7:ジュリアは歌には詠まれない
新学期が始まった。
俺の高校では、運動部も文化部も、九月の二週目で三年生は引退することになっている。一週目は引き継ぎや挨拶をする、そういう慣例。
エイケンでも、一週目の金曜は送別会ということになった。どこかへ行ったりするわけじゃなくて、いつもの部の活動時間に、みんなでお別れの挨拶を言い合う。
春日井部長はいつもみたいににこにこしていたけど、野田先輩のことを「部長」と呼んだとき、目を赤くしていた。
「他に二年生を入れてあげられなくてごめん。よろしくね」
「二年が野田しかいないのなんて、春日井のせいなわけないだろ? 春日井は、春日井はさあ」
ずっと頑張ったじゃんと柴村先輩が小さな声で言うと、春日井――先輩は、目をぎゅっとつぶった。
「やめてー、柴村、泣かせないで。今ほんとに泣いちゃうから」
「本当に、春日井はずっと頑張ってくれたよ。今までありがとう。とても充実した時間だった。夏休み、行けれなくてごめんな」
戸丸先輩がそう言うと、一ノ瀬先輩と矢内先輩も「ありがとう」「ごめん」と次々に言った。
野田先輩がむすっとしたような顔で言う。
「他の二年が辞めたのは僕のせいでしょうし、先輩がたが気を使ってくれたから、僕みたいなのでも、その、充実した時間ですか? それを過ごせたと思いますよ」
「新部長、照れてんの」
池井くんがこそっとささやいてきて、きみはホントに野暮だ。
シャイボーイが多いからといつものように春日井先輩は言って、一年はメッセージとかを言わなくてもいいよと言ってくれた。
俺は、三年生みんなに何かを伝えるほど、先輩たちとコミュニケーションできたわけじゃない。だけど、春日井先輩には頭を下げた。みんな注目するだろうと思ったし、実際そうで、恥ずかしかったけど、そうしたいと思った。
「今までありがとうございました。夏休みにみんなを集めてくれたのも、ありがとうございました」
俺はボキャブラリーがなくて、ありがとうを二回言ってしまったし、内容はペラペラだ。でも春日井先輩は泣いた。鳳凰院さんが抱きつく。この子も、友達とあまり密着とかをするタイプではないだろうに。
「私も夏休み、楽しかったです! 映画館に行けてうれしかった。キャラメル味と塩味のポップコーンも、分けてくれてありがとうございました。春日井先輩が呼んでくれなかったら、きっと行けなかった」
俺と同じだ。だから、この子が春日井先輩をとても好きだということもわかる。俺も好きだ。きみを素敵だと思っているのとは違う意味で、俺はこの、最初にミュージカル映画を見せてくれた先輩のことが好きだった。映画をいろいろ見ていて詳しい人なのに、詳しくない俺を一度もバカにしなかった。女子を勧誘すると伝えたときは大げさに褒めてくれた。ジェスチャーが大きくて、でもすごく部員に気を使ってくれる、この部長を、エイケンの部員はきっとみんな好きだ。
夏休みに来なかった鵜飼くんも、まだ鳳凰院さんと抱き合っている春日井先輩に近付いて、ぼそっと言った。
「お世話になりました。本当」
短い言葉だけど、そこには俺の知らない何かがこもっている気がした。鵜飼くんはエイケンを辞めるとか言っていて、でも結局しれっと戻ってきたような気がしたけれど、春日井先輩が鵜飼くんと何か話したのかもしれない。じゃなければこの気難しいクラスメイトが、一度決めたことを簡単に考え直すだろうか?
