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毛布

作者: utu-bo

お前だけだよ。


お前だけは裏切らない。




あたしにこびりついて、離れない言葉。それは母の口癖だった。




父は母とあたしを捨てて、出ていった。冬の月が綺麗な夜だったのを覚えている。すがりつく母の奇声を覚えている。すがりつく母を引きずり、振り払う父を覚えている。でも、その時のあたしの目には母でもなく、父でもなく、冬の月が映っていたのを覚えている。



裏切ったのは父。


捨てられたのは母。


そんな母の口癖。




お前だけだよ。


お前だけは裏切らない。




あの冬の月が綺麗な夜から始まった母の口癖。



母の口癖の意味、小学生のあたしにはあまり理解できなかった。でも、そう云う母をあたしはいつも抱きしめていた。そうすると、母が嬉しそうに笑うから。そうしないと、母が悲しそうに泣いてしまうから。



父が出ていってから、あたしは母と2人暮らしになった。ご飯も、お風呂も母と2人だ。そして、夜は1枚の毛布で母とくっついて眠った。


あたしがテストで100点取れば、母が笑ってくれた。だから、あたしは勉強を頑張れた。逆上がりができるように、いつも母が応援してくれた。だから、逆上がりができるようになった。


縄跳びだって。


工作だって。


母が喜んでくれるから。


小学生のあたしは父が出ていった理由も知らずにあたしは母の為に頑張っていたと思う。




でも、中学生になって、父がいない理由をあたしなりに考えるようになった。




お前だけだよ。


お前だけは裏切らない。




そんな母の口癖は変わらなくて、中学生のあたしに繰り返し云う。



そりゃあ裏切らないけれど。



思春期を迎えたあたしの世界が変わっていく。


学校帰りに友達と買い食いして遅くなったり。


長々と電話で話をして、母とご飯を食べなかったり。


あたしの世界が広くなる。


あたしの時間が必要になる。


そうすると。




お前だけだよ。


お前だけは裏切らない。




そう云って、すがりつく母が重くなる。




ああ、そうか。



父も重かったんだ。





父はきっと母が重くて。


きっと母が息苦しくて。


母とあたしを捨てて、出ていったんだ。




あたしは父が出ていった理由をそう理解した。





そんなことに気づいたところで。


あたしの世界の広がりは止まらなくて。


あたしの時間の必要さもおさまらなくて。


すがりつく母が負担になっていく





そんな母が重くて。


そんな母が息苦しくて。


父と同じように家を出たい。




中学生の頃のあたしは真剣にそう思っていた。






そんなの重いよ。




母にそう云ってしまえば、きっと母は崩れ落ちるだろう。




そんなの息苦しいよ。




母にそう云ってしまえば、きっと母は立ち直れないだろう。





だから、そんなことできっこないと諦めていた。









やがて中学、高校と運良く進学できて、あたしは未来を選択する時期にきた。





お前だけだよ。




お前だけは裏切らない。




あの口癖も最近云わなくなった。


でも、あの口癖は今もあたしにこびりついていた。



父にすがりつく母の奇声。


母を引きずり、振り払う父。


綺麗だった冬の月。



父が出ていった日のことも決して忘れることはない。







あたしは学校を卒業したら。



まず、この家を出たい。




あたしが将来を真剣に考えて、選択した未来。




母に伝えたら。



きっとすがりついて。


きっと泣き崩れて。


きっとあたしを離さないだろう。




そんな母が重くて。


そんな母が息苦しくて。


あたしは家を出たい。




あたしはそんな言葉を何度も飲み込んだ。









冬の月が綺麗な夜だった。


1枚の毛布に母とくるまって、考える。



父は母が重くて。


父は母が息苦しくて。


父は家を出ていった。



今日みたいに冬の月が綺麗な夜で。



どうしてもあたしの世界が広くなっていく。


どうしてもあたしの時間が必要になっていく。


だから。


そんな母が重くなって。


そんな母が息苦しくなって。


あたしは家を出たい。




そこにあたしの未来があるから。




あたしは息を呑んで。


毛布の感触を確かめた。


毛布ももう随分小さくなった。


あたしが大きくなったから。


それとも、母が小さくなったから。


毛布からはみ出るあたしの足。


昔は1枚で、2人で収まっていたけれど。


あたしの足に冷たい風が絡みつく。




あたしも父と同じだ。


母が重くて。


母が息苦しくて。


父と同じように。


あたしも家を出ていく。


母はあたしにしがみつく。


あたしは父と同じように母を引きずって、振り払う。


母は泣き崩れて。


そして、あたしを恨むだろう。



そう想像していた。




「あのさ、未来の話、していい?」



母は返事をしない。



「あたし、卒業したら、家を出ていくね。」



あたしは小さく呟いた。


母は泣き伏せることもなく。


母は動揺することもなく。


母は笑って。



「そう。頑張ってらっしゃい。」



あたしにそう言ってくれた。


テストで100点取った時のように。


逆上がりが出来た時のように。


母は喜んでくれた。


母はあたしの頭を撫でてくれた。





あたしは母を蔑んでいた。


あたしは母を疎ましく思っていた。


あたしは母を勘違いしていた。






「ありがとう。」


涙が止まらないあたしは必死に言葉を絞り出した。



「もう、この毛布も小さくなったね。新しいの買わなくちゃね。」



あたしの肩まで毛布をかぶせて、母は云う。



きっとすがりついていたのはあたしで。


きっと守られていたのはあたしで。


この毛布を手放せなかったのはあたしで。



「もう少し一緒に寝てよ。」



毛布に頭を突っ込んで。


あたしは小さく呟いた。



「馬鹿ねぇ。」



母は言う。


あたしは随分、大きくなった。


毛布からはみ出る足。


冷たい風が絡みつく。


でも、もうしばらく。


もうしばらくこのままでいよう。


あたしはもう何も云わない。


母ももう何も云わない。


あたしはただ母にしがみついていた。


冬の月が綺麗な夜が過ぎていく。






【おしまい】


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