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読み切り@豆狸

魅了は卒業の前に

作者: @豆狸

 辺境伯令嬢と第三王子、ふたりの婚約は政略的なものだった。

 それでも幼いころに引き合わされたふたりは、互いを想い合う努力を欠かさなかった。

 微笑み合って言葉を交わし、互いの好きなものを語り合って贈り合い心をつなげようとしていた。愛はまだなかったけれど情はあった。やがて愛も芽生えるはずだった。


(いいえ。私の中には既にあったわ)


 辺境伯令嬢は自分の胸に拳を当てた。

 もちろんそんなことでは心の痛みを止められはしない。

 彼女は治癒魔術を持ってはいないのだ。学園で身に着けたのは他者の力を高める補助魔術のみ。だがそれも常に魔獣の脅威に晒されている辺境伯領の跡取り娘には必要なものだった。


 ひとり娘の彼女に必要なもうひとつ、入り婿予定の婚約者、この王国の第三王子は自身の未来の側近達と一緒に笑い合っている。

 学園の中庭にあるカフェテラス。

 彼らはひとりの少女を中心にしてテーブルを囲んでいる。第三王子の唇が開いて、流れるように賛辞の言葉を紡ぐ。


「ああ、なんて美しいんだ。風に揺れるその目映い髪、宝石のように透き通ったその瞳」

「うふふ、ありがとうございますぅ」


 男爵家の庶子だというその少女が、辺境伯令嬢にちらりと勝ち誇った笑みを送った。

 第三王子を始めとする側近達は辺境伯令嬢には気づいてもいない。

 その熱く燃える瞳に男爵令嬢の姿を刻もうと必死なのだ。第三王子の言葉を皮切りに、側近達も口々に男爵令嬢を称え始める。


「僕の妖精。あなたのためならば空だって飛べそうな気がします」

「俺の女神様。この剣を君に捧げよう」

「私の花の女王陛下。君のために取り寄せた、この異国の花をもらって欲しい」


 不思議なことに、彼らがほかの男達に嫉妬する様子はない。

 ただ男爵令嬢だけを見つめて愛を乞うている。

 辺境伯令嬢は故郷でよく見る魔獣の大暴走(スタンピード)の光景を思い浮かべた。魅了を操る魔獣に惑わされて、血を流し四肢を落とし、死ぬ以外の結果が待っていなくても陶然とした表情で自分を支配する相手を守り続けている魔獣の姿を。


(浮気や変心なら良かったのに……)


 辺境伯令嬢がどんなに願っても現状は変わらない。

 彼女の婚約者、第三王子は男爵令嬢に魅了されている。

 これまでの付き合いで芽生えていた微かな愛を飲み込んで、辺境伯令嬢は一緒にいた側近達の婚約者とともにその場を去った。貴族の婚約は政略的なものなのだ。


★ ★ ★ ★ ★


 学園と王宮の調査によって、男爵令嬢は魅了の力を持っていることがわかった。

 第三王子達は、魅了が完全に解けているか確認するために集められた部屋で、調査員の魔術師団団長に食ってかかった。


「どうして婚約が白紙になったんだ! 私達は魅了にかかった被害者なんだぞ!」

「殿下のおっしゃる通りです!」

「そうだそうだ!」

「自分の意思で婚約者を裏切ったわけではありません!」


 側近達も第三王子の後に続く。

 彼らは貴族家の次男三男で、主君である第三王子に従って辺境伯家の寄り子貴族の婿か養子になる予定だったのだ。

 溜息をついた魔術師団団長は、男爵令嬢に向けていた視線を第三王子達へ移した。日々魔術研究に耽溺する彼は、それ以外のことへの興味が薄い。身分差を重んじる意識も希薄なため、逆にこうして高位貴族関係の事例を担当させられているのだった。


「はい。あなた方が魅了に弱いのは単なる体質に過ぎません」

「だったら……」

「だからこその婚約の白紙撤回なのです。常に魔獣の脅威に晒されている辺境伯領で、大暴走(スタンピード)の最中にあなた方が魅了されて仲間を襲い始めたらとんでもないことになるでしょう? 文官の方もそうです。国境を守る辺境伯家の敵は魔獣だけではない。他国から入り込んだ間者の魅了に惑わされて機密事項を垂れ流されたのではたまりません」