池井くんとジュリアさんも、ありがとうございましたと言った。池井くんも涙目だ。
ジュリアさんは普通だった。いや、普通よりも少し冷めているような顔? でもジュリアさんはエイケンに入って日が浅いし、みんなほど三年生に思い入れがないんだろう。冷たい子だとは思わなかった。
ありがとう、楽しかったと言い合って、その日、三年生はエイケンから引退した。
三年生がいなくなった次の活動日、野田部長はみんなを前のほうの席に集めた。手元にノートを開いている。
「今は月、水、金が活動日なわけだけど、この部は顧問もほぼ来ないし、ほとんど部長が自治的に活動内容を決めてるんだよね。予算というのも割かれていなくて、実質、同好会と呼んでいいでしょう。この視聴覚室の使用許可が、唯一の部活らしい権利なわけだ」
そうだったのか、と俺は少し驚いた。特に、予算が割かれていないという部分に。
「今までの映画のディスクとかは、じゃあ」
俺の質問に野田先輩はうなずく。
「ああいうのは部員の私物。借りてきたりもしていたけどね。今時、レンタル店も衰退して絶滅危惧だし、君たちの私物も提供してほしい。もちろん返却します」
ジュリアさんが小さく挙手した。
「今時、個人の所有も絶滅危惧じゃないですか? あたし、ひとつも持ってないかも。いつも配信で見るし」
「あ、まあ、そうだよね」
新しい部長は女子と話すことに慣れていない。その子のことを美しいとまで言っていたくせに、校内だとかえって緊張するタイプなのかもしれない。
「俺はちょっと持ってますけど、配信のが充実してるのはあきらかですもんね。各自が配信で見たらよくないっすか? これ見ようねっていうの決めといて、後日に感想会とか」
池井くんがだらっとした姿勢のまま言った。三年生がいなくなって、ちょっと態度が悪くなってるぞ。
野田部長は却下した。
「ディスクの提供が任意であるように、有料サービスの類への加入も強制したくない。映画鑑賞部ではなく研究部だから、感想会だけを開くというのも、別に主旨から外れているというわけじゃないんだが」
喋り方がかっこよくなっている。新部長としてやる気を出しているんだろう。
鳳凰院さんが挙手した。
「みんなで映画を見るのが楽しいから、できれば上映会も続けたいです」
「俺もそう思います!」
すかさず賛成しておいた。鳳凰院さんへのポイント稼ぎとかじゃなく、本当にそう思ったから。ディスクか、バイト代で少しなら買えるかな。
池井くんも別に強い意志とかではなくて、アイディアとして言ってみただけのようだ。じゃああれ持ってこよ、とか言っている。
まだ何も発言していない鵜飼くんをちらっと見て、野田部長はノートのページをめくった。まだ何も書いていないけど。
「当面、提供されたディスクを上映していくとして、活動日について。別に全日参加を強要している部じゃないから、来られない日は来ない、というのでもいいけどね。六人しかいない部なわけだし、それぞれの都合をすり合わせて、活動日自体を変えるという手もあります。たとえば僕自身、予備校のコマを少し変えたいので、今の月水金よりも、月木金なんかのほうが助かる」
「すみません」
挙手して伝える。
「木曜と、あと火曜はバイトがあるので……」
火曜と木曜、午後五時から三時間。それと日曜は、午後三時から四時間。少なくとも今月はこのシフトを入れている。
野田部長はちょっと意外そうな顔をした。
「君もバイトをしてるんだ。何の?」
あ、しまった。バイトをしていることをあまり人には言うべきじゃないかも。どこからどう話が伝わるかわからないし。でももう言ってしまったし。
「駅のところのビジネスホテルで清掃です。ベッドメイクとか」
「へえ。高校生が選ぶバイトとしては渋い気がする」
そうなのかな? 野田部長がこんなふうに映画に関係ない話を続けてくれるのは珍しい。いいのかな、関係ない話をしても。
「初めてのバイトなので、渋いとかわからなくて選んじゃったんですけど、仕事場の人もいい人だし」
「ああ、悪い意味じゃないよ。ちなみに、他にアルバイトをしている人?」
ジュリアさんだけが手を挙げた。池井くんは夏休みいっぱいでファミレスを辞めて、次は別のバイトをするらしいけど、まだ決めてはいないようだ。
「塾とか習い事は?」
これは鳳凰院さんだけが手を挙げた。ピアノとかバイオリンを習っているのかな。我ながらお嬢様のイメージが貧困だと思う。
「木曜だけなので、他の曜日なら大丈夫です。今より遅くならなければ」
「文化部は十八時終了が原則なので、あまり遅くはなりません。ちょっとずれ込むことくらいはあるのは、まあ今までと同じで。今までもね、もうちょっと早く帰りなさいくらいの注意は受けていたんですが」
鵜飼くんが挙手した。おっという顔をして野田部長が指す。鵜飼くんは姿勢を正して言った。
「新部長の口調が定まってません」
「指して損した! ジュリアさんは、アルバイトの曜日というのは一定なんですか、一定なの?」
「だいたい一定でえす。火金がレギュラーで、土曜もだけど関係ないですよね。今の月水金だと、金曜はほとんど来られないです、今までと同じで」
「そうか。その他、活動日について希望がある人?」
特に誰も挙手しなかった。野田部長は眉間に軽くしわを寄せる。
「じゃあ、全会一致を見るのは月曜だけか。じゃあ月曜と水曜をそのまま、金曜をなしにしようか」
「えーっ、いいですよお、金曜はあたし抜きで活動してください。水曜のほうをなしにしません? 部長が予備校諦めて受験に失敗したりしたら、あたしたちも夢見が悪いでえす」
日程の調整というものは大変らしい。夏休み、みんなの予定がなかなか合わなかったのも納得だ。
鵜飼くんがまた背筋を伸ばして発言した。
「部長が志望大学に落ちた時の言い訳にされたくないので、水曜は活動しないことに賛成します。どうぞ予備校に通われてください。ガリ勉タイプでしょうし」
「なんでお前は僕に当たりが強いんだよ! 僕、お前になんかした?」
「鵜飼くんは部長になついてるんですよ」
ぐわ、と音が聞こえるほどすごい勢いで鵜飼くんが俺を振り向いた。天然パーマ風の長めの髪が揺れている。
「佐藤クン、俺をいじるなんて出世したね? 青春クンがさあ。俺がこのメガネ部長になついてる? そのご機嫌電波、どっから受信したの?」
野田部長は「メガネかけてないだろ」と言ってノートに「月、金」と書いている。ツッコミの軽さがすごい。メガネをかけていないのにメガネ部長と言われたら、普通もっと大きい声でつっこむと思う。
「鵜飼くんは部長のこういうライトなツッコミセンスになついてるの?」
「佐藤よお、そっち側に行く気? バイトしてパラメーターが上がったかなんか知らないけど、俺をいじられポジに置こうとしてる? そこまで落ちてないよ俺は」
珍しく鵜飼くんが動揺しているからか、池井くんがニヤニヤしている。鳳凰院さんも笑っていた。ジュリアさんも。
・確かに野田部長はメガネっぽいキャラだけど。
・鳳凰院さん、何の習い事してるの?
