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お題もの

涙の正しい使い方

作者: 日室千種

診断メーカー「不思議なやまい」の診断結果と喜楽直人さんからいただいたRヒントから短編を書いてみました。


診断結果:

「あの人も罹っていた、夜になると氷が口から零れ落ちる不思議なやまいに罹りました。原因を探さずとも、きっと気づいているのでしょう。あなたのために流された涙を舐めれば、完治するかもしれません。あの人は、泣いてくれるでしょうか」


 祖父も罹っていた病に、罹ったようだ。

 夜になると氷が口から零れ落ちる。冷え冷えと乾いた氷の表面は喉に口内に張り付き、皮膚を破る。毎夜、溶けた氷に血を混ぜて、吐き散らしている。

 そんな無様な姿を、恋焦がれる女に見せたくはなかったのに。


 入り口で凍りついたように立ち尽くす高貴な女は、しっかりと薄氷色の目を見開いて俺を見ていた。

 その美しく冷たい目が、いつだって俺を駆り立てて、毒を吐かせる。


「何故部屋に来た。決して近寄るなと言っていたのに。

 女でも連れ込んでいると思ったのか。

 残念ながら、こうして毎夜のたうちまわってるだけさ。

 やめろ。人は呼ぶな。医者もいらん。

 原因は、わかっている。


 ……原因がわかっていると聞いて、不思議そうな顔をするのは何故なんだ。

 巫女の血を引く王家の姫。貴方を娶りながら、散々蔑ろにした俺が神に見放されたとして、不思議はない。貴方が神に祈りでもしたのだろう。

 いわばこれは神罰だ。神の手による不思議なやまい。

 ――あるいは、毒だ。呪いをもたらす呪毒。心当たりが、あるだろう?


 恨みはしないさ。

 俺のような男に嫁ぐのはさぞ不満だったのだろう。哀れにも思うよ。無能な王に命じられて、商人まがいの落ちぶれた子爵などに嫁がなければならなかったんだ。想い合う男もいたかもな。

 だが、すでに貴方は俺の妻だ。

 どう扱おうと、俺のものだ。

 他の誰でもなく、俺の!」


 気が昂って、胸が千切れるほどに冷たくなり、心の臓が軋んだ。

 苦しみの元を取り出したくなる。

 爪がはだけた胸に食い込み、がりがりと赤い線を引く。

 やがて込み上げた氷が喉と裂きながら通り、ぼとぼとと鮮血と共に床に落ちた。

 女の掠れた小さな悲鳴が聞こえた。

 まだいたのか。見ていたのか、この無様な姿を。

 

「…ああ、興奮したからか、今のはキツかったな。

 何故泣く。もう部屋に戻れ。

 朝になれば、この病は消える。傷ついた粘膜も皮膚も再生し、失われた血も戻る。

 俺はただ、こうして傷だらけになり血を吐いて、冷え切った腑が屍人の肉の塊のようにぶら下がり、俺の体を丸ごと地の底に引き摺り込もうとする苦痛に、夜毎耐えればいい。

 朝食の席で会おう。何事もなかったように。

 唯一夫婦らしい時間じゃないか。楽しみだよ。

 心配をせずとも、その時にはまた、冷酷で横暴な夫さ。罪悪感など、持たなくていい。


 ……なあ、泣くな。本当にいいんだ。

 貴方は俺のものだが、俺は貴方のものだから。

 俺の苦しみで貴方が少しでも癒えるなら。

 ただ、悪いが、貴方を手放すことだけはできない。

 それだけは。まだ。

 いや、できることなら――。


 ああ、だめだ! もう行ってくれ。部屋へ戻れ。

 流石に弱ってる。言っても仕方のないことを言いそうだ。

 愛されていない夫だろうが、仮初の夫だろうが、最低の夫だろうが、男としての矜持くらいはある。

 憐れまれたくはない。同情をして欲しいわけではない。

 行ってくれ。今すぐ。


 ――それとも、弱った男がお好みか?