「……だ、だが私達は反省している。もう怪しいものには近づかない!」


 学園ではその年度に所属している王族が生徒会長になるという慣習がある。

 第三王子は学園長に、引き取られたばかりで貴族社会に馴染んでいない、市井で育った庶子である男爵令嬢をお願いします、と頼まれた。

 それは、第三王子に男爵令嬢の世話をしろと言ったのではない。生徒会長として、彼女の世話役を手配してやってくれという頼みだった。第三王子は学園長の言葉の意味を理解していながら、好奇心のままに美少女と名高い男爵令嬢と接触して魅了されたのだ。ちなみに学園長は責任を取って辞職している。


「ええ、近づかないでください。例えるならあなた方は花畑の花粉が体に合わず、涙を流し過ぎて眼球が充血し鼻水を流し過ぎて鼻の皮が剥け、唇が乾燥してひび割れ喉が荒れて息をするのも苦しい状態になっていたのです。そんな方々に、また花畑で蜜を取って来て欲しいとお願いする気はありません」

「……私達には挽回する機会さえ与えられないのか……」


 魅了を操る魔獣が現れるかもしれないから、魔獣討伐には参加出来ない。

 魅了を操る間者が近づいてくるかもしれないから、機密事項には関われない。

 第三王子とその側近達の栄誉へと続く道筋は閉ざされていた。これが浮気や変心なら注意を受けて矯正され、相手から遠ざけられるだけで済んでいたかもしれない。しかし『魅了に弱い体質』はどうにもならない。高位貴族の彼らは魅了に対抗するとされている護符も持っていた。


「辺境伯家の騎士団にも魅了に弱い体質の方はいらっしゃいます。その方は護符を持っても過信せず、怪しいものや場所には近づかないようになさっています。その方のおかげで魅了を操る魔獣が早期に発見され、何人もの間者が捕らえられています」


 魅了に惑わされた魔獣は痛みを感じても我に返ることがなく、四肢を失おうとも息絶えるまで暴れ狂う殺戮人形に変わる。魅了を操る魔獣を野放しにすると大暴走(スタンピード)討伐は泥沼化する。

 一度魅了されて反省した、とどんなに口で言っても受け入れられるはずがない。

 魅了をかけられたこと自体は本人のせいではないにしても、危険を察する能力も危険を感じて距離を置く知恵もないと自分達で証明してしまったのだから。


「ア、アタシ……アタシはどうなるの? 自分の意思で魅了を使ったのではないのよ?」


 第三王子達の助けは期待出来ないと察した男爵令嬢が、潤んだ瞳で魔術師団団長を見つめる。

 魅了は完全に解けていた。この部屋へ入って来たときから、第三王子達は彼女に侮蔑の視線しか向けていない。

 魔術師団団長は少女の言葉に、端正な顔をほころばせた。


「あなたには魅了対策技術発展のための尊い犠牲になっていただきます。魅了の力は基本無詠唱なので術式が確立されておらず、そのため対抗出来ると思われている護符の効果も本当に発動しているかどうかは定かでないのです」

「じゃ、じゃあアタシは殺されたりしないのね?」


 胸を撫で下ろした男爵令嬢に、魔術師団団長は妖艶とさえ感じられるほどの麗しい微笑みを見せた。


「当然です。無意識に放たれる魅了の力は術者が死ぬと消えてしまいます。意識がなくなってもいけませんし、鎮痛剤などで感覚を失わせても発動しないと言われていますからね」

「鎮痛剤……?」


 遅まきながら男爵令嬢は、先ほど魔術師団団長が口にした『尊い犠牲』という言葉を思い出した。


「あなたには何重にも結界を張られた部屋で魅了に弱い魔獣と対峙していただきます。予想外のことが発生したときは天井を崩して生き埋めに出来るよう地下室です。ああ、ご安心ください。生き埋めで放置はしません。埋めて動きを止めた後で、ちゃんととどめは刺しますよ」

「い、嫌。そんなの嫌よ」

「魅了に限らず生まれつきの魔術の力は髪や眼球、血液に宿ると言われています。これは実際に証明もされています。それらを少しずつ奪っていくことで、どの部位を失ったとき魔獣の魅了が解けるかが判明することでしょう。それによって魔力の放出自体を封じるのではなく、魅了に纏わるものだけを封じることが出来るようになるはずです」