・ジュリアさん、塾とか行かなくても勉強できるんだね。
「鳳凰院さん、何の習い事してるの?」
「家庭教師をお願いしてるだけ。習い事はやめちゃった」
これは、もっと聞いていいのか。ダメなラインなのかも。迷っていると池井くんが「習い事って何してたの?」と聞いた。俺、もしかして池井くんよりは気遣いとかができるようになってる?
「いろいろだよ、書道とか。あとお花とか、でもあんまり合わなくてやめちゃった。正座が苦手なのかも」
「お花って。やっぱりお嬢なんだね。すごおい」
ジュリアさんの言い方は意地悪で、これは気のせいじゃないと思う。鳳凰院さんも唇をきゅっとむすんだ。
鵜飼くんが長い前髪の下からジュリアさんをにらむ。
「番場さあ、それ嫉妬だとしたら、ストレートすぎて美しさが足りないよ。もっと悪意を洗練させたら?」
「いやなんか、おもしろくなくて。お花って言うの一瞬迷ったじゃん? あたしたちみたいな庶民にそんなこと言ったら浮いちゃうかな~とか、あたしたちを上から見てためらったワケでしょ?」
こういうの、伏線回収と言うんだろうか?
ジュリアさんはつつかれると言ってしまう。鳳凰院さんは浮かないように気をつけていて痛々しい。
鳳凰院さんがおどおどと謝ったりしたら嫌だなと思った。でも、そうしなかった。
その女の子は、むすんでいた唇をほどいて、金髪のクラスメイトをしっかりと見た。相手から逃げない、きちんと怒りをあらわす瞳。
「私はそんなこと思っていません。どうしてそんな言い方をするんですか、番場ジュリアさん」
「ただの嫉妬。ごめんね、鳳凰院香織さん」
ちっとも悪いと思っていないように、ジュリアさんはなぜか胸を張っている。
「あたしはバイトしてるのに、お嬢は家庭教師かーと思ったら、ちょっとへこんでさ。そこにお花の言い方じゃん? なんか悔しくなっちゃっただけ。しょーもない嫉妬で、あなたは悪くないです。ごめんなさい」
謝る人の態度じゃない。それに、嫉妬している人は嫉妬しているなんて言わない気がする。だけど、じゃあジュリアさんが何を怒っているのかというと、俺にはわからなかった。
池井くんは息を飲むようにしていて、野田部長も困って二人の女子を交互に見ている。
鵜飼くんも、はあ? というように首をかしげた。
「何? 勝手にキレ散らかされてもわかんないよ。二人っきりの時とかじゃなくて、公衆の面前で罵倒したんだから、なんか主張があるんだろ?」
「主張? そんなものありませえん。あんたの言う通り、二人の時に罵倒したら陰湿だと思っただけ! あたしはいじめとかしない。むかついたらむかついたって言いたいだけ!」
「六人の時なら陰湿じゃないっていう、その理論ガバすぎるだろ。そんなに馬鹿じゃないだろ、あんた」
「あたしがむかついたら、むかついた理由をあんたに納得していただかなきゃいけないワケ?」
「むかついたかどうかはどうでもいい。理由も。急にわけわかんない嫌味を吹っかけて、部の空気を悪くした、その責任を取れって言ってる」
鵜飼くんとジュリアさんが睨み合っている。ジュリアさんに悪口を言われたのは鳳凰院さんなのに。その鳳凰院さんは、本当に困ったような顔をして、自分のスカートのすそをきゅっと握りしめていた。その気持ちがよくわかる。さっきは嫌味を言われたから怒れたけど、今はもう、嫌味なのかどうかもよくわからないんだ。
鵜飼くんが追撃した。
「あんたが初めてここに来たときもそうだったろ。あの時は春日井先輩が、今は野田先輩が、この場の責任者だろ。あんたが悪くした空気の責任は、部長が取ることになるんだから、あんたのは下から上へのパワハラだよ。鳳凰院への個人的な気持ちなんて聞いてない」
ジュリアさんは出口のドアを一瞬見た。出て行ってしまおうと思ったんだろう。でもきっと、今言われたことを考えてその場に踏みとどまった。そういう目線の動きだった。
池井くんがおそるおそるというように言った。
「ジュリアさんって、鳳凰院さんのこと、あんまり、ええと」
「池井。そんなこと聞いてどうする。今そんなこと関係ない」
鵜飼くんに言われて、池井くんはごめんとうつむいた。
野田部長が咳払いをした。咳払い、高校生がするものだろうか。
「ええと、僕も女子の友達関係に口とか出したくないんだけどね。鵜飼の言う通り、これはもう部の問題だから。でも何をどうするのかな、こういうの」
ジュリアさんは鵜飼くんをにらんでいたけど、野田部長が困っているのを見て、すーっと息を吸った。それからぶっきらぼうに言った。