 顔を合わせれば冷たい言葉を吐き、装いを貶し、他の男との仲を邪推し、口汚く罵る横暴な夫が血を吐く姿を、鑑賞なさりたいか。いいご趣味だ。高尚だな」


 赤く染まった氷を罵りと共に吐きながら、ひと月程前に慌ただしく娶ったばかりの女を見る。

 結わずに流した豊かな金の髪に彩られた高貴な女は、流す涙まで高貴だ。

 手元の燭台に照らされた頬に、幾つもの涙の筋が煌めいている。

 涙が、勿体無い。

 

 ああ、くそ、体が冷えて動かない。

 胃の腑が氷の苗床となり、体の内側から恐ろしく冷える。

 この呪いは、もう一週間ほど俺に居座っている。

 夜更けに苦しみが始まり、部屋中を転げ回り、朝方には動くこともできず死人のように冷たくなって、今日こそ死ぬのかと思ったが、と朦朧と朝日を眺めるのだ。

 今日は氷の量が多いのか、体が冷え切るのが早い気がする。

 朝まで、もつだろうか。

 もし俺が死んだら、この無垢な巫女姫は、またあの王家という醜悪な怪物たちの懐へ戻るのだろうか。それとも、誰かほかの男と添い遂げるのだろうか。

 いずれにしても、胸糞悪い想像だ。


 呪毒とは、神の祝福の逆。神の罰とも呼ばれる代物らしい。

 女性のみが扱えるという、謎の毒。あまりに辛い人生から逃れるための、最後の救いの手立てだという。どこで手に入れるのかは、どう探っても俺にはわからなかった。

 そんな呪毒を妻に盛られる。それほど酷い夫だということだ。自覚はある。あるとも。

 くそ、俺だって、好いた女を心のままに愛したい。

 だが、この結婚は、隠れ蓑。

 姫を差し出せと求める隣国との駆け引きがうまく纏まるまでの、仮の結婚だ。隣国からの脅威がなくなれば、この女は俺から引き離されるだろう。

 王家の女は神の女だ。手出しは厳に禁ずると、王家からのお達しだ。金はあってもたかだか子爵の俺には、安易な反発は許されない。

 それに、彼女にとっては何が幸せか、考えれば反抗する気力も失せた。

 ああ、そう、そうだ。せめて隣国の残虐な老王に奪われないで済むように、俺は、もう少し、苦しんで生きなければならない。

 夫として、してやれることはそのくらいだ。

 そのくらいなら、してやれる。

 

 呪毒、神の罰か。

 であれば、この素晴らしい毒の効き目は、神が嫉妬したのだろう。

 これほど美しい、巫女の裔だ。形骸化して久しいとはいえ、神だって自分に仕える女だと思ってるに違いない。

 仮初とはいえ夫として神の女を手に入れて、我が物顔に罵り貶して俺に惚れるなと牽制して、それでいて、すでに溺れるほどに女を愛している俺に、神が嫉妬して罰を強めているのだろう。

 神は、夫にはなれないからな。

 ざまあみろ。


 ガッと、喉を通らないほどの氷が、俺の喉を塞いだ。

 呼吸ができない。

 くそ、何が神だ!


 苦しむ俺は、不意に誰かに突き倒され、容赦なく喉に何かを注ぎ込まれた。

 喉の氷が萎れるように小さくなり、隙間から空気が流れ込んでくる。だがその瞬間、強烈な酒精に俺は激しく咳き込んだ。

 なんだこれは!? 酒?

 息が足りず、死にそうだ。傷に酒精が染みて、地獄の痛みだ。

 声も出せずに蹲る俺の背を、誰かが撫でている。

 泣きながら、撫でている。

 静謐で清廉な生まれながらの巫女姫が、開けたまま放置してあった俺の寝酒の瓶を抱えて、えぐえぐと泣きながら。

 横目でそれを二度見して、俺は目を剥いた。

 酒を注いだのは、まさか。

 俺は、意外と豪快にとどめを刺されるらしい。

 痛くて、呻き声が止まらん。


「ごめんなさい。ごめんなさい。

 私はただ、私を放って寝室を別にする貴方が、夜、見知らぬ誰かに甘い言葉を囁いているのかと思って、許せなかったの。

 たとえ疎まれ嫌われ抜いていようと、貴方の妻は私。

 だから少しの間だけ、貴方の夜の言葉を封じて、意趣返しをしようと、そう願っただけなの。

 ごめんなさい。こんなに苦しむなんて、思わなかったの。

 どうすれば、どうすればいいの?