「魔獣の魅了が解けたらアタシは襲われてしまうわ! そもそも魔獣にアタシの魅了が効くかどうかもわからないじゃない!」

「わからないからこそ確かめるのではないですか」

「自分の意思で魅了を使ったのではないのよ? わざとじゃないのに、そんな、酷い……」


 泣きじゃくる男爵令嬢に魔術師団団長は少し困った顔で告げる。


「無意識の魅了だとしても、自分が高位貴族の令息達に取り囲まれたらおかしいと思いませんか? 自分の愛を求めながらも、ほかの男達に嫉妬しない状況に異常を感じませんか? 私は気持ち悪いと思ったから学園に報告して、発見された無意識の魅了を封印してもらいましたよ?」


 基本無詠唱で術式が確立していない魅了を封印すると魔力の放出自体が閉ざされて、すべての魔術が使用不可能になる。

 自在に魔術を操る魔術師を目指して学園に入学していた魔術師団団長は、自分が魔術を使えなくなったからこそ魔術研究に耽溺しているのだった。

 これからの楽しい研究を夢見て、魔術師団団長は魅了の力がなくなったとは信じられないほど魅力的な笑みを浮かべていた。


★ ★ ★ ★ ★


「それではまた放課後に迎えに来るよ」

「公務でお忙しいのに、ご面倒をおかけして申し訳ありません」

「可愛い婚約者のためだもの。面倒だなんて思いはしないよ」


 第三王子との婚約が白紙撤回された辺境伯令嬢は、王太子である第一王子の予備として婚約者を決められないまま留め置かれていた第二王子と婚約を結んだ。

 政略的な婚約だが、ふたりは互いを想い合う努力を欠かさない。

 第二王子は辺境伯家に婿入りするため、これまで王宮でおこなっていた仕事の引継ぎで忙しいというのに、辺境伯令嬢の学園への送り迎えを他者に譲ろうとしない。当然ながら辺境伯令嬢もそれを喜んで受け入れている。


 これまでの人生設計がいきなり崩れた者同士、辺境伯令嬢と第二王子の間には既に情が生じている。

 愛が芽生えるのももうすぐだろう。

 ふたりは物陰から自分達を見つめる第三王子の視線に気がついていない。気づいていても気づいたことを隠し通す。政略的な婚約なのだ。愚かな元婚約者の存在に亀裂を入れられてはたまらない。


(卒業前に魅了されて良かったんだ)


 花のように微笑む元婚約者の横顔を第二王子()が自分の腕でさりげなく隠すのを瞳に映しながら、第三王子はぼんやりと思う。

 この国では十五歳が成人とされるが、それは平民の話。貴族は十五歳で学園に入学し、家を守るべく魔術の腕を磨いた後に十八歳で学園を卒業して一人前とされる。

 もし第三王子とその側近達が学園卒業後に魅了されていたら、自己管理能力なしとされて処刑されていただろう。大人の世界は甘くない。学園在学中の子どもだから、婚約の白紙撤回だけで命は助けてもらえたのである。


(早くこの想いも消え去ればいいのに……)


 第三王子は自分の胸に拳を当てた。

 もちろんそんなことでは心の痛みを止められはしない。

 本当に消し去るべきだったのは長い年月で育んだ微かな愛ではなかった。美しく魅力的な男爵令嬢を見たとき胸に芽生えた危険な香りのする熱い炎(魅了)──消し去ることが出来なかったとしても、それ以上近づくことを止めてさえいれば、もっと違う今が待っていたはずだ。


 既に学園を卒業している第二王子()が公務を果たすため王宮へ戻っていく。

 それを見送った後、辺境伯令嬢は友達と一緒に教室のある校舎へと向かった。辺境伯令嬢の友達は、第三王子の側近達の元婚約者だ。

 彼女は物陰に隠れて自分を見ている第三王子を振り向きはしない。かつて婚約者同士だったふたりだが、学園卒業後は互いの顔を見ることもなくなるだろう。

第三王子の人材運用能力(男爵令嬢の世話役にだれを選ぶのか)を見ようとして任せたら、辞職することになって学園長ビックリ!

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