「ごめんなさい。あたし、家、けっこう貧乏で――家庭教師っていうのにコンプレックスあって」
「そんなこと言わなくていい」
そう言った鵜飼くんを、なぜかジュリアさんは泣きそうな顔で見上げた。
「でも」
「番場がよっぽど言いたいんなら言えばいいけど、そうじゃないなら、そんな個人的なこと聞かされる側も困る。探偵ものの、犯人が全員の前で生い立ちとか喋らされるシーン、俺は大嫌い」
ジュリアさんは黙った。
鳳凰院さんが、小さな、小さな声で言う。
「私が無神経なことを言っていたならごめんなさい。指摘してくれてありがとう」
それは駄目だ! きっと俺以外の何人かもそう思った。ジュリアさんがヒステリックに叫ぶ。
「そういう、いい子ぶるとこがたまんないの! いい子ぶって、おとなしくして、そんで貧乏人見下してることだけはわかるの! なんなのよ、部活の集まりにグッチのワンピって! ちょっと考えたらわかるでしょ!? そんな服持ってるの、この学校であんたしかいないのよ! あんたは下々のことなんて興味ないから、そんなこともわかんないんでしょ!」
貧乏人の嫉妬? 違う、これは――これは。ジュリアさんが言いたいことは。
鳳凰院さんはかすかに震えていた。もともと色白の顔が、ほとんど青ざめている。
震えるくちびるで言った。
「私、外出する時の服を母に指示されるんです。ううん、家でも、寝る時のパジャマまで。今日は寒いからもっと厚いのとか、白いのにしたらどうかとか。それで、その通りにするまで許されないの」
彼女は言う。震える声で。
「私、自分で選んだ買った服なんて、ひとつも持ってないんです」
それは、鳳凰院さん。鳳凰院香織さん。
俺も同じだ。グッチとかいう服なんて持っていないけど、俺は指示もされないけど、自分で選んで買った服をひとつも持っていない。そこは同じだった。
ジュリアさんは目を真ん丸にして、泣きそうな顔をしたけど、「でも」とわがままを言う子供みたいな口調で言った。
「そんな厳しい家のお嬢が、茶髪とか、ピアスとかは――」
鳳凰院さんが自分の左耳のピアスを引きちぎった。そう思ってぎょっとしたけど、血は出ていなかった。耳たぶも裂けていない。でもピアスはなくなっている。上向きに開いてみせた手のひらに、その光る石が載っていた。それと金属の、金具? ピアスと同じくらいの銀色の塊。
「マグネットピアスなの。髪の色については言いたくありません。とても個人的なことだから」
そうだ、個人的なことなんか言わなくていい。聞かされる側も困る。でも鳳凰院さんは服のことを話した。ピアスのことも。たぶん、ジュリアさんの言いたいことがわかったからだろう。
周りに興味がないのは失礼なことだ。人を、その他大勢だと、ゲームのキャラクターのように考えている。俺はずっとそうだった。今は違う。鳳凰院さんだって違うんだろう。周りに興味がないから立派な服を着てきたわけじゃない。
ジュリアさんは両手で顔を覆った。くぐもった声で、金色の髪の女の子は言う。
「ごめん。知らなくて、勝手にむかついてた」
茶色の髪の女の子は、いいのとは言わなかった。ただほっとしたようにポケットから白いハンカチを出して、おでこを押さえている。
みんな、何も言えなかった。誰かの腕時計の、チッチッという秒針の音が聞こえる。
三十回くらいチッチッを聞いた頃、野田部長がぽつりと言った。
「だから制服が正解だったんだよ」
池井くんが吹き出す。鳳凰院さんも歯を見せて笑った。ジュリアさんは顔を覆ったままだけど少し肩を震わせて、あの日来なかった鵜飼くんだけは意味がわからずきょとんとしている。
「俺もそう思います」
もうひとりの制服で行ったやつが言うと、みんなもっと笑った。ジュリアさんも笑っている。鵜飼くんにはあとで意味を教えてあげようと思った。
次の土曜日、隣の駅のユニクロで「カシミヤVネックセーター」という札のついた服を棚に戻しながら、時雨は「それってけっこうヒサンかもな」とつぶやいた。
「女の子が着たい服も着れないのって、けっこうつらいんじゃないの? いくらいい服買い与えられててもさ。番場みたいに思うヤツだっているわけだし」
今まで気付かなかったけど、時雨はおしゃれな気がする。高い服ではないのかもしれないけど、すらっとして見えるというか、なんだろう。身長は低いのに、私服だと大学生みたいに見える。
「それ買うの?」
「買わない、予算オーバー。僕たちがうっすら『お嬢様も大変なんだろうな?』とか思ってる以上に、実際は大変なのかもな。鳳凰院の家は極端だと思うけどさ」
