赤毛の男
本作品にはゴブリンの生態上、R15の範囲にはなりますが、女性への陵辱行為や人が食物連鎖に巻き込まれる残酷な表現がある部分があります。予めご了承ください。
2023/05/27 改稿開始
「ゴブリンを知っているか?」
隣にいた男がふいに話しかけてきた。
ここは取り壊しが始まったサンタマリア街区の旧教会の敷地からほど近いカウンターだけの立ち飲み屋。
初めて入ったというのに、どこか懐かしさを感じる良い店だった。
まだ陽も落ちていない早い時間だというのに、そこそこ混んでいたのは、雰囲気の良さと、それなりに旨いつまみが出てくるからか。
「ゴブリン? 百年前に滅んだ魔物のことか?」
話掛けてきた男を横目で観察しながら私は答えた。
その男は茶色のローブ姿で、巨躯の背中を少し丸めるようにしながら蒸留酒を傾けている。
目深にフードを被っており、俯き加減なため、表情は読み取れないが、浅黒い肌に刻まれた皺から老人のようにも見えた。
「そうだ。そのゴブリンだ」
「滅んだとはいえ、ここは殲滅線上だったんだ。さすがに知らない奴はいないだろう」
「そうか、そうか」
男はそう言いながら、口元に笑みを浮かべる。
そして、グラスに口を付けると、そのまま黙ってしまった。
その笑いが妙に気になった。
まぁ、酒の肴にはなるだろう。
そんなことを考えながら、俺は言葉の真意を問おうと身体を男の方に向け、空いたグラスを見せながら、
「そのゴブリンがどうしたんだ?」
と話しかけてみた。
私が話掛けたのが意外だったのだろうか。
男は顔を上げポカンと口を明けたまま、こちらを見た。
ようやくフードに隠れていた顔がはっきりと見えた。
陽に焼けた浅黒い肌には、いくつもの刀傷が刻まれており、まさに歴戦の強者といった風体だ。
フードからわずかに出ている深い赤色の巻き毛は不吉な血の色を連想させる。
目の周りには深い皺が刻まれているが、その目の力強さに思ったよりは若いのかもしれない。何となくそう思った。
「自分で話しかけておいて、その表情は無いだろう」
そう言うと男の顔は嬉しそうに破顔した。
「聞きたいか、そうか。そうか」
「いや、そこまでではないが」
「いいぞ若いの。そういう好奇心が身を滅ぼすことも、助けることもあるんだ。気に入った。マスター、この若いのに一杯。俺にも一杯くれ」
(若いのって、そこまで私は若くないのだが……)
カウンターの奥で葉巻を吸っていたマスターが琥珀色の酒を2杯用意し、一つを私の前に置いた後、男に話しかけた。
「珍しいな。オールが他の客と話すなんて。それにもう4杯目だぞ。いいのか?」
「問題ない。今日は特別だ」
「そうか」
この赤毛の男はオールと言う名前らしい。
マスターの言葉振りから、調査の通り、どうやら常連のようだ。
「悪いな。奢ってもらって」
「若い者が気にするな。それに今日は俺にとって記念日なんだ」
「記念日? 誕生日か何かか?」
「馬鹿を言え。ほら、今日はパールサの動乱記念日だろ」
「ああ、それなら知っているが。さっきも教会の周囲はお祭り騒ぎだったよ」
「はっ、新教会の辺りの話だろ。本物はこっちなのにな。約定は護られず、ただ享楽のうちに滅びゆくだけってやつだ。まぁ、どっちにしろパールサはどうでもいい。俺が祝いたいのはゴブリンのことだ」
「ふむ、どうやら長い話になりそうだな」
俺は覚悟を決めてグラスを飲み干し、空いたグラスをオールに見せる。
「悪いがもう一杯奢ってくれ」
誰かの記念日には付き合う。
それが家訓だ。
たとえそれが怪しい風体の赤毛の男だったとしても。
たとえその話を聞くのが、私の仕事だったとしても。
「若いの。解っているな。名前は? その体躯、兵士か?」
「そんなところだ。ノアと呼んでくれ。本当はもっと長ったらしい名前なのだが、周りはそう呼ぶ」
「ノアか。良い名だな。マスター。ノアと俺にもう一杯だ」
そう言って私に続いてグラスを飲み干したオールは語り始めた。
ゴブリンが滅んだ日。
あの日に続く終わりの物語のはじまりから。
それは――