prologue
際限無く続く白き空間に、一人の白き人物が佇んでいた。
肩口まで伸びた透き通った白髪に、陶器の様に白い肌。大きく鋭い紅の瞳、高く通った鼻梁に、薄く生気の無い唇がその小さな輪郭に収まっている。
まるで精巧に造られた石像のような容貌をしていて、人間らしくなく神々しい。
それもそのはず。正真正銘の神である。
名を【ルグルス】。
世界の創造神であり、他の神を統べる最高神だ。
神の顔に表情は無く、瞳を長く縁取った睫毛は伏せがちであった。
答えは男性体……と思われる彼の眼前で水平に浮かぶ水鏡の中にあった。
この水鏡は地上のあらゆるものを見通しを映し出す、後に千里鏡と呼ばれる神器。
そしてその鏡が波打つ事無く映し出すのは──戦火に呑まれた世界の光景だ。
赤と青に別たれた軍勢が鎧やローブを身に纏い、各々手に持った剣で互いを斬りに掛かっている。
それだけではなく、後方から炎の槍や氷の矢等の超常的現象が戦場の中心へ放たれ、その苛烈さはどんどん増していく。
大地に血が染み込み、草木は枯れ果て、戦場は次々に屍が積み上がっていった。
そうして見る見る内に世界は淀み、黒く染まる。
惨憺たる世界の有様にルグルスは顔を片手で覆い、静かに憂う。
──私は間違いを犯した。
箱庭に次元を与え、その中で宇宙が広がり、星が生まれ、生命が育まれていった。
ルグルス自身予想外の結果だったが、誕生した生命の美しさに胸打たれて微笑み、愛した。
そこで彼は1つの行動に出る。
彼によく似た造形の生命体、ヒト種の創造だ。
ルグルス以外の神は既に存在していた、と言うよりも彼が創っていた。しかし、自我はその時点では生まれておらず、成長するには計り知れない時間が掛かる。
故に、世界の美しさの感動を分かち合える存在と早く出会いたかった彼は、神よりも遥かに成長の早いヒトを創り上げた。
彼の思惑通り、ヒトは世界に寄り添い、世界を愛し、進化した。
ヒトの命を糧に生きる魔物が蔓延っていたにも関わらず、文明を興し、自然とは違う人工的な美しさも創り上げていったのだ。
ルグルスはヒトの為すチカラに魅了され、その逞しさ美しさを愛した。
けれど時代が進むに連れてヒトは私欲の為に争い、世界を汚していく。
そうして出来た結果が、千里鏡の映し出す惨状であった。
──ヒトなど創るべきでは無かった。
この惨状、一時の物と思っていたが、間が疎らに空いていた時期もあったとは言え1000年も続いていた。
充分待った。
神という手前、今まで不干渉を貫いてきたがそれももう終わり。
自分で撒いた種だ。自分で摘み取ろう。
顔を覆っていた右の掌を徐に虚空に翳すと、俄に光の粒が集まり杖の形と成していった。
刹那、光が一際輝くと眼前に荘厳な長杖が顕現され、ルグルスはそれを掴む。
先程の物憂げな表情とは一転、瞳には覚悟が感じられるものとなっている。
──ガンッ!
「“終天墜ちる、堕ちるは黎明”」
杖を床に大きく突く。
そして、彼の玲瓏たる声が木霊すると、千里鏡の向こう側にある曇天に曲線が描かれ煌々と輝き出した。
「“大海”“朽ちた尖塔”“終局の舟”」
線は無数に分裂して文様を描き始め、更にその輝きは増していく。
「“厄普き逃れる能わず”“驟雨に崩れ──」
「待てッ!!」
9つの幾何学模様の円陣──魔法陣が展開されて最高潮の光を放った時、後方から鋭い声がルグルスに刺さる。
ゆっくり振り返ると見知った顔の人物達、いや、神々の姿があった。
濡羽色の短髪、銀の猫目、曝け出した強靭な肉体美。
そんな野性的な風貌をした男の正体は、月と闇を司る神。名を【ダスク】。
かの男神を筆頭に、地、水、火、風、雷、樹と森羅万象の根源たる属性を司る6神の男神と女神が一堂に会している。
ルグルスは視線を彼らに寄越すことも無く、静かに問うた。
「何だ」
「何だもクソも無ェ。テメェ今ヒト毎世界をぶち壊そうとしたな」
「だから何だ」
「ッ! テメェの勝手で意志ある命を育んでおいて、テメェの勝手で消すなんて赦されるとでも思っているのか!?」
その言葉に、今まで表情の無かったルグルスは一瞬眉を顰めた。
「三度は言わん」
「邪神に堕ちるつもりか……ッ!!」
「神に善も悪も無い。私が是とすれば是となる」
「……そうかよ。だったら本当にそうか──確かめてこい!!」
「……!」
ダスクが右足を大きく踏み込むと、それが合図だったかのように多層型魔法陣が瞬時に展開され、ルグルスを覆った。
同時に7色の鎖が何処から途も無く現れ、彼を拘束する。
突然の出来事にルグルスは瞠目したが、直ぐ様その瞳から色を失くし憐れむような声で問う。
「この程度で私を縛れるとでも?」
「はッ! 一瞬で良いんだ」
「ほぅ?」
「テメェにはやることがある。……ヒトというものを知る必要がな」
「無い」
「あるんだよ」
ダスクが諭すように言った。
ルグルスはそれを聞いて目を細めると、術の打消しにと周囲に展開された魔法陣の解析を始める。
何れもヒトには扱えない、まさに神の領域の山であった。
しかし、ルグルスにとってはどれも些末なもの。
一時的に自分を封じることは出来るかもしれないが、程無くして術式を解除することなど造作も無い。
同じ神と言えどルグルスとダスク、他の6神の神力の差はそれ程まであった。
だが。
──あれは……!
全てを看破したルグルスは、ダスク神の足元にある魔法陣を発見し目を瞠る。
「汝」
「流石だな。もう解っちまったか」
「『メテ……ぐぅっ……!?」
ルグルスが行動を起こそうとすると、彼を除く7柱の神が魔法陣の威力を高めて阻止する。
存外強力であった彼等の拘束魔術によって、最早爪先を動かすことも不可能になり、ルグルスは為す術無くダスクの放つ声に耳を貸すこととなる。
「時間掛けた甲斐あったな。これを作り上げるのに何年掛かったことやら」
「…………っ」
「っと、油断しねェぜ? もう破られそうだからな。さっさと発動してやるか」
ダスクがフィンガースナップを大きく鳴らすと、それをトリガーに6神が光の粒へと霧散しダスクへと融合し始める。
見る見る内に彼の姿は6神の特徴を表し、神力を増幅させてゆく。
「神から神への神降ろしだと……? 何を考えている……!」
《……これで僅かばかりだが、お前より神格を越えることが出来た》
「……ぐ……ぅ…………!」
《統合サレタ七神、ケイオスより下神ルグルスへ拝命す。――ヒトというものを知ってこい!》
融合されたダスク神──統合サレタ七神【ケイオス】が大きく柏手を鳴らす。
するとどうしたことか。彼の白き神の姿は無く、この白き世界から消え失せていた。
「あばよ。……父さん」
ケイオスはそう呟くと、次の瞬間には彼の姿も消え去った。
白き空間は徐々に綻び始め、無へ還り始める。
この一連の出来事が後に語られる『邪神追放』の一節となる。
そして世界の崩壊を防いだ、かの神が新たな主神となった瞬間なのであった。