「スマホもチェックされてるんだって」
ハンガーにかかっているシャツを取ろうとしていた時雨は手を止めた。
「と言いますと?」
「メールとか会話のアプリとか、全部お母さんにチェックされるんだって。だから鳳凰院さんも、部の会話グループみたいなやつに入ってないんだ」
入ってないのは、鳳凰院さんと、スマホを持ってない俺だけ。もしバイト代が貯まってスマホを買えたとしても、そのグループには参加せずにいようかなと考えている。鳳凰院さんだけが仲間外れになってしまうから。
「そういうのって、もう虐待みたいなもんじゃないのか?」
言ってから、時雨は後悔したような顔をする。こいつは頭の回転が速いからか、たまにこうやって、言葉が先に滑り出してしまったみたいな、性格のわりには不用意なことを言うんだ。学校でもたまにやらかして、そのたびに「わり」と謝っている。
「クラスのやつが勝手に想像して言うようなことじゃないな。忘れて」
「うん」
「昼飯なに食う? マック行くか」
「行こう!」
春には行けないと答えるしかなかったその店に、今は行けるのがうれしい。それをわかっている友達が誘ってくれることも。
「注文の仕方教えてよ」
「教えるほどのもんでもないよ、店員が聞いてくれるし。僕が先に注文するからそれ見てさ、あ、あれ」
時雨があごで指したのはレジのほうで、目立つ金髪の女の子が会計をしている。後ろ姿でもわかる、番場ジュリアさんだ。一人かな? 離れたところに友達とか、それか彼氏が待っているのかもしれない。
「どうする?」
時雨が聞いているのは、声をかけるか、ということだろう。
クラスの女子と外で会っても普通は無視する。無視というか、気付かないふり。教室でも女子と話すことなんかほとんどないし。けど六人しかいない部活の部員だし、女子ウケする時雨がいっしょだ。
・声かけてみよう。
・声をかけるのはやめておこう。
・彼氏といっしょだったら怖いよ。
「彼氏といっしょだったら怖いよ」
「ナンパしようってんじゃねえんだから。同じクラスのやつが挨拶くらいしたって、カレシも文句言わないだろ。言うようなカレシなら別れたほうがいいよ」
ゴリゴリの童貞と、そうじゃないかもしれないやつが会話している間に、ジュリアさんは会計を終えていた。白い袋を提げて、店から出たところでふっとこっちを向いた。ガラスのドアごしに目が合う。
ジュリアさんは店内に戻ってきた。駆け寄るとかいうわけではなく、ふつうの速度でこっちに歩いてくる。
「休みも一緒なん? 篠田と佐藤って付き合ってんのお?」
外で見かけて戻ってきてくれたなんて、けっこううれしいなと思っていたのに、言うことがそれか。この子はダルそうな喋り方をするから、ギャルにからまれている気分になる。気分になるというか、今は実際にそうか?
「しょうもねー。番場は何買ったの」
「値下げのアウターとか、聞かないで恥ずかし。ていうか篠田、ユニクロ着るんだ? っぽくないけどお」
「ユニクロっぽいってどういうやつ? わりと失礼な形容だな」
「佐藤はユニクロっぽい。失礼かなあ? 別に悪い意味じゃないよお」
そうかな、悪い意味のような気がするけどな。俺が今着ているTシャツもパンツも、実際にユニクロのタグがついている。もうだいぶ洗濯でタグの繊維がほつれているけど。
時雨が俺を親指で指した。
「こいつ、番場がカレシといっしょだったら怖いとか言って、声かけるの迷ってんの」
「ウケる! そうだとしても別にいいし。あたしのカレシ、そんなコワイ系じゃないよ。優しいよお」
聞いてもいいのかな。よさそうな雰囲気だと思う。聞いちゃえ!
「ジュリアさんの彼氏ってどういう人なの? バイト先の人?」
「まあまあかっこいいよ。顔は篠田ほどじゃないけどさ、サーフィンやってて筋肉すごいの。そー、バイトの先輩。大学生でサーフ部」
ゴリゴリに見た目通りの相手と付き合っている。そんなことを思うのも失礼かもしれないけど、ギャルっぽいジュリアさんにそういう大学生の彼氏はぴったりだ。時雨もそう思ったらしい。
「意外性のないタイプと付き合ってんな」
「テンプレっぽい人間でも、それぞれ個別の性格があるからね? 見た目や属性で判断しないでくれるう?」
この子はどうやら知性を隠したいんだと思うけど、ときどきポロッと出てくる感じがある。俺たちの会話では出てこない単語。小説を読むからなのか、珍しい響きの言葉を使う。
しかし、なんだ、俺はちょっとドキドキしていた。これいいのかな、口に出すわけではないからいいか?