 貴方は、知っているんでしょう?」


 その昔、祖父も同じ症状に苦しんだ。

 気軽に愛というものを確かめたがった婚約者に、呪毒を盛られたのだ。あまりに勝手なその婚約者では呪いは解けず、婚約自体が解消となった。幸運な巡り合わせで呪いを解いてくれた別の女性と結婚したが、その女性が平民であり、元婚約者が王家の血を引く娘だったために、祖父の代で家は爵位を落とされ領地を没収された。

 事の詳細は、当主の日記で受け継がれている。

 呪毒に対抗する薬は、涙だ。

 呪毒に侵された男を真実想う女性の、涙。

 だが今それを告げて、重荷とならないだろうか。

 同情だけでは、呪いは解けない。

 だが。

 背を撫でさすっていた手が首元の衣服をきゅっと掴み、華奢な体が取り縋ってくる。

 その僅かな息苦しさと重みが、俺を甘美に追い詰めて、期待させた。

 聞き間違えでなければ、この高貴な女は、まるで本当の妻のように、夫に悋気を起こしたと言う。それはまるで、夫の俺を慕っていると言っているようで。


 見上げてくる白い頬を、指の腹で撫でた。

 指に、朝露のような涙が宿った。

 それを、そっと吸ってみた。

 妻の涙は驚くほどに甘く、そして熱く、酒精かと紛うほどに喉を焼き、するりと胃へ落ちていった。

 奇跡の手で撫でられたように、上から下へ、痛みが消え、温もりが戻った。

 呪いが、消えた。あっけなく。

 それが意味することに、俺はじわじわと喜びを募らせ、真実俺を想ってくれていた健気な妻を、初めて抱き寄せた。


「貴方様?」


 初々しい困惑を、今は汲み取ってやれない。

 今度は、頬から直接涙を吸った。それではほんの僅かしか口に入らず、俺は大胆に柔らかな頬を舐めた。涙を掬い取りながら、目尻まで。甘い。目尻も吸う。甘い。

 いい香りもする。

 いや、これは俺にぶっかけられた酒の香か。

 酔いかけていた俺は、ふと我にかえり、ため息をついた。

 理性的な自分を、恨みたくなる。


 渋々。本当に渋々、妻から身を起こしたのだが。

 いつの間にか小さな手に頬を挟まれ、ぐいっと首を捻られた。

 いや今、耳の奥でぐきりと音がしたような。地味に痛い。


「顔色がよくなりました。私の涙で、ちゃんとよかったのね。それなら、もっと舐めて」

「ま、待て……」


 小柄な妻の体を、しかし俺は跳ね飛ばせない。

 驚くほど的確に関節を押さえられた気もするが、力の差は大きいのだ。全力であれば容易に跳ね除けられただろう。

 だが、のしかかってくる妻の体があまりに柔らかくて、温かくて。

 ひたむきに俺の口元に頬を目元を擦り付けてくる妻から、今度は酒精ではない、花のような香りがして。

 俺の強靭な理性が。

 ――いや、だめだ。

 王家と揉め事になっても、手段を選ばなければどうにか決着をつけられると思う。それこそ、俺の全てをかけて、金と情報の戦いで勝つ算段もある。

 だが、妻本人は悲しむだろう。いくら怪物のような御仁たちであろうと、王も王太子も、妻にとっては家族なのだ。

 だから、だめだ。

 手を出すなら、王家の承諾を先にもぎ取……。

 もはや崩れ落ちる寸前の理性を守るために、良い子の俺が必死に言い聞かせてくる。

 ああ、だが。


「貴方様。今は、私のことだけ見て」


 視界の全方位を黄金を溶かしたような金の髪が覆い、薄氷色の目を涙で煌めかせ、儚げに微笑みながら、白い妻の顔が近づいて。


「!!!」


 小さな舌が、赤い唇から控えめに差し出されたと思えば、その薄紅色が視野を塗りつぶした。

 眼球を、舐められた。

 敏感な眼の表面が、ぬるりと優しく撫でられた。丁寧に。執拗に。


「……お慕いしています。誰が何と言おうと、私は貴方だからこそ、嫁いできたの」


 ああそうか。

 俺の妻は、すでに心を決めていたらしい。王家と対峙することになっても、傷つくことはないと、こうもはっきりと示しているではないか。

 俺の我慢は、意味がなかった。

 俺は、王家の圧力に怯えて、妻の真意に気づきもしなかったようだ。


 くそ、くそったれ!

