無かった。
だが確実に何かが変わる。
そう確信するような期待だけがあった。
そして数日の眠りを経て赤毛は目を覚ます。
ゴブリンの王の真の覚醒だ。
「汚いな」
赤毛は見慣れた集落が非常に汚いように感じていた。
「なんだろう。成長したことで見え方が変わったのだろうか」
そう言いながら集落の中を歩く。
そこへ、ちょうど新しい苗床を担いだゴブリンが近づいてきた。
多少汚れてしまっているが絹の衣を着ている人間の雌たちだ。
赤毛の知識が、この雌は人間社会における貴族階級であることを教えてくれる。
「そいつらをどこから連れてきた?」
「ゲキャ? グチャ、ゲ、ギャ、ギャ」
「お前らに聞いた俺が悪かった、ちょっと見せてみろ」
「ゲ、グゥ、グゥ……ゲチャ」
「うるさい、寄越せ」
赤毛は先頭で担がれていた肉の柔らかそうな若い雌を奪う。
興味が湧いたのか顔にかかる金髪をかき上げ、その表情を見た。
暴れてはいなかったが、意識はまだあったのだろう。
「た、助けて」
「う」
「お願い、助けて」
「う」
「助け……え?」
「美しい」
赤毛は胸の奥を締め付けられるような感覚を味わっていた。
無意識に音を立てて唾を飲み込む。
「人間。名前は?」
「話せるの?」
「名前は?」
「マリア」
マリア。
そう呟く赤毛。
口にしたその響きはなんて甘美なのだろうか。
まるで脳の奥まで蕩けてしまうような疼きを感じる。
――そう。
30年目にして人の心を知った赤毛は、恋に落ちたのだ。