この子はたぶん処女ではないと思っ、いやナシ。処女って。彼氏の筋肉の話をしたからって、俺は何を考えているんだ。でも高校生の男子で、ゴリゴリの童貞なんだから、こういうことを考えてしまうのも普通なんじゃないか。
「篠田って彼女いんの? それかマジ、二人、付き合ってる? あたし偏見ないよお」
「いないし、違うし、言わせてもらうと、そういう趣味だったとして、佐藤よりはいい男と付き合うよ」
ひどい。いや、そうだろうけどさ。俺がそういう――うまく想像できないから、俺が女子だったと考えて、確かに時雨と付き合えるとは思えない。
「ウケるんですけど。じゃあ、どういう男がいいの? 鵜飼みたいなのとかあ?」
「なんでピンポイントで名指しなの? 嫌だよ、あんな薄暗い感じのヒョロ男。ネチネチ束縛してきてめんどくさそうじゃん」
「逆に池井?」
「鵜飼の逆って池井なの? まあ、中では一番アリかな。こういうのが薄まって歪曲して、俺が池井に告ったとかいう噂になるんだよな。やめてよ、ほんとダルいから」
やばい、俺も池井くんに「時雨がきみのことアリだと言ってたよ」くらいのことは言ってしまう気がする。やめておこう。池井くんはかなり偏見を持っているタイプだし、冗談でも誤解でも、時雨にとってはほんとダルいことだろうから。
ジュリアさんはぴったりとした薄いグリーンのTシャツに、ふわっとした素材の長い白のスカートを履いていた。サンダルは夏休みに見たのと同じかな、金髪じゃなければお嬢様っぽくも見える服装かもしれない。かわいい感じだ。
こういう時、かわいいねと言えたらいいんだと思う。ダメなんだっけ。だけど野田部長が美しいねと言ったとき、ジュリアさんはそんなに嫌そうにしていなかった、と思う。
「番場、私服かわいいね。グリーン系似合うな」
時雨はやっぱりすごい。俺が女子だったら、もうグリーンの服しか着なくなるかもしれない。
「やば、篠田、それ破壊力やばいでしょ! カレシいなかったらかなりグラッと来てるし、今!」
「カレシいない子にはこんなこと言わないよ。かわいいイコール好きでもないし。それに番場は僕みたいなの好きにならないだろ。聞いた感じ、中身重視じゃん」
「中身悪いの? 篠田」
「鵜飼以上、池井以下かな。佐藤とはおんなじくらい。だから土曜までつるんでショッピングデートしてんの」
全部冗談だとわかっていてもちょっと嬉しかった。実際はぜんぜん、時雨とおんなじくらいなんて、とんでもないと思うけど。
ジュリアさんは笑ったけど、笑ったあとで、ちょっと頭をかいた。言おうかどうしようかと迷ったような顔、そして言った。
「鵜飼はそんなに中身悪くないでしょ」
「あれ? わり、そんなマジに受け取ると思わなかった。ん? あ、そうなの? カレシは?」
「だからあ、篠田も言ったじゃん。イコール好きじゃないってば。ね、佐藤」
うなずいておいた。鵜飼くんは嫌なところもあるやつだけど、まあ、いいところもあると思う。ニートを目指しているけど、悪いことじゃないのかもしれないし。
でも響きがおもしろいかもと思って言ってしまった。
「鵜飼くんはニートを目指してるよ」
「うそお! ダメだわ! あたし、働かない男ってマジでムリ! うそ、本人がそう言ってんの? どういう目標!?」
「佐藤さ、言いふらしなさんなよ、そういうことを」
やらかしたか? でもこれはそこまでのやらかしじゃないと思う。たぶん鵜飼くんは、誰にでも聞かれたら答えるやつだ。
「あの性格で働かないの、特にダメでしょ! 知ったようなこと言って、文句だけつけるイタいヤツになるじゃん! ヤバいって! 説得しなよ、友達でしょ!」
「その友情観には賛同しかねる。番場、友情に厚いタイプなんだ」
「友達がニート目指してたら説得するよ! なんかさ、働いてみて挫折したとかなら、事情もあるんだろうし、ムリには言えないけどさあ。最初から目指すなよ」
「ゴールデンウィークに四日バイトして挫折したらしいよ」
おもしろい響きのエピソードを付け足した。ジュリアさんはこの場にいない鵜飼くんにエアビンタをした。
「挫折にしても早い! 根性なさすぎ。うそお、じゃあマジで薄暗いヒョロ男なんじゃん。篠田が付き合わないワケだわ」
十回くらいデデドンが鳴ったであろう好感度の下がり方だ。ややいい気味だと思ってしまうなんて、俺って性格が悪かったんだな。
時雨はエアビンタされたエア鵜飼くんをエアで遠ざけた。
「本人のいないところで悪口言うのはそのくらいにしとこうぜ。番場、ヒマしてんの? 僕たち今からマック行くけど、どうする?」
「おごってくれるう?」
「おごんねーよ、カレシいる女に」