 痩せ我慢で死にそうだった、初夜を返せ!


 理性は、そこで掻き消え。

 唸りながら俺は、妻を掻き抱いた。









**************


前略、


 ご無沙汰しております。ご所望の呪毒『巫女の涙』をお送りします。

 酒精とよく混ぜ合わせて数日置いたものを摂取すれば、お相手は呪われ、その方を真実想う方の涙で解呪されるでしょう。仕組みはわかりません。我が国でも謎のままです。人の心もまた謎多く、本人にもわからぬことがあるもの。よくよくお心を見極めてから使われますよう。解呪できない場合、お相手が救われるには、別の方に想ってもらわねばなりません。悲惨な結末を迎えずに済むよう、お祈りいたします。


 我が国でもかつては、巫女の涙は女性の救済の最後の手段でした。それを、思い違いをした幾人かの貴族令嬢の向こう見ずな使用により、貴族間の婚約・婚姻が数多く破綻し、王家は巫女の涙を封印することにしたのです。要するに涙を採取したり譲渡したりは禁じられ、これを犯すと下手をすれば暗殺されるようになりました。そうして厳しく禁じているうちに、巫女に値する女性が生まれないように、少しずつ血を薄めたのです。

 私はおそらくその巫女の最後の一人。父王と兄は、使い所もないような巫女の力を急に惜しんで、私を王宮で飼い殺そうとしておりました。今の夫に嫁げば血も薄まります。何の支障もないはずなのに、あれこれと難癖をつけ。


 ですので、私は不躾にも陛下にお願いしたのです。私を陛下の側室にと、我が国に要求してください、と。予想を超えて、事は上手く進みました。慌てた父を唆して、無事に夫に嫁ぐことができました。夫に何かいらぬことを言い含めたようですが、頃合いを見て、夫と身も心も通じ合わせることも、ええ、なんとか。

 生真面目な方で、思いを告げようとしても、お誘いをかけても、悉く避けられましたので、最後の手段として私も巫女の涙に頼ることになりました。皮肉なものですが、意地でも添い遂げるためです。私、そのためにはなんでもすると誓いましたし、陛下にお手紙を出してからは、躊躇いは捨てましたの。


 夫のことは長い間好ましく思っていたのです。先先代の被った理不尽な降格にも腐らず、意欲的に商業に打ち込み成功させたばかりか、その富をもって社会を豊かにしようという意識を持っております。子爵領は、今後急速に我が国一の豊かな領になるでしょう。夫の才能と、努力の賜物です。素晴らしい人です。しかも見目も大変好ましく、動作も優雅で洗練されていて、この世に夫ほど素敵な方はいないと思っております。特にあの、美しい瑠璃色の目など…。

 その夫も、私のことを憎からず思って下さっていたそうです。想い合うことの、なんと心浮き立ち日々が華やぐことか!こんな幸せを私から取り上げようとしていたなんて、父と兄には、何か軽めの神罰が三回くらい下るとよいと思っております。


 際限なく長くなりそうですので、このあたりで。

 巫女の涙については他言無用でお願いいたします。この手紙もまた、以前同様、開封後すみやかに風化する特別な紙とインクですので、悪しからず。

 ただ、これも行き過ぎた心配かもしれません。なにしろ、乙女でなくなった私にはもう、巫女の涙を流すことはできませんから。


 私の幸運は、私の涙が、ごく普通の女性の涙のように夫の薬となり得たことです。この点ばかりは、神に感謝しております。そして私の唯一の後悔は、夫を不要に長く苦しませてしまったことです。あれほどの苦しみを与えるとは。長く封印されていたがゆえに知らなかったこととはいえ、不用意に過ぎました。夫に一切の後遺症がないことが、救いです。この悔いは、一生、私を戒めるでしょう。


 重ね重ね書き連ねて恐縮ですが、どうぞくれぐれも、使い所をお間違えなきよう。

 陛下の真実思い合う方との、穏やかな余生を、心よりお祈り申し上げます。


 追伸:最後の巫女の涙ですが、急遽手元にあったお酒に混ぜましたので、お酒のお好みに合わなければ申し訳ありません。また、酒精が濃いとはいえ、開封済みのお酒ですので、お早めにお使いくださいませ。


草々

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