俺はおごってもいいんじゃないかと思っていたけど、そういうものなのか。ジュリアさんも本気じゃなかったらしい。
「ダイエット中だから帰るわ。じゃあね、鵜飼によろしく言っといてよ」
「よろしく言うって言う女子高生初めて見たわ。ぜんぜん見えなくても、やっぱ番場もオタクなのな」
ぜんぜんオタクに見えないジュリアさんは笑って、そうだよおと言った。
九月と十月が過ぎて、十一月。文化祭の日。
六人しかいないエイケンは催しをすることもなく、それぞれがクラスの出し物なんかに参加していた。
俺はつまらない展示を手伝って、受付係も果たしたけれど、ゴミ出しは頼まれる前に逃げた。
裏庭に行きたくなかったからだ。高畑奈々絵さんを泣かせてしまったあの日、間違ってセーブしてからは、一度も裏庭には行っていない。
たぶんもう、あの石はないんだろうと思っている。つまんない文化祭、友達のいない学校生活、そういうものにうんざりした俺が生み出した、妄想の石なんだろうから。だから今はもうないはず。
でも、確かめには行かなかった。まだあったら、それはとても嫌だ。現実の世界をセーブとか、ロードとか――そう、条件つきのリセットとか――そういうことができるんだとしたら。
嫌だ。強くそう思った。二度目に仲良くしはじめた頃の池井くんが、最初と同じことを言うから、気持ち悪くなってしまったあの感覚。あの嫌悪感が俺の中には強く残っている。相手が現実の人間なのか、ゲームのキャラクターなのか、よくわからなくなるあの気持ち。
「めっちゃサボってるじゃん!」
視聴覚室、エイケンが部室にしている教室。人けのないそのあたりをウロウロしていると、ジュリアさんに背中をどつかれた。
「佐藤って真面目っぽいのに、たまに謎のことやるよね」
「ジュリアさんもサボってるの?」
「そう」
ジュリアさんは金色の髪をお団子みたいに結んでいる。文化祭だからおしゃれをしているのかな。
「かわいいね、その髪型」
「篠田っぽいこと言うようになった? ありがとう」
時雨に言われた時のようには照れず、ジュリアさんは笑いながら窓の外を見た。夕焼けで、金髪がうっすらオレンジ色に見える。きれいだな。さすがにそれはまだ口に出せない。
「あたしさ、今ね、実は、三年のヒトに告白されてきた」
「え」
校内にカップルはたくさんいるけど、三年生と付き合っている女子はうちのクラスにはいない。俺が知らないだけかもしれないけど。
「あたしがカレシと別れたってハナシ、三年まで知ってんのかな? あはは、これ自意識過剰?」
「え、あの、サーフ部の大学生?」
「言ったよね。よく覚えてんね」
夕日の中で、その女の子はさびしそうだった。長いまつ毛、つんと尖った鼻。きれいな横顔だ。厚い化粧を落として、グレーのカラーコンタクトを外しても、この子は美人なんだろうと思う。
「向こうがバイトやめたから会えなくなるとか、高校生には高校生が似合ってるとか、いろいろ言ってるけど、わかってんの、ホントの理由」
聞いていいのか? たぶん、これはいい、と思う。
「ホントの理由って?」
「あたしの行きたい大学が気に食わないんだよ」
え?
想像していたどの理由ともまったく違う話が現れて、俺はうまく返事ができなかった。
「別にその人のとこだって、そんな悪い大学じゃないんだけどね? あたしの目指してるのは、もうちょっと――偏差値が上だから。まだぜんぜん先のことだし、受かるかどうかもわかんないのにねえ?」
そんな理由で別れるカップルというのが、この世に存在することを俺は知らなかった。
「なんかさあ、つまり、そういう大学を狙う女だっていうのが嫌みたい。うちが貧乏なこと知ってて、優しくしてくれたのに、貧乏人のくせにいい大学に行こうとするっていうのは――なんて言うのかな、ガツガツした感じ? そういうふうに思ったんじゃない?」
ハングリー精神。慣らされていない貧乏人。レアな資質。
俺の友達が憧れていること。俺もだ。俺がたぶん行くだろうなとぼんやり考えているのは、ここから六駅の国立大学だった。偏差値はそれほど高くない。
ジュリアさんはさびしそうだけど、悲しそうではなかった。賢い女の子。中間試験でも学年で二位だった。ガリ勉をしたくないから進学校には行かなかった、と言っていたことがあるけど、人が考えることはひとつじゃない。いろいろな、そう、複合的な理由があるときもある。
「恥ずかし。あたしダメージ受けてるっぽいよねえ。でも、そんなでもないんだあ。どっちかっていうと、別れたから今ならいけるとかって……知らない三年に思われたのかなあって、そっちのがキたかな」
「断ったんだよね」
「そりゃそうでしょ、知らない人だし。話しといてアレだけどさ、他の人に言わないで? 恥ずかしいから」
きみは恥ずかしいことなんかしてないじゃないか。勝手に告白してきたのはその三年だ。俺はなんだか腹が立ったけど、うまく言葉にできない。だから三択も浮かばない。
「カレシと別れたことだって、あたしはミオにしか言ってないんだよお? でもクラスみんな知ってるし」
「俺は知らなかったよ」
「佐藤のグループ、そういう話好きくなさそうだもんね。いいよね、そういうほうがさあ。いつも何話してんの?」
「なんだろ、映画の話とか、でも時雨――篠田は映画好きじゃないから、四人の時はあんまりそういう話しないか。バイト受からないとか、受かったとか、お前のノート汚いとか、どうでもいいこと話してる」
「あたしらと変わんないね」
イケてる女子も、パッとしない男子も、同じ高校に通っている。会話の内容なんかたいして変わらないだろう。でもほとんど交わることはない。エイケンに入っていなければ、ジュリアさんとも話すことなんかなかったと思う。武田くん、イケてる男子グループの彼が、ジュリアさんに声をかけてくれたおかげだ。彼とも相変わらず、俺はほとんど関わることはないけど、時雨はときどき遊んでいるらしい。
「時雨って変わってる名前だよね。あはは、あたしほどじゃないけどさあ。秋生まれなのかな」
「俺もそう思って聞いたことある。冬だって。十二月、何日だっけな」
「教養あるカンジの親なんだろうねえ。佐藤はコータローでしょ。かっこいいね、きちんとしてる名前」
「親孝行の孝に太郎だよ。孝って、それ以外に意味のない漢字なんだ。バカみたいだろ」
「そうなんだ。じゃあバカみたいだね。でもだいじょぶ、あたしほどじゃないから。クラスで一番バカでしょ、ジュリアって名前」
きみはバカじゃない。とても勉強ができるし、時雨が秋や冬の季語だということを知っている。ジュリアという名前だっておしゃれだ。番場ジュリアなんていうフルネーム、総合力が高くてすごくかっこいい。
俺はきみのことが、ちょっと、少し、だいぶ好きだ。鳳凰院香織さんと同じか、もしかしてもっと上かもしれない。俺はぜんぜん一途な男じゃないみたいだ。もし、もし、もしきみがOKしてくれるなら、付き合ってもらえたら夢のようだと思う。
だけどそれを言うのは今じゃない。きみが三年の男子に告白されて傷ついている今では、絶対にない。
四月と違って、俺はいろんなことがわかるようになったと思う。それに強くなったんじゃないかな。あの頃、俺は鳳凰院さんが時雨を見ているだけでつらくなった。だけど今、きみがたぶん俺よりも、鵜飼くんか、それか時雨のほうが好きだろうということを、わかっていてもつらくはない。
「俺、世界がゲームみたいに見えてたんだ。バカみたいだろ」
「バカみたいだね」
「実は、今もちょっとそうなんだ。でも、バカじゃないやつになりたいと思う。ジュリアさんみたいに」
BGMが流れ――振り払う。そんなものを流さなくても、遠くからざわめきが聞こえる。文化祭を楽しんだ、あるいは俺みたいにあまり楽しめなかった、同じ高校の人たちの声。
「佐藤、かっこつけすぎくない?」
「まだちょっと、セリフを読むみたいにしゃべっちゃうことがあるんだ。恥ずかしい時とかは特に。ごめん」
「あれからあたし、鳳凰院とうまくしゃべれないじゃん。エイケンでも変な空気にしちゃってるでしょ」
「そうだね」
「嫌なこと言ってごめんなさい、これからは仲良くしましょうね、また映画館に行きましょうとか――セリフみたいなこと言えたら、あのコいい子だし、仲良くなれるのかもしれないけどさ。あたしはそれもできないから、セリフ言えるのってオトナだと思う」
同じクラスだからって、同じ部活だからって、ムリに仲良くすることなんかない。きみは透明感のあるゆったりした映像を、鳳凰院さんはサメに襲われる人間の悲鳴を好んでいるから、映画に関する話だって合わないだろうし。
「読みたくないセリフを読んでまで仲良くしてほしいとは、部長も思ってないと思うよ」
「そうだね。そういう人だもんね」
あれ、もしかして俺、野田部長よりも好感度が低いんじゃないか――。
確かに、高い理由もないよなと思って、顔が熱くなるのを感じた。俺は、まだ自分を主人公だと思っているところがあるのかもしれない。
なに赤くなってんのとジュリアさんが笑う。
ピロリンという音が聞こえた。まだ聞こえる。でも、やっと聞こえるようになったとも思う。
BGMは要らないし、たまにしか出ないテロップもどうでもいいけど、三択くらいの話題と、人が悲しんだか喜んだかを察する力くらいは、あったほうがいいと思った。主人公としての異能ではなく、普通の人間が、普通に努力して持つ、普通の気遣いとして。